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花冷えの頃 …5
しおりを挟むきゆは二人に深々とお辞儀をした。
誰にも相談できずにいた流人との複雑な関係をこんなによく分かってくれる人達が身近にいたことが、本当に嬉しかったし涙が出るほど感謝した。
「きゆさん、まずは食べましょう」
その後の話は、ほとんどが院長夫妻からきゆへの質問タイムだった。
流人との出会いの話や、働いていた病院での話、院長夫妻は楽しそうに話を聞いて時には大笑いをした。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、きゆがそろそろ帰り支度を始めていると、院長先生がきゆにそっと教えてくれた。
「僕は流人君からお願いをされたんだよ。
きゆちゃんは以前のトラウマで寂しさに耐えられなくなっているから、院長先生と奥様できゆを盛り上げて下さいってね。
そのお礼は百倍にして返しますのでって言ってたよ。
彼は面白いよね…
僕も家内も流人君の大ファンなんだ。
きゆちゃん、寂しくなったらいつでも遊びに来なさい。
僕たちはいつでも大歓迎だから…」
きゆは胸が詰まって何も言えなかった。
流人に愛されている…
その事を院長先生は遠まわしに私に伝えてくれた。
流人君は、きゆちゃんを誰よりも愛しているんだよっていう事を…
*** *** ***
2月に入ると天気が悪くみぞれの降る日が多かった。
2月に一度は帰って来ると言っていた流人だったが、急にボストン行きが決まってしまい2週間ほど日本を離れることになった。
唯一の2月に島へ帰って来るという約束は流れてしまった。
でも、きゆは落ち込んだりはしない。
「きゆ、いきなりで悪いけど、島を出てからの二人の生活のスタートは、ボストンになりそうなんだ。
以前からそこの大学に留学希望を出してたんだけど、この間提出した論文で条件をクリアできたらしい。
春からは一緒にボストンに行く、きゆもそのつもりで準備しといて」
流人から3日前にそう電話が来た。
きゆにとって住む所とかは別に関係ない、流人と一緒に未来を歩めることが何よりも望んでいることだから。
でも、その電話で、流人は両親との話し合いの事は何も話さなかった。
きゆの方からは何も聞かないし、ましてや問いただしたりは絶対にしない。
何か進展があれば、必ず流人は話してくれる。
正直すぎる流人の性格は、両親と何も進展がないことを無言の内に告げていた。
その問題に進展がないということは、きゆの中に心臓を潰されるようなそんな痛みを伴うほどの苦しみと悲しみが押し寄せる。
大好きな流人のお父様とお母様に認められたい、祝福されて結婚したい……
お世話になった恩人の院長先生と奥様だからこそ、笑顔で受け入れてもらいたい……
でも、きゆのその願いはきっと流人の両親には届かない。
*** *** ***
3月に入り、あっという間に桜の季節を迎えた。
流人がやっとこの島へ帰って来る。
でも、この島に滞在できるのはたったの3日間で、その後はきゆを連れて東京へ帰ることになっていた。
流人の帰りを待ちわびていたのはきゆだけではない。
老健施設の人達や、流人に診てもらった患者さん、役場の人達、もちろん院長夫妻まで、たくさんの人達が流人の顔を一目見たいと港へ集まった。
そんな流人は、船から見える島の輪郭を頭に焼き付けていた。
港に近づくにつれ、一年前のあの日が昨日のように甦ってくる。
ただ、きゆに会いたくて、きゆを取り戻したくて、この島へ無我夢中でやって来た。
こんなにもこの島のことを愛おしく大切に思える日が来るなんて、あの時は夢にも思わなかった。
きゆによってもたらされた素晴らしいこの島での日々は、流人の人生の中で大きな意味を持つだろう。
間近に港が迫ってくると、真っ先にきゆの姿が見えた。
たくさんの人達に埋もれて、でも、真っ直ぐに流人を見て手を振っている。
流人も大勢の人達に大きく手を振った。
島の人達が待ち焦がれていた最高に爽やかな笑顔を浮かべ、全身を揺らして大きく手を振る姿は、また皆を笑わせた。
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