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元秘書は秘書になりたい!
しおりを挟む『社長を捕まえる為に秘書をやっているんでしょ』
『そう言うの迷惑なんですけど』
『これだから若い秘書は。体で仕事出来て楽勝ね』
──違います!
私は赤井社長から迫られて、断っただけです。私から誘ったなんて嘘ですっ。
事実無根の言葉に反論したことは、つい先日のように今でも忘れられない。
そして言われなき誹謗中傷により、精神的にも参ってしまい。それが原因で仕事を続けることが出来なくて『akaI』退職。
「はやいもので、もう二ヶ月前かぁ……」
はぁと、ため息が出た。
退職してからの一ヶ月間はメンタルケアに努めた。
辛かったし。悲しかった。
でもそこで腐っていても仕方ないと、何とか心に喝を入れて再就職先を探し始めた。
なのにいまだに就職が決まらない厳しい現状。少しでも貯金をしなくてはならない。
なので長年通っていた市内のスポーツジムクラブを今月で、泣く泣く退会することになり。
せめて元を取るべく、こうして再就職活動のスキマ時間があれば積極的に利用していた。
見通しのつかない、再就職の不安やストレスを発散する目的もある。
朝からジムを利用して、昼になり。シャワーを浴びたあとスポーツウェアに着替え。長い髪をポニーテールに結び。
クラブのカフェエリアの一角で持参したサンドイッチ片手にクラブ内の無料のウォーターサーバの水を用意して、スマホで再就職先を探していたのだった。
しかし、今日も難航していた。
気分を紛らわせようともぐもぐと、サンドイッチを頬張る。お母さん直伝の味噌マヨネーズと卵とハムのサンドイッチ。実に美味しい。
「うーん。美容系の秘書にまた戻れたら、一番経験を活かせるんだけども」
水をこくっと飲む。
きっと無理だろうと思った。
なにせ私の前職は大手美容クリニック『akai』の秘書。
全国にチェーン店を構える大手クリニック。
無料脱毛、お友達紹介キャンペーンなどで電車の広告やSNS上でのショート動画の広告展開で知られている『akai』
きっと女子なら、一度は聞いたことがあるぐらいの知名度を誇っている。
私はその『akai』クリニックの赤井奏多社長の秘書をしていたのだ。
そこで悪い噂を流されてしまった。そんな秘書なんて雇いたいと思う人は少ないだろう。
仮に私のことを信用してくれても、周囲の目を気にして変に軋轢を生むかもしれない。
赤井社長は三十歳と言う年齢ながら、野心家でネット動画のチャンネルを持つインフルエンサーという側面もある。
そんな赤井社長と揉めたとレッテルを貼られた私が一番、この現状を理解している訳で。
「でも、私は何も悪いことしてないんだけどな」
そんな赤井社長の秘書は私だけではなく、数名いた。
その中で私は新入りとして先輩のもとで、バリバリと仕事を頑張っていた。そのお陰か、赤井社長から信頼も得たと思った矢先。
「エッチしよう、なんて馬鹿にしないでよ」
きっと向こうは軽いノリで、遊び相手を見つけたぐらいの気持ちだったんだろう。
それでも人を馬鹿にしていることには違いない。
嫌な思いを忘れようと、ツナに黒胡を効かせたキュウリのサンドイッチに手を伸ばす。
これもお母さん直伝。ポイントはキュウリのアク抜きをしっかりとすること。キュウリがシャキッとしていてツナがまろやか。
やっぱり美味しい。家を出るとき、料理上手なお母さんに色々と教えて貰ってよかったと感謝する。
一度スマホから視線を外して、食事に集中しようと思った。
なのに頭の中では罵られた記憶がこびりつき、拭いされない。
私は社長からの誘いがあったことを誰にも言ってない。
なのに次の日には、私が誘ったと言う噂が立っていたのだ。
誰が噂を広めたなんて、今となっては真実を知ったところでどうしようもない。
再び、ため息を吐きそうになるのを我慢して黙々と食べて。ご馳走でしたと呟き。
──べちゃりと机の上に突っ伏した。
「あぁ、もう秘書の再就職は諦めて、違う業種にした方がいいのかなぁ。折角頑張って資格をとったのに。秘書になりたくて頑張ったのにっ」
ついつい、弱音を吐く。
「おや。紗凪さんじゃないですか。久しぶりですねぇ」
聞き覚えがある柔らかい声がして上を向くと。
ロマンスグレーの髪をした、背筋がピンと伸びた私のジム友達。
昭義さんがそこ居た。
昭義さんはにこりと笑って、失礼しますよと私の向かいの席に座った。
机の上に広げたランチボックスやスマホを机の端に置く。
昭義さんと知り合ったきっかけは、ウォーキングマシンの設定に困っていた昭義さんを案内したことから。
それから、顔を合わせるたびに雑談をする仲になった。
「昭義さん。お久しぶりです」
「最近姿を見てなかったので病気でもされたかのと。お元気そうで何よりですね」
その言葉にお茶を濁した返事をした。
正直、あまり元気ではない。
でも昭義さんに愚痴っても仕方ない。それよりも私がジムを退会すると言うことを、伝えれるチャンスだと思った。
「心配してくれてありがとうございます。実はその。今月でこのジムを退会することになりまして。今まで仲良くして下さり、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げると昭義さんは目を見開いた。
「紗凪さんが退会。それは寂しいですね。長年通ってらっしゃったのに。どこか違うジムに鞍替えですか? ピラティスやヨガのレッスンが充実しているところとか」
ピラティスやヨガは体を引き締めるためにレッスンを受けていた。
それは美容系の秘書と言うことや高校生時代、太っていたと言うことで、自分なりにボディケアに努めていたのだ。
「いいえ。そうじゃないんです。一身上の都合といいいますか」
あははと笑って誤魔化す。まさか就職先を探していて、お金に余裕がないとは言えなかった。
「一身上の都合ですか。なにか──お仕事を辞められたとか?」
「!」
言い当てられ、びくっとすると昭義さんは細い指先を机の上のスマホを指さして苦笑した。
「すみません。画面が見えてしまったので。もし、困っていることがあれば、この私で良ければ相談に乗りますよ」
まるで先生みたいに優しく笑う昭義さんに、胸がジンとする。
最近行き詰まっていたし。こう言うときこそ年長者のご意見をお伺いして、開ける道はあるかもしれないと、重たい口を開いてみるのだった。
元の勤め先や赤井社長の明言は避け。秘書をしていて理不尽な目に合って、悪い噂を流されて退職。
そして今は秘書と言う仕事以外にも、目を向けた方がいいのではないかと打ち明けると。
昭義さんはこくりと頷いてにこっと笑った。
「紗凪さんは凄く頑張ったのですね。本当にお疲れ様です。秘書なんて立派な仕事、私も良くお世話になったので尊敬します」
お世話になった?
そのワードが気になると、次の言葉が飛んできた。
「ところで、紗凪さんは何故、秘書を? 紗凪さんなら他の職業でも器用にこなせる気がしますが」
「ありがとうございます。実は私。高校生のときに太ってまして。しかもその原因が料理上手なお母さんの手料理をついつい、食べてしまうことが原因でした」
「それは、ある意味贅沢な悩みかもしれませんな」
「えぇ、私もそう思います。私もお母さんから料理を教えて貰って皆によくクッキーとか差し入れして、喜んでもらっていたんです。そのお陰か友達も沢山いて、楽しかったんです。でも、ちょっと男の子とは縁がなくて。それでも良いなって思う人からはフラれてしまいました」
実は学校一かっこ良くて頭が良くて。人気抜群の黄瀬薫君と言う男子に告白をされた。
それまで話したことなんか一度もなくて、晴天の霹靂だった。
以前から気になっていた男の子だった。凄く嬉しかったけど。
次の日。数人の女子に囲まれた。その女子達は当時流行っていた薔薇の香水を纏わせるギャル達。その子達が『黄瀬君の告白は罰ゲームなのよ、それを本気して可哀想』と言ったのだ。
とても悲しかったけど複数人のギャル達に言われて、何も言い返せなかった。
それに太っている私にイケメンの黄瀬君が告白してくるなんて、都合が良すぎると思ったのも事実。
それから気まずくて黄瀬君を避けた。
一度だけ手を掴まれてしまったが、それだけで恥ずかしくて。泣きたい気持ちになり『離して』ときっぱり拒絶の言葉を言った記憶は、今も頭にこびりついていた。
結局、受験もあってそれっきり。
なんとも苦い思い出だが、その思い出こそ秘書になろうと思った起源だった。
「そう言うことがあって、あんまり自分に自信が持てなくて。このままだと誰の役にも立たないと思えて……でも、それはダメだって。私をフッた子を見返してやる! って一念発起したんです」
「おぉ、素晴らしい。逃した魚は大きいってヤツですね」
そう言ってくれると嬉しい。
「それから、カッコいい女って言うイメージってなんだろうって。それは安直ですけど誰かの役に立つ、秘書じゃないかと思ったんです」
実は看護師とかキャビンアテンダントとか迷った。しかし、そう思ったのは高校三年の後半だったので希望するには少々スタートダッシュが遅い。
元より進路に悩んでいた。なんとなく会社に就職ぐらいしか考えていなかった。そこから頑張って勉強に励み、事務のバイトをしたり。
お陰で今だに男性と、ちゃんとお付き合いしたことが無かったけども。
でも秘書検定を無事に取り。無事に秘書になれたのだった。
「なるほど。そうして秘書になったんですね。しかもダイエットにも成功した。努力したんですね」
「はい。頑張りました。当時は勉強よりも、お母さんの料理を我慢するのが辛かったですね」
ふふっと笑うと昭義さんもニコリと笑ってくれた。
「もし美容関係……化粧品会社の秘書の再就職先があれば、興味ありますか?」
「えっ?」
「実は私のツテで化粧品会社の秘書なら、紹介出来ると思います」
「そんな、いいんですかっ。嬉しいです!」
思わず、がばりと前のめりになってしまう。
「紗凪さんにはこのジムで、大変良くして貰いましたから。それに紗凪さんみたいな真面目な方なら信用出来る」
「ありがとうございますっ!」
さっきまで思い悩んでいたのに、途端にパァッと道が開けた気分になった。打ち明けてよかったと喜びが胸に広がる。
すると、一気に現実的なことが気になった。
どこの化粧品会社だろうか。規模は? 本社は?
海外にも事業展開しているなら、私は国際秘書検定を取得しているので活かせるのでは?
とか、いろんなことが一気に頭を巡った。
しかし次の瞬間には私の悪い噂が会社の迷惑にならないかと思い──気持ちが萎んでしまった。
「あの。私、迷惑になったりしませんか? 悪い噂のことなんですが……」
「噂は噂。紗凪さんはやましいことをしましたか?」
「いえ。絶対にしてません。それだけは違うって何度でも言えます」
「だったら何も問題ありません。仕事先を紹介します。あぁ、もちろん紗凪さんが気に入らないと思ったら、断って下さいね」
昭義さんの温かい言葉に話して良かったと思う。これでまずは再就職の一歩を踏み出せたことに安心した。
そうして、昭義さんはその場でさらさらとメモを書いて私に渡してくれた。
それは明後日の日付けと住所。待ち合わせの時間のみを書いた簡素なものだった。
しかも履歴書も不要。好きな格好でおいでと実にフランクだった。
そうして、メモを受け取ると昭義さんはこの後用事があると言って帰ってしまうのだった。
一人残され、受け取ったメモの住所を早速スマホで検索してみると「嘘でしょ?」と声が出た。
それは大手、化粧品会社『キセイ堂』本社の住所。
テレビCMでも見かける大企業。
海外進出も目覚ましい会社。しかも最近、社長の代替わりがあるとかないとかで、メディアにもその動きを注目されている企業だった。
「キセイ堂なんて超優良企業じゃない。昭義さんのツテって、本当かな?」
あまりのビッグネームの会社に、ただ驚くばかりだった。
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