再会した御曹司は 最愛の秘書を独占溺愛する

猫とろ

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無機質な机の上にグラスが二つ並ぶが、手に取るよりも先にもう一度頭を下げた。

「黄瀬社長。この度は本当に申し訳ありません。私の、」

言葉を言い終える前に「謝罪は先程聞いた」と、声が重なった。

おそるおそる顔を上げる。 

「君が反省しているのはよく分かっている。それよりも今はスケジュール確認と、このようなミスを今後繰り返さないように再発防止の報告が欲しい」

「──はい」

黄瀬社長は腕時計をチラッと見つめた。

「俺はその間、スマホで稟議書の確認をしようと思う。スケジュール調整で必要なことがあったら声を掛けてくれ」

「はいっ」

黄瀬社長のその言葉でさっそく机の上にスケジュール帳を広げる。
ミスの気持ちはまだ心に重くのし掛かっているが、次の仕事に響かせるわけにはいかない。気持ちを切り替えようとペンを持ち。確認作業を始めるのだった。

カランと氷の溶ける音がしたのと、私がペンとスマホを机の上に置いたのはほぼ同時だった。

「社長、確認作業終わりました」

時間にして三十分ほどと言うところか。
そろっと向かいの黄瀬社長を見ると、上着を脱いでずっとスマホを握り締めていた。
その机の上にはこの時間で稟議書の走り書きや、経営コンサルに連絡したメモが広がっている。

「ん……」とメモに視線を落としたまま。すっかり薄まったアイスコーヒーを一口を飲んでから、私に視線を合わした。
「大変お待たせしました。来月の訪問スケジュールは社内会議を一日ずらして調整完了」

「そうか」

「その他のスケジュールを再確認。ブッキングミスや日程のミスはありませんでしたが、会議が詰まっていたり。取引先との食事会の時間などを余裕あるものに組み立てました」

「分かった。スケジュールアプリに更新を頼む」

「更新済みです。近日の変更はありませんので、後ほどの確認でも大丈夫です」

淡々と会話が進む。そして最後に背筋を正して。

「今回のミスは確認不足という初歩的なミスです。今後は週に一回。決めた曜日に必ず先輩達とスケジュールを確認する。作業環境の整理整頓。基本に立ち返り、再発防止に努めて行きます」

今までも先輩方と一緒に確認はしていたが、ばらつきはあった。それを規則正しいものにする。
きっとそれで今日みたいなミスは防げると思って、じっと黄瀬社長の顔を見つめると。
黄瀬社長はふっと柔らかく笑った。

「お疲れ様。今後も再発防止に努めてくれ。誰にでもミスはあるから、俺はこれ以上何も言うつもりはない」

「黄瀬社長……」

「さてと、このまま帰るのは勿体ない。昼時だし、こちらで昼食を食べてから帰ろう。この辺りに名物料理とかないだろうか。来月それを話のネタにしたい」

山が近いから山菜とか名物なのかな? と、机に散らばった用紙を整えていく黄瀬社長。

黄瀬社長が私と親密な関係だからと言って、今回のミスで特別扱いしないと分かった。

ミスを責め立てるより今後のミスの再発防止を促す。それが黄瀬社長の部下の教育方針の一つなのだろう。

多分、私じゃない他の人が同じようなミスをしても黄瀬社長の対応は変わらないと感じた。

その対応に恋愛感情とは違う尊敬の念が強まる。
正直、今回の出張で色んなスケジュールを調整した私だからこそ余計にミスしたことが悔しい。気持ちはまだ落ち込んではいるが、なんとか笑顔を作った。

「名物があるかは分かりませんが、この近くに商店街があったはずです。そこで昼食場所を探してみませんか?」

「いいね。工房の人達も利用しているかもしれないし、行ってみよう」

その一言でカラオケルームを後にして、商店街へと向かった。商店街はシャッターが閉じた店舗は多かったものの。飲食店やお惣菜屋さんなどは営業しており、そこでこの辺りで取れる山葵を使った『わさび丼』がこの辺の名物だと教えてもらった。
ついでに、そのわさび丼を出す美味しいお店を教えて貰い。美味しい昼食にあり付けることが出来た。

黄瀬社長が悪戯ぽっく「こんなミスはもうないだろうから」と、記念に道の駅にてお土産を少し買い。新幹線の時間を繰り上げて都会へと戻るのだった。

新幹線の中。私はずっとスケジュールと睨めっこしたり『ミスの挽回』『失敗談』とかのエピソード検索していては、世の中には私と同じようにミスをしても頑張っている人達はいるんだと。体験談を読んで自分をなんとか鼓舞していた。

行きと同じく自由席だが行きよりも空いており。車内は快適。なのに心苦しさが拭い切れない。
隣に視線を向けると、黄瀬社長は経済雑誌を静かに読んでいた。

昼食を食べ、お土産を買ったりしたのはきっと黄瀬社長なりの心遣いもあったのだろう。

ミスをして頭ごなしに怒られるよりも。優しく諭され。次へと期待されるほうがやる気が出た。二度と失敗なんかするもんかと気持ちが湧き立つ。

そして……黄瀬さんに恋する私は黄瀬さんにがっかり、されてしまったのでは。せっかく全て順調だったのに、私のバカ! こんなんじゃ、家に行きたいなんて言えない。もう最悪。

と──恋心は乱れていて、心のバランスをとるのに時間が掛かっていた。

こんな数時間で悶々とした気持ちなんか、さすがに晴れない。
仕事が終わってからのプライベートの黄瀬さんに、いつも通りに接する自信も今はへこんでしまい。
今日は家で反省会だなと思っていると、スマホに交通情報のアプリからメッセージが届いた。

トンと、タップしてメッセージを確認すると、これはちょっとよろしくない情報だった。

「……社長。少しよろしいですか」

小さな声で黄瀬社長に声を掛ける。

「どうした?」

「どうやら新幹線の降車駅から線路にて、人身事故が発生したようで。ダイヤが大幅に乱れているみたいです」

「どれぐらいで、俺達が降りる駅に着く?」

黄瀬社長は読んでいた雑誌を手元に置いて、私のスマホを覗き込む。

「あと一時間ぐらいで着きますね。しかも、一時間後にゲリラ豪雨の予想も出ています。これは駅がかなり混み合うかもしれません」

メッセージには運転再開時刻は未定だと記載されていた。
このまま向こうに着く時間に帰宅ラッシュとなる。これは素直に駅に降りると身動きが取れなくなると思った。

黄瀬社長は「それは厄介だな」と、自らのスマホを持ち。何か調べ始めた。

「そうだな。なるほど……青樹さん。俺達は降車駅の一つ前で降りよう」

「一つ前の駅?」

そこは市内端の駅にあたる。そこで降りたとしても先の駅が止まっていたら、影響はあるだろう。混雑を迂回して、そこからタクシーの利用ではかなりの高額になると思った。

「その駅直ぐそばにレンタカーがある。しかも乗り捨てワンウェイ出来る。俺が運転するから、レンタカーで帰ろう」

「それだったら、せめて私が運転しますよ」

「俺の家の近くに車を返せる店舗があるから、俺が運転する。今日は色々と気疲れしただろ? そこまで気を張らなくていい」

明日も仕事はあるんだからと、言われてしまえばそれ以上のことは言えなくて。

「かしこまりました。手前の駅で降りましょう……その、本当にありがとうございます。私、もっと頑張りますから」

最後の言葉は黄瀬さんへと向けた言葉だった。黄瀬さんはスマホでレンタカーの予約をしながら「俺の秘書は真面目過ぎる」と、苦笑したのだった。

「雨、強くなって来ましたね」

フロントガラスにぶつかる大きな雨粒を見つめながら呟いた。
ガラス一枚。向こう側は絶え間なく続く雨の景色。空は灰色で街は雨模様に包まれている。
借りたレンタカーはスタンダードクラスの車種で乗り心地も良い。
ただ車内の空気はレンタカー特有の香りで、乾燥しているように感じた。

「青樹さんの家までは大体三十分あれば着くと思う。高速に乗るから、口寂しくなったら道の駅で買ったお土産を食べたらいい」

咄嗟に、そんなお気遣い大丈夫ですと言おうと思ったけど気遣いを無下にすると思い。素直に好意を受け取ろうと思った。

「ありがとうございます。では、ジュースを後で頂きます」

黄瀬社長が返事の代わりに、ラジオを付けると交通ニュースでダイヤの乱れから、振替運送やゲリラ豪雨でタクシーやバスの利用が集中して。市内で一時的な渋滞が起きていると言う、情報が流れてきた。

混雑に巻き込まれないでよかったとホッとせる。
車内にはざぁっと雨の音とニュースの声。高速へと向かう道のりも問題ない。
静かでどこかノスタルジーな雰囲気。

これがなんのミスもなく。仕事を終えた帰りだったら、しっとりとした会話が楽しめたかもしれない。

でも今は何を喋っても、謝罪の言葉が一番先に出そうだったので口を閉じていた。
きっと喋り出してしまったら『単純なミスをして、黄瀬さんはがっかりしてる』と、私の不安な心が暴れてしまいそうだったから。

やはり私は恋愛不器用なのかなぁと雨を見つめながら、早速ジュースを一本頂くことにした。
道の駅で買ったお土産の紙袋の中から一番上にあるものを手に取った。
手のひらサイズの缶。パッケージには山葡萄のイラスト。さっと蓋を開けてちびちびと飲む。

口にした葡萄ジュースは甘酸っぱくて濃厚。どこかワインみたいな芳醇さが広がる。

美味しい。
思ったより、喉が渇いていたのか喉に沁みるような味わいだった。

あっという間にジュースを飲み干し。
そのまましばらく窓ガラスに流れて落ちる水滴を見つめながら、来月は絶対に良い商談になるように頑張る。こんなミス二度としない。

膝の上に置いてる渡せなかったお土産を見て、硬く決心するのだった。
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