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間章【義兄と実兄】※主人公不在
3.守るなら
しおりを挟むダリウスは納得するしかなかった。受け入れる以外の選択肢を与えられなかった。
知り合って2週間程度の人物にいくら惹かれたからって、簡単に距離を詰められる訳ないじゃないか。
心を閉じた相手を無理矢理引き込むのは、可哀想じゃないか。
そう思って踏み込まない事を選択した自分を、誰も居なくなった小さな部屋で悔やむしかなかった。
「フリードリヒを守るなら、君の器では役不足だ。そんなに小さな男じゃないよ、彼は。」
その目は笑っているようで、笑っていない。
細い目の男は侯爵領の領主だと名乗り、離れで暮らしていたフリードリヒを自身が滞在する宿に連れて行ってしまった。
最初から勝ち目はなかった。
フリードリヒの心には、既にあの男が居たのだと知った。
淡い恋心は、早々に打ち砕かれた。
宿屋のベッドの上で男二人が向き合って座っている状況を、指摘する者はどこにもいない。
あれだけ多くフリードリヒを監視していた騎士達もセドリックが来てからは視界に入らなくなった。
悪評の膨れ上がった平民と、侯爵という最も警戒しなければならない状況にも関わらず、だ。
皮が硬く固まり、それが剥がれても酷使し続けた見るも無惨な手のひらを気持ち悪いと突き放すことなく熱心に観察しているセドリックに向き合って座るこの時間を、
過去の事と照らし合わせて懐かしむにはまだ早いなとフリードリヒは静かに眺めていた。
「自分で手当てをしていたんだ?一応、薬はちゃんと塗っていたようだね」
「…変なことを、言っていいか」
「うん?」
侯爵という国でもトップクラスに高い地位を持つのに、建物ごと借り上げた宿でフリードリヒを風呂に連れて行き、全身洗い上げて更には傷の手当をする甲斐甲斐しいセドリックに
少しずつ肩の力が抜けてきたフリードリヒがぽつりぽつりと零すように言葉を紡ぐ。
「……誰にも、触られたくなかったんだ。この手のひらだけは、誰にも。だから自分でどうにか、治療したつもりだった」
使い古した包帯は、いくら洗っても汚れが落ちなくなった。農具で擦れて布地はボロボロだし、新しい包帯を巻いた方がいいと何度も苦言を呈された。
「他のものは、全て捨てられたんだ。私の意思で、余すことなく全て捨てた。…なのに包帯だけは、この手から離れるのが怖くなったんだ。」
「それが何故なのかは、答えは出た?」
「……いいや。」
自分の心よりも、罪に向き合うべきだと思ったから。
半ば呆然としていたフリードリヒの手のひらに真新しい包帯が巻かれていく。
あれだけ執着していた古い包帯ではなくなったのに、心には拒絶が出て来ない。
包帯を巻くセドリックの指が素肌に触れる度に、じわりじわりと胸の奥に広がる何かに
それでもまだ、名前をつけようとは思わなかった。
「それよりも、セドリックはなんで来たんだ?」
「わからない?あれだけアプローチしてたのに」
「……わからない」
「俺の目を見て話して」
フリードリヒの手から離れた、少し大きな手のひらがすっかりやつれた顔を包み込んで、視線を上に固定した。
「お前の目は、たまにしか見えないじゃないか。」
「ははっ、そういえばそうか。それなら」
常に笑って見えるセドリックの目が視界に迫り、ぶつかると思ったフリードリヒの両目が咄嗟に閉じた。
真っ暗になった視界で、カサついたフリードリヒの唇を湿った柔らかいものが潤いを分ける。
「───わからず屋には、行動で示すことにするよ。俺も、フリードリヒも。お互いとっくに惚れているのは分かっているからね」
「惚れっ…!…私は、違う!」
「うんうん、俺の目を見て言って」
見開かれた赤い瞳に、真っ黒な瞳が映り込む。
吸い込まれそうな黒は至近距離で見ると夜空のように光を反射して、思わず綺麗だと呟きそうになった。
「………お前の目は、ずるいっ」
「あははは!まったく、目を離してる隙にこんなに痩せて…唇もカサカサじゃないか」
頬を包み込んだままの親指が乾いた唇を撫で、またすぐにセドリックの唇が重ねられた。
「ッ…やめろ、キスをしたところで、私の唇がどうこうなる訳がないだろ!」
「俺はちゃんと手入れしてるからね。塗ってあったクリームを分けてあげてるんだよ」
「塗り方ってものがあるだろうが!」
「へぇ、塗っていいんだ」
ニヤリと笑うセドリックに、フリードリヒの身体はぞくりと震えた。
その震えはどこか期待しているようで、己の羞恥に耐えられなくなったフリードリヒは震える声で「償いが…」と必死に自分の心を縛り付ける。
真っ赤に染まった顔の方が余程素直に気持ちを表しているのに、相変わらず責任感の強すぎる心を解さなければ先にも進めないだろう。
セドリックは頑なに自制し続ける身体を抱き締めた。
「大丈夫。ある程度はフリードリヒの自由にしてあげる。畑作業も止めないよ。
でも、この手が怪我をしたら俺が手当てをするし、この身体がこれ以上痩せるのも俺は許容しない。寝る場所はこの宿だけだ。
───それすら拒否したら、俺から離れられなくしてしまうかもしれないよ」
フリードリヒの意志を最大限に尊重しているようで、何も譲らない男に
ずっと凍りついていたフリードリヒの表情はようやく笑顔の形に変わった。
「…お前は、優しいのか怖いのかわからない」
「どっちがいい?」
「怖い方を選んだら、どうなるか聞いて大丈夫か?」
ほんの冗談で質問したつもりが、瞬く間にフリードリヒの背中はベッドに沈んで、セドリックの両腕に閉じ込められた。
檻の中に閉じ込められたような、閉鎖的な視界で見えるのはセドリックただ一人だけだ。
「身体中にある打撲痕、誰にやられた?」
「ッ───」
2週間かけて、赤黒かった暴力の痕は薄らと黄色くなり、もう間もなく消えるだろうとフリードリヒ本人は気にも止めていなかった。
もう無いものとして扱っていたから、見つかる可能性というものを見逃していた。
治療の為に清潔にしろと、毎日、離れで水浴びこそしていたが土にまみれ薄汚れたフリードリヒを風呂に入れたセドリックはその身体中に残る痕を全て視認していて、
決して農作業でつくる痕ではないそれに、腸が煮えくり返る思いを押し止めて手のかかる男の世話を焼いていたのだと、
真上に覆い被さる噴き出した怒りにあてられて震える身体がようやく理解した。
「フリードリヒ」
揺れる赤い瞳は、全てを罰として受け入れようと、何事にも文句は言わず、重罪人のように日々を悔い、改めるように生きている。
だからセドリックはその傷が誰によってもたらされたか知っていても、まずは石のように固まった表情を解す事から始めた。
震える唇に、もう一度だけキスを落とす。
「…言いなさい。誰に、暴力を振るわれたか」
「ッ言わない、言えない…これは私の、ロズウェルの」
「ロズウェルの罪は、全てを失う事で償われただろ。」
「っ…償って、いない!ユークリッドを、弟を苦しめた罪は、決して、この程度では…」
一度暴かれた表情が、感情を剥き出しにする。
愛したものを失った。信じていたものが間違いだった。無関心だったものを苦しめ、自分ばかり満たされた人生を生きた。
もう、どうやって生きたらいいと言うのだ。何もなくなった自分が、両親を正す事も出来なかった無力な自分を、どう受け入れろと言うんだ。
───赤い瞳を揺らしてボロボロと零れ落ちる涙が、宝石のようにひとつひとつ輝いて
セドリックにはそれが助けを求める声の形に見えた。
「…償いが必要なら、償わせたらいいんだよ。いい加減捨てるんだ。フリードリヒ」
「私はもう、全部、失って…」
「根源を切り離すんだ。君がもう一度、一から生き直す為に。」
ふ、と細長い目が極上に優しい顔をして。
まるでフリードリヒに愛を囁くように言葉を紡ぐ。
「───今、ここで決断出来たら。決して弟の耳には届かないように、これ以上誰も傷付けないように、俺が処理をしてあげるよ。
フリードリヒを傷付けたのは、誰なのか。教えて」
それは悪魔の囁きだった。
次の一言で、自分の知らぬ場所で、ひとつの人生の形が終わる。目の前の男には、実行する力がある。
この男は、誰に暴力を振るわれたのか把握している。その上で訊ねている。
なんて残虐な愛だろう。なんてひどい男だろう。あくまでも引き金を引かせようとするなんて。
(この感情は…そうか)
胸の奥にじわりじわりと染み込む感情に、フリードリヒは名前をつけて、目を閉じた。
「………父に、かつて父と母だった人に……暴力を、ふるわれた」
もう二度と、弟が辛い思いをしないといい。
もう、これ以上の罪を重ねないように、背負わないように。
弟の苦しみを、自分でない誰かに償わせるように。
パッと明るい調子に戻ったセドリックがよく出来ましたとフリードリヒにもう一度キスをした。
チュッと耳に届くリップ音が聞き慣れなくて、目の色と同じくらい染まっただろう頬の熱さが恥ずかしくて、
フリードリヒは口を尖らせて「これでいいのか」と小さく唸った。
「そうそう。悪い事をしたら、悪い事をした人が償わないとね。───愛してるよ、フリードリヒ」
「…お前を本気で怒らせないよう、気をつける」
フリードリヒは諦めた。覚悟した。
自分がとんでもない男に目を付けられてしまったと、愛という執着を持たれてしまったと。
自分の腕を檻にして閉じ込めているくせに、傷付いた手のひらは自由にしている優しいのか怖いのかわからない男の頬に、包帯だらけの手を添えた。
セドリックを想うと胸の奥に広がる何かも、この男の感情と同じ、愛という名をしているのだと
もう一度と迫る唇に、目を閉じて受け入れた。
───セドリックの服は、やはり少し大きいなと丁寧に袖を折り畳んで腕まくりをする。容赦なく汚すが。
「畑仕事は程々にしといた方がいいよー」
「僕は好きでやっているんだ。ほら、構えもかなり上手くなってきたと思う」
「慣れてきた頃が一番危ないって言うから気を抜かないの。」
雑草まみれだった畑が徐々に黒い土ばかりに変化している。
毎日ついてまわるセドリックの小言を聞きながら、鍬を構えて土作りに精を出す。
自分の領地に帰らなくていいのかと聞きはしたが、「俺が居ない程度で崩れるような家じゃないよ」とさらりと返されて腹立たしい。
ザク、ザク、と固い土に鍬の刃を差し込むのは重労働だし、混ざっている石を拾って捨てるのもなかなか手間だ。
毎日土にまみれ、汗を流し、畑を作る。
一日の終わりには農作業の何が大変かを話しながら「こういう道具があるといいね」と真剣に考えるセドリックとの時間も、悔しいが未来に向かっているという充足感がある。
「あれだね。土がついてると尚更、フリッツは兎にそっくりだ。可愛い。」
「目の色だけで適当な事を言うなセディ。僕は人間だ」
互いに愛称で呼び合い、なんでもない会話をする日常に本当にこれでいいのかと時々不安になるけれど、
一から生き直せと言われてフリードリヒは真面目に自分という人間探しをしていた。
「────兄様!!」
「……ユークリッド?」
「おや、もう来たんだ」
近くを馬が通っていると思ったら、馬車から弟が飛び出して来て構えていた鍬から手が離れてしまった。
ひと月ぶりに会う弟は、相変わらず甘えん坊らしく
土がついているフリードリヒに構わず飛び付き、わんわん泣いた。
(───何が、起きているんだ)
訳知り顔でこちらを見ているセドリックは、後で詰めよう。
それだけを心に決めて、フリードリヒは兄として泣くのを堪えようと口を尖らせていた。
────間章 終
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