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投げた球は、壁に当たって同じくらいの速度で返ってくる。
人付き合いに同じ法則が適用されるというのは不思議なもので、僕が手を差し出すと、同じだけ彼も手を差し伸べるようになった。
以前は辛いばかりだった言葉の応酬に、たびたび甘いものが混じる。鋭かったはずの目つきが、柔らかくこちらを見ていることに気づいたのは何時だっただろう。
今なら記憶を取り戻しても、別の関係が築けるのではないか。僕は、彼の記憶を取り戻したいという方向に舵を切っていた。
「ただいま……」
声が掛かったのは、僕が煮込み料理の完成を鍋の前で待っていた時だった。装置の故障だけだから、と先に帰らされ、夕食の支度をしつつ帰りを待っていたのだ。
「おかえり、ベイカー。……どうした?」
普段なら、もっと跳ねた声で挨拶をしてくれるはずだ。僕がいったん火を止めて向き直ると、僕の胸の前に紙が突き出される。
よく見ると、開封された封筒と中身の便箋だった。
「悪い。俺宛ての郵便物ばかりで、つい開けちまった」
「それくらい、別に構わないが……」
いや、と歯切れ悪く言い、ベイカーは封筒の差出人名を僕に向ける。
丁寧に封蝋がされていた箇所は剥がされており、差出人の場所には父の名があった。僕は便箋を開き、立ったまま手紙に視線を落とす。
かさかさと紙が擦れる音が、煩く耳に届いた。
均等に並んだ几帳面な文字は、見慣れた父の筆跡だった。手本のように僕の身を案じる言葉から始まり、家を出て行く必要は無かった、と続けられていた。
家は既に母の持ち物になっており、母が死んだ後は僕への遺産となるはずだった。母は父に頼り切っていたものの多くの金は使わず、僕に残した金銭も僅かだった。
だから、そのまま住むか、もし不要なら売ってしまうように書かれていた。同封されていたのは家の権利を示す書類の複製で、間違いなく持ち主には僕の名がある。
『他にも困ったことがあれば、この住所に連絡するように』
僕は初めて、父の住所を知った。
手紙を畳んで、封筒に仕舞い込む。家を出るときに鍵の所在に迷って持ったままだったから、そのまま開けばまた住むことができる。
家自体は多少古くとも住むのに不便はなく、ベイカーと住むこの家よりも広さはあるほどだ。
家が僕の所有になっている以上、父の気が変わって取り上げられることもないだろう。ふう、と息を吐くと、ようやく顔を上げる。
僕が手紙を読み込んでいる間、ずっとベイカーはこちらを見ていたらしい。
「ベイカー……」
「良かったな、って、言うべきなんだろうな」
そう言う彼の声は弱々しく、心からそう思っていないことは明白だった。
僕は手紙を机に置くと、彼の近くに歩み寄る。
逃げ道ができたことは、良かったと言えるのかもしれない。もしこれで関係を崩したら、と怯えることも無くなった。
俯きがちなベイカーの前に立って、揺れる視線を覗き込む。
「寂しくなる、って思ってくれるか……?」
両腕が伸びて、僕の身体を抱き竦めた。背を支える腕は力強く、身体を引き上げる。
ぴたりとくっついた胸から、相手の鼓動が聞こえてきそうだ。
「別に、寂しくねえよ」
言葉自体は記憶を失う前に戻ったようであるのに、音は最近になって聞き慣れた柔らかい声音だった。
引き留めてはくれないか、と当然のことに失望して、相手の背を抱き返す。
「……そっか」
ぽんぽんと僕の背を叩いて離れ、できあがりかけの鍋へと近付いていく。蓋を開けてわざとらしく歓声を上げている様子を、働かない頭を持て余しながら眺めた。
湯気が立つ料理を皿に盛っていく。席について食べ始めても、美味しくできたはずの料理にさっぱり味がしない。
ベイカーの方は美味いと言って口に運んでいるのだから、僕がただ美味しく思えないだけだろう。
普段より静かな夕食を共にして、皿を洗ってくれる同居人を置いて風呂に向かった。服を脱いで鏡の前に立つと、ベイカーが記憶を失う前のような酷い顔をしていた。
湯船にお湯を貯めつつ、丁寧に石鹸を泡立てて身体の汚れを落としていく。
『寝てみたら?』
そう言われた言葉が頭で何度も繰り返された。
もし断られても、上手く記憶が戻らなくとも、僕が家を出て行くのならどちらも問題ないはずだ。失った筈の数ヶ月は、彼の元に置いていきたい。
ざば、と頭から湯を流して、湯船に脚を入れた。身体中を温かい血が巡っていく。乱入者もいないその時間は、寛げはしても何だが物足りなかった。
身体の水分を拭い、寝間着を身に纏う。寝台に誘うとき、ベイカーは何と言っていただろうか。
上手く誘えなければ話にならないのに、今日の彼は一滴たりとも酒を口にしていない。
魔力を灯した指を持ち上げ、閨で使う魔術を空中に書き綴る。身体を柔らかくして雄を受け入れやすくする魔術の発動は、久しぶりの感覚だった。
僕は脱衣所を出ると、不安を抱えたまま居間へと向かった。
同居人は皿を洗い終わった後は読書をしていたようで、こちらを見るとまた栞を挟まずに本を閉じた。
ソファの横は空いていて、僕は近くまで歩いて行くと隣に腰掛ける。この距離感も最近では珍しいことでもないのだが、出て行く話をした後でこうするとは思っていなかったのか、彼は目を丸くしている。
太腿の上で腕を組んで、話を切り出す。
「僕、出て行くにしても、ベイカーの記憶を戻してからにしたいって思ってる」
「あぁ……そうか。でも、お前が気にすることじゃねえよ」
「それが、たぶん気にすべきことなんだ」
距離を詰め、相手の肩に手を添える。上手く誘えているとは思えなかったが、技量もない僕には、勢いくらいしか手段が残っていなかった。
距離を詰める僕に、ベイカーは目を白黒させている。
「黙ってて悪かった。僕たち、ベイカーが記憶を失う前、……身体の関係があったんだ」
息を吸う音が目の前から聞こえた。返事はなく、そのまま言葉を続ける。
「だが、断じて。恋人なんかじゃなくて! お前はただ溜まっていたから、と言って、僕も気持ちよさに断り切れずに関係を続けていたんだ。だから、自然と、ベイカーの魔力には僕の魔力が混ざってしまっていた」
言っているうちに勢いが萎んで、引こうとした手が空中で捕らえられた。こちらを見つめる瞳はぎらぎらとして、逃がさないとでも言いたげだ。
無言の間は、続きを促していた。
「だから、記憶を取り戻すために、もういちど魔力を元に戻す……身体を重ねてみたらどうかと思ったんだが、お前は乗り気にならなそうだし、記憶が戻らなかったら同居もやりづらいだろ。それで、ずっと迷っていて」
僕の言いたいことは、彼に伝わったようだった。
さっき置き去りにした手紙を、視界の端に入れている。
「でも、もし上手くいかなくても、僕には戻る家ができた。だから────」
ごくん、と唾を飲み込む。
これは彼に誘われたからじゃない、なあなあに丸め込まれた訳でもない、ただ僕が、彼と抱き合いたくなっただけだ。
「いちど、僕と寝てみないか……?」
後頭部に腕が周り、そのまま上方に引き上げられる。噛み付くように唇が覆い被さり、驚きに声を上げようとした唇の隙間から舌が滑り込む。
厚い舌は僕の舌の先を擽り、歯茎を辿って舐めしゃぶる。ふ、と息のために唇が離れたかと思えば、また覆い被さって呼吸を遮られた。
久しぶりの感覚に、僕の身体は恍惚と溶けていた。
「……ふ、ぁ…………ン、く」
唇から逃れて息を吸い込み、また近付いてくる唇を受け止める。差し込まれる舌を、受け止め、拙く絡めた。
唇が離れた時には、既に息が上がっている。
「多少の予想はしてたとはいえ、本人の口から聞くと厭な気分だ」
「……僕と、寝てたことがか?」
「恋人でもなんでも無かった、ってとこだよ!」
膝裏に手が回され、肩に担ぎ上げられる。大人と子どもくらいの体格差がある訳ではないのに、背負われた時といい上手く運ばれてしまう。
彼の頭を抱きかかえ、懐かしさに浸っている間に寝室へと連れ込まれた。優しく寝台に下ろされ、額にキスが落ちる。
「なんで恋人でもない男と寝たんだ」
むすり、と唇を歪める顔に、お前がそれを言うのか、とかっと頭に血が上る。
「お前が丸め込んだんだ!」
「まあ、……そうだよなぁ」
曖昧な関係になった引き金が自分、という自覚はあるようで、はぁ、と息を吐きつつ顎を撫でている。
自らも寝台に腰掛けると、軽く僕を抱き寄せた。
「俺、お前が思ってるよりずっとフィオノと同居したくて」
「……は?」
「同居したら、どんな手を使っても恋人になってやる、って思ってたんだよ」
ぎゅう、と抱きしめられると、やっぱりベイカーの鼓動も鳴っている。
不安そうに息を吐く様子に、ようやく僕は口説かれていることを自覚した。
「なのに、これだもんな……。自分が割と馬鹿だったことにがっかりだ」
「……ベイカーって、僕のこと好…………」
「あー! 待て、ちゃんと言うから」
身を離して、乱れていた僕の髪が掻き上げられる。
太い親指が唇を撫で、軽く相手の唇が覆い被さった。ふ、と柔らかい感触を離すと、日が暮れる色の瞳がゆるく細められた。
水平線に消えていく太陽のようでもあり、その先に待っているのは濃鼠の闇だ。
「好きだ。……俺は、ずっと恋人になりたかったんだよ」
掛け違えていた釦が全て外れたことに不安になっていたが、彼はもう一度整えるつもりらしい。ベイカーの服をぎゅうと握り締め、こつん、と胸元に額を預けた。
「数ヶ月の間に心変わりしてたら、どうするつもりだよ」
「ねえよ。そうだったら、記憶を戻せないほど魔力が乱れたままになってない」
互いに抱きしめ合っているのが、不思議な気分だった。苛立ち混じりに彼の背を引っ掻くでもなく、悪口の応酬をするわけでも無く、ただ気持ちを明かしては愛を囁く。
外は暗く静かで、締め切った室内に互いの小さな声だけが響いていた。
「僕は、住めるのならずっと一緒に住みたい。記憶も取り戻してほしい。たまに、一緒に出歩くのは楽しかったし、……身体を重ねるのも、嫌いだとは思えなかった」
「一言でいい」
僕の回りくどさに、呆れたような声が漏れる。素直に謝って、そうか、一言で伝えられる言葉があるのか、とようやく答えを口にした。
「好きだ」
言葉に出せば、それが一番しっくりと馴染む。
「……恋人になる?」
「なる」
嬉しそうな声が漏れて、力いっぱい抱き付かれた。
人付き合いに同じ法則が適用されるというのは不思議なもので、僕が手を差し出すと、同じだけ彼も手を差し伸べるようになった。
以前は辛いばかりだった言葉の応酬に、たびたび甘いものが混じる。鋭かったはずの目つきが、柔らかくこちらを見ていることに気づいたのは何時だっただろう。
今なら記憶を取り戻しても、別の関係が築けるのではないか。僕は、彼の記憶を取り戻したいという方向に舵を切っていた。
「ただいま……」
声が掛かったのは、僕が煮込み料理の完成を鍋の前で待っていた時だった。装置の故障だけだから、と先に帰らされ、夕食の支度をしつつ帰りを待っていたのだ。
「おかえり、ベイカー。……どうした?」
普段なら、もっと跳ねた声で挨拶をしてくれるはずだ。僕がいったん火を止めて向き直ると、僕の胸の前に紙が突き出される。
よく見ると、開封された封筒と中身の便箋だった。
「悪い。俺宛ての郵便物ばかりで、つい開けちまった」
「それくらい、別に構わないが……」
いや、と歯切れ悪く言い、ベイカーは封筒の差出人名を僕に向ける。
丁寧に封蝋がされていた箇所は剥がされており、差出人の場所には父の名があった。僕は便箋を開き、立ったまま手紙に視線を落とす。
かさかさと紙が擦れる音が、煩く耳に届いた。
均等に並んだ几帳面な文字は、見慣れた父の筆跡だった。手本のように僕の身を案じる言葉から始まり、家を出て行く必要は無かった、と続けられていた。
家は既に母の持ち物になっており、母が死んだ後は僕への遺産となるはずだった。母は父に頼り切っていたものの多くの金は使わず、僕に残した金銭も僅かだった。
だから、そのまま住むか、もし不要なら売ってしまうように書かれていた。同封されていたのは家の権利を示す書類の複製で、間違いなく持ち主には僕の名がある。
『他にも困ったことがあれば、この住所に連絡するように』
僕は初めて、父の住所を知った。
手紙を畳んで、封筒に仕舞い込む。家を出るときに鍵の所在に迷って持ったままだったから、そのまま開けばまた住むことができる。
家自体は多少古くとも住むのに不便はなく、ベイカーと住むこの家よりも広さはあるほどだ。
家が僕の所有になっている以上、父の気が変わって取り上げられることもないだろう。ふう、と息を吐くと、ようやく顔を上げる。
僕が手紙を読み込んでいる間、ずっとベイカーはこちらを見ていたらしい。
「ベイカー……」
「良かったな、って、言うべきなんだろうな」
そう言う彼の声は弱々しく、心からそう思っていないことは明白だった。
僕は手紙を机に置くと、彼の近くに歩み寄る。
逃げ道ができたことは、良かったと言えるのかもしれない。もしこれで関係を崩したら、と怯えることも無くなった。
俯きがちなベイカーの前に立って、揺れる視線を覗き込む。
「寂しくなる、って思ってくれるか……?」
両腕が伸びて、僕の身体を抱き竦めた。背を支える腕は力強く、身体を引き上げる。
ぴたりとくっついた胸から、相手の鼓動が聞こえてきそうだ。
「別に、寂しくねえよ」
言葉自体は記憶を失う前に戻ったようであるのに、音は最近になって聞き慣れた柔らかい声音だった。
引き留めてはくれないか、と当然のことに失望して、相手の背を抱き返す。
「……そっか」
ぽんぽんと僕の背を叩いて離れ、できあがりかけの鍋へと近付いていく。蓋を開けてわざとらしく歓声を上げている様子を、働かない頭を持て余しながら眺めた。
湯気が立つ料理を皿に盛っていく。席について食べ始めても、美味しくできたはずの料理にさっぱり味がしない。
ベイカーの方は美味いと言って口に運んでいるのだから、僕がただ美味しく思えないだけだろう。
普段より静かな夕食を共にして、皿を洗ってくれる同居人を置いて風呂に向かった。服を脱いで鏡の前に立つと、ベイカーが記憶を失う前のような酷い顔をしていた。
湯船にお湯を貯めつつ、丁寧に石鹸を泡立てて身体の汚れを落としていく。
『寝てみたら?』
そう言われた言葉が頭で何度も繰り返された。
もし断られても、上手く記憶が戻らなくとも、僕が家を出て行くのならどちらも問題ないはずだ。失った筈の数ヶ月は、彼の元に置いていきたい。
ざば、と頭から湯を流して、湯船に脚を入れた。身体中を温かい血が巡っていく。乱入者もいないその時間は、寛げはしても何だが物足りなかった。
身体の水分を拭い、寝間着を身に纏う。寝台に誘うとき、ベイカーは何と言っていただろうか。
上手く誘えなければ話にならないのに、今日の彼は一滴たりとも酒を口にしていない。
魔力を灯した指を持ち上げ、閨で使う魔術を空中に書き綴る。身体を柔らかくして雄を受け入れやすくする魔術の発動は、久しぶりの感覚だった。
僕は脱衣所を出ると、不安を抱えたまま居間へと向かった。
同居人は皿を洗い終わった後は読書をしていたようで、こちらを見るとまた栞を挟まずに本を閉じた。
ソファの横は空いていて、僕は近くまで歩いて行くと隣に腰掛ける。この距離感も最近では珍しいことでもないのだが、出て行く話をした後でこうするとは思っていなかったのか、彼は目を丸くしている。
太腿の上で腕を組んで、話を切り出す。
「僕、出て行くにしても、ベイカーの記憶を戻してからにしたいって思ってる」
「あぁ……そうか。でも、お前が気にすることじゃねえよ」
「それが、たぶん気にすべきことなんだ」
距離を詰め、相手の肩に手を添える。上手く誘えているとは思えなかったが、技量もない僕には、勢いくらいしか手段が残っていなかった。
距離を詰める僕に、ベイカーは目を白黒させている。
「黙ってて悪かった。僕たち、ベイカーが記憶を失う前、……身体の関係があったんだ」
息を吸う音が目の前から聞こえた。返事はなく、そのまま言葉を続ける。
「だが、断じて。恋人なんかじゃなくて! お前はただ溜まっていたから、と言って、僕も気持ちよさに断り切れずに関係を続けていたんだ。だから、自然と、ベイカーの魔力には僕の魔力が混ざってしまっていた」
言っているうちに勢いが萎んで、引こうとした手が空中で捕らえられた。こちらを見つめる瞳はぎらぎらとして、逃がさないとでも言いたげだ。
無言の間は、続きを促していた。
「だから、記憶を取り戻すために、もういちど魔力を元に戻す……身体を重ねてみたらどうかと思ったんだが、お前は乗り気にならなそうだし、記憶が戻らなかったら同居もやりづらいだろ。それで、ずっと迷っていて」
僕の言いたいことは、彼に伝わったようだった。
さっき置き去りにした手紙を、視界の端に入れている。
「でも、もし上手くいかなくても、僕には戻る家ができた。だから────」
ごくん、と唾を飲み込む。
これは彼に誘われたからじゃない、なあなあに丸め込まれた訳でもない、ただ僕が、彼と抱き合いたくなっただけだ。
「いちど、僕と寝てみないか……?」
後頭部に腕が周り、そのまま上方に引き上げられる。噛み付くように唇が覆い被さり、驚きに声を上げようとした唇の隙間から舌が滑り込む。
厚い舌は僕の舌の先を擽り、歯茎を辿って舐めしゃぶる。ふ、と息のために唇が離れたかと思えば、また覆い被さって呼吸を遮られた。
久しぶりの感覚に、僕の身体は恍惚と溶けていた。
「……ふ、ぁ…………ン、く」
唇から逃れて息を吸い込み、また近付いてくる唇を受け止める。差し込まれる舌を、受け止め、拙く絡めた。
唇が離れた時には、既に息が上がっている。
「多少の予想はしてたとはいえ、本人の口から聞くと厭な気分だ」
「……僕と、寝てたことがか?」
「恋人でもなんでも無かった、ってとこだよ!」
膝裏に手が回され、肩に担ぎ上げられる。大人と子どもくらいの体格差がある訳ではないのに、背負われた時といい上手く運ばれてしまう。
彼の頭を抱きかかえ、懐かしさに浸っている間に寝室へと連れ込まれた。優しく寝台に下ろされ、額にキスが落ちる。
「なんで恋人でもない男と寝たんだ」
むすり、と唇を歪める顔に、お前がそれを言うのか、とかっと頭に血が上る。
「お前が丸め込んだんだ!」
「まあ、……そうだよなぁ」
曖昧な関係になった引き金が自分、という自覚はあるようで、はぁ、と息を吐きつつ顎を撫でている。
自らも寝台に腰掛けると、軽く僕を抱き寄せた。
「俺、お前が思ってるよりずっとフィオノと同居したくて」
「……は?」
「同居したら、どんな手を使っても恋人になってやる、って思ってたんだよ」
ぎゅう、と抱きしめられると、やっぱりベイカーの鼓動も鳴っている。
不安そうに息を吐く様子に、ようやく僕は口説かれていることを自覚した。
「なのに、これだもんな……。自分が割と馬鹿だったことにがっかりだ」
「……ベイカーって、僕のこと好…………」
「あー! 待て、ちゃんと言うから」
身を離して、乱れていた僕の髪が掻き上げられる。
太い親指が唇を撫で、軽く相手の唇が覆い被さった。ふ、と柔らかい感触を離すと、日が暮れる色の瞳がゆるく細められた。
水平線に消えていく太陽のようでもあり、その先に待っているのは濃鼠の闇だ。
「好きだ。……俺は、ずっと恋人になりたかったんだよ」
掛け違えていた釦が全て外れたことに不安になっていたが、彼はもう一度整えるつもりらしい。ベイカーの服をぎゅうと握り締め、こつん、と胸元に額を預けた。
「数ヶ月の間に心変わりしてたら、どうするつもりだよ」
「ねえよ。そうだったら、記憶を戻せないほど魔力が乱れたままになってない」
互いに抱きしめ合っているのが、不思議な気分だった。苛立ち混じりに彼の背を引っ掻くでもなく、悪口の応酬をするわけでも無く、ただ気持ちを明かしては愛を囁く。
外は暗く静かで、締め切った室内に互いの小さな声だけが響いていた。
「僕は、住めるのならずっと一緒に住みたい。記憶も取り戻してほしい。たまに、一緒に出歩くのは楽しかったし、……身体を重ねるのも、嫌いだとは思えなかった」
「一言でいい」
僕の回りくどさに、呆れたような声が漏れる。素直に謝って、そうか、一言で伝えられる言葉があるのか、とようやく答えを口にした。
「好きだ」
言葉に出せば、それが一番しっくりと馴染む。
「……恋人になる?」
「なる」
嬉しそうな声が漏れて、力いっぱい抱き付かれた。
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