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ひびが入る
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アルベリクの訪問は、使用人から兄へと報告され、執務室の外で偶然立ち聞きしていたメイドが厨房で話し、部屋を掃除しているメイドたちの話の種にもなり、――結果としてラコスト夫人の耳にまで届いてしまった。当然、エリーヌにも。
「ねぇ、クロエ。どうしてアルベリク様はあなたのことをあんなにも愛しているのかしら」
八カ月ぶりの我が家である。エリーヌは変わらず美しかった。今は大きな寝台、クッションのきいた枕を背にして外の景色に目をやっていた。クロエのいない間、姉はまた体調を崩したようである。
「……わたしにも、わかりません」
「アルベリク様と、どんなお話をしたの?」
儚げな雰囲気を纏った姉はとてもか弱そうに見えるのに、クロエはなぜか圧倒される。
「……どうでもいい話よ。それにすぐに帰ってもらうよう、言ったから、」
「ひどい子。せっかく来て下さったのに……ねぇ、どうして彼があなたの所へ遊びに来ていると、私に教えてくれなかったの?」
「教えようとしたわ。お兄さまにも手紙を書いた。でも、いつも返事がこなくて、わたしは絶対に外に出てはいけないと言われていて、アルベリク様にも、もう来ないでって何度頼んでも、聞き入れてもらえなくて……どうしていいかわからなかったの」
言い訳に聞こえるのが嫌だった。姉を裏切っているようで、心苦しかった。でも、本当にどうすることもできなかったのだ。一体自分はどんな態度をとって、誰を頼ればよかったのだ。正解を教えて欲しかった。
「お姉さま。本当よ。信じて」
跪き、姉に縋りつく。許しを請う。
エリーヌは静かにクロエを見下ろした。
「じゃあ、もう抱かれたの?」
クロエは耳を疑った。姉は今なんと言った?
「お姉さま。いま、」
「アルベリク様と性行為はしたのかと尋ねたのよ、クロエ」
そんなこと、
「そんなことするわけないじゃない!!」
クロエは絶叫した。姉であっても、許しがたい質問であった。
「わたしはまだ未婚の女性よ? 相手はお姉さまの想い人よ? どうしてっ、どうしてそんな相手に純潔を捧げるの? そんな不道徳な行為、するはずないじゃない!」
「あらどうして?」
どうして?
(どうしてそんな不思議そうな顔するの)
まるでクロエが裏切って当然だという顔で――
「だってあなた、私のお母様とお父様の仲を引き裂いで生まれてきた子じゃない」
姉の顔はいつもと変わらなかった。優しくて、美しい、クロエの、
「あなたのお母様は、人のものを横取りして、図々しくもこの家に居座った女性なのよ? あなたもその血を引いているのに、どうして間違いがないと言い切れるの?」
目の前の女性は、たしかにエリーヌだ。なのに、なのに、
「どうして、そんなこと言うの」
クロエは信じられないと姉を見つめた。悪い夢を見ているようだった。
(この人は、本当にわたしのお姉さま?)
違う。そんなはずない。だって、お姉さまは優しい。クロエに唯一優しくしてくれた。たった一人の、
「あなた、ディオン様の時だって邪魔したでしょう? やっぱりそういう血を引いているのよ。それからも、あなた目当てばかりに縁談が舞い込むの。私がその度にどんな思いをしてきたか、あなたはわかる? わからないでしょう?」
語りかけるような、優しい口調なのに、クロエの心に突き刺さって、血が溢れてくる。
「でもね、私別によかったの。だってあなたが魅力的なのはどうしようもない事実だもの。血だもの」
(もう、やめて、)
「けれどアルベリク様のことは私、本当に好きなの。誰にも奪われたくないって、初めて思ったの。どうしたら私のこと好きになってもらえるかしらって毎日毎日考えて、」
聞きたくない。彼女からだけは聞きたくない。それ以上聞いてしまえば――
「いっそのこと、あなたにはアルベリク様の愛人という形をとってもらって、私が本妻という形に収まるというのが一番いいんじゃないかしら」
姉と一緒にいる時、クロエはいつも守られている気がした。固く頑丈なガラスの壁があって、その内側で姉と外の光景を眺める。エリーヌといれば、どんな醜い光景でも美しく映るし、どんな退屈な一場面でも忘れられない一枚の絵へと変わる。
でもこの瞬間、ガラスにひびが入ってしまった。分厚いガラスはとても薄く、いとも簡単に割れてしまう脆さだった。
この世で一番大切なもの。今まで必死に守ってきたものが、壊れてしまった。クロエが誰よりも愛していたエリーヌの手によって。粉々に、砕け散ってしまった。
「ねぇ、クロエ。どうしてアルベリク様はあなたのことをあんなにも愛しているのかしら」
八カ月ぶりの我が家である。エリーヌは変わらず美しかった。今は大きな寝台、クッションのきいた枕を背にして外の景色に目をやっていた。クロエのいない間、姉はまた体調を崩したようである。
「……わたしにも、わかりません」
「アルベリク様と、どんなお話をしたの?」
儚げな雰囲気を纏った姉はとてもか弱そうに見えるのに、クロエはなぜか圧倒される。
「……どうでもいい話よ。それにすぐに帰ってもらうよう、言ったから、」
「ひどい子。せっかく来て下さったのに……ねぇ、どうして彼があなたの所へ遊びに来ていると、私に教えてくれなかったの?」
「教えようとしたわ。お兄さまにも手紙を書いた。でも、いつも返事がこなくて、わたしは絶対に外に出てはいけないと言われていて、アルベリク様にも、もう来ないでって何度頼んでも、聞き入れてもらえなくて……どうしていいかわからなかったの」
言い訳に聞こえるのが嫌だった。姉を裏切っているようで、心苦しかった。でも、本当にどうすることもできなかったのだ。一体自分はどんな態度をとって、誰を頼ればよかったのだ。正解を教えて欲しかった。
「お姉さま。本当よ。信じて」
跪き、姉に縋りつく。許しを請う。
エリーヌは静かにクロエを見下ろした。
「じゃあ、もう抱かれたの?」
クロエは耳を疑った。姉は今なんと言った?
「お姉さま。いま、」
「アルベリク様と性行為はしたのかと尋ねたのよ、クロエ」
そんなこと、
「そんなことするわけないじゃない!!」
クロエは絶叫した。姉であっても、許しがたい質問であった。
「わたしはまだ未婚の女性よ? 相手はお姉さまの想い人よ? どうしてっ、どうしてそんな相手に純潔を捧げるの? そんな不道徳な行為、するはずないじゃない!」
「あらどうして?」
どうして?
(どうしてそんな不思議そうな顔するの)
まるでクロエが裏切って当然だという顔で――
「だってあなた、私のお母様とお父様の仲を引き裂いで生まれてきた子じゃない」
姉の顔はいつもと変わらなかった。優しくて、美しい、クロエの、
「あなたのお母様は、人のものを横取りして、図々しくもこの家に居座った女性なのよ? あなたもその血を引いているのに、どうして間違いがないと言い切れるの?」
目の前の女性は、たしかにエリーヌだ。なのに、なのに、
「どうして、そんなこと言うの」
クロエは信じられないと姉を見つめた。悪い夢を見ているようだった。
(この人は、本当にわたしのお姉さま?)
違う。そんなはずない。だって、お姉さまは優しい。クロエに唯一優しくしてくれた。たった一人の、
「あなた、ディオン様の時だって邪魔したでしょう? やっぱりそういう血を引いているのよ。それからも、あなた目当てばかりに縁談が舞い込むの。私がその度にどんな思いをしてきたか、あなたはわかる? わからないでしょう?」
語りかけるような、優しい口調なのに、クロエの心に突き刺さって、血が溢れてくる。
「でもね、私別によかったの。だってあなたが魅力的なのはどうしようもない事実だもの。血だもの」
(もう、やめて、)
「けれどアルベリク様のことは私、本当に好きなの。誰にも奪われたくないって、初めて思ったの。どうしたら私のこと好きになってもらえるかしらって毎日毎日考えて、」
聞きたくない。彼女からだけは聞きたくない。それ以上聞いてしまえば――
「いっそのこと、あなたにはアルベリク様の愛人という形をとってもらって、私が本妻という形に収まるというのが一番いいんじゃないかしら」
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