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告白と返事
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けれどやっぱりと言うべきか、アルベリクはそれから頻繁に、彼の暇さえあれば、クロエのもとへ訪れるようになった。最初は屋敷へは招き入れず放っておいたのだが、土砂降りの日までぼうっと外で突っ立っていられては、さすがのクロエも黙って見過ごすわけにはいかなかった。
「はい、これ」
濡れた髪を拭くようタオルを手渡すと、彼はお礼を言って乱暴な手つきで水気を拭っていく。せっかく癖のない綺麗な髪なのだからもっと丁寧にやればいいのに……と思いつつ黙って見守った。
「あなたって、少しおかしいのではないの?」
「士官学校での訓練はもっと厳しいからな。これくらい別にどうとでもない」
そういう問題じゃない。
「風邪ひいても知らないわよ」
「心配してくれているのか」
じゃっかん嬉しそうな声音にクロエは苦々しい顔をする。
(この人ほんとにおかしいんじゃないかしら)
「けれど部屋の中に入れてもらえてよかった。せっかく持ってきたのに濡れてしまうところだったから」
また菓子でも手土産に持ってきたのだろうか。だがアルベリクが差し出したのは一冊の本だった。
「これは?」
「哲学の本だ」
そんなの見ればわかる。
「有名な教授の本じゃない。どうしてわたしなんかに……」
菓子よりもずっと高価な代物である。それをクロエのような小娘にぽんと渡すアルベリクの神経が理解できなかった。
「以前、哲学の授業が好きだと言っていたから」
『そうですね……哲学の授業は毎回興味深いです』
『哲学ですか。難しそうですね』
『ええ、難しいですわ』
『でもお好きなんですか?』
『先生が生徒の興味を引くよう、まず身近な質問で授業を展開していくんです。それがけっこう楽しみなんです』
アルベリクと初めて会った時、馬車で交わした会話。クロエはただの世間話、沈黙を繋ぐための会話だと思っていた。でも彼は大切なことだと今まできちんと覚えていたらしい。
「それで、わざわざ?」
「ああ」
「わたしの、ために?」
「ああ。その、また余計なお世話だと言われそうだが……あなたはまだ、学ぶことについて興味がありそうだと思った」
未練があるという指摘に、クロエは黙り込む。正直自分程度の学力では読み解ける自信がない。でも努力して理解したいという意欲は胸の奥に潜んでいた。
「気に障ったら、すまない。本も、読まないのならば持ち帰ろう」
「……いいえ。せっかく頂いたのだから、読ませてもらいます」
それに今までもらった物の中で一番うれしかった。
小さな声で付け足した事実は、二人の間に沈黙を落とさせた。
「前回は、頬を叩いてしまってごめんなさい」
視線を落としたまま謝れば、彼の慌てた気配が伝わってくる。
「いや、俺の方こそ、いろいろと配慮が足りなかった」
「……いつもそうなの?」
本当にその通りだと思ったので、つい嫌味も込めて聞き返す。
「ああ。母からも、上の兄や下の弟からも、人の気持ちがわかっていない、朴念仁だとよく言われる」
「お父さまからは?」
「父には……言われたことない。思っていても、口にする人ではないからな」
「じゃあ、ひょっとするとお父さま譲りかもしれませんね」
アルベリクは思いもよらなかったと目を丸くしたので、クロエは思わず微笑んでしまった。
「やっと、笑ってくれたな」
その言葉にすぐ後悔したけれど。
「気のせいです」
「それでも、嬉しい」
だから気のせいだと言っているのに……クロエはため息をついた。
「それよりあなた、毎週必ずと言っていいほどうちへ通っていらっしゃるけれど、学校の方は大丈夫なの?」
「ああ。休みがあるから、その日を利用している。問題は何もない」
きりっとした顔で心配するなと言われたけれど、不安が増した。
「休息は身体を休めるためにあるのよ。いちいちこちらへ出向いていたら、疲れがとれないじゃない」
「それでもあなたに会いたいんだ」
「……わたし、あなたの気持ちに応えるつもりはないわ」
クロエはじっとこちらを見つめるアルベリクにはっきり伝えなくてはと思った。
「わたし、お姉さまの幸せが一番なの。だからお姉さまがあなたのことを好いている限り、あなたと一緒になるつもりもないし、何なら嫌悪感すらあるの。あなたがどれだけ熱心にここへ足を運ぼうと、わたしは何も感じないし、何も思わない。あなたの気持ちに応える気になんて微塵もない」
淡々と事実を述べた。彼に対して抱いていた怒りも呆れに変わって、いっそ憐れにすら思えてくる。
「お姉さまと結婚する気がないのならば、他の方と結婚すればいいわ。あなたは素敵な人……だと思うから、たぶんすぐにお相手の方も見つかるはずよ」
「いいや、あなたがいい」
――これだけ言っても、アルベリクの返事は変わらなかった。
「はい、これ」
濡れた髪を拭くようタオルを手渡すと、彼はお礼を言って乱暴な手つきで水気を拭っていく。せっかく癖のない綺麗な髪なのだからもっと丁寧にやればいいのに……と思いつつ黙って見守った。
「あなたって、少しおかしいのではないの?」
「士官学校での訓練はもっと厳しいからな。これくらい別にどうとでもない」
そういう問題じゃない。
「風邪ひいても知らないわよ」
「心配してくれているのか」
じゃっかん嬉しそうな声音にクロエは苦々しい顔をする。
(この人ほんとにおかしいんじゃないかしら)
「けれど部屋の中に入れてもらえてよかった。せっかく持ってきたのに濡れてしまうところだったから」
また菓子でも手土産に持ってきたのだろうか。だがアルベリクが差し出したのは一冊の本だった。
「これは?」
「哲学の本だ」
そんなの見ればわかる。
「有名な教授の本じゃない。どうしてわたしなんかに……」
菓子よりもずっと高価な代物である。それをクロエのような小娘にぽんと渡すアルベリクの神経が理解できなかった。
「以前、哲学の授業が好きだと言っていたから」
『そうですね……哲学の授業は毎回興味深いです』
『哲学ですか。難しそうですね』
『ええ、難しいですわ』
『でもお好きなんですか?』
『先生が生徒の興味を引くよう、まず身近な質問で授業を展開していくんです。それがけっこう楽しみなんです』
アルベリクと初めて会った時、馬車で交わした会話。クロエはただの世間話、沈黙を繋ぐための会話だと思っていた。でも彼は大切なことだと今まできちんと覚えていたらしい。
「それで、わざわざ?」
「ああ」
「わたしの、ために?」
「ああ。その、また余計なお世話だと言われそうだが……あなたはまだ、学ぶことについて興味がありそうだと思った」
未練があるという指摘に、クロエは黙り込む。正直自分程度の学力では読み解ける自信がない。でも努力して理解したいという意欲は胸の奥に潜んでいた。
「気に障ったら、すまない。本も、読まないのならば持ち帰ろう」
「……いいえ。せっかく頂いたのだから、読ませてもらいます」
それに今までもらった物の中で一番うれしかった。
小さな声で付け足した事実は、二人の間に沈黙を落とさせた。
「前回は、頬を叩いてしまってごめんなさい」
視線を落としたまま謝れば、彼の慌てた気配が伝わってくる。
「いや、俺の方こそ、いろいろと配慮が足りなかった」
「……いつもそうなの?」
本当にその通りだと思ったので、つい嫌味も込めて聞き返す。
「ああ。母からも、上の兄や下の弟からも、人の気持ちがわかっていない、朴念仁だとよく言われる」
「お父さまからは?」
「父には……言われたことない。思っていても、口にする人ではないからな」
「じゃあ、ひょっとするとお父さま譲りかもしれませんね」
アルベリクは思いもよらなかったと目を丸くしたので、クロエは思わず微笑んでしまった。
「やっと、笑ってくれたな」
その言葉にすぐ後悔したけれど。
「気のせいです」
「それでも、嬉しい」
だから気のせいだと言っているのに……クロエはため息をついた。
「それよりあなた、毎週必ずと言っていいほどうちへ通っていらっしゃるけれど、学校の方は大丈夫なの?」
「ああ。休みがあるから、その日を利用している。問題は何もない」
きりっとした顔で心配するなと言われたけれど、不安が増した。
「休息は身体を休めるためにあるのよ。いちいちこちらへ出向いていたら、疲れがとれないじゃない」
「それでもあなたに会いたいんだ」
「……わたし、あなたの気持ちに応えるつもりはないわ」
クロエはじっとこちらを見つめるアルベリクにはっきり伝えなくてはと思った。
「わたし、お姉さまの幸せが一番なの。だからお姉さまがあなたのことを好いている限り、あなたと一緒になるつもりもないし、何なら嫌悪感すらあるの。あなたがどれだけ熱心にここへ足を運ぼうと、わたしは何も感じないし、何も思わない。あなたの気持ちに応える気になんて微塵もない」
淡々と事実を述べた。彼に対して抱いていた怒りも呆れに変わって、いっそ憐れにすら思えてくる。
「お姉さまと結婚する気がないのならば、他の方と結婚すればいいわ。あなたは素敵な人……だと思うから、たぶんすぐにお相手の方も見つかるはずよ」
「いいや、あなたがいい」
――これだけ言っても、アルベリクの返事は変わらなかった。
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