その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

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 王都の空に、春の光がやわらかく差し込んでいた。
 白百合を編みこんだ王宮の回廊を、ひとりの姫が足取りも軽く歩いていく。

 ミレナシア・ド・カリューネ、十七歳。王家の姫である。
 ゆたかに背まで波打った髪は、陽光を集めたような金色をしていた。
 誰であっても慈しみを向ける暖かな気性の持ち主であり、王国の民からもその明るさをもって陽だまりのようだと呼ばれている。

 けれど今日の彼女はいつものおっとりした微笑を封印して、逸る心を隠しきれずに胸を高鳴らせた。
 理由はただひとつ――結婚が決まったからだ。

 相手は、王国最強と称される騎士団長、カイン・ヴァルナー。
 黒髪黒瞳の無骨な男。貴族ではないが、その戦功と誠実な人柄で王に仕えることを許された稀有な人物である。

 とある日のことだった。
 父の外交へ同行するべく隣国を訪れたミレナシアの護衛として、彼は命を賭して彼女を守った。
 国境の盗賊だった。自分に向かって刃が振り下ろされたその瞬間、迷いなく立ちはだかった頼もしい背中。
 瞬く間に賊を撃退し、気遣うようにこちらを振り返ったカインのまなざしを、彼女は今も忘れられない。

 ――だから、結婚を決めたのはわたくしのほう。
 父王に頼み込み、どうにか許しを得て。
 夢のような話、まるでおとぎの国の姫のよう。

 鏡の前で白いドレスをあてがいながら、ミレナシアは頬を赤らめた。

 「……きっと驚かれるわ。けれど、あの方なら……」

 彼女は知らなかった。
 その想いが、彼にとってどれほど重く、どれほど遠いものに見えているのかを。


***


 夕暮れの謁見の間。
 ミレナシアが静かに入ると、そこにはすでにカインが立っていた。
 純白の礼服を着ているはずなのに、彼の存在はまるで鋼の鎧のように重く見える。

 「お呼びとのことでしたが、カイン様」

 「はい。……姫様と、今後のことを話し合いたく」

 彼はかしこまりながらも、どこか言いにくそうに言葉を探していた。
 その無骨さすらも、ミレナシアには愛おしい。

 ――この人が、これから夫になるのだ。

 今後、とカインは言った。
 嬉しさに頬が熱を帯び、つい言葉が弾む。

 「きっと素敵な生活になりますわね。朝は一緒に食卓を囲んで……あ、でも訓練が早いのですよね?」

 「……はい」

 「では、わたくしも起きて見送りをしますわ!」

 嬉々として言葉を続ける彼女に、カインのまなざしがわずかに揺れた。
 やがて深く息を吐き、静かに言葉を落とす。

 「――姫様。ひとつ、お願いがございます」

 「お願い?」

 「……その、今回の結婚は陛下のご厚意によるもの。ですが、私の身分や立場を考えると……お受けするには、相応の条件を設けるべきかと」

 カインは胸の前で拳を握り、ゆっくりと口を開く。

 「この結婚を、とさせていただきたいのです」

 ミレナシアの笑顔が、ふっと固まった。

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