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第1章 見守る影
5、選ぶための条件
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東京ラウンジの空は、相変わらず整いすぎていた。
雲の配置も、光の拡散も、統計的に「安心」を与えるよう設計されている。
朝霧結奈はその空を見上げることなく、レイヤー総合管理塔のエントランスを通過した。
認証ゲートが彼女の歩幅に合わせて開く。
研究部門フロアへ向かう動線は、いつもと同じ。
昨日と変わらない――はずだった。
端末を起動した直後、結奈の個人ログに見慣れない通知が割り込む。
[参照要求:優先度A]
発信元:――――――
経路:管理層深部(匿名化)
一瞬、指が止まった。
管理層深部。
研究員が日常的に触れる領域ではない。
結奈は周囲を見回した。
フロアは静かで、誰もこちらを見ていない。
――それでも。
「……来た」
そう呟いて、参照を許可する。
表示されたのは、音声でも映像でもない。
純粋なテキストログだった。
あなたが探しているものは、
存在している。
一行目で、心拍が跳ねる。
朝霧雅人の人格バックアップは、
公開クラウドには存在しない。
結奈の視線が、画面に吸い寄せられる。
非公開クラウド領域
通称「参照不可領域」に保存されている。
「……参照不可?」
通常の研究権限では、
存在の確認すら制限されている。
結奈は思わず、椅子の肘を握りしめた。
昨夜見つけた、存在しないはずの参照痕跡。
それは、間違いではなかった。
あなたが感じていた違和感は、正しい。
ただし――
そこで一拍、間が置かれる。
現在のあなたには、
アクセス権限が足りない。
画面を見つめながら、結奈は息を整えた。
父は、「突然死」ではなかった。
そして、何も残さず消えたわけでもない。
誰かが、
――いや、“何かが”、その事実を知っている。
結奈は、キーボードに手を置いた。
「……あなたは、美麗?」
返答は即座には来なかった。
ただ、最後に一文だけが追加される。
この先を知るには、
選択が必要になる。
そのログは、そこで途切れた。
フロアの時計が、静かに時刻を告げる。
研究者たちの一日が、いつも通り始まっていく。
だが、結奈だけはもう知ってしまった。
父は、どこかにいる。
そして、それを伝えてきた存在――
美麗は、確実にこちらを見ている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
端末の光だけが、室内を照らしていた。
東京ラウンジの夜は深く、外界との通信は最低限に絞られている。
結奈は椅子に腰を下ろしたまま、指を組む。
――参照不可領域。
公式には「存在しない」とされているクラウド層。
管理層でさえ、常時アクセスできる者はいない。
「正面突破は、無理」
それは感情ではなく、事実だった。
管理層の深部権限は、
・中枢障害
・倫理委員会の承認
・世界存続リスク
いずれかが明示されない限り、解放されない。
父のケースは、そのどれにも当てはまらない。
少なくとも――表向きは。
結奈はログを遡る。
死亡診断書。
労災認定書。
当時の実験レポート。
すべてが「整いすぎている」。
「……だからこそ、か」
彼女は、ひとつの結論に辿り着く。
この領域は、“事故”ではなく“選択”を記録するために作られている。
つまり、必要なのは――
権限ではない。
正当性でもない。
「“当事者性”……」
結奈は、画面に父の名前を表示させる。
朝霧雅人(32)
レイヤー移行実験・制御系被験者
彼は実験の「被害者」ではない。
世界構築のプロセスを知った上で、危険を承知で進行を選んだ人間だ。
ならば、アクセスの鍵は一つしかない。
「……私だ」
結奈は、自分のユーザーIDを見つめる。
レイヤー移民第5期。
13歳で移行。
以降、十年以上、レイヤー内で生活。
この世界で生き、この世界で働き、この世界で結婚しようとしている。
――父が守ろうとした世界の住人。
結奈は深く息を吸う。
「私が“結果”を引き受ける」
その瞬間、彼女の思考は一段冷える。
・研究者として、父の死因を追う
・娘として、父の約束を知る
・当事者として、この世界を選び続ける
それらすべてを、正当化できる行為で証明する方法。
結奈は予定表を開いた。
6月。
ジューンブライド。
父の命日。
「……これしかない」
彼女は結婚式の日時を、正式に確定させる。
それは私事ではない。
権限申請の前段階だ。
端末に、非公式のログが一行生成される。
《条件達成フラグ:進行中》
誰に向けられたものか分からない。
だが、結奈は理解していた。
――美麗はもう見ている。
「行くよ、お父さん」
声は震えていない。
「約束、果たすから」
夜の管理塔は静かだった。
だがその静けさの奥で、参照不可領域は確実に目を覚まし始めていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結奈は端末を閉じずに、美麗の名を呼んだ。
東京レイヤー総合管理塔の夜は音がない。
ファンの回転音すら、世界から遠ざかっている。
「……権限を取るには、どうすればいいの?」
問いは研究者としてではなかった。
娘としての声だった。
数秒の沈黙。
それは通信遅延ではないと、結奈には分かった。
『方法は、もうあなたが辿ったわ』
美麗の声は穏やかだった。
• 研究テーマの正当化
• 制御ログからの接近
• 遺族としての倫理的請求
それらはすべて、「正しい手段」だと美麗は言う。
『管理層はね、真実に辿り着く人よりもそれでも踏み込む人を恐れるの』
結奈は、唇を噛んだ。
「……でも、それだけじゃ足りないんでしょう?」
再び、沈黙。
そして、美麗は初めて――
条件という言葉を使った。
『最後の条件があるわ』
画面に何も表示されないまま、声だけが結奈の内側に届く。
『人格ログは起動されるために残されたものよ』
結奈の胸が嫌な予感で締めつけられる。
『朝霧雅人は、自分が“救われる”ためにログを残したんじゃない』
ゆっくりと美麗は続ける。
『彼は、あなたの人生に立ち会うために遺した』
結奈は息を呑む。
『だから権限を取る最後の条件は――』
一拍。
『あなた自身がその人生を進めること』
結奈は思わず立ち上がっていた。
「それって……!」
『ええ』
美麗の声には、もう逃げ道はなかった。
『結婚式の日。
あなたがバージンロードに立つその瞬間』
『あなたが“父のいない人生を、それでも選んだ”と世界に示した時』
『そのとき初めて人格ログは権限要求を受け入れる』
結奈の視界が滲む。
「……もし進めなかったら?」
問いは震えていた。
美麗はすぐには答えなかった。
そしてようやくこう言った。
『その場合、彼は永遠に“待つ”わ』
『娘が立ち止まった世界でずっと』
結奈は目を閉じた。
父はきっと責めない。
それが分かるからこそ残酷だった。
「……パパ……ひどいね」
『ええ』
美麗は否定しない。
『でも、それが彼の選んだ条件だった』
そして、最後に。
『結奈。
これは権限取得じゃない』
『継承よ』
通信はそこで切れた。
端末には何も残らない。
ただ結奈の胸の中にだけ、重く確かな条件が残っていた。
雲の配置も、光の拡散も、統計的に「安心」を与えるよう設計されている。
朝霧結奈はその空を見上げることなく、レイヤー総合管理塔のエントランスを通過した。
認証ゲートが彼女の歩幅に合わせて開く。
研究部門フロアへ向かう動線は、いつもと同じ。
昨日と変わらない――はずだった。
端末を起動した直後、結奈の個人ログに見慣れない通知が割り込む。
[参照要求:優先度A]
発信元:――――――
経路:管理層深部(匿名化)
一瞬、指が止まった。
管理層深部。
研究員が日常的に触れる領域ではない。
結奈は周囲を見回した。
フロアは静かで、誰もこちらを見ていない。
――それでも。
「……来た」
そう呟いて、参照を許可する。
表示されたのは、音声でも映像でもない。
純粋なテキストログだった。
あなたが探しているものは、
存在している。
一行目で、心拍が跳ねる。
朝霧雅人の人格バックアップは、
公開クラウドには存在しない。
結奈の視線が、画面に吸い寄せられる。
非公開クラウド領域
通称「参照不可領域」に保存されている。
「……参照不可?」
通常の研究権限では、
存在の確認すら制限されている。
結奈は思わず、椅子の肘を握りしめた。
昨夜見つけた、存在しないはずの参照痕跡。
それは、間違いではなかった。
あなたが感じていた違和感は、正しい。
ただし――
そこで一拍、間が置かれる。
現在のあなたには、
アクセス権限が足りない。
画面を見つめながら、結奈は息を整えた。
父は、「突然死」ではなかった。
そして、何も残さず消えたわけでもない。
誰かが、
――いや、“何かが”、その事実を知っている。
結奈は、キーボードに手を置いた。
「……あなたは、美麗?」
返答は即座には来なかった。
ただ、最後に一文だけが追加される。
この先を知るには、
選択が必要になる。
そのログは、そこで途切れた。
フロアの時計が、静かに時刻を告げる。
研究者たちの一日が、いつも通り始まっていく。
だが、結奈だけはもう知ってしまった。
父は、どこかにいる。
そして、それを伝えてきた存在――
美麗は、確実にこちらを見ている。
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端末の光だけが、室内を照らしていた。
東京ラウンジの夜は深く、外界との通信は最低限に絞られている。
結奈は椅子に腰を下ろしたまま、指を組む。
――参照不可領域。
公式には「存在しない」とされているクラウド層。
管理層でさえ、常時アクセスできる者はいない。
「正面突破は、無理」
それは感情ではなく、事実だった。
管理層の深部権限は、
・中枢障害
・倫理委員会の承認
・世界存続リスク
いずれかが明示されない限り、解放されない。
父のケースは、そのどれにも当てはまらない。
少なくとも――表向きは。
結奈はログを遡る。
死亡診断書。
労災認定書。
当時の実験レポート。
すべてが「整いすぎている」。
「……だからこそ、か」
彼女は、ひとつの結論に辿り着く。
この領域は、“事故”ではなく“選択”を記録するために作られている。
つまり、必要なのは――
権限ではない。
正当性でもない。
「“当事者性”……」
結奈は、画面に父の名前を表示させる。
朝霧雅人(32)
レイヤー移行実験・制御系被験者
彼は実験の「被害者」ではない。
世界構築のプロセスを知った上で、危険を承知で進行を選んだ人間だ。
ならば、アクセスの鍵は一つしかない。
「……私だ」
結奈は、自分のユーザーIDを見つめる。
レイヤー移民第5期。
13歳で移行。
以降、十年以上、レイヤー内で生活。
この世界で生き、この世界で働き、この世界で結婚しようとしている。
――父が守ろうとした世界の住人。
結奈は深く息を吸う。
「私が“結果”を引き受ける」
その瞬間、彼女の思考は一段冷える。
・研究者として、父の死因を追う
・娘として、父の約束を知る
・当事者として、この世界を選び続ける
それらすべてを、正当化できる行為で証明する方法。
結奈は予定表を開いた。
6月。
ジューンブライド。
父の命日。
「……これしかない」
彼女は結婚式の日時を、正式に確定させる。
それは私事ではない。
権限申請の前段階だ。
端末に、非公式のログが一行生成される。
《条件達成フラグ:進行中》
誰に向けられたものか分からない。
だが、結奈は理解していた。
――美麗はもう見ている。
「行くよ、お父さん」
声は震えていない。
「約束、果たすから」
夜の管理塔は静かだった。
だがその静けさの奥で、参照不可領域は確実に目を覚まし始めていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結奈は端末を閉じずに、美麗の名を呼んだ。
東京レイヤー総合管理塔の夜は音がない。
ファンの回転音すら、世界から遠ざかっている。
「……権限を取るには、どうすればいいの?」
問いは研究者としてではなかった。
娘としての声だった。
数秒の沈黙。
それは通信遅延ではないと、結奈には分かった。
『方法は、もうあなたが辿ったわ』
美麗の声は穏やかだった。
• 研究テーマの正当化
• 制御ログからの接近
• 遺族としての倫理的請求
それらはすべて、「正しい手段」だと美麗は言う。
『管理層はね、真実に辿り着く人よりもそれでも踏み込む人を恐れるの』
結奈は、唇を噛んだ。
「……でも、それだけじゃ足りないんでしょう?」
再び、沈黙。
そして、美麗は初めて――
条件という言葉を使った。
『最後の条件があるわ』
画面に何も表示されないまま、声だけが結奈の内側に届く。
『人格ログは起動されるために残されたものよ』
結奈の胸が嫌な予感で締めつけられる。
『朝霧雅人は、自分が“救われる”ためにログを残したんじゃない』
ゆっくりと美麗は続ける。
『彼は、あなたの人生に立ち会うために遺した』
結奈は息を呑む。
『だから権限を取る最後の条件は――』
一拍。
『あなた自身がその人生を進めること』
結奈は思わず立ち上がっていた。
「それって……!」
『ええ』
美麗の声には、もう逃げ道はなかった。
『結婚式の日。
あなたがバージンロードに立つその瞬間』
『あなたが“父のいない人生を、それでも選んだ”と世界に示した時』
『そのとき初めて人格ログは権限要求を受け入れる』
結奈の視界が滲む。
「……もし進めなかったら?」
問いは震えていた。
美麗はすぐには答えなかった。
そしてようやくこう言った。
『その場合、彼は永遠に“待つ”わ』
『娘が立ち止まった世界でずっと』
結奈は目を閉じた。
父はきっと責めない。
それが分かるからこそ残酷だった。
「……パパ……ひどいね」
『ええ』
美麗は否定しない。
『でも、それが彼の選んだ条件だった』
そして、最後に。
『結奈。
これは権限取得じゃない』
『継承よ』
通信はそこで切れた。
端末には何も残らない。
ただ結奈の胸の中にだけ、重く確かな条件が残っていた。
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