呉宮史桜の優雅な放課後

詩央

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Case.02【雨露のメッセンジャー】

day7.1─見えない影の真相─

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 昼休みの校舎裏には、静けさが漂っていた。
 外は厚い雲が広がり、午後には雨になると予報されている。その気配を告げるように、窓硝子がじわりと暗く沈み込む。

 図書室の裏手、周囲に誰も居ないその場所に、一つの人影が現れた。
 人影は周りを確認しながら図書室の窓に近付き、そっと指先でガラスをなぞろうとしていた。
 
 その瞬間、窓のカーテンが勢いよく開け放たれた。人影はビクりと体を震わせて咄嗟に身構える。

 図書室内部からカーテンを開けたのは、絢葉だった。

 窓越しに人影の正体を認めた瞬間、絢葉の瞳が大きく見開かれる。
 そして相手もまた、絢葉の顔を仰ぎ見て、動揺を隠しきれず固まっていた。

 佐伯悠斗。

 これまで怪異を共に追っていたはずのその手が、窓へと伸びていた。

 言葉にならぬ驚きが、しばし両者の間を満たした。

 ────

 図書室の机を挟んで、史桜、絢葉、そして佐伯の三人が向かい合っていた。
 椅子に腰かけ、足を組んだ史桜は冷静な眼差しを佐伯へと注ぐ。
 その隣に立つ絢葉は、まだ信じられないという表情のまま、相手の動揺を凝視している。
 対する佐伯は肩を強張らせ、居心地悪そうに俯いた。

 静寂を破ったのは、史桜だった。

「さて佐伯君、一応聞くが……あの場で何をしていた?」

 低く抑えた声が、図書室の空気を張りつめさせる。

「い、いや……窓を調べてたんだよ。ほら、また何か付着してねぇかと思ってさ……!」

 無理に笑みを作りながらの返答。だがその声はわずかに震えている。

 史桜は目を細めた。

「嘘だね」

 淡々とした断定。
 佐伯の息が止まった。

「──君だろう? 図書室の怪異の正体は」

 その言葉に、佐伯の肩が大きく震える。
 絢葉は息を呑み、史桜の口から続く言葉を待っていた。


 ここから、真相の扉が開かれようとしていた。


 史桜は椅子に腰掛けたまま、ゆっくりと視線を上げた。外では雨脚が強まり、静かなざわめきが窓を震わせている。

「まず、あの現象について整理しよう」
 彼の声は低く、しかしどこか響きを帯びていた。
「雨の時にだけ浮かび上がる“文字”。触れたときに感じられたヌルヌルした感触……。これは恐らく、撥水性のある油脂性のグリスの何かが使われたのだろう。それを文字を書くように窓に付着させることで、雨水が弾かれて文字が浮かぶ」

 絢葉と佐伯が沈黙する中、史桜は続けた。
「君が疑惑の目を向けていた漫研の小堀君。彼が使うような漫画用のインクでは色が窓についてしまって目立つし、雨では直ぐに流れてしまうだろう。では文字を浮かばせるのに具体的に何が使われたのか?」

 絢葉が小さく息を呑む。佐伯は眉を寄せ、視線を逸らした。

「違和感は、陸上部の練習の様子を見させていただいた時だ」
 史桜は淡々と続ける。
「あの時、マネージャーの高橋女子は備品のチェックをしながらこう言っていた。『ワセリンも、もうこんなに減ってる』と。つまり通常より消費が激しい状態だったのではと予想出来る。陸上部に常備されているのは恐らく白色ワセリン。これなら窓に塗っても目立たないし、撥水の効果も十分だ。ある程度時間が経てばワセリンは雨に洗い流され、証拠も残らない」

 史桜の目が鋭く佐伯を射抜く。
「……君は今も持っているんじゃないか?部の救急箱から拝借したワセリンを」

 佐伯は沈黙を貫いた。雨が窓を叩く音だけが、答えを引き延ばしている。

「仕掛けるには条件が揃っていた。昼休み、雨が降り始める前なら周囲に人も少なく、図書室のカーテンも閉ざされている。誰にも見られず準備できる時間帯だ。君はその瞬間を狙った。勿論日によって条件も変わるだろうが、陸上部の練習で遅くまで校内に残ることの多い君なら雨の前日の放課後、図書室が閉まった後でも仕掛けを行うことは可能だっただろうね」

 そこで佐伯が、堪えきれぬように声を上げた。
「ちょっと待てよ! じゃああの日の雨はどうなんだ。あの日も昼から降り出したけど、俺はマネージャーに買い出し頼まれてただろ? 昼休みに仕掛けなんて無理だぜ!」

 一瞬、間があった。だが史桜は揺るがず、静かに口を開く。
「……なるほど。ふ、随分無理のある言い逃れだ」
「え……?」

「高橋女子は、備品を確認した直後に『今のうちに買ってこよ』と言った。ならばその日の内に買い出しは済んでいるはずだ。翌日に君が“買い出し”をする理由は存在しない」

 史桜はゆるやかに息を吐いた。

「先程も言ったように仕掛けは昼休み以外でも不可能ではないし、買い出しの件は高橋女子に直接聞いても良いんだ。それをしないのは、君の名誉を守りたいからだ。……どうだね?    まだ反論があるなら聞こう」

 佐伯の口がわずかに開いたが、言葉は続かない。
 額に汗が滲み、視線が机へと落ちていく。

 それは、もはや否定の余地を失った者の姿だった。
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