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6話ー好きな人
しおりを挟む「もうちょっと近くに来れる?」
「もうちょっと……ですか」
夕飯を食べ終わった戸賀井が隣に腰掛けて来ると雄大はもう少し距離を詰められるかと問う。早期にヒートが来るよう協力してくれているが、これから雄大が言うことを了承してくれるかは分からない。
腰を浮かせて戸賀井が人一人分詰めて来ると互いの膝が触れる距離まで近付く。
「戸賀井くん、嫌だったら断って欲しいんだけど、手に触れてもいい?」
「えっ、手? 手ですか?」
「あ、嫌ならいいんだ」
一緒に暮らすだけで、部屋のあちこちに残る戸賀井の香りでヒートが誘発されれば良いのだが、人の体は――というか雄大の体はそう都合良くは出来ておらず、この二週間変化はない。
まだ二週間だが、悠長に構えている間に誘発剤を使用するという期限を迎えてしまう気がした。
今は仕事もなく、趣味もなく、のんびりランチをする友人も居ないのだからこの期間ぐらい本気になって自分の体のことを考えようと思った。
だからスルーしようとした田口の助言を実行する。
だがそれも戸賀井の許可なくしてはただのセクハラになってしまうから、手に触れても良いかと雄大は尋ねた。勿論無理強いはしない。
嫌なら断ってくれて良いよ、と眉を下げると戸賀井はすぐに手の平を自分の太腿の上に滑らせた。ズボンに汗を吸い取らせたであろうその手を雄大の方へ伸ばす。
「嫌なわけないです」
手を握られて真っ直ぐな視線を受ける。
リビングやキッチンを行き来しているといつも戸賀井の視線を感じた。盗み見られる気配はとうに慣れたが、正面から見つめられると落ち着かない。
何か、話さないと。
自分から仕掛けておいて雄大は性行為に繋がる序盤のような空気感に耐えられないでいた。
「お……俺は、友達も少なくて……というか学生時代の友達とも殆ど連絡取ってなくて、趣味らしい趣味もなく、休みだっていうのにテスト問題とか作っちゃって……つまり凄く寂しい人間なんだけど」
何を血迷ったのか雄大は自分が如何に孤独な人間であるかを告白する。
仮に今から戸賀井をセックスに誘うとして最初の会話がこれだとしたら、繋いだ手など簡単に離されてしまうだろう。
勿論これは例えで、実際に戸賀井とセックスなんて考えられない。彼だってΩといえどもおじさんの相手なんて、仕事だとしても嫌だろう。
それでも戸賀井は、雄大が何を言っても初めて会った時と同じように手を強く握ってくれている。
「……バース性が違ってたなんて、普通は孤独感で一杯になって、誰かに慰めて欲しいとか、そういうことを思うんだろうけど……不思議と寂しくない。昔からそうなんだ。恋人が出来ても一人の方が楽だったりする。向こうから連絡がなければそれで終わっちゃうような人間関係ばかりで、でもそれは俺がΩであることを知らなくて、相手もΩだったからかもしれない。じゃあαになら本気になれるのかな。俺がΩで、相手がαだったら、こういう時に寂しくなって会いたくなって話を聞いて欲しいと思えるのかな」
「αもΩも関係ないと思います」
「え……」
「確かにαとΩが強く惹かれ合うというのは間違いないですけど、バース性だけを見て好きになれるかなれないかを判断するのは虚しくなるだけです。大切にしたい人や、この人が居ないと寂しい、会いたいと感じるかどうかは心が決めるんですよ。つまり門村先生がそういう相手に出会ってないだけです。本当に好きな相手にまだ会ってないだけ」
バッサリと斬られて抗う気にもなれない。
これでは単に人間関係が希薄であることが露呈しただけで、戸賀井の慰めの言葉に雄大は自分の身が縮んでいくような心持ちになる。
「……君の方が大人だな」
何歳だっけ? と聞くと二十四です、と返って来る。十も下の子に簡単に諭されて、膿の溜まった箇所を切開され胸焼けが晴れていくようだ。
「いやちょっと待ってください……まだ出会ってないとか言ったけどもう出会ってるのかもしれない……門村先生が自分の気持ちに気付いてないとかそういう可能性もありますよ……」
「なんでそんな不穏な顔するの」
先程までは涼やかな表情をしていた戸賀井がまるで恐怖映像を紹介するような緊迫した顔付きで見て来るから思わず笑ってしまう。
「面白いな、戸賀井くんは」
「真剣に言ってますよ俺は。自分の気持ちを見逃さないでください、門村先生」
笑っていた雄大は笑顔のまま固まる。何処かで聞いた台詞だ。でも思い出せない。自分が発したのか誰かから言われたのか。
「戸賀井く――」
「先生、抱き締めてみてもいいですか」
「え、あ……ああ、うん」
戸賀井の申し出に雄大は頷いた。僅かな間があってから、雄大の手から戸賀井の手が離れた。
腕を引っ張られて乱暴に抱き締められるのかと想像したが、そんなことはなくて戸賀井の体躯に合った長い腕にふわりと包まれた。
体ごと預けるのは手を握り合うのとは違う。瞬時に判断される拒否感は雄大の中で湧かず、男同士であるとか恋愛感情がないのにとか、そういう理性的なことは浮かんでも嫌悪感はない。
「……俺の匂いしません?」
「んんー……洗剤の香りはする」
洗剤以外の香りはしないが、規則正しく動く心臓の音は心安らぐ。さっきまでは別々の場所で鳴っていた心音が重なり合って溶けるようで、油断したら目を瞑って寝入ってしまいそうだ。
「先生と暮らすことになってちょっと強めの薬飲んで抑えてるから匂いが出にくいのかな」
「αにもラットがあるもんね」
「ラットも個人差があって、俺の場合は割と感情優先というか」
「感情優先? 発情期なのに?」
言葉は悪いが理性が吹き飛んで獣のようになるのが発情期ではないのか。
「俺の場合は、ですけど、理性さえ優勢であればラットは抑えられます。予期せぬΩのヒートを浴びても平気でした」
「へえ。戸賀井くんは本当に優秀なαなんだな」
「勿論、他のΩ相手ならの話で、抗えない相手もいます。そのために強めの薬を飲んでいるというか……門村先生のヒートを誘発しなきゃいけないのにフェロモンを抑えてるなんて矛盾してますね、すいません」
「気にしないで。それにしても君みたいな優秀な人でも抗えないΩっているんだね」
すごいなぁ、と他人事のように呟くと、温かかった胸元にすうっと風が通る。戸賀井が体を離したのが分かって、雄大も預けっぱなしにしていた体を自分の意識化に戻す。
「俺に、制御出来ないような発情を起こさせるのは、好きな人だけです」
体は離されたけれど、雄大の両肩は戸賀井に掴まれている。距離が生まれぬようそうされているのは雄大にも分かった。
「……好きな人?」
「はい」
短い返事が聞こえるやいなや雄大の体はまた戸賀井の腕の中へと戻った。
最初に抱き締められた時には同じリズムを刻んでいた心臓の音がずれて別々のものになる。戸賀井の胸の奥から刻まれる音が、ドッ、ドッ、と強くなっていく。
きっと今、戸賀井は愛しい人のことを考えているのだろう。
この瞬間だけでも代わりになれるだろうか。
彼の想いの邪魔にならぬよう、雄大は腕の中で密やかな呼吸を繰り返した。
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