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11話ーヒート *
しおりを挟む「ヒート!?」
「……そうだと思う」
帰りのタクシーの中、運転手にこちらの会話が聞かれていないかバックミラーで確認しながらこそこそと戸賀井とやり取りをする。
「間違いないんですか?」
「多分……ていうか俺も初めてだからよく分からないよ。君こそ研修医なんだろ、診断してよ」
「……ムラムラしますか?」
「突然IQ低下したね……なにその雑な診察は」
「とにかく帰ったらすぐに抑制剤飲みましょう」
誤診を受け処方されていた薬を止めて数週間。ヒートが来る気配さえなく、すっかり油断していた。
婚活イベントの会場は自宅から遠くないというのもあって、Ω診断を受けたあとに貰った処方薬は全部家に置いて来てしまった。
完全なるミスだ。雄大は膝に置いた手で緩く拳を作ると全く力が入らないことに落胆して、そのあとは戸賀井から顔を背けるように窓の外を見た。
視界からぶれるように人や建物が過ぎていく。「門村先生」と名前を呼ばれても彼の顔を見ることが出来ない。縋ってしまいそうだ。
今はもう花の蕾が開いた微かな香りではなく、匂いの感じが変わっている。官能的な甘さ。口の中に唾液が溜まる。想像だけで身震いしてしまうような、性欲のみで戸賀井自身を欲してしまいそうな自分が怖い。
Ωと判定された時、社会的地位が揺らいだような足場の不安定さと、もう一つ、大きな不安が雄大を襲った。
それは今後誰かと性的な接触がある場合、自分が下になるのだという事実であり、雄大は男としての自負を砕かれたような恐怖心を感じた。
ただ、それは理性がある時の話であり、既に雄大は理性を失いつつある。下であろうが、上であろうが関係ない。口内の唾液と共に体の奥底に溜まった熱を解放したい。
頭の中はそれで一杯になっている。だから戸賀井と距離を取らなくては。そして早く抑制剤を飲まなくてはいけない。
タクシーに揺られて数分。見慣れた景色が拡がる。
戸賀井が「ここでいいです」と運転手に頼んだ場所はちょうどマンションの前で、支払いを済ませ戸賀井が先に車外に出て、差し伸べられた手を取って雄大も外へと出る。
指先が触れ合うだけで、欲求が増す。外に出たらすぐに手を離して、戸賀井を置き去りにするようにマンションの中へと入っていく。
「無理しないで、門村先生」
「今無理しなきゃ外で倒れることになる」
「その時は俺が居ます。俺に頼って」
「ん……ぅ」
エレベーターに乗り込んで狭い空間で戸賀井の声と匂いに包まれると雄大の口から予期せぬ声が漏れる。
口を塞ごうと自分の手を口元に持っていくと、戸賀井に肩を抱かれてしまう。寄り掛かりたくないのに、もう体がいうことを聞かない。
「……と、がいくん、薬を飲んだら一人にして欲しい」
「一人には出来ません」
「分からない? もう俺、限界だから」
「分かります。でも一人には出来ない」
真正面を向いている戸賀井の横顔を見つめながら「意地悪だね、君は」と言うのが精一杯で、エレベーターが停まってしまうと戸賀井に引き摺られるように部屋に続く廊下へと出る。
「俺の抑制剤飲みますか」
「……持ってるの?」
だったらタクシーの中で飲ませてくれよというツッコミも出来ない。何とか足を動かして廊下を歩きながら、戸賀井がズボンの後ろポケットを探る布擦れ音だけで欲情してしまう。
「早く……戸賀井くん」
催促をしたら、錠剤を差し出される。それを手の平に乗せると、戸賀井は抱いていた雄大の肩を解放して部屋の鍵を開けた。良かった、とりあえずは外で大事にならず済んだと安心した。
「飲みました?」
「まだ」
「家着いたし、門村先生の抑制剤持ってきます」
靴を脱いで、そこで待ってて、と告げられるが、戸賀井の言葉は雄大の耳には届かなかった。
安心感からぼんやりとしてしまう。戸賀井には言えてなかったが、下着の中が気持ち悪い。射精したのか、何かが漏れたのか、濡れた感触が皮膚にべったりくっ付いていて、下半身を解放したくて堪らない。
玄関のドアは閉まっているが、鍵を閉めたかどうか定かではない。戸賀井がしてくれているだろうと祈りながら、雄大は自分のズボンのボタンに手を掛けた。
「水も持って来たから飲みましょう……かっ、門村先生!?」
「ダメ、気持ち悪い……」
「え、吐きそう?」
「違う、パンツが、張り付いて、ぅ、う」
嫌々をする子供のように首を横に振る。雄大が自分でズボンを引き下げたら、戸賀井が焦ったように「俺の抑制剤は?」と気にして聞いてくる。
雄大は半べそで手を差し出す。汗によって手の平にくっついた抑制剤を見て、戸賀井が目を丸くした。
「は……なんかおもしろ」
何も面白い展開などない。べちょべちょになった下着に、立っていられないほど震える膝、理性は飛んで子供のようになっている。何も笑えない。それなのに、戸賀井は可笑しそうに笑顔を見せる。
「俺もラットになると思うので、門村先生の手から薬を頂きます」
戸賀井が上半身を屈めて、雄大の手の平の汗ごと錠剤を舐め取る。舌の感触が手の平から全身に拡がるまで数秒もなかった。
「はっ、ぁ」
玄関で靴を履いたまま、体を保てなくなって崩れ落ちる。硬いタイルの上に落ちる寸でのところで戸賀井が体を支えてくれた。
「ぁぁ、ぁ、出ちゃ、っ」
手の平を舐られただけで射精してしまった。
下着の中を濡らす感覚。ピクッ、ピクッ、と腰元が揺れて恥ずかしいのにまだ足りないとばかりに股間は薄い布を上向きに持ち上げている。
「触、ぁ、ないで、へん、おれ、おかし、い」
「……門村先生、口開けて」
玄関の中にどちらの息か分からない呼吸音が響く。耳から入って来る息の音でも感じ入ってしまい、戸賀井の言うことが聞けない。無理だと首を振ると、片手で顔を掴まれてキスをされた。
戸賀井の舌を伝って、雄大の舌の上に錠剤が乗る。一錠ではなく、二錠ある感じがするが今は問う気にならない。一度離れてから、またすぐにキスをされた。今度は口内に水が流れ込んでくる。冷たい。けれどそれはあっという間にぬるくなって、雄大の喉を通って行った。
「ゴクンして」
言われるまでもなく喉を鳴らすと、ゆっくりその場に座らされた。靴を脱がされ、この後は体液で汚れた下着を脱がしてくれて、風呂にでも放り込んでくれるものだと思っていた。
「……ん……え、え、え?」
「は、門村先生……」
今度は戸賀井の方が熱っぽい視線を向けてくる。上からぐうっと押されて、雄大は抵抗する間もなく玄関を上がってすぐの廊下に寝転がった。
眩暈は止まない。顔を上げると戸賀井と目が合ったように思うがまたすぐに視界から戸賀井の姿は消えてしまう。
代わりに、首元に甘い刺激があった。舌で愛撫されているのが分かる。
戸賀井には想い人が居る。
自分とこうなってはいけない。
「門村、先生、門村せんせ、っ」
切羽詰まった戸賀井の声が鼓膜を震わす。戸賀井が求めてくるような声色を出すとそれは小さな水滴に変わり、雄大の持つ理性と言う名のコップに落ちて波紋が拡がる。
ギリギリのところで耐えていたのに。
たった一言、熱の籠った声で呼ばれただけで我慢していた分まで巻き込こんで、欲が零れ出した。
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