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第2話
しおりを挟む――寺での数日
本堂の畳は、夜になるとひやりとした。
「ここで休まれるとよろしい」
そう言って、少年僧は家族に場所を示してくれた。父は深々と頭を下げる。
「お世話になります」
「困ったときは、皆で支え合うものにござります」
声は若いのに、どこか落ち着いている。
わっちは、こっそりその横顔を見た。
――まつ毛が長い。
そんなことを考えている自分に、驚く。
⸻
翌朝。
境内では、避難してきた者たちが水汲みや炊き出しの手伝いをしていた。母も鍋を預かり、父は瓦礫の片付けに向かう。
「お七、お前も手伝いなさい」
「はい」
井戸端へ向かうと、あの少年僧が桶を持って立っていた。
「あ……」
「おはようございます」
先に言われてしまい、胸が跳ねる。
「お、おはようござんす」
また声が裏返る。少年僧はくすりと笑った。
「まだ怖うございますか」
「……少しだけ」
本当は、火よりも、この人の前に立つ方が怖い。
「名は、なんと申されます」
どくん。
「お七、と……申します」
「お七どの」
自分の名が、こんなにやわらかく聞こえたことはない。
「拙僧は、吉祥(きちじょう)と申します」
その名を、心の中で何度も繰り返す。
きちじょう。
きちじょうさま。
胸の奥が、あたたかくなる。
⸻
昼餉の折。
住職が穏やかな声で言った。
「火は恐ろしきもの。されど、灯は人を救う」
湯気の立つ粥を分けながら、住職は吉祥に目を向ける。
「吉祥、灯明を絶やしてはならぬぞ」
「はい」
灯明。
昨夜、揺れていた光を思い出す。
その下で、吉祥はわっちを見た。
あの光は、ただの灯りではなかった気がする。
⸻
夕刻。
境内の桜は、まだ蕾だった。
「もうすぐ咲きます」
吉祥が言う。
「桜は、お好きですか」
「はい。……でも、すぐ散ってしまいます」
「散るからこそ、美しいと申します」
難しいことを言う人だと思った。
けれど、わっちは首を振る。
「咲いておる間は、嬉しいでござんす」
吉祥は少し驚いた顔をして、それから静かに笑った。
「お七どのは、まことに素直なお方だ」
ほめられたのか、分からない。
でも、うれしい。
風が吹く。
袖が、かすかに触れた。
その瞬間、心臓が飛び出すかと思った。
「……すみませぬ」
「い、いえっ」
こんなことで胸が苦しくなるのは、病ではないだろうか。
⸻
夜。
母が小声で言う。
「あの若い僧、やさしいお方だね」
わっちは布団の中で目を見開く。
「そ、そうでござんすか」
「顔が赤いよ」
「ち、違います!」
家族の笑い声が、闇に溶ける。
灯明の光が、天井に揺れる。
その影を見つめながら、わっちは思う。
明日も、話せるだろうか。
名を、もう一度呼んでもらえるだろうか。
火事が早く収まってほしいと願いながら、
ほんの少しだけ――
この寺での時が、続けばいいとも思ってしまう。
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