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第5話
しおりを挟む――満開
桜は、ある朝いっせいに開いた。
昨日まで蕾だったのに、まるで約束でもしたかのように。
「わあ……」
境内が、やわらかな色に包まれている。
住職が目を細める。
「今年は、見事じゃのう」
避難していた町人たちも、しばし火事を忘れて空を見上げた。
吉祥は箒を止め、花を仰ぐ。
「咲きましたな」
「はい」
並んで立つ。
花びらが一枚、はらりと落ちる。
お七は手を伸ばし、それを受け止めた。
「散っても、きれいでござんす」
吉祥は、少しだけ言葉に迷う。
「……そうでございますな」
以前のように、無常を説く言葉は出てこない。
ただ、春の光の中で、お七の横顔を見る。
笑っている。
それを見ているだけで、胸が静かになる。
――これは、何であろう。
慈しみ。
そう、慈しみだ。
⸻
その日の夕刻。
父が住職に頭を下げた。
「家の修繕が済みました。明後日には戻れそうにございます」
お七の胸が、すとん、と落ちる。
明後日。
あと、ふつか。
「それはよい知らせじゃ」
住職は笑う。
「寺も、ようやく静かになりますな」
吉祥も頷く。
「町が戻るのは、何よりでございます」
正しい言葉。
けれど。
お七の耳には、遠く聞こえる。
⸻
夜。
桜は月明かりに透けている。
お七はひとり、境内へ出た。
明後日。
あと、ふつか。
会えなくなる。
そう思った瞬間、胸がぎゅっと締めつけられる。
後ろから、足音。
「冷えますぞ」
吉祥だった。
「……はい」
並んで立つ。
風が吹く。
花びらが、ふたりの間を舞う。
「町へ戻られるとのこと」
「はい」
「よきことでございます」
よきこと。
そうだ。よいこと。
けれど、涙が出そうになる。
「吉祥さまは、うれしゅうござんすか」
問いは、ほとんど無意識だった。
吉祥は少し驚き、それから答える。
「……皆が無事に戻れるのは、喜ばしきことにございます」
皆。
その言葉に、ちくりとする。
けれど、お七は笑う。
「わっちも、うれしゅうござんす」
嘘ではない。
家へ帰れるのは嬉しい。
でも。
灯明の下で名を呼ばれる日々が、終わる。
そのことのほうが、胸を占めている。
桜は満開。
けれど、散りはじめてもいる。
明後日。
あと、ふつか。
まだ、罪などない。
ただ、終わりが近づいているだけ。
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