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第2話「蒼い瞳の真実」
しおりを挟む時間が、止まった。
アーサー・ヴァンデール公爵は、目の前の小さな少女を見つめたまま、微動だにしなかった。
エリーゼ。リディアの娘。
亜麻色の髪、小さな体、あどけない笑顔。
そして――深い蒼の瞳。
ヴァンデール家の血を引く者だけが持つ、あの色。
「……リディア」
アーサーの声は、低く、静かだった。
だからこそ、恐ろしかった。
「この子は、何歳だ」
「……4歳です」
「誕生日は」
「冬至の日です」
リディアは答えた。もう、隠せない。隠す意味もない。
アーサーの喉が、ゆっくりと動いた。何かを飲み込むように。
「俺たちが別れたのは、5年前の春だったな」
「……ええ」
「つまり――」
彼の視線が、再びエリーゼに向けられた。
「この子は、俺の娘だ」
リディアは、何も答えなかった。
答えられなかった。
エリーゼは不思議そうに首を傾げている。
「ママ? このおじさん、知ってる人なの?」
「エリー、お部屋に戻りなさい」
「えー、でも――」
「今すぐに」
リディアの声が、珍しく厳しかった。エリーゼは驚いたように目を丸くしたが、素直に奥へと戻っていった。
小さな足音が遠ざいていく。
そして、再び沈黙。
アーサーが口を開いたのは、それから長い沈黙の後だった。
「……なぜ、黙っていた」
その声には、怒りも、非難も、なかった。
ただ、深い深い――悲しみがあった。
「なぜ、俺に言わなかった。妊娠していたと。子どもができたと」
「……言えませんでした」
「なぜだ」
「それは――」
リディアは言葉に詰まった。
言えない。予言のことは、絶対に。
話した瞬間、未来が確定する。エリーゼが、死ぬ。
「答えろ、リディア」
アーサーが一歩、踏み込む。
「俺には、父親になる権利があったはずだ。娘を抱く権利が。お前と共に育てる権利が」
「……公爵様には、もっと相応しい方が――」
「黙れ」
低い声が、リディアの言葉を遮った。
「そんな言い訳は聞きたくない。お前は、俺から娘を奪った。5年間も」
リディアは、唇を噛んだ。
そうだ。私は、奪った。
あなたから、父親になる権利を。
エリーゼから、父親を知る権利を。
そして自分から、愛する人と共に生きる権利を。
すべて、この手で。
「……申し訳ございません」
リディアは深く頭を下げた。
「ですが、今更何を言われても。エリーには、あなたは必要ありません」
「リディア――」
「この子は私が育てます。公爵様は、どうか元の生活にお戻りください」
「断る」
即答だった。
リディアが顔を上げると、アーサーの瞳が、まっすぐ自分を捉えていた。
「俺は、5年分を取り戻す」
「……それは、できません」
「できる。これから、俺が父親になる」
「公爵様!」
リディアの声が、珍しく震えた。
「あなたには、公爵家があります。政務があります。あなたが背負うべきものは、こんな――こんな、身分も何もない女の子どもでは――」
「リディア」
アーサーの手が、リディアの頬に触れた。
優しく、けれど逃がさないように。
「お前は、まだわかっていない」
彼の瞳が、すぐ近くにあった。
「俺が欲しいのは、公爵家でも、地位でも、名誉でもない」
「……っ」
「お前だ。お前と、俺たちの娘だ」
その言葉が、リディアの心臓に突き刺さる。
痛い。苦しい。嬉しくて、悲しくて、たまらない。
「……私を、憎まないのですか」
リディアは、ようやく声を絞り出した。
「私は、あなたを捨てました。冷たい言葉で、突き放しました。妊娠も隠して、娘も隠して――」
「憎むさ」
アーサーは、静かに笑った。
「憎いよ。お前が、どれだけ俺を傷つけたか。どれだけ苦しめたか」
「……」
「だが、それ以上に」
彼の額が、リディアの額に触れた。
「愛している」
リディアの目から、涙が零れた。
5年間、一度も泣かなかった。
エリーゼの前でも、一人の夜も、どんなに辛くても。
でも今、堪えられなかった。
「……ずるい」
リディアは、震える声で言った。
「そんなこと、言わないでください」
「なぜだ」
「私は――私は、あなたを――」
守りたかった。
愛していたから、手放した。
それなのに。
「……お願いです。帰ってください」
「嫌だ」
「公爵様――」
「アーサーと呼べ」
彼の声が、耳元で囁いた。
「お前は、昔そう呼んでいた」
リディアは首を振った。
もう、あの頃には戻れない。
戻ってはいけない。
「……公爵様。どうか、ご理解ください」
「理解できない」
アーサーの腕が、リディアの腰に回された。
「お前がどんな理由で俺を捨てたのか、まだわからない。だが、俺は諦めない」
「……っ」
「お前と娘を、必ず取り戻す」
その宣言は、誓いだった。
リディアは目を閉じた。
ああ、神様。
どうか、この人を――
エリーゼを――
守らせてください。
たとえ、私がどれだけ傷つこうとも。
その時、扉が開いた。
「公爵様、そろそろお時間です」
従者の声に、アーサーは僅かに顔をしかめた。が、リディアから離れた。
「……わかった」
彼はリディアを見た。
「また来る」
「……来ないでください」
「来る」
断言して、アーサーは踵を返した。
扉が閉まる。
馬車の音が遠ざかる。
リディアは、その場に崩れ落ちた。
「……ああ」
どうしよう。
どうすればいい。
この人を、また傷つけなければならないなんて。
裏の部屋から、エリーゼが顔を出した。
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「なあに?」
「ママは、あなたを守るわ。どんなことがあっても」
「うん、知ってるよ」
エリーゼは、無邪気に笑った。
リディアは、窓の外を見た。
遠くに、馬車の影が見える。
――アーサー。
あなたを愛している。
だからこそ、私はあなたを手放す。
何度でも。
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