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第3話「公爵の執着」
アーサー・ヴァンデール公爵が王都に戻ったのは、その日の深夜だった。
公爵邸の執務室。
暖炉の火だけが、静かに燃えている。
アーサーは窓辺に立ち、夜空を見上げていた。
「……4歳」
呟いた声は、誰に聞かせるでもなく。
エリーゼ。
自分の娘。
あの蒼い瞳は、間違いなくヴァンデール家の血の証だ。
リディアが嘘をついているとは思えない。彼女の表情、声の震え、すべてが真実を物語っていた。
「……5年間」
俺は、父親だった。
それを知らずに。
扉がノックされた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、側近のセバスチャン。初老の執事であり、アーサーの最も信頼する腹心だった。
「公爵様。ご報告がございます」
「聞こう」
アーサーは振り返らないまま、答えた。
「リディア・クレイン嬢について、調査した結果をまとめました」
セバスチャンが、書類を机に置く。
アーサーは書類を手に取った。
そこには、リディアのこの5年間が、淡々と記されていた。
――5年前、王都を去り、辺境の村へ。
――出産は、村の助産婦の手を借りて。
――その後、仕立て屋として生計を立てる。
――娘エリーゼは健康で、村人からも愛されている。
――男の影は、一切なし。
「……男は、いなかったのか」
「はい。彼女は一度も、男性と親しくした形跡がございません」
セバスチャンは静かに答えた。
「あの方は、ずっと一人で、お嬢様を育ててこられたようです」
アーサーの手が、書類を握りしめた。
リディアは、嘘をついていた。
「他に好きな人ができた」と。
だが、男などいなかった。
では、なぜ。
なぜ、俺を捨てた。
なぜ、妊娠を隠した。
なぜ、一人で――
「公爵様」
セバスチャンの声が、アーサーを現実に引き戻した。
「いかがなさいますか」
「……決まっている」
アーサーは、書類を机に置いた。
「リディアと娘を、こちらに連れてくる」
「しかし、彼女が拒否した場合は――」
「拒否しても、連れてくる」
セバスチャンは、僅かに眉をひそめた。
「公爵様。それは、誘拐に――」
「構わん」
アーサーの声は、冷たかった。
「あの女は、俺の子を産んだ。ならば、俺には権利がある」
「……ですが」
「セバスチャン」
アーサーは、初めて振り返った。
その瞳には、確固たる意志があった。
「俺は、5年間失った。もう、一秒たりとも無駄にはしない」
セバスチャンは、深くため息をついた。
「……かしこまりました。では、どのような手段で?」
「まずは、正攻法で」
アーサーは、椅子に座った。
「リディアに、結婚を申し込む」
「……彼女が断ると?」
「何度でも申し込む」
「それでも断られたら?」
アーサーは、冷たく笑った。
「ならば、娘を使う」
セバスチャンの目が、僅かに見開かれた。
「お嬢様を……ですか」
「ああ」
アーサーは頷いた。
「エリーゼは、ヴァンデール家の正統な血を引く娘だ。ならば、公爵家で育てられるべきだ」
「しかし、それはリディア様を――」
「傷つける。わかっている」
アーサーの声が、僅かに沈んだ。
「だが、他に方法がない」
彼は目を閉じた。
リディア。
お前は、俺を傷つけた。
5年間も、娘の存在を隠した。
ならば――
俺も、お前を傷つける。
それが、対等というものだろう?
「公爵様」
セバスチャンが、静かに言った。
「本当に、それでよろしいのですか」
「……何が言いたい」
「あの方を、本当に愛しておられるのなら――」
「愛している」
アーサーは即答した。
「だからこそ、手放さない」
セバスチャンは、何も言わなかった。
ただ、深く一礼した。
「かしこまりました。では、明日にでも再度、村へ向かう手配を」
「いや」
アーサーは立ち上がった。
「今から行く」
「今から、ですか? しかし、もう深夜ですが」
「構わん」
アーサーは、コートを手に取った。
「一刻も早く、あの二人を取り戻す」
その目には、狂気にも似た執念があった。
---
同じ頃。
辺境の村。
リディアは、眠れずにいた。
エリーゼは、隣ですやすやと眠っている。
その寝顔を見つめながら、リディアは考えていた。
――アーサーは、また来る。
彼は、そう宣言した。
そして、彼は嘘をつかない。
「……どうすれば」
リディアは、小さく呟いた。
逃げるべきか。
また、別の村へ。
でも、エリーゼは村に馴染んでいる。友達もいる。
また引っ越しなんて――
その時、扉が叩かれた。
こんな夜中に?
リディアは警戒しながら、扉に近づいた。
「……どなたですか」
「俺だ」
その声に、リディアは凍りついた。
まさか。
こんな時間に?
「……公爵様?」
「開けろ、リディア」
低い声。
命令ではなく、懇願に近い響きがあった。
リディアは迷った。
が、開けないわけにもいかない。
扉を、そっと開ける。
そこには、アーサーが立っていた。
一人で。
従者も、護衛も連れずに。
「……どうして」
「話がある」
アーサーは、リディアの目をまっすぐ見た。
「今すぐに」
リディアは、ため息をついた。
「……エリーを起こさないでくださいね」
「約束する」
二人は、店の隅に座った。
暖炉の火が、二人を照らす。
沈黙。
口を開いたのは、アーサーだった。
「リディア。俺は、お前に聞きたいことがある」
「……何でしょう」
「なぜ、俺を捨てた」
リディアは、息を呑んだ。
この質問は、いつか来ると思っていた。
でも、答えられない。
「……それは」
「嘘はいらない」
アーサーの声が、鋭くなった。
「お前には、他に男などいなかった。調べた」
「……っ」
「ならば、なぜだ。なぜ俺を拒絶した。なぜ妊娠を隠した」
リディアは、唇を噛んだ。
言えない。
予言のことは、絶対に。
「……言えません」
「なぜだ」
「言えないんです」
リディアは、アーサーから目を逸らした。
「どうか、それ以上聞かないでください」
アーサーは、拳を握りしめた。
「……そうか」
彼は立ち上がった。
「ならば、こちらにも考えがある」
「……何を」
アーサーは、リディアを見下ろした。
「明日、エリーゼを公爵邸に引き取る」
リディアの顔色が、一瞬で変わった。
「……何ですって?」
「あの子は、ヴァンデール家の血を引いている。ならば、公爵家で育てるべきだ」
「そんな――!」
リディアは立ち上がった。
「エリーは、私の娘です!」
「俺の娘でもある」
二人の視線が、激しくぶつかった。
「お前が理由を話さないなら、俺は娘を奪う」
アーサーの声は、冷酷だった。
「選べ、リディア」
リディアは、震えた。
この人は――
本気だ。
「……卑怯です」
「ああ、卑怯だ」
アーサーは認めた。
「だが、俺はもう、失いたくない」
リディアは、目を閉じた。
――神様。
私は、どうすれば。
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