『あなたを捨てたのは、私です』 〜冷酷公爵を追い出した元恋人ですが、隠し子ごと溺愛されています〜

ria_alphapolis

文字の大きさ
4 / 5

第4話「母の覚悟」

しおりを挟む

 リディアは、震える手を握りしめた。

 アーサーの言葉が、何度も頭の中で反響する。

 ――エリーゼを、公爵邸に引き取る。

 それは、脅しではない。

 この男は、本気だ。

「……公爵様」

 リディアは、ゆっくりと顔を上げた。

「あなたは、本当にそれをなさるおつもりですか」

「ああ」

 アーサーの返答に、迷いはなかった。

「エリーゼは、ヴァンデール家の正統な血を引く娘だ。王都で、最高の教育を受けるべきだ」

「……この子は、ここで幸せです」

「それは、お前の思い込みだ」



 アーサーは、一歩踏み込んだ。

「あの子には、公爵令嬢としての未来がある。貴族社会での地位、財産、守られた人生が」

「そんなもの――!」

 リディアの声が、大きくなった。

「そんなもの、エリーには必要ありません! この子には、ただ――」

「ただ?」

「……ただ、普通の人生を歩んでほしいだけです」



 リディアは、必死だった。

「平凡でいい。目立たず、静かに、幸せに生きてくれれば――」

「なぜだ」

 アーサーの声が、鋭くなった。

「なぜ、あの子を隠そうとする。なぜ、平凡な人生を望む」

「……それは」

「まるで、何かから逃げているようだ」



 リディアの心臓が、跳ねた。

 この人は――気づいている?

「……逃げているわけでは、ありません」

「ならば、何だ」

 アーサーが、さらに一歩近づく。

「お前は、何かを恐れている。それも、ひどく」



 リディアは、後ずさった。

 でも、背中が壁に当たる。

 逃げ場がない。

「公爵様、どうか――」

「リディア」

 アーサーの手が、壁についた。

 彼の顔が、すぐ近くにある。

「俺を、信用できないのか」



 その声には、痛みがあった。

 リディアは、胸が締め付けられた。

「……そうではありません」

「ならば、話せ」

「……話せません」

「なぜだ!」



 アーサーの声が、初めて荒くなった。

「なぜ、俺に何も言わない。なぜ、一人で抱え込む」

「……それは」

「俺が、信用できないからか。それとも――」

 彼の瞳が、深くリディアを見つめる。

「俺を、愛していないからか」



 リディアは、息を呑んだ。

 違う。

 違う、アーサー。

 私は、あなたを――

「……愛しています」



 その言葉は、自然に口から零れ落ちた。

 アーサーの目が、見開かれた。

「……今、何と」

「愛しています」

 リディアは、涙を流しながら繰り返した。

「ずっと、ずっと愛しています」



 アーサーの表情が、崩れた。

 彼の手が、リディアの頬に触れる。

「ならば、なぜ――」

「でも、言えないんです」

 リディアは、首を振った。

「理由は、言えない。でも、どうか信じてください」

「何を」

「私が、あなたとエリーを守るために、こうしているということを」



 アーサーは、じっとリディアを見つめた。

 長い、長い沈黙。

 やがて、彼は深くため息をついた。

「……わかった」



 リディアは、驚いて顔を上げた。

「……え?」

「理由は、まだ聞かない」

 アーサーは、リディアから離れた。

「だが、条件がある」

「……条件?」



 アーサーは、振り返った。

「お前と娘を、王都に連れていく」

「それは――!」

「拒否権はない」

 彼の声は、断固としていた。

「だが、無理やり引き離すようなことはしない。お前も一緒に、公爵邸に来い」



 リディアは、言葉を失った。

「……公爵邸に?」

「ああ」

 アーサーは頷いた。

「お前が理由を話せないというなら、俺がお前を守る。お前が何かを恐れているなら、その恐怖ごと俺が抱え込む」

「でも――」

「これは、交渉ではない」



 アーサーの瞳が、まっすぐリディアを捉えた。

「これは、俺の願いだ」



 リディアは、唇を噛んだ。

 王都に戻る。

 アーサーの傍に。

 それは、危険すぎる。

 エリーゼが、彼の娘だと知られれば――

 予言が、動き出す。



「……お断りします」

「ならば、エリーゼだけを連れていく」

「……っ」



 リディアは、追い詰められた。

 この男は、絶対に引かない。

 ならば――



「……わかりました」

 リディアは、震える声で答えた。

「条件があります」

「聞こう」



 リディアは、アーサーをまっすぐ見た。

「エリーが、あなたの娘だということは、誰にも言わないでください」

「……なぜだ」

「それも、言えません」



 アーサーは、眉をひそめた。

「リディア――」

「これが、私の絶対条件です」

 リディアの声は、強かった。

「これを守っていただけないなら、私は王都には行きません」



 アーサーは、しばらく黙っていた。

 やがて、小さく頷いた。

「……わかった。約束しよう」

「本当に?」

「ああ。だが、いずれは公表する。それだけは、覚悟しておけ」



 リディアは、目を閉じた。

 いずれ。

 その「いずれ」が来る前に、私は何とかしなければ。

 予言を、覆す方法を見つけなければ。



「……ありがとうございます」

 リディアは、深く頭を下げた。

「では、準備に少し時間をください」

「明日、迎えに来る」

「明日、ですか?」

「ああ。それ以上待てない」



 アーサーは、扉に向かった。

 が、振り返る。

「リディア」

「……はい」

「お前が、俺を愛していると言ってくれた」



 彼の瞳が、優しく微笑んだ。

「それだけで、今は十分だ」



 そして、彼は去っていった。

---

## * * *

 扉が閉まった後。

 リディアは、その場に座り込んだ。

「……どうしよう」

 震える声が、暗闇に消える。



 エリーゼの寝顔が、見える。

 無邪気に、幸せそうに眠っている。

 この子を、守らなければ。

 どんな犠牲を払っても。



「エリー……」

 リディアは、娘の髪をそっと撫でた。

「ママは、あなたを絶対に守るから」



 その夜、リディアは一睡もできなかった。

 ただ、娘の寝顔を見つめながら。

 そして、5年前に聞いた、あの予言を思い出していた。



 ――ヴァンデール家の血を引く子は、12歳までに、必ず父の敵に命を狙われる。



 エリーゼは、まだ4歳。

 あと8年。

 8年間、この子を守り抜かなければ。



「……大丈夫」

 リディアは、自分に言い聞かせた。

「私が、必ず守る」



 そして、夜が明けた。

---

## * * *

 翌朝。

 エリーゼは、いつも通り元気に目を覚ました。

「ママ、おはよう!」

「おはよう、エリー」

 リディアは、笑顔を作った。



「ねえ、ママ」

 エリーゼが、首を傾げた。

「昨日のおじさん、また来るの?」

「……ええ」

「やった! 優しそうなおじさんだったもん」



 リディアは、胸が痛んだ。

 エリーゼは、何も知らない。

 あの人が、自分の父親だということも。

 自分が、危険に晒されているということも。



「エリー」

「なあに?」

「今日から、しばらくお出かけするの」

「お出かけ? どこに?」

「……王都よ」



 エリーゼの目が、輝いた。

「王都! すごい! お城があるとこだよね!」

「ええ」

「やったあ! ママ、いつ行くの?」

「……今日」



 エリーゼは、大喜びで飛び跳ねた。

 その姿を見ながら、リディアは思った。

 ――この笑顔を、守るために。

 私は、何度でも悪者になる。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「ひきこもり王子」に再嫁したら「憎悪しか抱けない『お下がり令嬢』は、侍女の真似事でもやっていろ」と言われましたので、素直に従うことにしました

ぽんた
恋愛
「おれがおまえの姉ディアーヌといい仲だということは知っているよな?ディアーヌの離縁の決着がついた。だからやっと、彼女を妻に迎えられる。というわけで、おまえはもう用済みだ。そうだな。どうせだから、異母弟のところに行くといい。もともと、あいつはディアーヌと結婚するはずだったんだ。妹のおまえでもかまわないだろう」 この日、リン・オリヴィエは夫であるバロワン王国の第一王子マリユス・ノディエに告げられた。 選択肢のないリンは、「ひきこもり王子」と名高いクロード・ノディエのいる辺境の地へ向かう。 そこで彼女が会ったのは、噂の「ひきこもり王子」とはまったく違う気性が荒く傲慢な将軍だった。 クロードは、幼少の頃から自分や弟を守る為に「ひきこもり王子」を演じていたのである。その彼は、以前リンの姉ディアーヌに手痛い目にあったことがあった。その為、人間不信、とくに女性を敵視している。彼は、ディアーヌの妹であるリンを憎み、侍女扱いする。 しかし、あることがきっかけで二人の距離が急激に狭まる。が、それも束の間、王都が隣国のスパイの工作により、壊滅状態になっているいう報が入る。しかも、そのスパイの正体は、リンの知る人だった。 ※全三十九話。ハッピーエンドっぽく完結します。ゆるゆる設定です。ご容赦ください。

あなたに嘘を一つ、つきました

小蝶
恋愛
 ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…  最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳 ロミオ王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

いっそあなたに憎まれたい

石河 翠
恋愛
主人公が愛した男には、すでに身分違いの平民の恋人がいた。 貴族の娘であり、正妻であるはずの彼女は、誰も来ない離れの窓から幸せそうな彼らを覗き見ることしかできない。 愛されることもなく、夫婦の営みすらない白い結婚。 三年が過ぎ、義両親からは石女(うまずめ)の烙印を押され、とうとう離縁されることになる。 そして彼女は結婚生活最後の日に、ひとりの神父と過ごすことを選ぶ。 誰にも言えなかった胸の内を、ひっそりと「彼」に明かすために。 これは婚約破棄もできず、悪役令嬢にもドアマットヒロインにもなれなかった、ひとりの愚かな女のお話。 この作品は小説家になろうにも投稿しております。 扉絵は、汐の音様に描いていただきました。ありがとうございます。

無愛想な婚約者の心の声を暴いてしまったら

雪嶺さとり
恋愛
「違うんだルーシャ!俺はルーシャのことを世界で一番愛しているんだ……っ!?」 「え?」 伯爵令嬢ルーシャの婚約者、ウィラードはいつも無愛想で無口だ。 しかしそんな彼に最近親しい令嬢がいるという。 その令嬢とウィラードは仲睦まじい様子で、ルーシャはウィラードが自分との婚約を解消したがっているのではないかと気がつく。 機会が無いので言い出せず、彼は困っているのだろう。 そこでルーシャは、友人の錬金術師ノーランに「本音を引き出せる薬」を用意してもらった。 しかし、それを使ったところ、なんだかウィラードの様子がおかしくて───────。 *他サイトでも公開しております。

旦那さまは私のために嘘をつく

小蔦あおい
恋愛
声と記憶をなくしたシェリルには魔法使いの旦那さまがいる。霧が深い渓谷の間に浮かぶ小さな島でシェリルは旦那さまに愛されて幸せに暮らしていた。しかし、とある新聞記事をきっかけに旦那さまの様子がおかしくなっていっていく。彼の書斎から怪しい手紙を見つけたシェリルは、旦那さまが自分を利用していることを知ってしまって……。 記憶も声もなくした少女と、彼女を幸せにするために嘘で包み込もうとする魔法使いのお話。

【完結】小さなマリーは僕の物

miniko
恋愛
マリーは小柄で胸元も寂しい自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。 彼女の子供の頃からの婚約者は、容姿端麗、性格も良く、とても大事にしてくれる完璧な人。 しかし、周囲からの圧力もあり、自分は彼に不釣り合いだと感じて、婚約解消を目指す。 ※マリー視点とアラン視点、同じ内容を交互に書く予定です。(最終話はマリー視点のみ)

私のことは気にせずどうぞ勝手にやっていてください

みゅー
恋愛
異世界へ転生したと気づいた主人公。だが、自分は登場人物でもなく、王太子殿下が見初めたのは自分の侍女だった。 自分には好きな人がいるので気にしていなかったが、その相手が実は王太子殿下だと気づく。 主人公は開きなおって、勝手にやって下さいと思いなおすが……… 切ない話を書きたくて書きました。 ハッピーエンドです。

処理中です...