シュガーポットに食べかけの子守唄

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3章

2 楽園

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2.
1週間前に僕たちは湖を渡って、双子たちが話していた城下町へと到着していた。グリフォンとウミガメを置いて、石で築かれた巨大な城壁の門に立つと、双子は大きく両手を振った。
「ただいまー!メベーラだよー!開けてー!」
「ただいまー!ドゥエルだぞー!開けてくれ!」
固く閉ざされていた巨大な鉄の門は彼らの言葉に反応するようにガタンと重い音を立てて動き出し、鎖を巻くようなジャラジャラとした音と共に静かに門が上がっていく。巨大な薔薇の紋章が掘り込まれたそれを僕とミズキはポカンと口を開けたまま眺めていた。
「すごい…規模が違うね…」
思わずつぶやくと、隣でミズキがコクコクと頷いた。コウモリも興味があるのか、ミズキの帽子の上に腹ばいでしがみついたままじっとそれを眺めている。
門が半分開いたあたりで大人一人分が通れる高さに達する。それを我先にとドゥエルとメベーラが走ってくぐった。
「二人ともー!早く早く!」
二人がこちらを振り返って手を振る。僕らはそれに合わせて続く。
門の奥には中世ヨーロッパを彷彿とさせる石畳の街並みが広がっている。各所に木が植えられ、それぞれに赤い薔薇や白い薔薇が咲いていた。薔薇の香りがただようその町はとても穏やかであり、村にはない気品の良さがある。
あちこちで薔薇の木を手入れをする人々が、庭ばさみを片手に忙しく作業をしている。町を走る子供たちは皮カバンを背中に背負って、楽し気な笑い声と共に僕らの脇を駆け抜けた。立ち並ぶ店の前で話し込む男女や女性たち、活気のある声で店に呼び込む店員たち。その誰もが楽しそうで、想像以上に町は平和そのものだった。
「ここっていつもこんな感じなの?」
湖の反対側で聞いてきた印象とは全く違う町の様子に、僕は思わず前を歩く双子に尋ねる。双子は楽しそうに町の様子を眺めながら頷いた。
「ここに引っ越してくる時はヤバかったけど、最近はずっとこんな感じ!」
「みんな楽しくなるようにシュラーが作ってくれてるんだよ!」
ドゥエルの言葉にメベーラが続く。今まで二人の話は半信半疑であったが、確かにこうやって見ると、眠り鼠が一概に悪人と言うことに僕も無理を感じ始めていた。
イディオットは集落の人々を大事にしてきていた。もしかしたら眠り鼠も、同じなのではないだろうか。自分の町に住む人々を大事にしているだけのように思えた。
「あっ…あとであのお店行きたいな…。あっ、あっちも…」
隣でキョロキョロと周囲を見回しながら、ミズキがわくわくとした口調で呟く。町に立ち並ぶ装飾品の店や画材屋、香水店、ブティックなど、確かに見て回りたくなるようなきらびやかな店が多い。彼女が目移りする気持ちも分かる。
昔のフランスとかは映画で見る分には美しいが、史実に寄れば糞尿で酷い臭いだったと言う。この町の雰囲気はそのフランスの街並みから悪臭を取り払い、薔薇の香りを足したようなものだ。そう考えれば、現実から来た身…それも日本出身者からすれば胸躍るのは当たり前じゃないだろうか。僕ですら少しだけテーマパークに遊びに来たような気持ちになってしまう。
あれ?そういえば、みんな日本語で話しているけど、みんな外国人じゃないのだろうか…夢の中だから勝手に日本語に聞こえるとかいう突然のご都合ファンタジーもありえなくはない。いつか原理を誰かに聞いてみたいところだ。
「時間があったらどっか見に行こうか」
「うん!」
僕の言葉にミズキが満面の笑みで頷いた。心底楽しそうなのがその笑顔でも十分わかる。
彼女と城下町を観光出来たら、それは絶対に楽しいに違いない。早く安全を確保して、彼女を守れるよう磐石に準備を整えたら、是非とも色々な店を見て回りたいものだ。
町の大通りを抜けると、建物が減っていき、次第に美しい薔薇の庭園が見えてくる。庭園の前に作られた門の両隣に立つ男たちはドゥエルとメベーラと同じ赤い軍服を身にまとっている。
彼らは僕たちの姿を見るや否や、驚いたように目を見合わせた。
「ドゥエルにメベーラ!その客人はもしや…」
「うん、ジャバウォックと帽子屋!」
男たちにあっけらかんと双子が答える。彼らは困惑したように目を見合わせ、僕らを見つめる。
「初めまして…」
どうすればいいか迷ったが、とりあえず挨拶をしてみる。すると、彼らは相変わらず訝し気に僕とミズキを見つめていたが、軽く会釈を返す。
「通ってもいいでしょ?」
メベーラが尋ねると、男たちは少しの沈黙を置いてから小さく頷いた。
「まあ…お前たちがいいなら。フロージィ様が待っていたぞ」
「やったぜ!オヤツの時間かな!」
男たちの様子など、まるで気にしていないようにドゥエルがガッツポーズを決める。本当に大丈夫なのだろうか。そう考える僕と同じように、ミズキも僕の隣で神妙な顔をしていた。
男たちが手に持った斧槍の柄を地面に叩きつける。ゴンという鈍い音とともに、どういう仕組みなのか庭園への門が開かれた。
「通れ」
「ありがとうございます」
一応、頭を下げると、隣のミズキも続いて小さく頭を下げた。双子に連れられて門を通り、庭園へと足を踏み入れる。よく手入れされた芝生が、靴底を通しても弾力を持って生き生きと生い茂っているのが分かった。
庭園は迷路のように入り組んでいたが、城への道は正面を通ってまっすぐでたどり着けるようで、周囲に広がる薔薇の並木が美しい。どれも一つとして萎れたりしておらず、花弁はピンと背筋を伸ばすように開き、造花と疑うほどに美しい出来だった。
「キレイな薔薇だね、全部生花だなんて信じられない」
ミズキが隣を歩きながら感嘆の息を漏らす。それを聞いた双子たちは同時に得意げに鼻の下をこすった。
「シュラーは薔薇が大好きだから、全部キレイに手入れさせているの」
「フロージィはどこにも手を抜かないんだぜ。マジでいい女だから」
彼らの自慢げな言葉に僕は笑う。初めて出会った時からではあったが、この二人は本当に眠り鼠のことを心から慕っているようだ。
庭園を抜けて城門へとたどり着く。巨大な扉が作られているが、その扉の隅には普通のサイズの扉が別に作られている。あくまでこの巨大な扉はデザインなだけのようで、通るのはこの小さな扉の方らしい。
ここまで来ると赤い軍服を身にまとった兵士たちとすれ違うようになっていたが、彼らは僕らのことを物珍しそうに見るだけで特に何を言うでもない。傍に双子が一緒にいるのが大きいのかもしれない。
兵士たちの視線を浴びながら城内へと入る。中は汚れ一つない真っ白な壁が築かれ、赤い絨毯が敷かれている。せわしなく働く使用人たちや兵士たちの脇を通ってその奥へ奥へと進む。
謁見室と思われる大きな扉の前まで行くと、庭園の門と同じように脇の兵士たちが立っている。彼らもやはり訝し気に僕らの姿を見つめて首を傾げた。
「通してくれ」
兵士たちが声を出すより先に、謁見室の中から声がした。その声は女性で間違いはないだろうが、少しハスキーで少年を思わせる声だ。
「シュラー!」
「フロージィ!」
双子たちがその声に喜び勇んで正面の扉を押す。何も心の準備をしていなかったわけではないが、思っていた以上に早い展開に僕とミズキは目を見合わせる。僕の緊張と同じように、ミズキの顔にも強張りが見えた。
扉が開かれる。中は沢山の大きな窓で囲まれた真っ白な空間だ。脇に置かれた薔薇の植木と、床に敷かれた赤い純炭、奥に鎮座する玉座だけがやけに赤く映えて見えた。
窓という窓から差し込む日光で目がくらみそうに明るい。目を細めてよく見ると、玉座に座る小さな人影が見えた。



赤い燕尾服に赤いシルクハット。鼠らしい小さな丸い耳と細くてフサフサした茶色の尻尾を持つその人物は、薔薇のツタが絡まったステッキを片手にゆっくりと立ち上がると、こちらに向かって歩み寄る。
「ただいまー!」
双子たちが絨毯の上を全力疾走で駆け抜ける。玉座から立ち上がったその人物にぶつかるように抱きつくと、彼女は両腕を広げて双子を優しく抱きしめた。
「おかえり、待っていたよ。お茶とオヤツが出来ているから、一緒に食べよう」
真っ白な肌に真っ赤な薔薇のような長い髪。赤いまつげを伏せて彼女は微笑む。その表情は優しく、酷く穏やかだ。
彼女は双子との抱擁を楽しみながら、視線だけをあげて僕を見る。ミズキと同じような水色の瞳が僕らをとらえ、彼女は小さな口元で笑みを作った。
「これは珍しいお客さんを連れてきたね」
その言葉に僕とミズキは顔を見合わせる。こういった正式な場でのマナーを僕らは知らない。とりあえず僕はどこかの本で見たように、その場で片膝をついて頭を下げた。
「お初にお目にかかります」
僕の仕草を見て、ミズキも慌てて自分の帽子をとって同じように膝まづく。
「初めまして…」
不安でか、ミズキの声が震えている。彼女の帽子に乗っていたコウモリがバサバサと飛び立ち、そのまま彼女の肩に乗り直した。
声こそ震えてはいるが、眠り鼠には興味があるようで、ミズキはチラチラと視線を床と彼女とを行ったり来たりさせていた。その様子はどこか、僕と初めて会った時と同じように見える。
もしかしたら、僕の尻尾に興味があったように、ミズキは眠り鼠の容姿にも興味があるのかもしれなかった。
「ねえ聞いて!アスカはジャバウォックなの!」
「なあ聞いて!ミズキは帽子屋なんだ!」
立ち上がる眠り鼠から身体を離しながらメベーラとドゥエルが声を上げる。彼らの頭を優しく撫でると、彼女は僕らのすぐ目の前まで歩み寄った。
「頭は下げなくていいよ。僕は眠り鼠のシュラーフロージィだ。遠路はるばる会いに来てもらえるなんて嬉しいよ。歓迎しよう」
彼女の僕、という一人称に思わず顔を上げる。女性で自身を「僕」と呼称する人はとても珍しい。そんな僕の疑問が顔に出ていたのか、彼女は首を傾げて柔らかく微笑んだ。
「僕という一人称が気になるかい?でも、僕はこの一人称が一番しっくりきていてね。別に男性になりたいわけではないけど、男性が自分を『私』と呼称することが許されるのだから、女性が呼称を変えても何ら変ではないだろう?」
「あ、いえ…すみません。その通りです」
僕は静かにその場で立ち上がる。確かに一人称など、本人が一番使っていて心地いいものを使うべきだろう。僕だってわざわざ今の一人称を自分で選んだのだ。彼女だって同じ選択をしただけなのだろう。
「紹介が遅れて申し訳ありません、僕はジャバウォックのアスカです。隣は…」
「あっ…帽子屋のミズキです」
僕が自己紹介からミズキを紹介しようとすると、ミズキがしどろもどろながらに自ら名乗る。深々と丁寧に頭を下げたミズキにシュラーフロージィは笑みを絶やさなかったが、何かを考えるように自分の唇を指先でトントンと叩いた。
「そう、ジャバウォックのアスカさんと帽子屋のミズキさんね…。良かったらお茶会でもどうだい?これから子供たちにオヤツをあげようと思っていたんだ。僕も話したいことが沢山ある」
「オヤツ!オヤツ!」
シュラーフロージィの後ろで双子たちがわいわいと声を上げる。もはや彼女を待つまでもなく、恐らくいつものお茶会の部屋へ向かうのだろう。彼らは一目散に謁見室を駆け抜けて、どこかへと走っていく。
その姿をクスクスと笑いながらシュラーフロージィは見送ると、僕らに向けて肩を竦めた。
「彼らは見た目よりとても幼いんだ。無礼を許してやって貰えないだろうか」
「いえ、無礼なんて全然...!すごくいい子たちで…!」
彼女の言葉にミズキが胸元で両手を振った。人見知りのミズキが自らそう言うなんて珍しい。僕は何だかその様子にほっこりしてしまう。自分の子供が初めて家に友達を連れてきた親はこんな気持ちになるんだろうか。
シュラーフロージィは笑顔のままミズキを見つめた。
「ありがとう。では、僕たちも行こうか」
ステッキを手にシュラーフロージィが歩き出す。彼女は謁見室に待機する兵士に何か耳打ちをすると、先導するように部屋を出た。
後に続く僕らから見て、彼女は非常に背が低かった。身長は150センチあるかも怪しい。そんな小柄な彼女は振り返るでもなく口を開く。
「その容姿に落ち着くほど長い時間をこの世界で過ごしていたなら、僕の悪い噂の一つや二つは耳に入るだろう。それでも会いに来てくれるとは思っていなかったよ」
その言葉に僕は思わず押し黙る。確かに、彼女に関しては悪い噂や憶測があちこちで飛び交っていた。そもそも、アマネを雇い入れている時点で信用におけない。当初はそう思っていた。
イディオットの集落でも彼女がしたであろう悪行の数々は聞いてきたし、今でも全く恐ろしくないかと言われればそんなことはない。先ほど兵士にした耳打ちの内容は何だったのだろうと考える。
それでも、彼女の物腰の柔らかさや優し気な表情、双子たちの愛慕がどうにも彼女を悪人と見ることが間違いであると思わせる。
ステッキを付きながら歩く彼女は相変わらずこちらを振り返らなかったが、クスクスと小さな身体を震わせて笑った。
「三月兎は僕のことが大嫌いだからね。もちろん、僕も彼が好きではないし。お互いの正義が違えば、見方も変わる。互いの意見がぶつかり合ったまま妥協できないから、戦争は起きるのだしね」
そこまで言うと、彼女はチラと僕らを一瞥する。
「安心してくれ、今のところ君たちに危害を加える気はないよ。過去の帽子屋を殺したことは認めるが、ミズキを殺すことで生まれる利益は何もないからね」
彼女の言葉に僕とミズキは同時に胸を撫でおろす。考えていたことは一緒だったのだろう。いつか聞かなくてはいけないと思っていたので、彼女から話してくれたのは助かった。
しかし、あっさりと彼女は過去の帽子屋を殺したことを認めている。そこはイディオットが調べ上げた情報と相違ないようだ。
「ぶしつけとは思うのですが…何故ミズキは殺さないんでしょう?過去の帽子屋は何故…?」
聞いていいものか迷ったが、せっかく相手がくれた機会だ。逃すのは勿体ないだろう。おずおずと核心を尋ねると、シュラーフロージィはこちらを見ないまま小首を傾げた。
「過去の帽子屋はアリスの傍にいて害にしかならないと思ったからだよ。ミズキはアリスに害を及ぼさないし、むしろ存在していてくれた方がいいと僕は思っている。だから殺さないだけさ」
「えっでも…私、アリスに会ったこともないのに…」
シュラーフロージィの言葉に控え目にミズキが聞き返す。その疑問はもっともだ。
この世界のアリスを僕らを含めて誰も知らない。会ったことがない。いるかも分からない。そんな存在に対して「いてくれた方がいい」と言われても腑に落ちないだろう。
しかし、イディオットの情報によればシュラーフロージィは最初期のお茶会からこの世界にいる人だ。それに間違いがないのであれば、この世界に一番詳しいのは間違いなく彼女だ。
「君が会ったことがなくても間違いない。僕は人を見る目があるからね」
コツコツとステッキを床につきながらシュラーフロージィは笑う。その言葉には迷いを一切感じさせず、妙な自信すら感じさせた。
「シュラーフロージィさんはアリスに会ったことがあるんですか?」
「フロージィでいいよ。シュラーでもいい。長いだろう?」
僕の質問に彼女は少しだけ振り返って微笑んだ。
「会ったことあるよ。なんたって、お茶会をする仲だ。もう4年以上も前の話になってしまうけどね」
そこまで言うとシュラーフロージィは足を止める。彼女の視線を追うと、廊下の分かれ道からは中庭が見えた。
薔薇の植木に囲まれた中庭の中央には大きな丸テーブル。白いテーブルクロスに金色の上品な刺繍が施されたそれの上にはハイティースタンドが置かれ、そこには色とりどりのタワーのようにお菓子が乗せられている。大きなティーポットの隣にはティーカップが10人分はあるだろうか。大量に並べられ、ティーソーサーがその傍らに重ねて置かれていた。
「おそーい!」
「はやくー!」
その中庭の周囲を走り回りながらドゥエルとメベーラが声を揃えて不満をもらす。二人の手には木の枝が握られていたあたり、チャンバラでもしていたのかもしれない。
「待たせてしまったね、今からお茶会を始めるから二人も席についてくれ」
シュラーフロージィがテーブルに向かって静かに歩いていく。それを見た双子たちはわいわいと歓声を上げながらそれぞれに席につく。テーブルに置かれたスプーンとフォークを手に取り、彼らは今か今かと中央のハイティースタンドを前のめりに見つめている。
「僕らも行こうか」
ミズキに言うと、彼女は何かを考えるように少し黙っていたが、僕を見上げて控え目に笑った。
ミズキと僕が隣合わせに座り、僕の隣にはドゥエル、ミズキの隣にはメベーラ、僕の正面にシュラーフロージィが座る。彼女はティーポットの傍に置かれたトングを手に取り、小皿に乗せて両隣の双子たちに配った。
双子は紅茶をティーカップに注ぎ、それをティーソーサーに乗せて回すように全員に配ってくれた。
「お二人も好きなものを食べて。僕の城にいるパティシエが作った特製ケーキだ。どれも美味しいよ」
彼女はもう一本のトングを正面の僕へと手渡す。それを受け取り、僕らの分のケーキを小皿に盛った。
この世界の食材はどれも変わったものが多いが、トゥルーのご飯とは違って見た目も現実の物に引けを取らない美しさがある。さすが職人が作った物といったところだろうか。
ミズキの皿の上にはモンブランやスイートポテトのような物が並び、僕の皿にはチョコレートのような見た目の物が中心に皿に乗る。それに対し、双子は二人ともショートケーキとマカロンの組み合わせで好みが一致しているようだ。双子なだけある。
ミズキの肩に乗っていたコウモリがもぞもぞと這うようにテーブルに乗ると、ミズキのスイートポテトをガツガツと食べ始めた。ミズキはそれを困ったように笑いながら見つめている。
「さて、二人がはるばる湖を渡ってまで来るということは、初期のお茶会について聞きたいのかな?それとも、アリスについて?三月兎からは何か聞いていないのかい」
小皿に乗せたイチゴのタルトを丁寧にナイフとフォークで切り分けながらシュラーフロージィが口を開く。まるで、僕が今まで辿ってきた経緯を全て見てきたかのように、彼女の憶測はどれも的を得ているのが少し恐ろしくも感じられるが、ジャバウォックがあの森に必ず出現すると考えれば、確実に接触する機会が多くなるのは三月兎の方だ。そう考えれば、その推察を行うのは当然なのかもしれなかった。
「三月兎さんとも話はしてきました。フロージィさんのお話や、この世界についてもそれなりに聞いたと思います」
「それでも僕と話しに来たのか。君は三月兎と反りが合わなかったのかな?」
「いえ…僕は彼のことを尊敬しています」
僕の言葉にショートケーキをほおばる双子たちが顔を上げる。じっと見つめるその視線は、恐らく僕が本音を話しているのかどうか見定めているものだ。
彼らがいる限り、嘘を吐いたってどうせ見抜かれるだろう。それに、この様子を見る限りではシュラーフロージィは話せば分かり合える人物のようにも見える。それこそ、本音を見定める双子たちが無償の信用を置くくらいなのだから。
「三月兎を尊敬しているのに、喧嘩腰で来ない人は初めて会ったな。今回のジャバウォックは聡明な人で良かった」
シュラーフロージィは紅茶をすする。
「それなら、先に三月兎が追い求めているアリスについて話してしまおう。結論から述べれば、僕は彼女をこの城に幽閉などしていないよ」
僕らの話を聞いていた双子たちは再びケーキを食べ始める。どうやら僕らの話は互いに嘘がないということだろう。
「私は確かに最初からこの世界にいる4人のうちの一人だ。世界にはお茶会の広場しかなく、その狭い世界をアリスが広げていく様を見てきた。僕らが住む、この城も彼女が創り上げた。幽閉なんて、とんでもない。僕は彼女にもっと世界を広げて欲しいとすら思っているのだから」
シュラーフロージィの話に双子はやはり反応しない。嘘ではないのだろうか。
妙な緊張感が伝わってか、ミズキはハラハラするように僕らを見守っている。彼女はまるで食べていないのに、皿のお菓子が減るのはほとんどコウモリの仕業だろう。
「僕は三月兎にこの事実は伝えたが、彼は自分の推察を信じてやまない。盲信しているのさ。だが、やっていないことはやっていないとしか言いようがない。そうだろう?」
啜ったティーカップを静かにティーソーサーに置く。シュラーフロージィは微笑んでいたが、その感情は読み取れない。
「じゃあ、アリスはどこへ…?夢から覚めるためにも、まずは会わないと話が…」
「夢から覚めて、君は何がしたいんだい?」
僕の言葉に被せるようにシュラーフロージィが言う。
「君はそんなに現実で幸せだったのかい?もし、ジャバウォックという肩書きのせいでアマネに殺されるのが怖いと言う理由なら、僕が止めてあげよう。この町で暮らすなら、平穏も保証する。見てきただろう?あの穏やかな町を」
彼女の言葉に僕は口を開いたまま言葉を失う。
僕が夢から覚めたい理由…それは、シュラーフロージィが言う通りだ。アマネに殺されたくないからだ。
現実が楽しかったかなんて、思い返せば答えは出ている。楽しくなんかなかった。不自由だった。好きなことも出来ず、人と話すのがいつも怖くて、好きでもない服を着て生きていかなくてはならない。
そうだ、性別だって…現実にある僕の身体はこれではないのだ。
「三月兎の考えに根っこから賛成出来ないから、君は湖を渡ってまで僕に会いに来たんじゃないのかい?今のその君の容姿を見たことはあるかい?君はもう立派なジャバウォック。アマネとだって戦えるだろう」
彼女に言われ、僕は思わず自分の両手を見る。尖った黒い爪に足元に見える黒い尻尾。注がれた紅茶の水面に映る僕の頭の角は闘牛のように曲線を描いて正面へと伸びている。
僕はこの世界に来たばかりの姿から随分と変わってしまっていた。立派なジャバウォック、その言葉を僕の容姿が一番体現していただろう。
シュラーフロージィの言葉を聞いていたミズキが僕を見る。彼女は僕のコートの裾をつまんで、控えめに引っ張った。
「…ねえ、アマネさんを止めて貰うだけじゃダメなの?」
ミズキの言葉に振り返る。彼女の水色の瞳は珍しく僕の目を真っ直ぐに見つめていた。
「止めて貰えるなら、それに超したことはないけど…現実には帰るよね?」
僕はその瞳を見つめ返して尋ねる。久しぶりに心臓がバクバクと爆発するように胸を叩く。
それは恐怖だった。ミズキの返答が怖い。嫌な予感がした。
僕の問いにミズキは目を伏せる。少しの沈黙を置き、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「アマネさんが殺しに来ないなら、アスカが現実に帰りたい理由もなくなるんじゃないの?私も現実に帰ったって、アスカが傍にいないなら怖い…この夢を絶対に覚えているか分からないんでしょ?私、本当はそんな現実に帰りたくない」
ミズキの話が、前に聞いたトゥルーの話に被って聞こえた。最愛の人と離れるのが怖いから、夢から覚めたくないと話した彼女と同じ原理だ。
ミズキにずっと尋ねられずにいた疑問。本当に僕と一緒に現実に帰りたいのかというそれに、ついに答えが出た。
彼女は夢から覚めたくなんてないんだ。平和で済むなら、彼女はこのままでいたい人。僕と2人きりに固執する彼女なら、そうあってもおかしくないと頭の隅では理解していたのに、彼女自身の口から聞くとそれはまた違う衝撃があった。
一緒に現実に帰ろうと言ったはずなのに。一緒に歩いていこうと話していたはずなのに。
彼女が僕に放ったその言葉も、きっと愛情のひとつの形。それなのに何故だか、今回ばかりはどうしようもなく悲しかった。
「君はどうして夢から目覚めたいんだい?」
シュラーフロージィが再度、僕に尋ねる。
「僕は…」
言葉が詰まる。僕は何故、現実に帰りたいのだろう。ハッキリと言葉に出来ない。それでも、2人の言葉に僕は納得出来ないでいた。
ここは夢の世界。どんな原理で作られたかも分からない。顔すら知らないどこかの誰かが、アリスを名乗る人が見ている夢。
そんなものの中で一生を過ごすことを僕は想像すら出来ないでいた。
「…まあ、いいよ。すぐに答えが出ないこともある。ゆっくり考えてみたらいいさ」
シュラーフロージィが笑いながら、ミズキの皿を見る。ミズキの皿の上にあったケーキは気付くと全てなくなっていて、代わりに腹を膨らませたコウモリが乗っていた。そのコウモリを見たシュラーフロージィは目を丸くして、コウモリを手招いた。
「これは驚いた、キラキラ光るコウモリさんじゃないか。原作通りだね」
手招きされたコウモリは不思議そうに首を傾げたが、シュラーフロージィに対して警戒していないのか、バサバサと飛び立って彼女の手に止まった。
「キラキラ光るコウモリさん、一体お前は何してる?この世をはるか下に見て、お盆のように空を飛ぶ」
彼女が詩を口ずさむ。それを聞いた双子たちが前のめりになって耳を傾ける。
「アマネみたい!」
「アマネの歌だ!」
「違うよ。これは数少ない僕の配役の詩さ」
双子に微笑みかけながら、シュラーフロージィがコウモリを撫でる。その姿は本当に穏やかで、優しい母と無邪気な子のようだった。
「…アマネにはアスカに危害を加えないように伝えよう。勿論、ミズキもね」
「本当ですか!?」
シュラーフロージィの言葉にミズキがパッ表情を明るくする。それにシュラーフロージィは笑みを称えたまま頷いた。
「本当さ、僕も出来るなら君たちと仲良くしたい。仲良く出来るならどんな助力も惜しまないよ」
シュラーフロージィの手からコウモリが飛び立つ。それはバサバサと宙を舞い、僕の角へと止まって鳴いた。
「部屋を用意させよう。2人が良かったら使ってくれ」
そう言うと、シュラーフロージィはメベーラに耳打ちをする。メベーラはそれに頷いてドゥエルを見ると、ドゥエルは何も聞かずに頷いた。
「アスカ!案内してあげる!」
「ミズキ!案内してやるぜ!」
メベーラが僕の傍まで来て僕の手を取り、ドゥエルがミズキの手を取った。
結局、僕は皿に盛ったケーキにも紅茶にも手をつけなかったが、とてもじゃないが食べたくなるような心境ではなかった。僕は促されるままに立ち上がると、ミズキは深々とシュラーフロージィに頭を下げた。
「ありがとうございます…!」
「いいえ、僕とミズキの仲じゃないか。気にしないでくれ」
ミズキの姿を見ながら、シュラーフロージィはテーブルに頬杖をつきながらクスクスと笑った。
僕とミズキの仲なんて、さっき出会ったばかりじゃないか。なんて、思ったところでどうしようもない幼稚な不満が湧き上がり、それを僕は言葉にせずに飲み込んだ。
考えるだけ無駄だ。ただの言葉の綾だろう。いちいち目くじらを立てるなんて、どうかしている。
シュラーフロージィに見送られ、僕とミズキは再び城の廊下へと出る。僕と手を繋ぐメベーラは期待したような目で僕の顔を覗き込んだ。
「ねえねえ、アスカとミズキはこれからシュラーのお城で暮らすの?」
「一緒に暮らそうよー!ここにいれば毎日楽しいよ!」
メベーラに続いてドゥエルが言う。僕はそれに何も返さず、俯いた。
彼らが僕らを歓迎してくれているのは分かる。アマネの脅威も去るのだろう。それは間違いなく嬉しいことだ。なのに、何故ここまで気持ちが沈むのか、今の僕には分からなかった。
「アスカは嫌なの…?」
隣にいたミズキがか細い声で言う。顔を上げると、ミズキが僕を見つめていた。
水色の瞳が不安で揺れているのが分かる。怯えたような、恐怖ともとれる眼差しで僕をその瞳に写している。彼女の目に映る僕の表情はいつになく不満そうに見えた。
「私と一緒に夢に残るのは嫌?だって、アスカも現実でいっぱい辛い思いしたって話してた。そんな辛い場所、帰らないで一緒にいようよ。私はずっとアスカと一緒にいたい」
「僕だってミズキと一緒にいたいよ…」
彼女の言葉に思わず僕は溜息を吐く。
一緒にいたいんだ。それは同じはずなのに、何故こんなにも寂しくなるのか。
「何がそんなに嫌なの…?アマネさんから安全を保証してもらえて、こんなお城にお部屋まで貰える。町も綺麗だったよ、私はアスカとここで暮らしてみたい」
ミズキが困ったように眉根を寄せて呟く。その表情は心底、僕が理解できないというものだった。
分からなくて当然だ。彼女が言うことは当たり前だし、僕が分からないものを彼女に「分かれ」なんて言ってはいけない。
僕は現実なんか嫌いだ。嫌いだし、確かに僕はこの口でミズキに生きていて辛かった話も全部した。ミズキにそう思わせたのは間違いなく僕なのだ。
2人で支え合って行きたい。その気持ちにお互い相違はないはずなのに、どこかが大きく食い違っている。それを明確な言葉で僕は表現出来ないでいた。
「…考えさせて。今は言葉が出ないんだ」
ようやく出た言葉はそれだった。ミズキは僕の顔を見つめたまま、口を開けたり閉めたりして、そのまま何も口に出さずに俯いてしまう。
メベーラとドゥエルは僕らをじっと見つめていたが、不意に立ち止まる。目と目で彼らは何か合図を送ると、手を繋いでいたメベーラが離れていく。それと入れ替わるように、僕の手の中にはドゥエルの手、ミズキの隣にはメベーラがいた。
「アスカ!男子の部屋だから俺が案内する!」
「ミズキはレディだから私が案内するね!」
気付くと、そこには廊下の分かれ道。双子は僕とミズキを引き離すように、互いに反対方向へと手を引いた。
「アスカ!」
ドゥエルに連れられて歩き出す僕の背中にミズキの声が降る。
「アスカが何を考えているのか、分かったら教えて」
僕は彼女に振り返り、すぐに目をそらす。どうしてもミズキの目を見ていられなかった。
「…分かった」
再びミズキに背を向けて歩き出す。ドゥエルは僕の手を引いたまま廊下を先導して行く。
ミズキとメベーラの足音が反対側へと遠のいて行くのが分かる。ミズキと出会ってから、初めての別行動だった。
「アスカ、なんであの馬鹿兎の肩を持つの?アイツ、ヤな奴だぜ~」
廊下を歩きながらドゥエルが言う。僕を見上げるその目に悪意はなく、ただ興味があるという風に見えた。
「三月兎は悪い人じゃないんだよ。誰より熱くて、仲間思いなんだ」
「でも、頭カテーじゃん。フロージィの話も聞かないで、攻撃してくる。俺はアイツ嫌い」
不満げに頭の後ろで腕を組み、ドゥエルは口を尖らせた。
確かに、この町に来てから聞いたイディオットがやったことは肩を持てない。でも、それはシュラーフロージィだって同じだ。イディオットの口から聞いた彼女の行動だって肩を持てない。
僕が見て判断出来るのは、イディオットもシュラーフロージィも、ただ自分の仲間と居場所を守りたいと思っているということだけ。それに集う人たちは皆、彼らを慕っている。慕われるだけの人柄があるのは、何となく分かっていた。
「ゲンジツがなんなのか分かんねーけど、この城にいれば毎日楽しいと思うぞ?俺は毎日楽しい!」
ドゥエルは歯を見せて笑う。その笑顔に僕は控えめに笑い返すが、返答が出来なかった。
ふと、ドゥエルの視線が廊下の奥へと向く。その瞳がパッと明るくなり、彼は僕の手を離して走り出した。
「アマネー!」
彼の口から出た名前に僕は顔を上げる。そこには出会うことをひたすらに避け続けた、僕の天敵がいた。
光のない、鮫のように真っ黒な瞳に金色のメッシュが入った黒髪をしたモッズコートの男。口に棒付きキャンディーを咥え、ポケットに手を入れてこちらを見つめていた。
僕は思わず手に持っていた傘を構える。それをアマネも見ているはずなのに、彼は身構えるでもなく立っている。
ドゥエルは僕とアマネの間を一気に駆け抜け、アマネの腹に抱きついた。
「なんでジャバウォックがこの城にいんだよ」
「このジャバウォックは殺しちゃダメってフロージィが言ってたぞ!俺もアスカのこと好きだから、攻撃しちゃダメ!」
小指で耳の輪部を掻きながら、気だるげに話すアマネにドゥエルが早口に話す。アマネは訝しげに片目を細め、口を曲げた。
「はあ?意味わかんねー、てか離れろしクソガキ」
アマネがドゥエルを抱き上げて持ち上げる。クソガキと言う強い言葉に相反して、ドゥエルの身体を持ち上げるアマネの手つきは優しい。両脇に手を差し込んで、自分の頭上にドゥエルを持ち上げるその様は、兄が弟に高い高いをするそれに見えた。



持ち上げられたドゥエルは無邪気に笑う。信じられない光景を前にし、呆気に取られた僕は構えた傘を下げた。
アマネの怪力なら子供の1人や2人は簡単に、なんなら片手でも投げ飛ばせるはずだ。それをせず、ああして持ち上げるのは間違いなくアマネが力をセーブしているからに他ならなかった。
「おい、フロージィを味方につけるとか卑怯だぞ。そんなにアマネに殺されたくねーのか、グズが。弱虫、チキン、腑抜け」
真っ黒な瞳で僕を見ながら、アマネはこれでもかと僕を詰る言葉を並べる。並べるが…子供をあやしながらでは、あまりに迫力に欠けた。
「そりゃ…殺されたい人はいないと思うけど…」
「クソかよ」
僕の返答に悪態を吐きながら、アマネはゆっくりと持ち上げたドゥエルを床に降ろす。ドゥエルは嬉しそうに笑いながら僕に振り返ると、僕へと手招きした。
「アスカもそんな離れた場所にいないでこっち来いよー!アスカの部屋もこっちだぞ!」
うわ、全力で行きたくない。頭の上に乗ったままのコウモリも同じことを思っているのか、僕の角にヒシとしがみついたまま不安げに鳴いた。
しかし、そこにアマネが仁王立ちしている限りは行かざるを得ない。幸い、今日のアマネは斧を持っていない。殴られるだけなら、頭と鳩尾さえ防げば何とかなるだろうか…。様々なシュチュエーションを頭に描きながら、僕はおずおずと距離を詰める。
「アマネが怖いのかあ?」
ガリガリとキャンディを噛み砕きながらアマネが息を漏らすように笑う。あからさまな挑発に僕は苦笑いする。
「怖いに決まってる。前に殺されかけたんだから」
僕の言葉にアマネは何故か驚いたように目を開き、口を曲げて黙る。黙ったまま、視線だけで僕の動きを追った。
一挙手一投足、一つ残らず見逃さないその視線が緊張感を煽る。ようやく彼らの目の前に辿り着くと、ドゥエルが僕の手を取った。
「こっちこっち!」
廊下の奥へと手を引かれ、アマネの横を通り抜けようとすると、アマネが再び口を開いた。
「お前はフロージィの味方になるのか?現実に帰りたくないのか?」
僕は足を止める。アマネは振り返らない。遠くを見つめたままだ。
「…分からない。でも、敵対する気はないよ」
「ははっ、クソあめぇ」
力のこもらない笑い声を上げ、彼はポケットから抜いた手で僕の肩を叩く。それは攻撃と言うにはあまりに弱く、ド突かれた程度のものだ。
彼が突いた拳の中からバラバラと袋詰めのキャンディーが散らばる。それを拾うでもなく、アマネは背を向けたままヒラヒラと手を振った。
「ゲームは継続。今じゃないけど、そのうち結果発表してもらうから、それ食って痛いの耐えれるようにしとけよお」
呆然と彼の背中を見ていると、ドゥエルが床にしゃかんで散らばったキャンディーを拾う。両手に持ったそれを僕に差し出すと、彼は満面の笑みを浮かべた。
「アマネがお菓子くれたぞ!半分はチューカイリョーとして俺が頂く!半分はアスカのだ!」
広げた両手のうちの片手をドゥエルは握りしめて引っ込める。片手に乗ったキャンディーはドゥエルのポケットに、差し出されたまま残されたキャンディーはどうやら僕の物らしい。
「…ありがとう」
アマネから貰ったと思うと、非常に複雑ではあるが、ドゥエルが好意で差し出すそれを断る理由はない。僕は笑顔でそれを受け取ってポケットにしまった。
色とりどりのキャンディーはとてもファンシーな色合いで、アマネの真っ黒な瞳からは想像がつかない。虹のようなそれだ。
アマネはお菓子をよく持ち歩いているようだが、彼にとってお菓子とはどんな存在なのだろうか。殺したい相手の口に詰め込んでみたり、子供に与えてみたり…今もこうして押し付けられている。アマネにとってこの行為には、もしかすると、何か特別な意味があるのかもしれなかった。
長い長い廊下を抜け、僕はドゥエルに案内された部屋へと辿り着く。晩御飯時になったらまた呼びに来るからと、ドゥエルはアマネにもらったキャンディーを舐めながら明るく言い放って立ち去った。
部屋は赤い絨毯が敷き詰められた真っ白な部屋。赤いベッドに小さな本棚とティーセット、書き物机。シャワーもあり、ちょっとしたホテルのような豪華な部屋だ。
僕はベッドに寝転んで天井を見上げた。シャンデリアが窓から入り込む陽の光をキラキラと反射させて眩しいくらいだ。
頭の上からコウモリが飛び立つ。バサバサとシャンデリアの周囲を飛び回る彼も、まるで夜空の星のような細やかな光を伴う。
「…キラキラ光るコウモリさん、一体お前は何してる?この世をはるか下に見て、お盆のように空を飛ぶ…」
シュラーフロージィが口ずさんだ詩を呟いた。
目を閉じて、僕は溜息を吐く。
夢から目覚めたら、間違いなく会えなくなる生き物がいた。それは、今僕の頭上で飛び回るコウモリだ。
コウモリに愛着はある。短い間だがずっと共に旅をしてきたのだ。言葉は話せずとも、僕はコウモリを可愛がってきたつもりであった。彼と会えなくなるのはとても寂しい。
「…君は、僕やミズキが現実に帰ったら寂しいかい?」
シャンデリアに止まり、逆さまにぶら下がるコウモリに尋ねる。コウモリはただジッと僕を見つめていた。
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