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6章
3 パーティの終幕
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3.
「僕の仕組み?」
帽子屋が首を傾げる。
僕やアマネ、偽物の双子たちの視線が集中する中で、イディオットは頬から伝う血を拭いながら、口の端を上げた。
「お前は人の心が分からないから、意思や気持ちで強さが変わるこの世界でも、他人をコピーしたところで劣化品しか出せないだろ。だから、戦闘となればこの場にいない人間ばかりをコピーするんだ。違うか?」
彼の言葉に、ずっと笑顔だった帽子屋が珍しく真顔になる。その表情からは、良い感情は読み取れない。
イディオットはそのまま話を続けた。
「どう考えても、この世界にいる人間で戦闘力として換算すれば、主力になるのはアマネとアスカだ。なのに、お前はアスカを前にした時にアスカのコピーは出さず、アマネが来たらアマネのコピーも消したよな。本人を前にした時に、コピーが勝てないって分かってるから出さないんだろ」
彼の言葉を聞いて、僕は今まであったことを思い出す。
言われてみれば、戦闘となった時に帽子屋は1度たりとも本人の姿にならなかった。唯一、目の前の本人に変幻したとすれば、ミズキを僕の姿でそそのかそうとした時にだけだ。
アマネと帽子屋が戦った時も姿こそアマネと変わらなかったが、厳密に言えばあれはアマネではなく、アマネの父親のコピーだ。イディオットの推察は鋭いように思えた。
「なんだよ、ビビってんのかあ?」
アマネがニヤと笑うと僕の方を見て、僕の肩を軽く小突く。振り返ると、彼は僕の耳元に顔を寄せ、こしょこしょと小声で話しかけてきた。
「おい、アスカ見とけよ。腹立つ人間にやる煽り方見せてやるから」
「煽り方って…」
一体何をする気かと思いきや、アマネは帽子屋に中指立てを立てて舌を出して笑った。
「強い手札でしか戦えないチキン野郎!首を切り落としたら丸焼きにしてやる!」
彼の口から飛び出して来たのは幼稚なようで、微妙に頭を使いそうな挑発だ。呆気に取られてもいる僕の隣りで、アマネはヴォーパルの剣を帽子屋に向ける。
「どーせお前の頭、ウジ湧いてんだろお?ダラダラ喋ってたって時間の無駄。強い手札が欲しいってんなら、さっさとあのクズ野郎を出せよ。アマネはもう負けない。アマネはアイツを超えるんだ」
クズ野郎と言うのは、アマネの父親を指すのだろう。口を一文字に結んだ帽子屋は、ただ黙って僕らを見つめていた。
「おい、あまり無闇に挑発するな」
「ダメなんだよ」
アマネの挑発にイディオットが口を開くと、アマネは帽子屋を見据えたまま言った。
「現実に帰る前に、ここでクズ野郎と決着つけなきゃダメなんだよ!アイツの首が手に入ったら、初めて村を凱旋するって決めたんだ」
ニイと歯を見せて笑うアマネの瞳は、初めて見た時と違って月明かりでキラキラして見えた。深海を泳ぐ鮫のような、吸い込まれそうなほどに絶望を飲み込んだ深淵さながらの黒ではない。年相応の少年が見せる希望が宿った、明るい茶色の瞳だ。
彼が帽子屋にこだわるのは、自分が現実と向き合うためだったのだ。あれだけの恐怖と怪我を体験してなお、彼は立ち向かうことを選んだ。
その姿を見ていて、僕は無意識に口元で笑みを作っていた。彼が眩しくて悔しかった。でも、それは嫌な気持ちではない。悪友に出し抜かれたような、笑ってしまいたくなるような、限りなく憧れに近い感情だ。
「…負けてらんないな」
僕も傘を帽子屋に向ける。帽子屋を囲む双子のうちのドゥエルがそれに合わせて僕に銃剣を向け、睨み合う。
僕も自分の母親を前に日和っていたら、現実なんかに帰れないだろう。ここで僕は彼女から掛けられた呪いを解かなくてはならない。
自分は世界に疎まれていて、母に望まれず、何もかも出来損ないな人間だと。母の愛も期待も受け止めきれない愚かな子供だと。そう思い込んできた僕を巣食う呪いをここで切り落としていくのだ。
帽子屋は黙って僕らを見ていたが、ふうと溜息を吐いて肩を竦めた。
「…なんか僕が悪者みたいに言うけどさ、よってたかって僕を悪く言う君たちはどうなの?そもそも、僕の作る幻影が弱いなんて言ってないじゃないか。決めつけないでよ」
「じゃあ、何故出さない?世界の主力が今ここに揃ってる。出してみて、戦ってみればいいだろ」
腕を組んで、イディオットが鼻で笑った。
恐らく、コピーが弱いことを見越して本人と本人のコピーでの戦いに持ち込む気なのだろう。コピーが本人に戦力では敵わないことが確定しているならば、確かにそれは僕らにとって勝ち戦以外の何ものでもない。
確かにコピーのアマネは弱かった。前に本人と戦った時に比べれば、なんて事のない強さ。僕が倒せるのだから、アマネが自分のコピーと戦えば消し飛ばせるだろう。
帽子屋は明らかに不満そうに口を曲げるが、わざとらしいくらいに大きく嘆息してから口を開いた。
「全く、注文が多いなあ…。それなら、村人さんと三月兎さんの注文どっちも取ってあげる。でも、三月兎さんには特別ゲストを呼ぶよ。それでもいいかい?」
特別ゲスト。それが意味することは、ここまで来れば誰にでも分かるだろう。
帽子屋の一番恐ろしい力はトラウマの再演だ。イディオットの心に傷を負わせた何かに変幻するということなのは、言わずもがな理解出来る。
イディオットはそれに対して、眉間にしわを刻んだまま口の端をつり上げて笑った。
「どんなゲストでも好きに呼んだらいい」
「分かった、じゃあパーティを仕切り直そうか」
帽子屋は薄い笑みを浮かべて、自らの帽子を指先でくるくると回して、指先で弾くように投げる。帽子を投げた手を天高く掲げたまま彼はそのまま指を鳴らした。
パチンと弾く音と共に、アマネの前には彼の父親、僕の前には僕の偽物が地面から生えるように姿を表した。
「ぶっ殺す!」
一番最初に声を上げたのはアマネだった。彼はヴォーパルの剣を手に、彼の父親の元へと地面を蹴りあげて飛び込む。彼のそれを父親はタバコを口にくわえたまま、斧で軽く受け止めた。
アマネの父親の足元から白い薔薇が咲く。それが甘い香りを発するより先に、アマネはそれらを足で蹴散らした。
「知ってるかあ?アマネのパパは斧なんか使えねえんだよ」
棒付きキャンディをくわえたまま、アマネがニィと笑った。
「この世界で一番つえーのはアマネだクソボケ!」
アマネがヴォーパルの剣で父親の斧を弾いた。ビキビキと高い音を立て、彼の父親の斧にヒビが入った。
「余所見ばっかりしてて、相変わらず役立たずだな」
うっかり見入ってしまうアマネの戦いぶりを見ていた横で、もう1人の僕が呆れたようにため息を吐いた。
「主力になんて数えてもらっちゃってるけど、自分には荷が重いとは感じないの?偉そうなことばっか言って、いつもいつも口先だけ。お前が役に立ったことあんの?」
もう1人の僕の口から出てくる言葉は、驚く程に僕が常に自分に対して吐いていた言葉ばかりだ。
トラウマの再現などなくても、十分な不快に感じた。
「言われなくても、自分の配役に自分が見合ってないことくらい分かってるよ」
「分かってるって言うやつこそ、分かってないんだ。そんなんだから成長しない。お前はお節介で傲慢で、人に意見を押し付けてばかりのロクデナシだ。父親に良く似たな」
反論すると、僕の偽物は辟易した顔で反論の何倍もの罵倒をする。
「お前なんかが息してていいと思ってんのか?さっきまで幻想に惑わされて、恩人の顔すら忘れそうになっていたくせに!」
もう1人の自分が大剣を構えてこちらに駆け出してくる。僕はそれを剣で防ぐ。鈍い金属音が響き、手にビリビリとした振動が伝わってくる。
彼は嘲笑するような、それでいて心底僕を嫌悪するような眼差しで僕を笑う。
「恩を返す気があるならさっさと動け!怯んでんじゃねえ!何もしないでいいほど周囲は甘くないんだ!周囲の顔色伺って、ゴマすってるくせに!出来損ないの不良品!さっさと死ね!お前なんか生きてるだけで周りが迷惑するんだよ!」
彼の言葉はどれも、どこかで聞いた事がある。その冷たい眼差しも知っている。
人には怒ることも出来ない僕の怒りの矛先は、いつだって自分だった。誰にも言わないような汚い言葉で僕は自分を詰って責め立てて、僕が動けなくなると自分はそんな僕を嘲笑い続けてきた。
ここにいるのは確かにもう1人の自分だった。僕のことが大嫌いな、いつも心のどこかにいる自分そのもの。
ギリギリと大剣で鍔迫り合いをしながら、僕は彼の剣を弾いた。力はほぼ同格。互いに一歩下がり、今度は僕が大剣を横に薙いだ。
もう1人の自分がそれを切り上げて否す。生まれた小さな隙に僕は彼に向けて腹に蹴りを入れた。
それを彼が傘を開いて防いだ。弾力のあるそれに身体が押し返され、僕の足元のバランスが崩れる。
「早く返せ!返せ返せ返せ返せ返せ!!みんなから貰った恩を返せ!まだまだ足りない。どんなに尽くしたって足りない!だから、早く機嫌を取って、相手の気分が良くなるまで恩を返せ!早く!」
バランスが崩れた僕を見て、彼は傘の銃口を僕に向ける。それらは7色の弾丸を吐き出し、僕に向かって飛び込んできた。
恩返し。確かに僕はずっとそれにこだわってきた。いつだって母親に請求され続けるそれを、僕は返し続けないと自分の存在が許せなかった。
だから、みんなにもやる。みんながくれた愛情を、恩と感じた。そうでもなければ、僕に愛される資格などない。愛される価値が僕にはないと自分が思っているから。
だけど、もう一人の自分を前にして、ようやく僕は気付く。その恩返しって一体いつまで続くんだろう。きっと僕が死ぬまで続く。死ぬまでやるのか?出来るわけがない。
死ぬまで恩返しを続けなくてはいけないと、請求を続けているのはもう母親などではない。その言葉の呪いを引き受けた自分自身が請求しているんだ。頭の隅で自分を詰りながら、恩返しをしろと叫んでいる。
「…返さないよ」
僕は翼を羽ばたかせて体勢を整え、そのまま上空へと舞い上がる。ホーミングしてくる弾が追いかけてくるのをやめるまで、僕は上空を駆けた。
弾丸が弾け飛ぶ。散り散りになるその弾は火山灰のような白で、燃え尽きた粉塵となって宙に消えた。
「恩返しなんかやめたんだ。恩返しって、ずっと借金取りに追われているみたいじゃないか。だから、僕は色んな人から貰ったものを、ちゃんと受け取ることにしたんだ」
ミズキが無償で注いで甘やかしてくれた愛情を、イディオットがくれた体罰を伴わない厳しい愛情を、アマネが僕に向ける敬慕も、全部恩かと言われたらそうじゃない。彼らは自らの意思で僕にその気持ちを向けてくれたんだ。
受け取らないなんて、そんな失礼なことは出来ない。僕は彼らのことが大好きなのだから。
上空から見下ろすと、アマネが父親と戦っている姿が見えた。アマネは父親の攻撃に怯まずに挑み続けている。父親の斧は砕けて地面に落ち、バタフライナイフでアマネの攻撃を凌いでいた。
相手から斧を奪っただけで、かなりアマネにアドバンテージがある。前と違って優勢を保っているのが、どうにも嬉しくて僕は笑った。彼の父親は、彼の脳内のもの。それこそ、アマネが自分に自信を持っただけ、父親の幻影は弱くなるのかもしれない。
一方で、イディオットの傍には大量の白い薔薇と見知らぬ女性がいるのが気がかりではあるが、彼の身体には薔薇は咲いていない。それなら、まずは僕は目の前の自分を対処しなくては。
不意に凄まじいスピードでもう1人の自分が上空へと登り、僕に切りかかった。
「お前が先導して、みんなの未来がぐちゃぐちゃになったら、どう責任取る気だ!今までのみんなの気持ちを無碍にする気か!」
剣で彼の攻撃を受け止めると、彼が剣で競り合いながら叫んだ。鼓膜がビリビリするほどのドラゴンのような怒号が鼓膜をビリビリと震わす。
「お前は無責任だ!周囲から託された色んな未来があったのに!親から大金を払わせても何も成せなかったのに!ここまで来て、傍にいてくれる人たちの気持ちさえ貰って何も成さない気なのか!お前はいつだって、色んな人の未来も自分の未来もドブに捨てるんだ!」
「そもそも、僕は色んな人の未来を左右するような人間じゃないんだよ」
彼の叫び声に鼓膜が高い音を立てていた。静寂のように周囲の音がこもって聞こえる。その叫びは何度も聞いたことがある気がした。
たとえ鼓膜がなかったとしても、彼の言葉は耳が痛い。何度も屈してきた自分自身への怒りそのものだ。
「確かに僕の未来を捨てたのは僕だ。叶えなかった未来は誰かの期待だったのかもしれない。でも、その期待は誰かが勝手に僕に乗せたものだ。僕がされたくて、されてるんじゃない。今からも未来は沢山あるし、人の未来は僕が選択するものじゃない」
親が僕に大金をつぎ込んで託した未来なんて1つも叶えられなかった。たくさんの期待を裏切って、多くの人が僕に失望したし、僕自身も色んな夢を諦めてきた。
高学歴、高収入、人に誇れる職業と、親が誰に紹介しても恥ずかしくない僕のパートナー。どれも親の夢で、どれも叶わなかった。
僕は代わりに大好きだった短距離走も、水泳も、小説家になることも、漫画家になることも、男性になる未来すらも捨てようとした。親が僕の夢を許せなかったのもあるだろうが、それらを諦めると選択したのは他ならぬ僕自身だ。
だけど、僕に自分勝手な夢を乗せた母親が、僕のせいで華やかな未来がなくなったと言うのは違うだろう。
それは、僕にも言える。ジャッジに救われ、イディオットから学び、ミズキに癒されて、アマネと戦って、フロージィや双子たちと和解ができた。彼らは今の状況を喜んでくれているが、誰かのための恩返しで僕がしたことじゃない。僕がやりたくて選んだ先に今があっただけ。
彼らも僕のせいで選択を変えざる得なかった、とは言わないだろう。みんな自分が選んだのだと言うだろう。僕の存在など、誰かを動かせるような大層なものじゃない。僕が背負うべき責任などそこにはない。
それでいいんだ。
「僕は自分の未来を今から創るよ。みんながそれぞれに選択した未来に拍手を送るんだ。恩返しなんかやめだ!僕はみんながくれたものを、ありがとうって喜んで目いっぱい貰うよ!渋々と恩を返される方も、返す方も大変なだけなんだから!」
受け止めた剣を弾き返す。空中でもう1人の自分がグラついた。そこに僕は剣を空にかざす。
ジャバウォックの最大火力は想像力。想像さえできれば、何だってできる。ミズキがくれたたくさんのアイデアも、翼も、全部僕の火力にする。
空中に半透明の小さなナイフが無数に現れる。剣を薙ぐと、それらはもう1人の自分へと飛んで行く。
彼は翼を羽ばたかせ、それらのナイフを吹き飛ばそうとする。だけど、そんなので吹き飛ぶようなナイフじゃない。僕が創ったんだ。そんなヤワな作りになんかするものか。
向かい風に怯むことなく、ナイフは狙った先へと飛び込み、彼の翼や腹にナイフが刺さる。口から血を吹き出しながら、彼は呻く。口の端からボタボタと垂れる血液は、まるで頬を伝う涙のようだった。
「そんなの…そんなの違う!お前の人生は誰かに奉仕することだろう!恩返しさえできない俺を憎んでいたのは、お前だったじゃないか!みんなが笑ってられるように、その場しのぎにヘラヘラしてたくせに…今更なんなんだよ!」
ビリビリと空気が揺れるその叫びはもはや慟哭に近い。思わず耳を塞ぐと、彼は傘を構えて僕に銃口を向ける。
「お前、誰なんだよ!俺の辛さも、悲しみも全部全部置き去りにしていったくせに!俺を置いてどこに行く気だ!殺してどうするんだよ!俺はお前なんだぞ!」
腹を押さえたまま唸る彼は怒りに歪んだ酷い顔をしている。醜い。母親によく似た顔をした彼は、ずっと辛かったのかもしれない。
窮地に追い込まれた野良犬にも勝る、どこにも寄辺がない獣のような唸り声を上げている彼に僕は首を横に振った。
彼を、自分を、ここまで追い詰めたのは間違いなく僕だ。僕が自分をずっとおざなりにしてしまったから、自分の気持ちを置いてけぼりにしていったから、彼はここまで醜くなってなお、吠え続けるのだろう。
殺せない。僕は剣を下ろす。
このまま彼にとどめを刺したら、僕は自分の気持ちの一部を本当に殺してしまうと思った。これだけ怒りをため込んだ自分の声を無視してきたのは僕だ。今だって正論で押し込めて、殺そうとしたんだ。
「…ごめん」
僕は彼に言う。それ以外に言葉がなかった。
怒りは醜いと思っていた。いつだってその感情を僕に向ける人々は恐ろしくて、その感情を孕んだ両親は醜かった。だから、僕はそうなりたくなくて。そうならないためには、怒ってはならないと思っていた。
僕は自分に向かってこれだけ怒っていたのに、よくそんなことを思ったものだ。
「僕たち確かに生きづらかったよね。わかってあげられなくて、本当にごめん」
帽子屋が僕にだけ自分のコピーを宛がったのは、僕にとって母親の次に驚異に感じているのが自分だったからじゃないだろうか。
もう1人の自分の身体にできた傷は癒えない。驚異的な治癒能力を持つはずのジャバウォックの配役を抜いた僕は、僕が思う自分自身はこんなにも弱い。僕の意思が弱いから、僕のコピーはこれほどまでに脆弱だ。
アマネのように、イディオットのようには、僕はなれないのだと彼の身体から滴り落ちる血液を見て再認識する。
この世界に来たばかりの僕から、今は随分とかけ離れた場所まで歩いて来た。少しは強くなったと思っていた。でも、その強さは自分の一部が叫んでる声を無視してきたからじゃないだろうか。痛いことも辛いことも無視してしまえば、怪我に気づかないで済むんだから。
強くなっていると思い込んで本気で迎撃したのに、治ると思い込んでいた彼の傷はまるで癒えない。
「何がごめんだ!俺はずっと生きづらいって言ってきたのに!お前がずっと耳を塞いできたくせに!今更なんなんだ!」
身体に刺さったナイフを抜かないまま、彼は僕に傘を向けて弾丸を放つ。彼が銃撃を放つ。それをどうしようかと迷っている間に弾丸は僕の肩を撃ちぬき、肩を貫通する。抜ける瞬間に爆発して肩の後ろを粉砕し、肉が飛び散った。
鋭い痛みで飛行が乱れ、僕の身体がグラつく。彼は村人でも何でもないのに、彼に負わされた怪我はすぐに治癒しない。
僕が彼に対して、申し訳なく思っているからだ。力でねじ伏せることに抵抗があるから、勝ちたいと思えないから、怪我が治らない。
「あなたの言葉にずっと耳を傾けていたら、僕は歩いて行けなかったんだ。僕は人に怒りを向ける人になりたくない」
「だからって、俺だけを悪人にする気か」
銃口を僕に向けたまま、彼は唸る。
「じゃあ、俺たちの怒りはどこへ向かえばいいんだよ!理不尽だって言ったらダメなのか!気持ちの悪い愛情を嫌だと言えなかったら、どうしたらいいんだよ!なんで人から受け取る怒りだけ受け止めて、俺たちが怒ることをお前は許してくれないんだ!」
赤黒い軌道を描いて、7発の弾丸が僕の元へと飛び込んでくる。僕はそれを剣で弾くが、弾いたその場で爆発する。剣が爆発でビリビリと震え、飛び散った火花で僕の肌が焦げた。
「そんなこと言ってない!怒ってる時だってある!」
「人のためだけ、だろ」
僕の言葉を遮るように、彼は再びトリガーに指をかけた。
「お前が怒りを表面に出すのは、いつだって他人の怒りに同調出来る時だけだ。俺のために怒ってるんじゃない。恩返しの一貫だ。俺たちから恩返しと奉仕を抜いたら、一体いつ俺の声をお前は聞いてくれるんだ」
僕が怒るのは、誰かのためだけ。そう言われて、僕は何も返せなくなる。
そうだ。確かにそうだ。誰かのために怒っているのは、僕が醜くなっていいという免罪符があるからだ。
「何も言い返せないだろ」
もう一人の僕が泣きそうな顔で笑った。
「だから、恩返しをやめたりすんじゃねえよ!それがなくなったら、俺の怒りはどこにも昇華されない!下手な自尊心持ちやがって!俺たちの人生めちゃくちゃだ!出ていけ!今すぐに消えろ!」
彼は口の端から血を流しながら怒鳴り散らすと、トリガーを引いた。
剣で防ごうかと思ったが、僕は剣を下ろす。もう防御なんて出来ないと思った。
自分を傷つけたのは僕だ。もうこれ以上はただの自傷行為にしかならない。
誰も分からない彼の苦しみを受け止められるのは、彼自身でもある僕だけだった。ずっと受け止めてこなかった。それなら、今からでも受け止めなくてはならない。防いで無視して、なかったことにするんじゃない。真っ向から痛みを分かち合うしかないだろう。
赤黒い軌道を描く7つの弾丸が僕の肩や腕や腹へと突き抜け、背部で爆発を起こす。腹を射抜いた弾丸の熱が体内でせり上がり、火炎が喉を上るような激痛が走る。胸が抉られるように傷んで呼吸が上手く出来ない。
言葉にならない潰れた呻き声が自分の口から血と共に漏れる。あまりの痛みに翼から力が抜けて、空が回るように僕の身体が落下した。
下にあった木の上に落ち、バキバキと音を立てて小枝が僕の身体の重みで次々に折れていく。枝のおかげで勢いは殺せたものの、地面に背中から落ちてバウンドすると、衝撃で呼吸が止まった。
アマネの父親と戦った時と全く違う。村人以外の配役からのダメージをほとんど受け付けないはずなのに、もう1人の自分から受けた怪我はアマネに匹敵するほどに痛い。焼け付く息で喉が裂かれたみたいだ。どうにもならないその痛みに、僕は自分の喉を掻きむしる。
「こんなに大勢を巻き込んで、どうすんだよ!」
上空からもう一人の自分が剣を構えて、落下よりも早いスピードで滑空してくる。勢いを殺さずに自分の胸を貫かれ、僕の身体が地面に縫い付けられる。
心臓が跳ね、脈が飛ぶ。鈍い悲鳴が自分の口から上がり、胸に刺さった大剣を抜こうとするが、視界がグラグラして遠近感が掴めない。脈拍が異常な速度に上がり、酸欠のようにボヤける視界の中で、もう1人の自分は僕の上に跨ってギリギリと歯を噛み鳴らしていた。
「お前が好き勝手に動いたせいで、こんな争いが起きてんだ!これでみんなが幸せになれなかったら責任取れんのか?責任取れなかったら、みんなが俺を指さして言うんだぞ。お前がいなかったら、こうはならなかったんだってなあ!!」
怒鳴り散らす彼の口からボタボタと血が溢れ、僕の顔に降りかかる。まるで手負いの獣だ。
彼の言葉は僕が自分に掛けてきた呪詛であり、どれも現実の母親や周囲の人間たちに言われてきたものばかりだ。
彼は、僕は呪われてる。恨んでいるんだ。何もかもが嫌で、自分さえ愛せなくて、怖くて、苦しくて、自分を追い詰める全てから己を守るために怒るのだ。
急激に上がったはずの脈拍が落ちていく。気が遠くなるような酩酊感。痛みが薄れて、もはや気持ち良くすら感じるような浮遊感が身体を支配する。
「…話、聞かなくて…ごめん…」
僕は唸り声を上げ続ける彼に手を伸ばす。涎と血液に塗れて怒り散らす彼は酷く醜い。伸ばした手に落ちる彼の体液は生暖かくて、ベタベタしていて、身の毛もよだつ程に汚らしい。
でも、その汚い部分をずっと見ないふりで通してきたんだ。見なくちゃいけない。触れなくちゃいけない。
彼の、自分の頬に手を当てると、見飽きるほど鏡で見てきたその目からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「もう、無視しないから…戦うのやめよ、うよ…」
怒っている自分を醜いと、そう言い続けたのは僕だ。これは僕が彼にかけてきた呪い。自分さえも僕を傷つけてきたことに気づかないでいた。むしろ、自分だったからこそ、傷つけていいのだと思っていた。
自分を傷つけても誰も怒らないから。自分なら殺したって罪には問われないから。だけど、傷つけられたら誰でも怒る。理不尽だと彼が叫んできた仕打ちを、僕はずっと何も理不尽ではないと思っていた。
「本当に、ごめん。僕は、自分を好きになりたくてやってきたつもりだった、んだ…」
「俺を傷つけて、お前は自分を好きになれるのか」
「好きに…なれないや…」
彼の言葉に僕は苦笑いする。
こんなにボロボロで怒りに任せて怒鳴り散らす自分を目の前にして初めて知った。自分のことを醜いからって、ここまで追いつめて傷つけるのは、僕が嫌う母親と何が違うだろう。
何も違わない。全部一緒だ。僕はどうしてそれに気付かなかったんだろう。
「こんなに追いつめているなんて、怒ってるなんて、気付かなくてごめん…ちゃんと次から話を、聞くよ。あなたの声は、僕しか聞けないんだから」
僕の言葉で怒りに歪んだその目が、見開いたまま痙攣するように震える。眉根が寄り、眉間に皺を寄せた彼は首を横に振った。
「…誰も俺のことを守ってなんてくれない。お前はいつだってそうだ」
「守るよ。もう、耳を塞いだり、無視したりしない」
耳の奥で嵐のようにごうごうと聞こえていた耳鳴りが少しずつ静かになる。肩に空いた銃痕が少しずつ癒え、喉からまともな声が出た。
ぐちゃぐちゃになっている自分の顔はひどく汚いが、あんまり汚くて、人間臭くて笑えてきた。
「たくさん傷付けてごめん。だから、今日からやめるし、次から辛いことがあったら痛み分けしよう。あなたの話にもちゃんと次から耳を傾けるから」
ちゃんと耳を傾けてあげれば良かった。毎日みたいにずっと僕の中で彼は怒って叫んでいたのに、耳を塞いでいた。
周りに大事にされたいと願ったくせに、僕自身が大事にしてなかった。そんなの、周りに大事にされたって自覚できるわけない。
僕が笑うのに釣られて、もう一人の自分が口の片方だけ上げて、吐き捨てるように笑った。
「なら、次からはちゃんと怒ってくれ。俺の分まで」
皮肉っぽく、それでもどこか安心したように彼は目を閉じる。
僕の胸に刺さった大剣が、刃先から白い薔薇に変化し、やがてそれはもう一人の僕を覆い隠すように咲き乱れる。それは破裂するように空気中に散ると、風に舞って霧散していった。
胸の中に残った血液の塊を唾と一緒に地面に吐き出し、咳き込みながら立ち上がる。身体中についた傷がみるみると癒えていく。どこかへと消えていく薔薇の花弁を見送りながら、僕は深く息を吐いた。
消えるとは思っていなかった。あれは僕のコピーであり、僕の意志を反映するものだとは思っていたが、所詮は帽子屋が見せる変幻だ。正直、説得でどうこうできるものではないと思っていた。
それでも、自分の叫びを無視して殺すのは違うと思った。殺してしまうと、もう戻れない気がしたのだ。彼の言っていることは、もっともだった。
怒ってはいけないなんて、そんなことないのだ。僕にだって感情はあるとミズキだって言っていたのに、僕が自分の感情を殺していた。それじゃ世話ないだろう。僕はもっと、自分のために怒っていいのだ。怒りを醜いと蓋する必要はない。
しかし、僕が殺さなかったもう1人の自分はどこへ消えたのだろう。
「随分時間かかってんなあ。もっと早く仕留めろし。アマネはとっくに倒したぞ」
背後から聞こえた声に振り返ると、そこには倒木に腰を降ろしたアマネがガムを噛んでいた。くちゃくちゃとそれを噛み鳴らしながら、彼は自分の片手に持っているものを僕に掲げて見せる。
「うわ…」
もうモザイク処理をお願いしたい有様の生首だった。思わず声を上げて後ずさるが、よく見れば地面に切り離された胴体が落ちている。
でも、それが意味するのはアマネの勝利だ。じわじわと湧き上がる喜びに笑みを浮かべると、アマネも口の端を片方だけ釣り上げて、息を漏らすように笑った。
「勝ったんだね」
「花の匂い嗅がなきゃよゆーだし。攻略方法が分かったボス戦なら負けるわけねえじゃん」
そう言う彼の手に握られた生首が、先程見たのと同じように白い花弁になってバラバラと風に舞って消えていく。切り離された胴体も一緒になって消えていくのに気がついて、アマネが勢いよく立ち上がった。
「はあ!?この首ねえと凱旋できねえじゃん!クソかよ」
「その首は多分、見せても誰も喜ばないからアマネ単体で凱旋したらいいと思うよ」
首を持って凱旋するのは確かにジャバウォックの詩にある通りではあるが、彼の手にあった言葉で表現するにもエグすぎてはばかられるような生首を持って村に行ったら、村人たちの一生物のトラウマを間違いなく増やすだろう。花弁となって消えてくれて良かった気がする。
そんなこと考えてから、僕は思い出す。
「イディオットは!?」
こんなところで談笑している場合じゃないし、アマネも何をぼんやりとしているのだ。慌てて声を上げる僕に、アマネは退屈そうに自分のさらに背後を顎でしゃくった。
「あのオッサンなら大丈夫そうだぞ。アスカも見てれば?」
「見てればって…」
アマネの背後にある木から奥を覗き込むと、そこには本当にイディオットがいた。彼の目の前には見たことのない女性…それも老婆が立っている。彼らを囲むように白い薔薇が咲き乱れ、甘い香りが充満していた。
きっとイディオットは幻影の真っ只中にいるのだろう。それならば、一刻も早く助けなくては。
彼の元へ行こうとすると、アマネに腕を掴まれて引き戻される。驚いて振り返ると、アマネは先ほどまで首を切り離された胴体が転がっていた地面を見つめたまま静かに口を開いた。
「帽子屋は人数分だけ変幻すんだろ。だけど、アマネがパパを殺しても、アスカが自分の幻影を納得させても、代わりが出てこない。なんか上手くいってんなら、そのままにしとけ。またワラワラ出て来ても困んだろ」
そう言われてみれば、今までどれだけ幻影を相手にしても決して相手の人数が、こちらの人数以下になったことはなかった。幻影たちは次々に姿かたちを変えて戻ってきたはず。それが今はないのだ。
「完全攻略にリーチ掛かってるかもしんねえのに、下手に手を出して無駄になったらアマネは悔しい。だから、お前も黙って見とけ。オッサンが死にかけたら、アマネが助けてやる」
中身は若干9歳とは言え、さすがこの世界で何年も頂点に君臨しているだけある。彼の洞察力は信用に値するだろう。
「わ、分かった…」
まだ迷いが捨て切れないものの、僕は小さく頷いた。すると、アマネはまるで観客席に招くように、隣に座るよう自分の隣を叩く。
アマネと背中合わせになるように斜め隣に座る。人が戦っているのを見守るだけなんて、どうにも冷や冷やするが、こればかりは仕方ない。
イディオットは目の前の老婆と何やら談笑しているようだ。眉間に皺を刻んだままだが、驚くほど穏やかな笑みを浮かべている。
甘い香りが鼻をくすぐる。ぼんやりと見えてくる幻影は、どこかの古い民家のように見える。
よくある日本特有の瓦屋根がある大きめの家。縁側の先には綺麗な花が咲き乱れ、夏の青い空が上空に広がっている。
ジージーとセミが鳴く。日が暮れかけた赤い日差しの中で、老婆はイディオットの手を握る。
「また喧嘩してきたのかい。あんまり人を殴っちゃダメだよ」
「悪かったと思ってるよ」
老婆にイディオットが落ち着いた声色で返す。老婆はしわしわの顔を更にしわしわにして笑う。本当に優しくて、穏やかな笑顔で、その包容力を感じさせる雰囲気はどことなくイディオットに似ているような気がした。
「そんなにお医者さんになりたくないなら、私からもちゃんと止めるよ。いつも止められなくてごめんねえ。あなたにはあなたの夢があるでしょう?」
「いいんだ。婆さんは止めに行くな」
「でも、本当はバスケットボールがやりたいんでしょう?」
彼女の言葉にイディオットの顔が歪む。困ったような、悲しむような、今まで僕が見たことがない表情で彼は目を閉じる。
彼は現実では外科医をやっていると聞いたが、話を聞く限りでは、彼はそれを望んでいなかったように聞こえる。それも、喧嘩だとか物騒な話まで出ているあたり、イディオットは非行に走ってまで拒絶している。
僕の目から見えるイディオットは、もうとうに中年に入った大人の男性だが、会話内容からだと学生…中学から高校にかけての出来事に思えた。
「明日にでもお父さんを止めてあげるから、やりたいこと頑張んなさい」
「行くな!」
優しく微笑んで、家の中へと向かう彼女の手をイディオットが引き戻す。驚いたように老婆は目を丸くしてイディオットを見つめるが、イディオットは目を伏せたまま首を横に振った。
「行かなくていいんだ。俺が悪かったんだ。だから、どうか…行かないでくれ」
「何が悪いものですか」
手を握られたまま、老婆は微笑む。
「アタシだって、あなたのおばあちゃんなのよ。あなたのお父さんのお母さん。お父さんを止められなくちゃ、アタシは死んでも死にきれないよ」
彼女の言葉と同時に、突然周囲が真っ暗になる。不意にテレビ画面らしき四角いモニターが彼女の背後に現れ、そこにはニュースキャスターの姿が映し出される。
「昨夜、72歳の女性が自宅のベランダから転落する事故が起き、女性の死亡が確認されました。事件当日、家の中から言い争う声がしたとの証言があり、現在警察では親族に詳しい事情を…」
ニュースキャスターの声を皮切りに周囲に次々にモニターが現れる。それを見上げ、イディオットは目を見開く。
「この近所では有名なお医者さんのお家だったから、驚いたわ。まさかご家族に暴力を振るってたなんて」
「揉み合いの末にベランダから落ちてしまったんだろ?それって本当に事故かなって」
「お孫さんも素行が悪いって近所では有名な話」
「うちの子が被害者女性のお孫さんに殴られたことあるのよ。血は争えないわねえ」
モニターに映る人々が口々に喋り出す。
その中心に立つ老婆にはそのモニターが見えていないのか、彼女はただ柔らかく微笑んでいた。
「アタシはずっとあなたの味方」
「ああ、ああ…知ってる。知ってるよ」
イディオットは彼女の前に膝をついて屈むと、腰の折れた彼女をそっと抱きしめる。
「本当に悪かった。あの時に俺が親父に逆らわずに、さっさと勉強すれば良かったんだ。どうせ医者になるくせに、婆さんが味方してくれたのに、俺はずっと文句ばかり言ってきた」
「いいんだよ。アタシで良いならいくらでも話くらい聞くさ。お父さんを止められなくて、本当にごめんねえ」
イディオットの背中を優しく撫でながら、彼女は申し訳なさそうに笑った。
「歳を取りすぎてしまったねえ。あなたが選手になっている未来が見たかった。やり直したいねえ」
彼女の言葉にイディオットの動きが止まる。何かを考えるようにイディオットが口を開き、閉める。肩だけが呼吸で上下し、沈黙を置いてからようやく彼が小さな声を発した。
「そうだな…やり直したいな」
白い薔薇がイディオットの足元を侵食する。飲み込まれるのではないかと僕は思わず腰を浮かせる。
しかし、薔薇は彼の足元で止まる。彼の身体までは侵さない。それを見て、僕は立ち上がることをやめる。
まだだ。アマネが動かないのも、きっとそう感じるからだ。
「アタシとやり直さないかい?」
優しい声で笑う老婆に、イディオットは困ったように眉根を寄せて笑い、彼女の肩に手を両手を置いた。
「ありがとう。だけど、もう充分だ。俺はやり直したいことを、今ここでやり直せたよ」
彼女の手を握り、彼は祈るように自らの額に手を当てる。
「ずっと謝りたかった。授業をフケて遊び回って、クラスメイトを殴ったりして、必要以上に心配をかけた。親父を止められない婆さんに心無い言葉を沢山言ったことも、婆さんが死ぬ直前まで責めたこと…本当にすまなかった。ずっと俺の味方でいてくれたのに、ありがとうのひと言も言えなかった」
「それだけじゃないだろう?もっとやり直したいことがあるじゃないか」
「ああ、沢山あるよ。悔やんでも悔やみきれないことが本当に沢山ある」
イディオットはゆっくりと首を横に振る。
「でも、俺は婆さんが死んだ後で自ら医者になる道を選んだ。婆さんの怪我を治せなかった己の無力さが、ここまで俺を強くしてくれたんだ。だから、もう他にやり直す必要はない。他にやり直したいことは、これから先で掴み取る」
白い薔薇が地面から剥がれるように上空へ散っていく。まるで桜吹雪のように消えていく老婆は優しく笑ったままだった。
「ありがとう」
イディオットの言葉に、彼女は顔をしわしわにして笑う。消え去った薔薇の花弁の中、一つだけ取り残されたのは帽子屋が被っていたシルクハットだ。
「…どうして?」
シルクハットの下から声が聞こえる。イディオットが立ち上がり、声の方へと歩み寄る。そのシルクハットを取り上げると、下に一輪の大輪の白い薔薇が咲いていた。
「どうして、みんなそんなに辛い道ばかり進むの?ここにいれば、甘い甘い夢がいくらでも食べられるのに」
薔薇の中にはエメラルドグリーンの目玉が蕾のように鎮座している。ギョロギョロと動くその様は、悪夢に出てきそうな程に気味が悪い。
「お前のおかげで、悔いが一つ減ったぞ。感謝する」
その薔薇を掴み上げ、イディオットがニヤリと笑う。
「俺にトラウマなどない。自分で築き上げた自信がある。俺は俺の本当の名前を思い出さなきゃいけない。イディオットなんて馬鹿げた名前じゃなくて、祖母からもらった大事な名前をな」
その様子を見ていたアマネが立ち上がる。ゴキゴキと首を鳴らしながら、彼はイディオットの傍へと剣を引きずって行く。
「やるじゃん、クソザコナメクジ。それが本体みたいなもんなんだろお?」
「そのようだ」
手の平に握られた白い薔薇をイディオットがギリギリと握りしめると、悲鳴を上げる。
「痛い!痛い!なんでそんなことをするの?ただ楽しい時間にしようとしただけなのに!」
「感性の違いにより、解散ってとこだ」
珍しく悪戯っぽく笑うイディオットは僕に視線を投げる。
「ほら、どう料理するかアスカも一緒に考えたらどうだ」
「いや~…もういっそ、一思いに殺してあげた方が…」
帽子屋は物凄い強敵ではあったが、ここまで追い詰められていると、なんだか可哀想になってくる。しかし、イディオットとアマネは割と容赦ないようで、僕と話している間にもイディオットはギリギリと目玉を握りしめたり、アマネは自分がよく舐めている棒付きキャンディで突いたりして遊んでいる。
「コイツ、多分タイマン張って勝たないと正体出さないんだろ。見てて正解だったろ?なあ?ほら、お菓子食べるか?食えるよなあ?」
最初から煽る気まんまんだったアマネは拍車がかかって煽りまくりだ。
でも、言われてみると何となく原理は理解出来る。トラウマは自分で打ち勝たないといけない。本来、具現化出来ないそれは他人の力ではどうこう出来ない原理そのものだ。
だから、帽子屋が見せる幻影に誰かの手を借りた時点で負けが確定する。それをアマネは本能か何かで察していたのか、センスがあるのかもしれない。
「どの道、コイツがいる限り俺たちに安寧はない。悪いが死んでもらおうか」
「やだ!死にたくない!みんなと遊びたかっただけなのに!アリスと僕でみんなを幸せに…」
帽子屋の言葉が終わる前にイディオットが目玉を薔薇ごと握りつぶす。滲みだす血液で白い薔薇の花弁が赤く染まり、耳をつんざくような悲鳴が鼓膜を震わす。その声は人間のようで、機械とも動物にも聞こえる、聞いたこともないようなおぞましい悲鳴だ。
握りつぶしたイディオットの手の平からボタボタと赤い血液が溢れ出す。トマトを絞った後のように濡れてベタつくその手を、彼のポケットに入れていたハンカチで拭き取ると、大きなため息を吐いた。
「厄介な相手だったな。しかし、これで当面の間は大丈夫だな」
「そうですね。大事になる前に止められて良かったです」
本当に良かった。ミズキが狙いだったのだとすれば、長い時間接触させたりすれば、何が起きたか分からない。そう考えれば、ミズキに退避をお願いしたのは正解だったのかもしれない。
「とりあえず、ミズキたちと合流したいですね。彼女もこちらに向かってると思いますし、彼女がいてくれれば集団行動も楽になるんじゃないでしょうか」
すっかり夜が深まり、月が真上から過ぎている。清々しいような気持ちで空を見上げ、僕は一息つく。
これだけ戦ったのだ。休憩くらい入れたい。身体も頭も気持ちも疲れた。
「城に着いたら軽く休憩しましょう。そしたら白兎を…」
背後にいる2人に振り返る。そこで僕は初めて違和感に気が付いた。
イディオットが口を半開きに、半端に肩を回した姿のまま止まっている。アマネもだ。口にキャンディをくわえたまま、歩き出す状態で停止しているのだ。
ポツポツと冷たいものが頭上から落ちてくる。透明なそれは次第に数を増やし、地面を濃い色へと変えていく。
雨だ。どんどん強くなる雨足に混ざって、何かを引きずるような音と足音が森の奥から聞こえる。
「…ジャッジ?」
時間停止と雨は白兎の能力だ。疑いようもなく、ジャッジが傍にいる。
だけど、なんだろう。どうしようもない胸騒ぎがする。
ズルズル。ズルズル。何かが引きずられる音。茂みをかき分ける音。風も何もかもが止まった世界で、雨音とそれだけが聞こえた。
バツンッと何かが弾けるような発砲音と、何かが風をきって僕の横を掠めた。静寂の中、大きな物が背後で倒れた。
「…え」
何が起きたか分からず、呆然とするが、嫌な汗だけが背中を伝う。ザワザワと胸が騒いで、動悸がした。呼吸が早くなる。耳が静寂で痛くなる。
振り返らなくては。呼吸が荒くなる。唾を飲み込む。
振り返らなくては。確かめなくては。いや、振り返りたくない。確かめたくない。目が乾く。口が渇く。動悸で心臓がおかしくなりそうだった。
ゆっくりと振り返ると、地面にイディオットが倒れていた。頭から大量の血を流しながら、起きた出来事を自覚していない顔のまま、停止したまま彼が倒れている。
「ようやく面白くなってきたね」
誰かが言う。耳鳴りがした。甲高い音がずっと頭の中で鳴り響いている。口から空気しか出なかった。色んな言葉が喉へとせぐり上がって、胸でつかえて渋滞する。
「あ…ああ…そんな…嘘だ…」
身体中が小刻みに震えて言うことを聞いてくれない。それでも無理やり身体を動かして、僕はイディオットの元へと駆け寄った。
時間は止まったまま。血だけが雨に流されて、イディオットの体内から出ていく。
嘘だ。嘘だ嘘だ。どうしてこうなった?何故?イディオットが死ぬ未来は回避したんじゃないのか?ハッピーエンドは目前だったはずだろう?
イディオットの頭には太矢が深々と突き刺さっている。長さから考えて、それは明らかに脳まで達している。
疑問符ばかりが頭を埋めつくして、頭が真っ白になる。そんな僕の様子を見て、誰かが笑う。
「やっぱり物語には起承転結がないと」
茂みから出てきたのは赤毛の少女。深い青の瞳に水色のワンピースを纏った彼女の片手にはボウガン。そして、もう片手には誰かの腕を掴んで、その本人を地面に引きずっていた。
「…逃げろ…」
掠れた声がする。真っ白な髪に、片方しかない兎の耳。彼の両足はあらぬ方向にねじ曲がり、足としての機能を失っていた。
「逃げろ…アスカ…。彼女には、勝てない…」
青年が顔を上げる。青白く、幽霊のように生気を失ったその顔は見間違いようもない。白兎のジャッジだ。
赤毛の少女はそばかすだらけの顔でギザギザの歯を見せて笑う。
「君の物語、詳しく見せてよ」
「僕の仕組み?」
帽子屋が首を傾げる。
僕やアマネ、偽物の双子たちの視線が集中する中で、イディオットは頬から伝う血を拭いながら、口の端を上げた。
「お前は人の心が分からないから、意思や気持ちで強さが変わるこの世界でも、他人をコピーしたところで劣化品しか出せないだろ。だから、戦闘となればこの場にいない人間ばかりをコピーするんだ。違うか?」
彼の言葉に、ずっと笑顔だった帽子屋が珍しく真顔になる。その表情からは、良い感情は読み取れない。
イディオットはそのまま話を続けた。
「どう考えても、この世界にいる人間で戦闘力として換算すれば、主力になるのはアマネとアスカだ。なのに、お前はアスカを前にした時にアスカのコピーは出さず、アマネが来たらアマネのコピーも消したよな。本人を前にした時に、コピーが勝てないって分かってるから出さないんだろ」
彼の言葉を聞いて、僕は今まであったことを思い出す。
言われてみれば、戦闘となった時に帽子屋は1度たりとも本人の姿にならなかった。唯一、目の前の本人に変幻したとすれば、ミズキを僕の姿でそそのかそうとした時にだけだ。
アマネと帽子屋が戦った時も姿こそアマネと変わらなかったが、厳密に言えばあれはアマネではなく、アマネの父親のコピーだ。イディオットの推察は鋭いように思えた。
「なんだよ、ビビってんのかあ?」
アマネがニヤと笑うと僕の方を見て、僕の肩を軽く小突く。振り返ると、彼は僕の耳元に顔を寄せ、こしょこしょと小声で話しかけてきた。
「おい、アスカ見とけよ。腹立つ人間にやる煽り方見せてやるから」
「煽り方って…」
一体何をする気かと思いきや、アマネは帽子屋に中指立てを立てて舌を出して笑った。
「強い手札でしか戦えないチキン野郎!首を切り落としたら丸焼きにしてやる!」
彼の口から飛び出して来たのは幼稚なようで、微妙に頭を使いそうな挑発だ。呆気に取られてもいる僕の隣りで、アマネはヴォーパルの剣を帽子屋に向ける。
「どーせお前の頭、ウジ湧いてんだろお?ダラダラ喋ってたって時間の無駄。強い手札が欲しいってんなら、さっさとあのクズ野郎を出せよ。アマネはもう負けない。アマネはアイツを超えるんだ」
クズ野郎と言うのは、アマネの父親を指すのだろう。口を一文字に結んだ帽子屋は、ただ黙って僕らを見つめていた。
「おい、あまり無闇に挑発するな」
「ダメなんだよ」
アマネの挑発にイディオットが口を開くと、アマネは帽子屋を見据えたまま言った。
「現実に帰る前に、ここでクズ野郎と決着つけなきゃダメなんだよ!アイツの首が手に入ったら、初めて村を凱旋するって決めたんだ」
ニイと歯を見せて笑うアマネの瞳は、初めて見た時と違って月明かりでキラキラして見えた。深海を泳ぐ鮫のような、吸い込まれそうなほどに絶望を飲み込んだ深淵さながらの黒ではない。年相応の少年が見せる希望が宿った、明るい茶色の瞳だ。
彼が帽子屋にこだわるのは、自分が現実と向き合うためだったのだ。あれだけの恐怖と怪我を体験してなお、彼は立ち向かうことを選んだ。
その姿を見ていて、僕は無意識に口元で笑みを作っていた。彼が眩しくて悔しかった。でも、それは嫌な気持ちではない。悪友に出し抜かれたような、笑ってしまいたくなるような、限りなく憧れに近い感情だ。
「…負けてらんないな」
僕も傘を帽子屋に向ける。帽子屋を囲む双子のうちのドゥエルがそれに合わせて僕に銃剣を向け、睨み合う。
僕も自分の母親を前に日和っていたら、現実なんかに帰れないだろう。ここで僕は彼女から掛けられた呪いを解かなくてはならない。
自分は世界に疎まれていて、母に望まれず、何もかも出来損ないな人間だと。母の愛も期待も受け止めきれない愚かな子供だと。そう思い込んできた僕を巣食う呪いをここで切り落としていくのだ。
帽子屋は黙って僕らを見ていたが、ふうと溜息を吐いて肩を竦めた。
「…なんか僕が悪者みたいに言うけどさ、よってたかって僕を悪く言う君たちはどうなの?そもそも、僕の作る幻影が弱いなんて言ってないじゃないか。決めつけないでよ」
「じゃあ、何故出さない?世界の主力が今ここに揃ってる。出してみて、戦ってみればいいだろ」
腕を組んで、イディオットが鼻で笑った。
恐らく、コピーが弱いことを見越して本人と本人のコピーでの戦いに持ち込む気なのだろう。コピーが本人に戦力では敵わないことが確定しているならば、確かにそれは僕らにとって勝ち戦以外の何ものでもない。
確かにコピーのアマネは弱かった。前に本人と戦った時に比べれば、なんて事のない強さ。僕が倒せるのだから、アマネが自分のコピーと戦えば消し飛ばせるだろう。
帽子屋は明らかに不満そうに口を曲げるが、わざとらしいくらいに大きく嘆息してから口を開いた。
「全く、注文が多いなあ…。それなら、村人さんと三月兎さんの注文どっちも取ってあげる。でも、三月兎さんには特別ゲストを呼ぶよ。それでもいいかい?」
特別ゲスト。それが意味することは、ここまで来れば誰にでも分かるだろう。
帽子屋の一番恐ろしい力はトラウマの再演だ。イディオットの心に傷を負わせた何かに変幻するということなのは、言わずもがな理解出来る。
イディオットはそれに対して、眉間にしわを刻んだまま口の端をつり上げて笑った。
「どんなゲストでも好きに呼んだらいい」
「分かった、じゃあパーティを仕切り直そうか」
帽子屋は薄い笑みを浮かべて、自らの帽子を指先でくるくると回して、指先で弾くように投げる。帽子を投げた手を天高く掲げたまま彼はそのまま指を鳴らした。
パチンと弾く音と共に、アマネの前には彼の父親、僕の前には僕の偽物が地面から生えるように姿を表した。
「ぶっ殺す!」
一番最初に声を上げたのはアマネだった。彼はヴォーパルの剣を手に、彼の父親の元へと地面を蹴りあげて飛び込む。彼のそれを父親はタバコを口にくわえたまま、斧で軽く受け止めた。
アマネの父親の足元から白い薔薇が咲く。それが甘い香りを発するより先に、アマネはそれらを足で蹴散らした。
「知ってるかあ?アマネのパパは斧なんか使えねえんだよ」
棒付きキャンディをくわえたまま、アマネがニィと笑った。
「この世界で一番つえーのはアマネだクソボケ!」
アマネがヴォーパルの剣で父親の斧を弾いた。ビキビキと高い音を立て、彼の父親の斧にヒビが入った。
「余所見ばっかりしてて、相変わらず役立たずだな」
うっかり見入ってしまうアマネの戦いぶりを見ていた横で、もう1人の僕が呆れたようにため息を吐いた。
「主力になんて数えてもらっちゃってるけど、自分には荷が重いとは感じないの?偉そうなことばっか言って、いつもいつも口先だけ。お前が役に立ったことあんの?」
もう1人の僕の口から出てくる言葉は、驚く程に僕が常に自分に対して吐いていた言葉ばかりだ。
トラウマの再現などなくても、十分な不快に感じた。
「言われなくても、自分の配役に自分が見合ってないことくらい分かってるよ」
「分かってるって言うやつこそ、分かってないんだ。そんなんだから成長しない。お前はお節介で傲慢で、人に意見を押し付けてばかりのロクデナシだ。父親に良く似たな」
反論すると、僕の偽物は辟易した顔で反論の何倍もの罵倒をする。
「お前なんかが息してていいと思ってんのか?さっきまで幻想に惑わされて、恩人の顔すら忘れそうになっていたくせに!」
もう1人の自分が大剣を構えてこちらに駆け出してくる。僕はそれを剣で防ぐ。鈍い金属音が響き、手にビリビリとした振動が伝わってくる。
彼は嘲笑するような、それでいて心底僕を嫌悪するような眼差しで僕を笑う。
「恩を返す気があるならさっさと動け!怯んでんじゃねえ!何もしないでいいほど周囲は甘くないんだ!周囲の顔色伺って、ゴマすってるくせに!出来損ないの不良品!さっさと死ね!お前なんか生きてるだけで周りが迷惑するんだよ!」
彼の言葉はどれも、どこかで聞いた事がある。その冷たい眼差しも知っている。
人には怒ることも出来ない僕の怒りの矛先は、いつだって自分だった。誰にも言わないような汚い言葉で僕は自分を詰って責め立てて、僕が動けなくなると自分はそんな僕を嘲笑い続けてきた。
ここにいるのは確かにもう1人の自分だった。僕のことが大嫌いな、いつも心のどこかにいる自分そのもの。
ギリギリと大剣で鍔迫り合いをしながら、僕は彼の剣を弾いた。力はほぼ同格。互いに一歩下がり、今度は僕が大剣を横に薙いだ。
もう1人の自分がそれを切り上げて否す。生まれた小さな隙に僕は彼に向けて腹に蹴りを入れた。
それを彼が傘を開いて防いだ。弾力のあるそれに身体が押し返され、僕の足元のバランスが崩れる。
「早く返せ!返せ返せ返せ返せ返せ!!みんなから貰った恩を返せ!まだまだ足りない。どんなに尽くしたって足りない!だから、早く機嫌を取って、相手の気分が良くなるまで恩を返せ!早く!」
バランスが崩れた僕を見て、彼は傘の銃口を僕に向ける。それらは7色の弾丸を吐き出し、僕に向かって飛び込んできた。
恩返し。確かに僕はずっとそれにこだわってきた。いつだって母親に請求され続けるそれを、僕は返し続けないと自分の存在が許せなかった。
だから、みんなにもやる。みんながくれた愛情を、恩と感じた。そうでもなければ、僕に愛される資格などない。愛される価値が僕にはないと自分が思っているから。
だけど、もう一人の自分を前にして、ようやく僕は気付く。その恩返しって一体いつまで続くんだろう。きっと僕が死ぬまで続く。死ぬまでやるのか?出来るわけがない。
死ぬまで恩返しを続けなくてはいけないと、請求を続けているのはもう母親などではない。その言葉の呪いを引き受けた自分自身が請求しているんだ。頭の隅で自分を詰りながら、恩返しをしろと叫んでいる。
「…返さないよ」
僕は翼を羽ばたかせて体勢を整え、そのまま上空へと舞い上がる。ホーミングしてくる弾が追いかけてくるのをやめるまで、僕は上空を駆けた。
弾丸が弾け飛ぶ。散り散りになるその弾は火山灰のような白で、燃え尽きた粉塵となって宙に消えた。
「恩返しなんかやめたんだ。恩返しって、ずっと借金取りに追われているみたいじゃないか。だから、僕は色んな人から貰ったものを、ちゃんと受け取ることにしたんだ」
ミズキが無償で注いで甘やかしてくれた愛情を、イディオットがくれた体罰を伴わない厳しい愛情を、アマネが僕に向ける敬慕も、全部恩かと言われたらそうじゃない。彼らは自らの意思で僕にその気持ちを向けてくれたんだ。
受け取らないなんて、そんな失礼なことは出来ない。僕は彼らのことが大好きなのだから。
上空から見下ろすと、アマネが父親と戦っている姿が見えた。アマネは父親の攻撃に怯まずに挑み続けている。父親の斧は砕けて地面に落ち、バタフライナイフでアマネの攻撃を凌いでいた。
相手から斧を奪っただけで、かなりアマネにアドバンテージがある。前と違って優勢を保っているのが、どうにも嬉しくて僕は笑った。彼の父親は、彼の脳内のもの。それこそ、アマネが自分に自信を持っただけ、父親の幻影は弱くなるのかもしれない。
一方で、イディオットの傍には大量の白い薔薇と見知らぬ女性がいるのが気がかりではあるが、彼の身体には薔薇は咲いていない。それなら、まずは僕は目の前の自分を対処しなくては。
不意に凄まじいスピードでもう1人の自分が上空へと登り、僕に切りかかった。
「お前が先導して、みんなの未来がぐちゃぐちゃになったら、どう責任取る気だ!今までのみんなの気持ちを無碍にする気か!」
剣で彼の攻撃を受け止めると、彼が剣で競り合いながら叫んだ。鼓膜がビリビリするほどのドラゴンのような怒号が鼓膜をビリビリと震わす。
「お前は無責任だ!周囲から託された色んな未来があったのに!親から大金を払わせても何も成せなかったのに!ここまで来て、傍にいてくれる人たちの気持ちさえ貰って何も成さない気なのか!お前はいつだって、色んな人の未来も自分の未来もドブに捨てるんだ!」
「そもそも、僕は色んな人の未来を左右するような人間じゃないんだよ」
彼の叫び声に鼓膜が高い音を立てていた。静寂のように周囲の音がこもって聞こえる。その叫びは何度も聞いたことがある気がした。
たとえ鼓膜がなかったとしても、彼の言葉は耳が痛い。何度も屈してきた自分自身への怒りそのものだ。
「確かに僕の未来を捨てたのは僕だ。叶えなかった未来は誰かの期待だったのかもしれない。でも、その期待は誰かが勝手に僕に乗せたものだ。僕がされたくて、されてるんじゃない。今からも未来は沢山あるし、人の未来は僕が選択するものじゃない」
親が僕に大金をつぎ込んで託した未来なんて1つも叶えられなかった。たくさんの期待を裏切って、多くの人が僕に失望したし、僕自身も色んな夢を諦めてきた。
高学歴、高収入、人に誇れる職業と、親が誰に紹介しても恥ずかしくない僕のパートナー。どれも親の夢で、どれも叶わなかった。
僕は代わりに大好きだった短距離走も、水泳も、小説家になることも、漫画家になることも、男性になる未来すらも捨てようとした。親が僕の夢を許せなかったのもあるだろうが、それらを諦めると選択したのは他ならぬ僕自身だ。
だけど、僕に自分勝手な夢を乗せた母親が、僕のせいで華やかな未来がなくなったと言うのは違うだろう。
それは、僕にも言える。ジャッジに救われ、イディオットから学び、ミズキに癒されて、アマネと戦って、フロージィや双子たちと和解ができた。彼らは今の状況を喜んでくれているが、誰かのための恩返しで僕がしたことじゃない。僕がやりたくて選んだ先に今があっただけ。
彼らも僕のせいで選択を変えざる得なかった、とは言わないだろう。みんな自分が選んだのだと言うだろう。僕の存在など、誰かを動かせるような大層なものじゃない。僕が背負うべき責任などそこにはない。
それでいいんだ。
「僕は自分の未来を今から創るよ。みんながそれぞれに選択した未来に拍手を送るんだ。恩返しなんかやめだ!僕はみんながくれたものを、ありがとうって喜んで目いっぱい貰うよ!渋々と恩を返される方も、返す方も大変なだけなんだから!」
受け止めた剣を弾き返す。空中でもう1人の自分がグラついた。そこに僕は剣を空にかざす。
ジャバウォックの最大火力は想像力。想像さえできれば、何だってできる。ミズキがくれたたくさんのアイデアも、翼も、全部僕の火力にする。
空中に半透明の小さなナイフが無数に現れる。剣を薙ぐと、それらはもう1人の自分へと飛んで行く。
彼は翼を羽ばたかせ、それらのナイフを吹き飛ばそうとする。だけど、そんなので吹き飛ぶようなナイフじゃない。僕が創ったんだ。そんなヤワな作りになんかするものか。
向かい風に怯むことなく、ナイフは狙った先へと飛び込み、彼の翼や腹にナイフが刺さる。口から血を吹き出しながら、彼は呻く。口の端からボタボタと垂れる血液は、まるで頬を伝う涙のようだった。
「そんなの…そんなの違う!お前の人生は誰かに奉仕することだろう!恩返しさえできない俺を憎んでいたのは、お前だったじゃないか!みんなが笑ってられるように、その場しのぎにヘラヘラしてたくせに…今更なんなんだよ!」
ビリビリと空気が揺れるその叫びはもはや慟哭に近い。思わず耳を塞ぐと、彼は傘を構えて僕に銃口を向ける。
「お前、誰なんだよ!俺の辛さも、悲しみも全部全部置き去りにしていったくせに!俺を置いてどこに行く気だ!殺してどうするんだよ!俺はお前なんだぞ!」
腹を押さえたまま唸る彼は怒りに歪んだ酷い顔をしている。醜い。母親によく似た顔をした彼は、ずっと辛かったのかもしれない。
窮地に追い込まれた野良犬にも勝る、どこにも寄辺がない獣のような唸り声を上げている彼に僕は首を横に振った。
彼を、自分を、ここまで追い詰めたのは間違いなく僕だ。僕が自分をずっとおざなりにしてしまったから、自分の気持ちを置いてけぼりにしていったから、彼はここまで醜くなってなお、吠え続けるのだろう。
殺せない。僕は剣を下ろす。
このまま彼にとどめを刺したら、僕は自分の気持ちの一部を本当に殺してしまうと思った。これだけ怒りをため込んだ自分の声を無視してきたのは僕だ。今だって正論で押し込めて、殺そうとしたんだ。
「…ごめん」
僕は彼に言う。それ以外に言葉がなかった。
怒りは醜いと思っていた。いつだってその感情を僕に向ける人々は恐ろしくて、その感情を孕んだ両親は醜かった。だから、僕はそうなりたくなくて。そうならないためには、怒ってはならないと思っていた。
僕は自分に向かってこれだけ怒っていたのに、よくそんなことを思ったものだ。
「僕たち確かに生きづらかったよね。わかってあげられなくて、本当にごめん」
帽子屋が僕にだけ自分のコピーを宛がったのは、僕にとって母親の次に驚異に感じているのが自分だったからじゃないだろうか。
もう1人の自分の身体にできた傷は癒えない。驚異的な治癒能力を持つはずのジャバウォックの配役を抜いた僕は、僕が思う自分自身はこんなにも弱い。僕の意思が弱いから、僕のコピーはこれほどまでに脆弱だ。
アマネのように、イディオットのようには、僕はなれないのだと彼の身体から滴り落ちる血液を見て再認識する。
この世界に来たばかりの僕から、今は随分とかけ離れた場所まで歩いて来た。少しは強くなったと思っていた。でも、その強さは自分の一部が叫んでる声を無視してきたからじゃないだろうか。痛いことも辛いことも無視してしまえば、怪我に気づかないで済むんだから。
強くなっていると思い込んで本気で迎撃したのに、治ると思い込んでいた彼の傷はまるで癒えない。
「何がごめんだ!俺はずっと生きづらいって言ってきたのに!お前がずっと耳を塞いできたくせに!今更なんなんだ!」
身体に刺さったナイフを抜かないまま、彼は僕に傘を向けて弾丸を放つ。彼が銃撃を放つ。それをどうしようかと迷っている間に弾丸は僕の肩を撃ちぬき、肩を貫通する。抜ける瞬間に爆発して肩の後ろを粉砕し、肉が飛び散った。
鋭い痛みで飛行が乱れ、僕の身体がグラつく。彼は村人でも何でもないのに、彼に負わされた怪我はすぐに治癒しない。
僕が彼に対して、申し訳なく思っているからだ。力でねじ伏せることに抵抗があるから、勝ちたいと思えないから、怪我が治らない。
「あなたの言葉にずっと耳を傾けていたら、僕は歩いて行けなかったんだ。僕は人に怒りを向ける人になりたくない」
「だからって、俺だけを悪人にする気か」
銃口を僕に向けたまま、彼は唸る。
「じゃあ、俺たちの怒りはどこへ向かえばいいんだよ!理不尽だって言ったらダメなのか!気持ちの悪い愛情を嫌だと言えなかったら、どうしたらいいんだよ!なんで人から受け取る怒りだけ受け止めて、俺たちが怒ることをお前は許してくれないんだ!」
赤黒い軌道を描いて、7発の弾丸が僕の元へと飛び込んでくる。僕はそれを剣で弾くが、弾いたその場で爆発する。剣が爆発でビリビリと震え、飛び散った火花で僕の肌が焦げた。
「そんなこと言ってない!怒ってる時だってある!」
「人のためだけ、だろ」
僕の言葉を遮るように、彼は再びトリガーに指をかけた。
「お前が怒りを表面に出すのは、いつだって他人の怒りに同調出来る時だけだ。俺のために怒ってるんじゃない。恩返しの一貫だ。俺たちから恩返しと奉仕を抜いたら、一体いつ俺の声をお前は聞いてくれるんだ」
僕が怒るのは、誰かのためだけ。そう言われて、僕は何も返せなくなる。
そうだ。確かにそうだ。誰かのために怒っているのは、僕が醜くなっていいという免罪符があるからだ。
「何も言い返せないだろ」
もう一人の僕が泣きそうな顔で笑った。
「だから、恩返しをやめたりすんじゃねえよ!それがなくなったら、俺の怒りはどこにも昇華されない!下手な自尊心持ちやがって!俺たちの人生めちゃくちゃだ!出ていけ!今すぐに消えろ!」
彼は口の端から血を流しながら怒鳴り散らすと、トリガーを引いた。
剣で防ごうかと思ったが、僕は剣を下ろす。もう防御なんて出来ないと思った。
自分を傷つけたのは僕だ。もうこれ以上はただの自傷行為にしかならない。
誰も分からない彼の苦しみを受け止められるのは、彼自身でもある僕だけだった。ずっと受け止めてこなかった。それなら、今からでも受け止めなくてはならない。防いで無視して、なかったことにするんじゃない。真っ向から痛みを分かち合うしかないだろう。
赤黒い軌道を描く7つの弾丸が僕の肩や腕や腹へと突き抜け、背部で爆発を起こす。腹を射抜いた弾丸の熱が体内でせり上がり、火炎が喉を上るような激痛が走る。胸が抉られるように傷んで呼吸が上手く出来ない。
言葉にならない潰れた呻き声が自分の口から血と共に漏れる。あまりの痛みに翼から力が抜けて、空が回るように僕の身体が落下した。
下にあった木の上に落ち、バキバキと音を立てて小枝が僕の身体の重みで次々に折れていく。枝のおかげで勢いは殺せたものの、地面に背中から落ちてバウンドすると、衝撃で呼吸が止まった。
アマネの父親と戦った時と全く違う。村人以外の配役からのダメージをほとんど受け付けないはずなのに、もう1人の自分から受けた怪我はアマネに匹敵するほどに痛い。焼け付く息で喉が裂かれたみたいだ。どうにもならないその痛みに、僕は自分の喉を掻きむしる。
「こんなに大勢を巻き込んで、どうすんだよ!」
上空からもう一人の自分が剣を構えて、落下よりも早いスピードで滑空してくる。勢いを殺さずに自分の胸を貫かれ、僕の身体が地面に縫い付けられる。
心臓が跳ね、脈が飛ぶ。鈍い悲鳴が自分の口から上がり、胸に刺さった大剣を抜こうとするが、視界がグラグラして遠近感が掴めない。脈拍が異常な速度に上がり、酸欠のようにボヤける視界の中で、もう1人の自分は僕の上に跨ってギリギリと歯を噛み鳴らしていた。
「お前が好き勝手に動いたせいで、こんな争いが起きてんだ!これでみんなが幸せになれなかったら責任取れんのか?責任取れなかったら、みんなが俺を指さして言うんだぞ。お前がいなかったら、こうはならなかったんだってなあ!!」
怒鳴り散らす彼の口からボタボタと血が溢れ、僕の顔に降りかかる。まるで手負いの獣だ。
彼の言葉は僕が自分に掛けてきた呪詛であり、どれも現実の母親や周囲の人間たちに言われてきたものばかりだ。
彼は、僕は呪われてる。恨んでいるんだ。何もかもが嫌で、自分さえ愛せなくて、怖くて、苦しくて、自分を追い詰める全てから己を守るために怒るのだ。
急激に上がったはずの脈拍が落ちていく。気が遠くなるような酩酊感。痛みが薄れて、もはや気持ち良くすら感じるような浮遊感が身体を支配する。
「…話、聞かなくて…ごめん…」
僕は唸り声を上げ続ける彼に手を伸ばす。涎と血液に塗れて怒り散らす彼は酷く醜い。伸ばした手に落ちる彼の体液は生暖かくて、ベタベタしていて、身の毛もよだつ程に汚らしい。
でも、その汚い部分をずっと見ないふりで通してきたんだ。見なくちゃいけない。触れなくちゃいけない。
彼の、自分の頬に手を当てると、見飽きるほど鏡で見てきたその目からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「もう、無視しないから…戦うのやめよ、うよ…」
怒っている自分を醜いと、そう言い続けたのは僕だ。これは僕が彼にかけてきた呪い。自分さえも僕を傷つけてきたことに気づかないでいた。むしろ、自分だったからこそ、傷つけていいのだと思っていた。
自分を傷つけても誰も怒らないから。自分なら殺したって罪には問われないから。だけど、傷つけられたら誰でも怒る。理不尽だと彼が叫んできた仕打ちを、僕はずっと何も理不尽ではないと思っていた。
「本当に、ごめん。僕は、自分を好きになりたくてやってきたつもりだった、んだ…」
「俺を傷つけて、お前は自分を好きになれるのか」
「好きに…なれないや…」
彼の言葉に僕は苦笑いする。
こんなにボロボロで怒りに任せて怒鳴り散らす自分を目の前にして初めて知った。自分のことを醜いからって、ここまで追いつめて傷つけるのは、僕が嫌う母親と何が違うだろう。
何も違わない。全部一緒だ。僕はどうしてそれに気付かなかったんだろう。
「こんなに追いつめているなんて、怒ってるなんて、気付かなくてごめん…ちゃんと次から話を、聞くよ。あなたの声は、僕しか聞けないんだから」
僕の言葉で怒りに歪んだその目が、見開いたまま痙攣するように震える。眉根が寄り、眉間に皺を寄せた彼は首を横に振った。
「…誰も俺のことを守ってなんてくれない。お前はいつだってそうだ」
「守るよ。もう、耳を塞いだり、無視したりしない」
耳の奥で嵐のようにごうごうと聞こえていた耳鳴りが少しずつ静かになる。肩に空いた銃痕が少しずつ癒え、喉からまともな声が出た。
ぐちゃぐちゃになっている自分の顔はひどく汚いが、あんまり汚くて、人間臭くて笑えてきた。
「たくさん傷付けてごめん。だから、今日からやめるし、次から辛いことがあったら痛み分けしよう。あなたの話にもちゃんと次から耳を傾けるから」
ちゃんと耳を傾けてあげれば良かった。毎日みたいにずっと僕の中で彼は怒って叫んでいたのに、耳を塞いでいた。
周りに大事にされたいと願ったくせに、僕自身が大事にしてなかった。そんなの、周りに大事にされたって自覚できるわけない。
僕が笑うのに釣られて、もう一人の自分が口の片方だけ上げて、吐き捨てるように笑った。
「なら、次からはちゃんと怒ってくれ。俺の分まで」
皮肉っぽく、それでもどこか安心したように彼は目を閉じる。
僕の胸に刺さった大剣が、刃先から白い薔薇に変化し、やがてそれはもう一人の僕を覆い隠すように咲き乱れる。それは破裂するように空気中に散ると、風に舞って霧散していった。
胸の中に残った血液の塊を唾と一緒に地面に吐き出し、咳き込みながら立ち上がる。身体中についた傷がみるみると癒えていく。どこかへと消えていく薔薇の花弁を見送りながら、僕は深く息を吐いた。
消えるとは思っていなかった。あれは僕のコピーであり、僕の意志を反映するものだとは思っていたが、所詮は帽子屋が見せる変幻だ。正直、説得でどうこうできるものではないと思っていた。
それでも、自分の叫びを無視して殺すのは違うと思った。殺してしまうと、もう戻れない気がしたのだ。彼の言っていることは、もっともだった。
怒ってはいけないなんて、そんなことないのだ。僕にだって感情はあるとミズキだって言っていたのに、僕が自分の感情を殺していた。それじゃ世話ないだろう。僕はもっと、自分のために怒っていいのだ。怒りを醜いと蓋する必要はない。
しかし、僕が殺さなかったもう1人の自分はどこへ消えたのだろう。
「随分時間かかってんなあ。もっと早く仕留めろし。アマネはとっくに倒したぞ」
背後から聞こえた声に振り返ると、そこには倒木に腰を降ろしたアマネがガムを噛んでいた。くちゃくちゃとそれを噛み鳴らしながら、彼は自分の片手に持っているものを僕に掲げて見せる。
「うわ…」
もうモザイク処理をお願いしたい有様の生首だった。思わず声を上げて後ずさるが、よく見れば地面に切り離された胴体が落ちている。
でも、それが意味するのはアマネの勝利だ。じわじわと湧き上がる喜びに笑みを浮かべると、アマネも口の端を片方だけ釣り上げて、息を漏らすように笑った。
「勝ったんだね」
「花の匂い嗅がなきゃよゆーだし。攻略方法が分かったボス戦なら負けるわけねえじゃん」
そう言う彼の手に握られた生首が、先程見たのと同じように白い花弁になってバラバラと風に舞って消えていく。切り離された胴体も一緒になって消えていくのに気がついて、アマネが勢いよく立ち上がった。
「はあ!?この首ねえと凱旋できねえじゃん!クソかよ」
「その首は多分、見せても誰も喜ばないからアマネ単体で凱旋したらいいと思うよ」
首を持って凱旋するのは確かにジャバウォックの詩にある通りではあるが、彼の手にあった言葉で表現するにもエグすぎてはばかられるような生首を持って村に行ったら、村人たちの一生物のトラウマを間違いなく増やすだろう。花弁となって消えてくれて良かった気がする。
そんなこと考えてから、僕は思い出す。
「イディオットは!?」
こんなところで談笑している場合じゃないし、アマネも何をぼんやりとしているのだ。慌てて声を上げる僕に、アマネは退屈そうに自分のさらに背後を顎でしゃくった。
「あのオッサンなら大丈夫そうだぞ。アスカも見てれば?」
「見てればって…」
アマネの背後にある木から奥を覗き込むと、そこには本当にイディオットがいた。彼の目の前には見たことのない女性…それも老婆が立っている。彼らを囲むように白い薔薇が咲き乱れ、甘い香りが充満していた。
きっとイディオットは幻影の真っ只中にいるのだろう。それならば、一刻も早く助けなくては。
彼の元へ行こうとすると、アマネに腕を掴まれて引き戻される。驚いて振り返ると、アマネは先ほどまで首を切り離された胴体が転がっていた地面を見つめたまま静かに口を開いた。
「帽子屋は人数分だけ変幻すんだろ。だけど、アマネがパパを殺しても、アスカが自分の幻影を納得させても、代わりが出てこない。なんか上手くいってんなら、そのままにしとけ。またワラワラ出て来ても困んだろ」
そう言われてみれば、今までどれだけ幻影を相手にしても決して相手の人数が、こちらの人数以下になったことはなかった。幻影たちは次々に姿かたちを変えて戻ってきたはず。それが今はないのだ。
「完全攻略にリーチ掛かってるかもしんねえのに、下手に手を出して無駄になったらアマネは悔しい。だから、お前も黙って見とけ。オッサンが死にかけたら、アマネが助けてやる」
中身は若干9歳とは言え、さすがこの世界で何年も頂点に君臨しているだけある。彼の洞察力は信用に値するだろう。
「わ、分かった…」
まだ迷いが捨て切れないものの、僕は小さく頷いた。すると、アマネはまるで観客席に招くように、隣に座るよう自分の隣を叩く。
アマネと背中合わせになるように斜め隣に座る。人が戦っているのを見守るだけなんて、どうにも冷や冷やするが、こればかりは仕方ない。
イディオットは目の前の老婆と何やら談笑しているようだ。眉間に皺を刻んだままだが、驚くほど穏やかな笑みを浮かべている。
甘い香りが鼻をくすぐる。ぼんやりと見えてくる幻影は、どこかの古い民家のように見える。
よくある日本特有の瓦屋根がある大きめの家。縁側の先には綺麗な花が咲き乱れ、夏の青い空が上空に広がっている。
ジージーとセミが鳴く。日が暮れかけた赤い日差しの中で、老婆はイディオットの手を握る。
「また喧嘩してきたのかい。あんまり人を殴っちゃダメだよ」
「悪かったと思ってるよ」
老婆にイディオットが落ち着いた声色で返す。老婆はしわしわの顔を更にしわしわにして笑う。本当に優しくて、穏やかな笑顔で、その包容力を感じさせる雰囲気はどことなくイディオットに似ているような気がした。
「そんなにお医者さんになりたくないなら、私からもちゃんと止めるよ。いつも止められなくてごめんねえ。あなたにはあなたの夢があるでしょう?」
「いいんだ。婆さんは止めに行くな」
「でも、本当はバスケットボールがやりたいんでしょう?」
彼女の言葉にイディオットの顔が歪む。困ったような、悲しむような、今まで僕が見たことがない表情で彼は目を閉じる。
彼は現実では外科医をやっていると聞いたが、話を聞く限りでは、彼はそれを望んでいなかったように聞こえる。それも、喧嘩だとか物騒な話まで出ているあたり、イディオットは非行に走ってまで拒絶している。
僕の目から見えるイディオットは、もうとうに中年に入った大人の男性だが、会話内容からだと学生…中学から高校にかけての出来事に思えた。
「明日にでもお父さんを止めてあげるから、やりたいこと頑張んなさい」
「行くな!」
優しく微笑んで、家の中へと向かう彼女の手をイディオットが引き戻す。驚いたように老婆は目を丸くしてイディオットを見つめるが、イディオットは目を伏せたまま首を横に振った。
「行かなくていいんだ。俺が悪かったんだ。だから、どうか…行かないでくれ」
「何が悪いものですか」
手を握られたまま、老婆は微笑む。
「アタシだって、あなたのおばあちゃんなのよ。あなたのお父さんのお母さん。お父さんを止められなくちゃ、アタシは死んでも死にきれないよ」
彼女の言葉と同時に、突然周囲が真っ暗になる。不意にテレビ画面らしき四角いモニターが彼女の背後に現れ、そこにはニュースキャスターの姿が映し出される。
「昨夜、72歳の女性が自宅のベランダから転落する事故が起き、女性の死亡が確認されました。事件当日、家の中から言い争う声がしたとの証言があり、現在警察では親族に詳しい事情を…」
ニュースキャスターの声を皮切りに周囲に次々にモニターが現れる。それを見上げ、イディオットは目を見開く。
「この近所では有名なお医者さんのお家だったから、驚いたわ。まさかご家族に暴力を振るってたなんて」
「揉み合いの末にベランダから落ちてしまったんだろ?それって本当に事故かなって」
「お孫さんも素行が悪いって近所では有名な話」
「うちの子が被害者女性のお孫さんに殴られたことあるのよ。血は争えないわねえ」
モニターに映る人々が口々に喋り出す。
その中心に立つ老婆にはそのモニターが見えていないのか、彼女はただ柔らかく微笑んでいた。
「アタシはずっとあなたの味方」
「ああ、ああ…知ってる。知ってるよ」
イディオットは彼女の前に膝をついて屈むと、腰の折れた彼女をそっと抱きしめる。
「本当に悪かった。あの時に俺が親父に逆らわずに、さっさと勉強すれば良かったんだ。どうせ医者になるくせに、婆さんが味方してくれたのに、俺はずっと文句ばかり言ってきた」
「いいんだよ。アタシで良いならいくらでも話くらい聞くさ。お父さんを止められなくて、本当にごめんねえ」
イディオットの背中を優しく撫でながら、彼女は申し訳なさそうに笑った。
「歳を取りすぎてしまったねえ。あなたが選手になっている未来が見たかった。やり直したいねえ」
彼女の言葉にイディオットの動きが止まる。何かを考えるようにイディオットが口を開き、閉める。肩だけが呼吸で上下し、沈黙を置いてからようやく彼が小さな声を発した。
「そうだな…やり直したいな」
白い薔薇がイディオットの足元を侵食する。飲み込まれるのではないかと僕は思わず腰を浮かせる。
しかし、薔薇は彼の足元で止まる。彼の身体までは侵さない。それを見て、僕は立ち上がることをやめる。
まだだ。アマネが動かないのも、きっとそう感じるからだ。
「アタシとやり直さないかい?」
優しい声で笑う老婆に、イディオットは困ったように眉根を寄せて笑い、彼女の肩に手を両手を置いた。
「ありがとう。だけど、もう充分だ。俺はやり直したいことを、今ここでやり直せたよ」
彼女の手を握り、彼は祈るように自らの額に手を当てる。
「ずっと謝りたかった。授業をフケて遊び回って、クラスメイトを殴ったりして、必要以上に心配をかけた。親父を止められない婆さんに心無い言葉を沢山言ったことも、婆さんが死ぬ直前まで責めたこと…本当にすまなかった。ずっと俺の味方でいてくれたのに、ありがとうのひと言も言えなかった」
「それだけじゃないだろう?もっとやり直したいことがあるじゃないか」
「ああ、沢山あるよ。悔やんでも悔やみきれないことが本当に沢山ある」
イディオットはゆっくりと首を横に振る。
「でも、俺は婆さんが死んだ後で自ら医者になる道を選んだ。婆さんの怪我を治せなかった己の無力さが、ここまで俺を強くしてくれたんだ。だから、もう他にやり直す必要はない。他にやり直したいことは、これから先で掴み取る」
白い薔薇が地面から剥がれるように上空へ散っていく。まるで桜吹雪のように消えていく老婆は優しく笑ったままだった。
「ありがとう」
イディオットの言葉に、彼女は顔をしわしわにして笑う。消え去った薔薇の花弁の中、一つだけ取り残されたのは帽子屋が被っていたシルクハットだ。
「…どうして?」
シルクハットの下から声が聞こえる。イディオットが立ち上がり、声の方へと歩み寄る。そのシルクハットを取り上げると、下に一輪の大輪の白い薔薇が咲いていた。
「どうして、みんなそんなに辛い道ばかり進むの?ここにいれば、甘い甘い夢がいくらでも食べられるのに」
薔薇の中にはエメラルドグリーンの目玉が蕾のように鎮座している。ギョロギョロと動くその様は、悪夢に出てきそうな程に気味が悪い。
「お前のおかげで、悔いが一つ減ったぞ。感謝する」
その薔薇を掴み上げ、イディオットがニヤリと笑う。
「俺にトラウマなどない。自分で築き上げた自信がある。俺は俺の本当の名前を思い出さなきゃいけない。イディオットなんて馬鹿げた名前じゃなくて、祖母からもらった大事な名前をな」
その様子を見ていたアマネが立ち上がる。ゴキゴキと首を鳴らしながら、彼はイディオットの傍へと剣を引きずって行く。
「やるじゃん、クソザコナメクジ。それが本体みたいなもんなんだろお?」
「そのようだ」
手の平に握られた白い薔薇をイディオットがギリギリと握りしめると、悲鳴を上げる。
「痛い!痛い!なんでそんなことをするの?ただ楽しい時間にしようとしただけなのに!」
「感性の違いにより、解散ってとこだ」
珍しく悪戯っぽく笑うイディオットは僕に視線を投げる。
「ほら、どう料理するかアスカも一緒に考えたらどうだ」
「いや~…もういっそ、一思いに殺してあげた方が…」
帽子屋は物凄い強敵ではあったが、ここまで追い詰められていると、なんだか可哀想になってくる。しかし、イディオットとアマネは割と容赦ないようで、僕と話している間にもイディオットはギリギリと目玉を握りしめたり、アマネは自分がよく舐めている棒付きキャンディで突いたりして遊んでいる。
「コイツ、多分タイマン張って勝たないと正体出さないんだろ。見てて正解だったろ?なあ?ほら、お菓子食べるか?食えるよなあ?」
最初から煽る気まんまんだったアマネは拍車がかかって煽りまくりだ。
でも、言われてみると何となく原理は理解出来る。トラウマは自分で打ち勝たないといけない。本来、具現化出来ないそれは他人の力ではどうこう出来ない原理そのものだ。
だから、帽子屋が見せる幻影に誰かの手を借りた時点で負けが確定する。それをアマネは本能か何かで察していたのか、センスがあるのかもしれない。
「どの道、コイツがいる限り俺たちに安寧はない。悪いが死んでもらおうか」
「やだ!死にたくない!みんなと遊びたかっただけなのに!アリスと僕でみんなを幸せに…」
帽子屋の言葉が終わる前にイディオットが目玉を薔薇ごと握りつぶす。滲みだす血液で白い薔薇の花弁が赤く染まり、耳をつんざくような悲鳴が鼓膜を震わす。その声は人間のようで、機械とも動物にも聞こえる、聞いたこともないようなおぞましい悲鳴だ。
握りつぶしたイディオットの手の平からボタボタと赤い血液が溢れ出す。トマトを絞った後のように濡れてベタつくその手を、彼のポケットに入れていたハンカチで拭き取ると、大きなため息を吐いた。
「厄介な相手だったな。しかし、これで当面の間は大丈夫だな」
「そうですね。大事になる前に止められて良かったです」
本当に良かった。ミズキが狙いだったのだとすれば、長い時間接触させたりすれば、何が起きたか分からない。そう考えれば、ミズキに退避をお願いしたのは正解だったのかもしれない。
「とりあえず、ミズキたちと合流したいですね。彼女もこちらに向かってると思いますし、彼女がいてくれれば集団行動も楽になるんじゃないでしょうか」
すっかり夜が深まり、月が真上から過ぎている。清々しいような気持ちで空を見上げ、僕は一息つく。
これだけ戦ったのだ。休憩くらい入れたい。身体も頭も気持ちも疲れた。
「城に着いたら軽く休憩しましょう。そしたら白兎を…」
背後にいる2人に振り返る。そこで僕は初めて違和感に気が付いた。
イディオットが口を半開きに、半端に肩を回した姿のまま止まっている。アマネもだ。口にキャンディをくわえたまま、歩き出す状態で停止しているのだ。
ポツポツと冷たいものが頭上から落ちてくる。透明なそれは次第に数を増やし、地面を濃い色へと変えていく。
雨だ。どんどん強くなる雨足に混ざって、何かを引きずるような音と足音が森の奥から聞こえる。
「…ジャッジ?」
時間停止と雨は白兎の能力だ。疑いようもなく、ジャッジが傍にいる。
だけど、なんだろう。どうしようもない胸騒ぎがする。
ズルズル。ズルズル。何かが引きずられる音。茂みをかき分ける音。風も何もかもが止まった世界で、雨音とそれだけが聞こえた。
バツンッと何かが弾けるような発砲音と、何かが風をきって僕の横を掠めた。静寂の中、大きな物が背後で倒れた。
「…え」
何が起きたか分からず、呆然とするが、嫌な汗だけが背中を伝う。ザワザワと胸が騒いで、動悸がした。呼吸が早くなる。耳が静寂で痛くなる。
振り返らなくては。呼吸が荒くなる。唾を飲み込む。
振り返らなくては。確かめなくては。いや、振り返りたくない。確かめたくない。目が乾く。口が渇く。動悸で心臓がおかしくなりそうだった。
ゆっくりと振り返ると、地面にイディオットが倒れていた。頭から大量の血を流しながら、起きた出来事を自覚していない顔のまま、停止したまま彼が倒れている。
「ようやく面白くなってきたね」
誰かが言う。耳鳴りがした。甲高い音がずっと頭の中で鳴り響いている。口から空気しか出なかった。色んな言葉が喉へとせぐり上がって、胸でつかえて渋滞する。
「あ…ああ…そんな…嘘だ…」
身体中が小刻みに震えて言うことを聞いてくれない。それでも無理やり身体を動かして、僕はイディオットの元へと駆け寄った。
時間は止まったまま。血だけが雨に流されて、イディオットの体内から出ていく。
嘘だ。嘘だ嘘だ。どうしてこうなった?何故?イディオットが死ぬ未来は回避したんじゃないのか?ハッピーエンドは目前だったはずだろう?
イディオットの頭には太矢が深々と突き刺さっている。長さから考えて、それは明らかに脳まで達している。
疑問符ばかりが頭を埋めつくして、頭が真っ白になる。そんな僕の様子を見て、誰かが笑う。
「やっぱり物語には起承転結がないと」
茂みから出てきたのは赤毛の少女。深い青の瞳に水色のワンピースを纏った彼女の片手にはボウガン。そして、もう片手には誰かの腕を掴んで、その本人を地面に引きずっていた。
「…逃げろ…」
掠れた声がする。真っ白な髪に、片方しかない兎の耳。彼の両足はあらぬ方向にねじ曲がり、足としての機能を失っていた。
「逃げろ…アスカ…。彼女には、勝てない…」
青年が顔を上げる。青白く、幽霊のように生気を失ったその顔は見間違いようもない。白兎のジャッジだ。
赤毛の少女はそばかすだらけの顔でギザギザの歯を見せて笑う。
「君の物語、詳しく見せてよ」
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