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第7章
110 異変4
しおりを挟む“神獣サハラ”がアシュリーを飲み込むという…意外な方法で聖女宮へと連れて行った後の控室内は、神聖な空気に満ちて静まり返っていた。
レティシアは勿論、ゴードンとルークもサハラの獣化した姿を見たのは初めて。神秘の塊のような姿は、クオンから感じるモフモフした動物的な愛らしさとは別物である。
(…サハラ様は…もののけ?みたい…)
最初に我に返ったのはゴードンだった。
「…レティシア、殿下はどちらへ?聖女宮か?…サハラ様は一体何と?」
「…えっ?…あっ…はい…」
サハラが獣化していたために言葉が理解できず、ゴードンとルークには話の内容が半分しか伝わっていなかったのだと気付く。
「殿下は聖女宮で預かると…サハラ様が仰っていたので、お姉様が治療をしてくださると思います」
「…あぁ…よかった。それなら一安心だ…」
ゴードンは天井を見上げてフーッと大きく息を吐き出す。その隣では、ルークが床に腰を下ろし…顔や頭を手でガシガシと落ち着きなく擦っていた。
「……ごめんなさい…全て、私のせいです。私が感謝祭に参加しなければ、何も起こらなかったのに…」
「殿下は、ご自分でお決めになったことを後で誰かのせいになさるお方ではありません。あなたは大公殿下の秘書官ですよ?…顔を上げて」
「…ゴードンさん…」
レティシアに出会ってから少しずつ変わり始めたアシュリーが『感謝祭へ行く』と知って、ゴードンが驚いたのは事実。嫌いなパーティーへの参加も、そのきっかけが何であったとしても、従者であるゴードンは主人の決定に異を唱えていい立場ではない。レティシアを責めたりなどできるわけがなかった。
責任が生じるとするならば、それは何年もアシュリーに仕えてきたゴードン自身にある。
この一ヶ月間、小さな異変を見落としてはならないと注意してきたつもりが、主人の揺れ動く感情の機微を察するあまり…体調不良と嫉妬心を読み違えたようだ。
「すでに起こってしまった出来事より、その後どう対処するかのほうが大事な時もあるんです。レティシアは、よく頑張ってくれました」
「…ドレスに施された聖魔法…お姉様のお陰です…」
「…なるほど…」
プリメラの騒動で、ドレスに聖魔法がかかっているのはゴードンも知っていた。聖女サオリの初動の早さについて理解はしたが、サハラを使いに出すとは恐れ入る。
「ゴードンさん、私たちも聖女宮へ向かいましょう」
レティシアがそう言ったところで、控室の扉付近からパタパタと数人の足音が聞こえた。
やって来たのは、エメリアとレティシアのドレスを着付けてくれた数名の女性たち。代表者のエメリアが礼儀正しく頭を下げ、ゴードンへ挨拶をする。
「私は聖女様にお仕えしている、エメリアと申します。聖女様の命により、レティシア・アリス様を聖女宮までお連れいたします」
──────────
「お部屋を出る前に、少し…ご準備をいたしましょう」
レティシアの乱れた姿を前に思うところはあっても…女性たちは努めて冷静に、細やかな心配りをしながらドレスを魔法で修復し元通りにしていく。エメリアは、レティシアの崩れた髪をさっと結い上げ直す。
「…耳飾りが…」
「…え?」
小さな声に反応したレティシアが、パッと耳を触った。
(左のイヤリングがない?あの高そうな宝石の…嘘!…ベッドに落とした?!)
「アリス様、何も問題はございませんわ」
「…で、でも…」
「どうか、今はこのまま…ご心配なさいませんように」
エメリアはニッコリ微笑むと、そっと残った右の耳飾りを外し…女性の一人に目配せをしてから手渡した後、レティシアの背中に手を添えて誘導する。
「さぁ、聖女宮までご案内いたします」
「…え、えぇ…」
「レティシア、私は諸々を片付けてから向かう」
「はい…ゴードンさん、お願いいたします。ルーク、上着をありがとう」
「…あぁ…」
元の美しいドレス姿へ戻ったレティシアは、エメリアたちに囲まれた状態で控室を出た。
♢
「では、耳飾りを探させていただきます」
エメリアから耳飾りを受け取っていた女性は、一人残ってベッド周りを隈なく捜索していく。上から下へと順に探し、床で四つん這いになったところで首を傾げて動きが止まる。
「……あの、大公様の上着などはございますか?」
「こちらに置いてあります」
レティシアが脱がせたアシュリーのコートと上着は、ゴードンがちゃんと椅子にかけていた。
「…コート……確認させていただきます」
女性は何か思いついたようにコートの右袖、カフ部分の折返し辺りを探る。
──────────
──────────
『………報告は以上だ。聖女宮へは私が行く。殿下の容態は後で知らせるが、しばらくは休養が必要だと思う。カリムには、カインたちへの連絡を頼みたい。ユティス公爵様には、ルークが伝える』
【カリムです。了解】
『ありがとう、皆ご苦労だった。解散』
ゴードンが魔導具で他の従者へ説明をしている間に、ルークは手早くベッドを整え、レティシアが使ったナイフの血を拭って室内を片付けた。
「ここに長居は無用だ。耳飾りも見つかってよかった」
「はい」
「…レティシアは…押し倒されたか…」
「殿下が熱で意識を失ったので、無事だったんでしょう」
「殿下に攻撃的な行動が見られたのは初めてだな」
不測の事態が起こった場合は、ゴードンたち従者に必ず声が掛かる。体調不良ならば、より早く周りと連携を取る必要があると十分に理解していたはずのアシュリーが、冷静さを欠いて感情のままにレティシアを連れ去った。
「…バルコニーを出たところで引き留めていれば…」
「それは今だから言える話だ。逆に…アフィラム殿下との接触がなくてよかった」
そもそも、興奮したアシュリーを制するのは難しい。
レティシアが廊下に一人で飛び出して来たからこそ、今回の件にアフィラムを巻き込むことなく、大きな騒ぎにもならずに済んだとゴードンは思っている。その代わり、彼女一人が犠牲になった。それを、どこか俯瞰的に捉えようとしている自分に…少し嫌気が差す。
主人を救おうと、いじらしくも懸命な姿を思い浮かべて眉をひそめる。
「…女性に触れれば殿下は体調を崩す、襲うのは理論的にあり得ないはずだった…」
「レティシアだけは例外ですからね」
「触れる唯一の存在という意味ではそうだが、不思議じゃないか?殿下は黒コゲになっていない。エルフの加護を受けたレティシアを襲ったのに…だ」
「…つまり…殿下も、レティシアにとっては例外…?」
「そうでないと説明がつかない。襲ったというのか…もしかすると、殿下は本能的に“刻印”を与えようとなさったのかもな」
「刻印?…成人王族のみに許される行為ですよね」
「あぁ。伴侶を決める秘匿の儀式らしいから、殿下はあまりお話にならない。ただ、相手と同意の上でなければ成立しないと聞いている」
「…相手が殿下であっても、我を失った状態では…」
ルークが拳を強く握ったのを、ゴードンは見逃さなかった。
「恐ろしかっただろうな…だが、傷ついた自分より殿下のことを優先した。気丈で、責任感が強い女性だ」
「…護衛係としては、もう少し自分を大切にして貰いたいものです。危なっかしくて…見ちゃいられない…」
「だからといって、あんなに強く抱き締めるのはどうかと思うぞ?」
「…っ…それは…すいません…」
“赤髪の一族”であるルークは、その血を残さないために女性とは縁遠い生活を自らに課している。
レティシアの護衛として側にいれば、感情的になる時もあるだろうと…ゴードンは、珍しく赤面するルークの顔を見て目を細めた。
「…一度だけならば、見逃してやるよ…」
────────── next 111 聖女宮
いつも読んで頂き、誠にありがとうごさいます。
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