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第8章
111 聖女宮
しおりを挟む「こちらの…昨日と同じお部屋をお使いください」
「ありがとうございます」
エメリアは、レティシアを聖女宮の客間へ通した。客間とは、今朝方クオンに驚いて叫び声を上げた部屋のこと。
「大公様の回復にはお時間が掛かります。しばらくは聖女宮でお過ごしいただくようにと…聖女様がアリス様のご滞在を許可なさいました」
「…お姉様が…」
「はい。今後は、お部屋をお出になる際にベルを鳴らして知らせていただきます」
「ベル?…あ、この紐を引けばいいのですね」
「軽く引っ張ってくだされば、私共がすぐにアリス様のお側へまいります」
「分かりました」
神獣と聖女が住まう“神域”とも言うべき聖女宮の奥に、サオリの祝福とサハラの加護を受けたレティシアはすんなりと迎え入れられている。しかし、守るべき宮殿の規律を知らない者が一人で出歩いてはならない。
「身の回りのお世話は、お部屋付きの者がいたします。右から、カーラ、ジェイリー、パトリシアです。何かございましたら、私エメリアにお申しつけくださいませ」
「よろしくお願いします。あの…エメリアさん、早速で申し訳ないのですが…」
レティシアは『大公殿下の様子を知りたい』と頼んだ。
♢
「アリス様、大公様はすでに治療をお受けになったそうでございますよ」
「本当ですかっ!」
「現在、治療室で休んでいらっしゃいます。ご安心なさってください」
「…あぁ…よかった……よかったわ…」
(サオリさん、ありがとうございます!!)
エメリアの報告を聞いて、レティシアは胸を撫で下ろした。聖女宮へ運ばれたアシュリーに“癒しの祈り”を施したサオリは、感謝祭の会場へ戻って行ったという。
「殿下にお会いするのは…難しいでしょうか?」
「聖女様は、室内に聖なるお力を注いで満たすことで大公様の治療をなさいます。そのため…治療室にはお入りいただけません」
「えっ?…部屋に入れない…」
「はい、大量の聖力を必要とする治療なのです。どうか、聖女様がお戻りになるまでお待ちください」
「…………」
(…殿下のお顔どころか…姿すら見れないなんて…)
喜びから一転、レティシアはショックのあまり黙り込んだ。
エメリアの説明は十分に理解できている。
アシュリーはサオリの神聖な力によって治療を受けている最中で、心配はない。会いたいと我儘を言えば治療に差し障りがあるし、側に寄り添ったところで回復するわけでもない。レティシアにできるのは、ただ静かに感謝祭の終宴を待つことだけ。
(サオリさんは殿下に直接触れて治療ができない。その分、聖力や時間がたくさん要るのかも)
あの燃えるような高い熱や、胸の息苦しさは治まったのだろうか?レティシアは自分の目で見て、身体に触れて…アシュリーの無事を確かめたかった。
顔色を青くして落ち込む様子を見兼ねたエメリアが、少し困った顔をして口を開く。
「今の大公様のご容態は分かりませんが…以前体調を崩された時には、聖女様が絶えず祈りを捧げる治療をなさいました。ご祈祷のわずかな合間に、アヴェル前国王陛下は大公様にお会いになっておられたと思います」
「…では、会うことはできるのですね?」
「私が申し上げられますのは、以前はそうだったというお話までですわ。ただ…意識がお戻りになったのは、二日後でございました」
(そうよ…確か、二日間意識を失っていたと話していたじゃない)
感謝祭一日目が終わるまで残り約二時間。時計を見つめる青い瞳は、輝きを失っていた。
──────────
「アリス様、よろしければ…ドレスのお着替えと湯浴みをなさっては如何でしょう?」
「…あ、そうだわ…ドレス…」
客間で時間が経つのをじっと待っていたレティシアは、エメリアに湯浴みを勧められる。言われてみれば…まだドレス姿だったと気付いて、素直に従った。
「アリス様…指に血が!」
浴室で手袋を外した途端カーラに驚かれてしまったものの、その後は手際のいいエメリアたちの手であっという間に丸裸にされ、身体の隅々まで洗われる。
独特な雰囲気の中、レティシアはされるがまま…ドレスを初めて着た時よりも遥かに恥ずかしかった。
乱暴を受けた形跡も口付けの鬱血痕もないレティシアの綺麗な身体に、エメリアは安堵の表情を見せる。
(…あのままだと…危なかったわ…)
アシュリーの官能的で濃厚な口付けを思い出して、レティシアの顔がカッと火照った。あれ程強く求められれば、身体の疼きと悦びに抗えず流されても仕方がない。
正常な状態ではなかったのだから、当然今回の口付けもノーカン(二度目)とする。
「お湯には聖水を混ぜております、ゆっくりとお入りください。マッサージと…御髪も洗わせていただきます」
「…すみません…お願いします…」
魔法薬の効果がまだ続いていたため、エメリアは長い髪を手に取って丁寧に櫛で梳いて洗う。
レティシアは薄い湯着を羽織り、浅い湯船で寝転ぶようにして湯に浸かると、身体の力を抜いて目を閉じた。頭皮を程よい力加減で揉まれ、思った以上に凝り固まっていたガチガチの身体をマッサージで解して貰い、ようやく緊張感から抜け出す。
「アリス様は、お化粧をなさらなくてもお美しいわ」
「白い肌と、輝く高貴な色合いの瞳が魅力的です」
「秘書官のお役目でご多忙ですのに、プロポーションを維持していらっしゃるのですね」
エメリアをはじめ、サオリの側に仕える女性たちは、妹認定された異世界人のレティシアにとても好意的に思える。
「…どうもありがとう…」
「あなたたち、アリス様は恥ずかしがり屋でいらっしゃるのよ?湯浴みの途中でそんなお喋りをされては…お困りでしょう…」
褒め言葉の返答に困ったレティシアは、礼を言って上品に微笑むのが精一杯。その言葉足らずを、有能なエメリアが上手くフォローしてくれた。
♢
「少し、お顔の色がよくなられましたね」
「疲れが取れた気がします」
聖水入りのお湯の効果は早い。肌はスベスベになり、身体も幾分軽く感じられる。
エメリアの介添えで、どこかで見たことのあるような…肌触りのいい薄いブルーのワンピースに袖を通した。
「アリス様は、堅苦しいドレスがお好みではないとお聞きしております。こちらのワンピースは、ユティス公爵家より届けていただきました」
「公爵家からですか?」
「ロザリーという公爵家の侍女が直接持ってまいりまして、アリス様に一目お会いしたいと待っております」
「…ロザリーが…」
─────────
「レティシア様っ!」
「ロザリー、来てくれたのね…ありがとう」
「…大公殿下とレティシア様が大変だったって兄から聞いて…私、ビックリしたんです…」
「えぇ…殿下は今治療中なのよ」
ロザリーは急いでやって来たのか、外出時用の外套を身に着けず侍女服のまま…いつもピタリと張りついている前髪も乱れている。
「レティシア様は?…お怪我はありませんか?」
「ないわ、私は大丈夫。魔法の鍵が掛かった部屋に閉じ込められて、出られなくなっただけよ」
仕えているレティシアの安否を確認するまで、不安で公爵邸へ帰れなかったのだろう。ロザリーの健気な姿とさっきまでの自分の状況が重なって、安心させてやらなければと心から思った。
「私…兄に、レティシア様をしっかり護衛するようにって言ったのに。…もう絶交です!」
「ロザリーったら…ルークは悪くないわ。私のSOSに気付いてくれたの、絶交なんて可哀想よ?」
「可哀想くないですっ!」
ロザリーは小さな手で大きな鞄を持ち、強く握り締めた持ち手をプルプルと震わせながら、ブルーグレーの瞳いっぱいに涙を溜めている。
「…心配かけて、ごめんね…ロザリー…」
レティシアがギュッと抱き締めてやると、ドサッと鞄を床に落とし、レティシアにしがみついて大粒の涙を流した。
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