前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)

miy

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第7章

109 異変3

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「よかった!やっぱり外にいたのね」


ゴードンとルークは、レティシアの明るい声と…ボロボロになった姿が一つに結びつかずに絶句する。


「殿下が、高熱で大変なの!…助けて…」


ベッドに向かって歩いたかと思うと、レティシアはよろめいて床に座り込んでしまう。手には果物ナイフが握られていた。


「……おいっ…レティシア!」

「ルーク、レティシアはお前に任せる!…殿下っ!!」


アシュリーが高熱だと聞いたゴードンの行動が素早く的確だったのは、過去に一度だけ…その経験があったからだ。




──────────




「…ルーク…気付いてくれて…ありがとう…」


レティシアの身体から一気に力が抜け落ちる。無力な自分が今できる限りの役目を何とか果たし、ゴードンへバトンを繋いでホッと安堵した。

しかし、アシュリーの苦しみは依然として変わらない。そう思うと悲しくて、ルークを見上げるレティシアの美しい瞳からはポロポロと涙が零れ落ちる。


「…レティシア…」


腫れぼったい小さな唇で、何度も吐息を漏らすレティシアの姿は…憐れだった。
綺麗に編まれていた髪が解けて乱れ、耳飾りとレースの手袋はどちらも片方のみ。ドレスの首元の生地は垂れ下がり、たわわな胸の谷間がほぼ見えてしまっている。

アシュリーの防音魔法によりレティシアに何があったのかは分からないが、どう見ても…襲われた後にしか見えない。


ルークも男、女の抱き方なら知っていた。大切に扱わなければ、苦痛や恐怖を与えるということも。



    ♢



「その…俺が触れても構わないか…?」

「…ぐすっ……うん…」


ルークは上着を脱ぐと、躊躇いながらレティシアに羽織らせる。


「給仕係の服で悪いが、ないよりマシだろう。ほら、ナイフをこっちへ」

「…はい…」


レティシアは、差し出しされた手に果物ナイフを素直に乗せて手放した。
血がついたナイフとレティシアの赤い指先を見たルークは、口元をギュッと引き結んでテーブル上の果物籠の隣にナイフを返す。


「ルーク、ねぇ…殿下は?…殿下は大丈夫かな?」


レティシアは、身体が小刻みに震えていることにすら気付いていない。興奮が冷めず、ベッドを見つめ続けてアシュリーの容態をしきりに心配する。


「今まで、同じ状況を何度も乗り越えて来られたお方だぞ。大丈夫に決まっている」

「本当?本当に大丈夫?…身体が熱くって…熱が…」

「レティシア、落ち着け。ここはアルティア王国、その王宮の中だ。すぐ側には聖女様がいらっしゃる。殿下は大丈夫、分かるな?」


ルークはレティシアの濡れた瞳から目を逸らすと、べそをかく子供に服を着せるように…両腕に袖を通し、サイズの合わない長過ぎる袖口を折り曲げ、上着の前ボタンをきっちり留めた。


「……どこか…異常はないか?」


袖口から顔を出した細い手を取り、レティシアを立たせる。ドレスのスカート部分が裂けているのは見て分かっても、捲って素足を確認するわけにはいかない。


「私、怪我はしないから…平気」

「なら、この指はどうした?誰の血だ?」


やや食い気味に言葉を被せるルークの口調は、詰問しているかのようだった。

異世界人のレティシアは、話す言葉のみならず書いた文字も翻訳される。扉の下から差し込まれた紙には『たすけて』と書かれていた。それは血文字、つまり…レティシアが指先を傷つけて書いた文字だ。


「ペンがね、魔法のペンで…私には使えなくて…他に方法を思いつかなかったの…」

「…指を…切ったんだな…」



    ♢



レイヴンの魔術に守られ、怪我をしないレティシア。


(でも、それにも“例外”というものがある…)


現世のレティシアのように、自傷行為をすればダメージを受けてしまう。
それが、魔力のない者に対する魔術の限界なのか、他人から与えられた魔術であるせいか…理由など知らない。

だから、大魔術師のレイヴンは大切な彼女現世のレティシアを守り切れなかったのだと…レティシアはそう思っていた。



    ♢



「うん。だけど…切っても、すぐに治り始める…少ししか血が出ないの。何回か切らないといけなくて…」


どんな気持ちで、自分の指に刃先を何度も当てたのか?『痛くないよ』と、乾いた血で赤く染まった指を隠して話すレティシアを、ルークは物悲しげな表情で眺め…床に落ちていた手袋を拾ってそっと渡す。


「ナイフを持っていたのは、扉の下の隙間が狭くて…紙を押し込むのに使ってて…」

「分かった…もういい。…一人でよくやった」


ルークは、虚ろな目をしたレティシアを抱き締める。柔らかな髪の中に手を埋めるようにして、頭と腰をしっかりと抱え込んだ。


「…私のことはいいの。それより…殿下が…」

「…いいわけが…ないだろう…」


さらに腕の力が強まり、レティシアはルークの胸に顔を押しつけられ…若々しい男性の香りを嗅ぐどころか、窒息しそうになる。


「…ルーク?!…どさくさに紛れて何を…」


ゴードンの少し非難めいた声にハッとしたルークは、レティシアの髪を整えて『ごめん』と呟いて解放した。


【マ、マルコです!聖女様が…ハァ…レティシアの下にサハラ様を向かわせたと…ハァ…そう皆に伝えるように言われました】

『何?サハラ様だと?!』

【…はい…サハラ様です…】

『…りょ…了解した…』

【カリムです。カインと補佐官殿を発見、どうしますか?】

『二人にも知らせておけ……ただし、ここへは来ないように伝えるんだ』

【了解】

【チャールズです!任務完了】

『ご苦労だった。全員待機、連絡を待て』


(…よかった、もう安心していいよね…)


レティシアは、アシュリーが横たわるベッドの側で跪き、熱い手を握る。


「殿下…後少しの辛抱です、頑張って」




──────────




─ キラッ キラキラッ ─



部屋の床…レティシアの側に、雪の結晶のような形をした大きくて真っ白い紋様がいきなり現れ、三人は驚く。


「ルーク、こっちへ来い!」


ゴードンはルークを呼び寄せると、扉の側で腰を低くして控える。


紋様の中心からパアッと明るい光が漏れ出すと、そこから透き通った青い目、白銀に輝く毛並みをした巨大なトラがズズズッと顔を覗かせ…ピン!とひげを立てた。

神獣サハラの“獣化”した姿は恐ろしく大きい。顔の横幅だけで1.5メートル以上はあるだろうか?


「…サ…サハラ様?…」

『…アリス…無事か…?』


ギョロリと動いた目玉がレティシアを捉え、人化した時とは違う穏やかな声が耳に響く。


「は…はい、私は無事です。あの…サハラ様、殿下が大変なんです!お願いします、助けてください!!」

『…大公?…うむ…部屋が狭いな…』


サハラは極太な前足を片方ずつ慎重に出し、腰?辺りまで床から這い出る。チカチカと輝きながら、幻影のような姿でアシュリーの側へと近寄りニオイを嗅ぐ。
レティシアはあまりの煌めきに、目を細めた。


『眩しいか?精霊の力を借りておるのだ…今は許せ。聞いていた話とは様子が違うようだが、これもまた運命というもの…』

「サハラ様?」

『サオリは、お前を聖女宮へ連れ帰れと言っていたが』

「私を?…殿下も一緒に連れて行っていただけないでしょうか?すぐに治療が必要なんです」

『今は一人しか連れては帰れぬ』

「それならば、殿下を!」

『分かった。…このまま、大公は聖女宮で預かろう』

「サハラ様、殿下は大丈夫ですよね?!…キャッ!」


サハラが大きな口を開け、アシュリーをペロリと飲み込んだ。


「…へ?!…で、殿下が……食べ…」


(…消えた…?!)


呆然とするレティシアの身体に、サハラはスリッと顔を擦りつける。


「わっ!」

『我は神獣ぞ?人など食わぬわ…案ずるな。サオリが大騒ぎをしておった。お前の無事を伝えよう。いつでも聖女宮へ来るがよい』


サハラが後退り、真っ白い紋様の中に沈んで見えなくなると、床に残された紋様は用が済んだと言わんばかりに…キラキラと舞い上がって消えてしまった。










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