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第14章
192 公爵令嬢レティシア
しおりを挟む「…義姉上っ!」
カラッとよく晴れた昼下がり。
ユティス公爵家の後継者ラファエルは、庭園の中央で揺れる麦わら帽子を見つけると、一目散に駆け出した。
白い花が一面に咲いた花壇の側で、泥のついたドレスを叩きながら立ち上がった…義姉上ことレティシアは、鮮やかな青空の如く澄んだ紺碧の瞳を丸くして首を傾げる。
「あら、ラファエル?」
土汚れがついたドレスとのんびりしたレティシアの口調に、息を切らしたラファエルは一瞬天を仰いだ。
「『あら、ラファエル』…ではありません」
「一体どうしたの?」
「大公殿下がお見えになっております」
「はっ!…そうだわ、今日はお茶をご一緒する日…えっ、もう三時?!」
ラファエルが差し出した懐中時計を見た途端、毛を逆立てた猫のようにレティシアの全身が戦慄く。
「幸い、お約束の時間よりも早くお越しになりました。急げば間に合います…が、そのドレスはいけません。すぐに戻って着替えましょう」
「大変…私ったら……あ、ケルビン…ケルビーン!」
「ちょっ…義姉上!」
麦わら帽子とドレスの裾をそれぞれ手で掴んだレティシアは、ギョッとするラファエルに目もくれず、柔らかなミルクティー色の髪を揺らしてあっという間に作業小屋へと走って行ってしまう。
刻印の儀から二ヶ月足らずで、レティシアはユティス公爵の養女となった。
居候生活時代に使い慣れた魔導具や設えを別の部屋へと移し、新たに家族として迎え入れてくれた公爵夫人クロエの心遣い、また、元々公爵家勤めだったとはいえ…ロザリーたち侍女ごとレティシアを受け入れるユティス公爵の懐の深さには感謝してもしきれない。
そのお陰で、公爵夫妻の娘、ラファエルの姉という急ごしらえの立場であっても、過ごしやすく不自由のない貴族令嬢暮らしができている。
勿論、単に住まいが変わっただけではない。
ラスティア国大公アシュリーと正式に婚約するまでの約一ヶ月、レティシアは公爵家で社交と礼儀作法の基礎や教養を学んでいた。秘書官勤めを半分に減らした分、週の後半になると極度のレティシア不足に陥るアシュリーは、こうして度々公爵邸へとやって来る。
ラファエルは、自由過ぎて行動が読めない義姉レティシアの背中を慌てて追い掛ける護衛(女性)を気の毒に思いつつ…自身もそれに続いた。
♢
「お…お嬢様…?」
「ケルビン、花壇のお花を見たわよ。とっても綺麗、見事ね!あなたに頼んで正解だったわ」
「よ…よかった、い…いつでも見に来てください」
亡くなった庭師ザックの想いを継いで、庭園を美しい花で飾ったケルビン・ウィンザムは、うれしい褒め言葉に肩を窄めて恥ずかしそうな仕草をする。同い年の彼を少年っぽく見せる…頬に散ったそばかすがチャームポイントだ。
王命により公爵家へ預けられたケルビンは、穏やかな日々の中でクロエやラファエルの優しさに救われ、目覚ましい回復を遂げていた。
幼少期に吃音症を患い、家族の不幸や軟禁状態が続いて再び言語障害に悩まされた彼には対人不安が根強く残る。それでも徐々に行動範囲を広げ、外へ出て自然に触れながら花や草木の手入れをするようになって以降は明るい笑顔を見せ始めていた。そんなケルビンの様子を、ユティス公爵もあたたかい目で見守っている。
「えぇ、時間を忘れて見惚れていたわ…ザックさんもきっと喜んでくれていると思う、本当にありがとう」
「…はい…」
「ごめんなさい、私もう行かないといけなくて…これ、借りていた帽子を返すわね。じゃあ、また!」
ケルビンに手を振り、レティシアが作業小屋の扉を勢いよく開けて一歩踏み出した…その先には、地面に跪く護衛二人と蒼白い顔をしたラファエル、そして黄金色の瞳をキラキラと輝かせたアシュリーが立っていた。
「……え?」
「レティシアじょ……待て、なぜ扉を閉めるのだ」
アシュリーはレティシアが反射的に引っ張った扉が閉じる前に、素早く手で制止して足を挟む。
「申し訳ございません…何となく…身体が勝手に」
「すまない、驚かせてしまったようだな。レティシア嬢に早く会いたくて迎えに来たんだ。貴女がどこにいても…私には分かるからね」
「…アシュリー様…」
「恋する男の我儘だと思って許してくれるとうれしい。小公爵もそんな怖い顔をするな、どうか彼女を叱らないでやってくれ」
「…大公殿下…」
この庭園はレティシアが誘拐された現場。二度と同じ事件を起こさないために万全を期して守りを固めていたとしても、アシュリーの胸はざわついたことだろう。
そう思うからこそ、ラファエルとレティシアの二人は気不味さを隠せない。しかし、アシュリーは場の空気を和ませて姉弟に気を遣わせまいとする。その思いを汲み取ったレティシアは、背筋をピンと伸ばした。
「ご挨拶が遅れました、本日はお越しくださいましてありがとうございます。お許しいただけるのなら、身支度を整えてアシュリー様とお茶を楽しみたいと存じます」
「うん…あぁ、丁度よかったかもしれない。実は貴女にプレゼントがある」
「プレゼント?」
「今度、初めて茶会に参加すると耳にした。ドレスを持って来たから、着替えて是非私に見せて欲しい」
「…まぁ…」
「一緒に参加はできないが、ドレスを身に着けていれば私を感じていられるだろう?」
「ふふっ…それは心強いですね」
「…やっと笑ってくれたな…邸までエスコートしよう……っと、やぁ!ケルビン」
アシュリーは小屋から顔を覗かせていたケルビンに声を掛け、手招いて側へと呼んだ。
「た…大公様…こ…こんにちは」
「こんにちは、ケルビン。少し日に焼けたね」
アシュリーは身を屈めて小柄なケルビンに目線を合わせ、威圧感を与えないようにゆったり構える。
「…はい…そ…外にいますので…」
「元気そうで何よりだ。レティシアとは仲良くなった?」
「お…お嬢様は、太陽の女神みたいなお方です。た…大公様とお似合いです」
「…ん?女神…そうか…どうもありがとう。作業の邪魔をして悪かったね、戻っていいよ」
「い…いえ…失礼いたします」
ピョコピョコと頭を下げて、ケルビンは小屋の中へと戻って行った。
──────────
──────────
「素晴らしいですわ!完っ璧です!」
「「ありがとうございます」」
向かい合って丁寧にお辞儀をしたアシュリーとレティシアを前に、ダンス講師が派手に手を叩く。
「わたくし、ダンスは弾けるような情熱…要するに、パッションが全てだと思っておりましたの。ですが、お二方の内に秘めた深い愛と情緒溢れる感性、控えめで甘いムードのロマンティックなダンス!素敵です!わたくし、恥ずかしながら毎回引き込まれてウットリしていますわぁ。パーティーが楽しみです」
パトリックが探してきたダンス講師は、口数が多いのが特徴。尤も、大人の初心者は見て動け!と言われても無理。表現力が豊かで、口頭で詳しい説明ができる講師を選んだ点は有り難いと言うべきか。
因みに、彼女がアシュリーとレティシアのペアダンスを絶賛しているのは、決して忖度やお世辞ではない。
婚約発表の場でダンスを披露すると決まってから、レティシアは先ず映像や本による座学を受けた。
過去にダンスを習得していなくても、パーティーで紳士と淑女が踊る実際の姿を目にして来たアシュリーとの差を事前に埋めておくためである。
それが功を奏したというのか…手を上げろ、背を反らせと講師に指示をされれば、レティシアは絶妙な角度で女性らしいしなやかな曲線美を描いてピタリとポーズを決める。ターンをすればブレずにクルリと回り、長いスカートをヒラリと軽やかに捌く。
知識を得たレティシアが、優秀な侯爵令嬢レティシア・トラスの身体と完全に同化して、最強の公爵令嬢となった瞬間であった。これは、当然ながら礼儀作法にも通ずる。
アシュリーはというと、やはり何でも卒なくこなす王子様だった。ダンスの注意を受けるよりも、レティシアを無駄に見つめ過ぎで講師に指摘を受けることのほうが多かった気がする。
義母クロエと共に初参戦した先日の茶会では、会話はまぁそこそこ…美貌と華麗な所作は十分に披露して存在感をアピールし、無事勝利を収めた。
────────── 193 公爵令嬢レティシア2
とうとう12月。寒い毎日、皆様お身体に気をつけてお過ごし下さい。
いつも読んで下さいまして、ありがとうございます!
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