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09 あの時の人
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(もしかして、やっぱり迷子なのかしら……?)
ティナの様子がやはりおかしい。安心させようと頭に手を伸ばした瞬間、遠くの方から鋭い声が響いた。
「ティナに触れるな!」
「っ!?」
突然の怒号にハッとして振り返ると、茂みの向こうから黒衣の男が姿を現した。春の光を背に立つその人影に、フィオレッタは思わず息を呑む。
淡く光る銀髪に、鍛え上げられた体躯。
すらりとした長身が陽光を遮り、影がこちらに落ちたように感じる。
ただ立っているだけで、空気が一変するような、威圧感のある男だ。
普通の令嬢なら怯えてしまいそうなほどの険しい眼差しをしていたが、フィオレッタは別のことで頭がいっぱいになっていた。
(この御方……あのとき温室で助けてくれた方だわ)
フィオレッタを襲おうとした貴族子息を追い払い、迷子に気をつけろとだけ言って去っていった人。
まさかこんなところで会うことになるなんて、誰が思うだろうか。
しかし、彼の表情はあのときとはまるで違っていた。あのときもフィオレッタには興味がなさそうだった。覚えているはずもない。
底知れぬほどの冷たい眼差しがフィオレッタを真っ直ぐに射抜く。
「ティナから離れろ。お前は何者だ」
低い声が空気を震わせる。
驚いたティナが小さく肩をすくめたが、次の瞬間、花束を抱えたままフィオレッタの背に隠れてしまった。
「おじちゃま……! ち、ちがうの、このおねえちゃまはやさしくしてくれたの。クーちゃんもなおしてくれたよ!」
ティナの声に、銀髪の男は一瞬だけ眉をひそめる。
それでも警戒は解かず、ゆっくりと歩み寄ってくる。
足音が、草を踏むたびに重く響く。
男はフィオレッタとティナの間に視線を走らせ、まるで敵を見定めるようにその瞳を細める。
どうやらティナはフィオレッタから離れる気はないらしく、背に隠れたまま、スカートの後ろをぎゅうぎゅうと握りしめていた。
「見覚えのない住民だな。名をなんという?」
低く、命じるような声音。
フィオレッタはわずかに息を吸い、乱れそうになる心を押さえつけて顔を上げた。
「私はフィオと申します。ひと月ほど前にこの村へ参りました。宿屋をお借りして暮らしております」
その声は穏やかだったが、しっかりと芯がある。
怯えを見せることが、なぜだか許されない気がしたのだ。
男はしばし黙ってフィオレッタを見つめていた。
春の陽光の中で、青の瞳が冷たく光る。
「宿屋……ヨエルのところか。確かに届けが出ていたな」
そう言いながら、男はゆっくりと視線を落とし、顎に手を添える。
考えを整理するように、短く息を吐いた。
鋭さを含んでいた目元がわずかに和らぎ――それでも、油断という言葉とは程遠い。
男の鋭い眼差しに射抜かれながらも、フィオレッタは静かに背筋を伸ばした。
その威圧感に押されそうになりながらも、誤解だけは解かなくてはと思う。
「今日は教会の奉仕を終えて、帰る途中でした。そうしたら、川のほとりで泣いているこの子を見つけたのです。ぬいぐるみが破れてしまって、困っているようでしたので……少し縫ってあげただけです」
「そうなの!」
ティナがその言葉にこくこくと頷き、両腕でクマのぬいぐるみ――クーちゃんをぎゅっと抱きしめる。
「ほんとうだよ。フィオおねえちゃまがなおしてくれたの」
「……」
男はティナとフィオレッタを順に見やりながら、何かを計るように沈黙した。
その鋭い横顔に、風に揺れる草の影が落ちる。
ただその様子を見ているだけで、胸の奥に緊張が走った。
だが同時に、フィオレッタには確認しなければならないことがあった。
(ティナをお返しするにしても、お名前を聞いておかなければならないわ)
ティナは先ほど、この男性のことを『おじちゃま』と呼んだ。
二人になんらかの関係があることは間違いないが、何かあった時のために、身元を聞いておく必要がある。
ああしてひとりで出歩いていたのだ。誰かが彼女を狙っていた可能性もゼロではない。それを思うと、この場を曖昧にしたまま引き渡すわけにはいかなかった。
フィオレッタは一歩だけ前に出て、真っ直ぐ男を見上げた。
「失礼ですが……あなた様は、このティナとどのような関係があるのでしょうか?」
緊張して、少し声が震えてしまった。だけれどそれを表情には出さずに、フィオレッタは真っ直ぐにその男の目を見つめる。夜空に似た深い青色の瞳がわずかに細まり、沈んだ光を宿す。
その反応に、フィオレッタは一瞬だけ息を呑んだが、視線を逸らさなかった。
「俺はこの子の叔父だ。このエルグランド領の領主をしている。名は、ヴェルフリート・エルグランド」
「領主さま……?」
驚いて間抜けな声が出てしまった。それは村人たちが時折名前を口にしていた人物だ。
ティナの様子がやはりおかしい。安心させようと頭に手を伸ばした瞬間、遠くの方から鋭い声が響いた。
「ティナに触れるな!」
「っ!?」
突然の怒号にハッとして振り返ると、茂みの向こうから黒衣の男が姿を現した。春の光を背に立つその人影に、フィオレッタは思わず息を呑む。
淡く光る銀髪に、鍛え上げられた体躯。
すらりとした長身が陽光を遮り、影がこちらに落ちたように感じる。
ただ立っているだけで、空気が一変するような、威圧感のある男だ。
普通の令嬢なら怯えてしまいそうなほどの険しい眼差しをしていたが、フィオレッタは別のことで頭がいっぱいになっていた。
(この御方……あのとき温室で助けてくれた方だわ)
フィオレッタを襲おうとした貴族子息を追い払い、迷子に気をつけろとだけ言って去っていった人。
まさかこんなところで会うことになるなんて、誰が思うだろうか。
しかし、彼の表情はあのときとはまるで違っていた。あのときもフィオレッタには興味がなさそうだった。覚えているはずもない。
底知れぬほどの冷たい眼差しがフィオレッタを真っ直ぐに射抜く。
「ティナから離れろ。お前は何者だ」
低い声が空気を震わせる。
驚いたティナが小さく肩をすくめたが、次の瞬間、花束を抱えたままフィオレッタの背に隠れてしまった。
「おじちゃま……! ち、ちがうの、このおねえちゃまはやさしくしてくれたの。クーちゃんもなおしてくれたよ!」
ティナの声に、銀髪の男は一瞬だけ眉をひそめる。
それでも警戒は解かず、ゆっくりと歩み寄ってくる。
足音が、草を踏むたびに重く響く。
男はフィオレッタとティナの間に視線を走らせ、まるで敵を見定めるようにその瞳を細める。
どうやらティナはフィオレッタから離れる気はないらしく、背に隠れたまま、スカートの後ろをぎゅうぎゅうと握りしめていた。
「見覚えのない住民だな。名をなんという?」
低く、命じるような声音。
フィオレッタはわずかに息を吸い、乱れそうになる心を押さえつけて顔を上げた。
「私はフィオと申します。ひと月ほど前にこの村へ参りました。宿屋をお借りして暮らしております」
その声は穏やかだったが、しっかりと芯がある。
怯えを見せることが、なぜだか許されない気がしたのだ。
男はしばし黙ってフィオレッタを見つめていた。
春の陽光の中で、青の瞳が冷たく光る。
「宿屋……ヨエルのところか。確かに届けが出ていたな」
そう言いながら、男はゆっくりと視線を落とし、顎に手を添える。
考えを整理するように、短く息を吐いた。
鋭さを含んでいた目元がわずかに和らぎ――それでも、油断という言葉とは程遠い。
男の鋭い眼差しに射抜かれながらも、フィオレッタは静かに背筋を伸ばした。
その威圧感に押されそうになりながらも、誤解だけは解かなくてはと思う。
「今日は教会の奉仕を終えて、帰る途中でした。そうしたら、川のほとりで泣いているこの子を見つけたのです。ぬいぐるみが破れてしまって、困っているようでしたので……少し縫ってあげただけです」
「そうなの!」
ティナがその言葉にこくこくと頷き、両腕でクマのぬいぐるみ――クーちゃんをぎゅっと抱きしめる。
「ほんとうだよ。フィオおねえちゃまがなおしてくれたの」
「……」
男はティナとフィオレッタを順に見やりながら、何かを計るように沈黙した。
その鋭い横顔に、風に揺れる草の影が落ちる。
ただその様子を見ているだけで、胸の奥に緊張が走った。
だが同時に、フィオレッタには確認しなければならないことがあった。
(ティナをお返しするにしても、お名前を聞いておかなければならないわ)
ティナは先ほど、この男性のことを『おじちゃま』と呼んだ。
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ああしてひとりで出歩いていたのだ。誰かが彼女を狙っていた可能性もゼロではない。それを思うと、この場を曖昧にしたまま引き渡すわけにはいかなかった。
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