婚約破棄されたら、辺境伯とお試し結婚することになりました

ミズメ

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10 領主さま

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(けれど待って、エルグランド領の領主であるエルグランド辺境伯はもっと年上の方だったはず)

 貴族名鑑で覚えたその風貌は、目の前の男とはまるで違っている。肖像画よりもずっと若く、そして恐ろしいほどの迫力をまとっている。

 フィオレッタが知らない間に、代替わりをしてしまったのかもしれない。

 「視察で城下に下りていた。ティナは気晴らしのために連れてきていたが、付き人が目を離した隙にいなくなったようだ」

 彼が一歩近づくたび、靴底が土を踏む音がやけに重く響く。
 その言葉に、ティナが少しだけ肩をすくめた。

「……ごめんなさい、おじちゃま」

 申し訳なさそうに小さな声で呟くティナ。
 その頭が、フィオレッタのスカートの後ろからひょこりと顔を出す。

 その仕草に、フィオレッタは安堵した。

 この男――ヴェルフリートがティナに危害を加えるような人物ではないと、確信できたからだ。ならば、保護者のもとに返すのが当然だ。

「ではティナ。叔父さまのところへ行かないと」

 優しく促すと、ティナはぶんぶんと首を横に振った。

「や!」
「ティナ……?」

 もう一度促そうとすると、ティナはフィオレッタのスカートを両手でぎゅっと握りしめ、涙目で顔を上げた。

「いやったらいや~~~!! フィオおねえちゃまもいっしょがいいの!!」
「ティナ、いけないわ」
「いやーっ! おねえちゃまもくるのー!!」

 ティナの泣き声が風に乗って響く。

 フィオレッタは困り果ててしまった。どうあやしても、ティナは彼女の腕を離そうとしない。

(どうしたらいいのかしら……このまま泣かせておくわけにもいかないし)

 ちらりとヴェルフリートの方を見ると、彼は短く息を吐き、額に手を当てた。
 そのため息には、諦めとも呆れともつかない響きがある。

「娘……フィオといったか。今から城に来てもらうことは可能か?」
「城にですか?」
「ああ。エルグランド城に」

 落ち着いた声だったが、その底には責任を負う者の重さがあった。
 軽々しく断ることのできない響きに、フィオレッタは確認するように言葉を繰り返す。

 エルグランド城は、あの小高い丘の上にある城のことだ。

 山を背にして立つその姿は、まるで国を守る盾のように見える。
 隣国との国境を見張る砦でもあり、辺境の厳しい風の中でもどこか誇らしげにそびえていた。

 平民として暮らすことになった以上、ほとんど近づくことはないと思っていた。

「ええと、今日はこれから宿屋の仕事を手伝う予定があります」

 正直に答える声が少し揺れた。領主に対してこのもの言いはどうかと思ったが、無責任なことはできない。

「なるほど。働いているのだな」

 どんな言葉が返ってくるかと思ったが、ヴェルフリートは静かに頷き、視線をティナに向ける。

「ティナ、俺と二人で城に戻ろう」
「……っ」

 彼の視線の先で、ティナは相変わらずフィオレッタのスカートを握りしめたまま離れようとしない。
 クマのぬいぐるみも、かわいそうなくらいに強く抱きしめられている。

 三人の間に、ぴゅうと山からの風が吹いた。

「宿屋の主人には話を通す。申し訳ないが、城まで同行を願えないだろうか」

 その言葉は決して上から押し付ける命令のような言い方ではなく、真摯なお願いだった。

 この人は決して強要するような人ではない。そう思った瞬間、フィオレッタの中の警戒が少しずつ解けていく。

「……わかりました。お役に立てるなら、喜んで」

 やむを得ない。
 フィオレッタが受け入れると、ティナが涙をたくさん浮かべた目でこちらを見上げる。

「フィオおねえちゃま、いっしょ?」
「ええ。ティナをおうちに連れて行くわね」
「やったあ!」

 先ほどまでのウルウルが嘘のように、ティナは今度は笑顔になる。その拍子にぽろりと涙が柔らかそうな頬を伝った。

(どうしてこんなことになったのかしら……?)

 フィオレッタは戸惑いを隠せないまま、彼らが乗ってきたという馬車に乗り、丘の上の古城を目指すことになったのだった。
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