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そして、六日後。
背中の傷はなかなか治らず、店長の指示で入ったショーだったからという理由でいつも入る金土も休んで俺が久々に出勤すると、店の待合室に奴が居た。
膝の上にうちの店の看板嬢であるリコを乗せて、アイは平然と俺へ声を掛けてきた。
「や、数日ぶり。傷の具合はどう?」
「……問題無いです」
「そう。ショーの後すぐ居なくなったから、心配だったんだ」
なんだその、まともな人間面は。怖気にそっちを見られず、視線を下に向けてそそくさと待合室を抜けて事務所へ入る。中には店長と数人の店子が居て、俺を見て店長が待合室を指差した。
「ヒロくん、アイさん居るの気付いた? こないだのショーで怪我させたこと、気にしてるみたいだったけど」
「はい。もう終わりました」
「終わった? 君の今日の予約、アイさんで埋まってるけど」
「……」
は? と俺が眉間に皺を寄せるのを見て、店長が椅子から立ち上がった。
「聞いてない? 話したんだよね?」
「え? あの、今そこで、傷の具合を聞かれただけで」
「まあいいや。居たんだったら、そのまま仕事入ってよ」
慌てる俺の横をすり抜けて、店長は今閉めたばかりのドアを開けて待合室へ呼び掛ける。
「アイさん、ヒロくんこのままお渡しでもいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
友好店のキャストであるアイに店長はやけに好意的で、おそらくはショーで俺を気に入ったのだろうと思い込んで、よくやった! と俺へアイコンタクトを送ってくる。
やってないやってない。必死に首を振るのに、店長は俺の背を押して待合室へ押しやった。
「え~、アイさん、あたしの事気に入ってくれたんじゃないの?」
「今日はヒロくんに会いに来たから、また今度ね」
「ヒロくんずるい~。この前もプレイしてもらったんでしょ~?」
まだ開店時間前で一般客がいないからだろう、アイの膝に跨がるように座って彼に甘えるリコは、可愛らしく俺を睨みながらこちらを振り返った。半分本気、半分冗談だろうか。元の性格は穏やかだけれど、根がマゾの彼女はアイとプレイ出来る貴重なチャンスを逃したくないのだろう。
「良かったら、交換……」
「行くよ、ヒロ」
呼び捨てにされてムッとして口を噤むと、アイはリコを膝から降ろして席から立ち上がった。
リコは「絶対また来てね♡」としなを作ってアイに一瞬だけ抱き着き、すぐに離れて事務所の扉の前に突っ立っている俺の方へぴょこぴょこ可愛く歩いてきた。すれ違い様、「意外とドSっぽいね♡」と囁かれ、リコならあの鉄鎖も大喜びで受けるかもなと思った。
待合室からプレイルームまでは恋人のように引っ付いて歩く決まりで、仕方なくアイにしなだれかかって腕を組むと鬱陶しそうに腕を払われた。
「……カメラで見られてんだけど」
「お前の都合だろ。俺には関係ない」
さっきまでの他所行き笑顔は何処へやら。感情が無いみたいな真顔で、早く案内しろと膝で太腿の裏を軽く蹴ってくる。
狭い廊下を進み、エレベーターで上の階へ上がった。充てがわれているいつもの部屋へ入ると、アイは物珍しそうに中を見回した。
四畳半ほどの狭いプレイルームは、店に十数あるどこの部屋もほとんど似たような内装だ。頑丈なだけで寝心地の悪いベッド、ローションやゴム、オプションで使える玩具の入った収納ケースと、壁には大きな鏡。シャワーブースは人一人がやっと入れるサイズだけれど、一緒に入ってと言われたらぎゅうぎゅう詰めになりながら入るしかない。俺についてる固定客は一緒に入りたがらないタイプが多いし、そもそもチンコを出す客の方が少ない。時間いっぱい叩いて終わりか、たまにゴムフェラして抜いて終わりだ。
俺が入った当初は他に男性キャストも数人居たのだけれど、今や男は俺だけだ。S女性客がヘルスを使うことは滅多になく、九割九分が男性客のこの店に居るくらいなら、ゲイ向けSMクラブで働く方がよっぽど割が良い。
男相手でも抵抗は無いけれど、ゲイ向けに行くと男のケツを掘ったり掘られたりしなきゃならないから俺は嫌だ。軽く叩いてもらえて、ついでに金を貰える、この店くらいがちょうどいい。
昼の仕事は別にあるから、ここで働いているのは趣味のようなものだし。
「狭いな。鞭が振れない」
アイが部屋の大きさを目測して舌打ちし、それに呆れて肩を竦めた。
「うちには鞭使うような客は来ない」
「なんだよ。持ってきてやったのに」
またこの前の鎖か? と背中のまだ癒えきっていない傷を思い出して渋面を作るのに、アイが懐から出したのはあの鉄鎖だった。
「ちょ……、冗談」
じゃら、と出されたそれは横幅だけでアイの掌ほどもあり、記憶にある恐ろしい痛みのアレに違いない。
無理無理無理、殺される! と慌てて逃げ出そうとするのに、部屋が狭いせいで扉の前に立たれると彼を避けて逃げるのは不可能だ。
「なんだお前、この間といい、すぐ逃げようとしやがって」
「当たり前だろ」
怯えてぷるぷる首を振る俺を見て、アイは理解出来ないみたいに首を傾げる。
「……この前のじゃ、足りないだろ?」
「何を基準に言ってんだ」
背中まだ治ってねぇんだけど!? と服を捲って見せると、ついと寄ってきたアイはまだ薄っすら盛り上がっている傷痕に爪を立てて抉ってきた。
「っテ……!」
「懐かしいな。昔の傷はちゃんと残ってんだな」
「おかげさまでな」
喧嘩で出来た傷に病院代は出さん、と親に言われ、切れた背中の皮は仲間にテーピングでくっつけて貰ったのだ。傷痕は残ったが、それで一応元通りに治るんだから、人間の自然治癒力はすごい。
真新しいミミズ腫れの跡を抉ったアイはそれじゃ物足りないみたいで、昔の傷痕の方にも爪を立ててきた。鋭い痛みに素早く距離をとって壁を背にアイを睨むと、彼は両手で短い鉄鎖の端と端を掴んで見せつけるようにピンと張った。
「欲しいだろ?」
「だからっ、俺はそんなの、欲しがってない!」
必死に叫ぶのに、アイは俺の言葉がいまいち信じられないみたいに目を細める。
「……その割に、この前は全く感じてなかっただろ」
「はぁ……?」
「気持ちいいとすぐ泣く、チョロすぎるマゾ。そう紹介された」
けどこの前は泣かなかった、と言われ、そりゃそうだろうと混乱する。過去のトラウマの元凶が急に現れ、恐怖で気持ち良くなるとかそんな余裕無かったし。そもそも、あの細い鎖だって、普段の俺にしてみれば気持ち良くなれる痛みを超えていた。耐えられたのは、それ以上の痛みがくると思って怯えていたからだ。
「痛すぎて、気持ち良くなんてなかった」
「……」
アイは俺が必死に言い募るのを、綺麗な眉間に皺を寄せてじっと見つめてくる。
どうしてそんな勘違いをしているのか分からないが、こいつは俺をドMだと思い込んでいるらしい。こいつに追いかけ回されていた高校時代も、ちゃんと泣いて逃げ回っていたのに……あ。
そこまで考えて、彼の勘違いの原因に思い当たった。そうか、泣いてたからか。
「違う、俺があの頃泣いてたのは」
「戻してやる」
濁った真っ黒の瞳が、澱んで揺らぐ。ぐわ、と伸びてきた腕が俺の腕を掴んでベッドへ引き倒された。
「イッ」
「たくさん泣かせてやるからな」
「違……っ、だからっ」
うつ伏せになった俺の首の根を押さえ込み、アイがあの鎖を振り上げた音がした。奥歯を噛んで痛みに備えるが、彼の鉄鎖の先は壁を打ち、薄いそこに穴を開けてめり込んだ。
「チッ」
舌打ちしたアイは俺の上に乗ったまま鉄鎖を壁から剥がし、そして忌々しげに「狭い」と呟く。
「アイ、俺は本当に……、っ!」
痛すぎるのは無理だ、と叫ぼうとした俺の尻が、バチッと叩かれた。
鉄鎖ではなく、掌に。
「う、ぁっ」
「脱がしにくいもん着てくんな。次からスカートでも履いとけ」
オネエキャラなんだろ、と揶揄うみたいに尻たぶを揉まれ、ベルトのバックルを外されてずり下ろされた。デニム越しですら脳天まで痺れるような痛みで、素手で叩かれたとは思えない。
それでも足りないみたいに尻を曝け出され、そこをひたひたと撫でてからまた打たれた。パン、と高い音がして、熱く痺れる。
「ふ……、っ」
ビリビリと身体の奥まで響いてくる痛みに、拳を握って耐えた。だから、痛いって。
気持ちいいなんて思ってる暇がないほど痛いのに、アイは俺の後頭部の髪を鷲掴んで上向かせて顔を覗いてきて、「まだ泣かねぇのか」なんて呟く。
バチ、と再度打たれ、身を震わせて痛みに耐える。鉄鎖を使われるよりマシだ。
飽きるまで待つつもりで我慢したのに、十数回叩かれてから尻たぶを爪を立てて揉まれて小さく悲鳴を上げた。
「ィ、……っあ、あぁっ」
「泣けよ」
アイが求めているのはどちらの涙なのか。昔みたいに痛みの限界を超えた涙も、気持ち良くて溢れる涙も、今与えられている刺激では流せない。
ただ痛みに呻くだけの俺に、次第にアイは焦れてきたようだった。一際強く打ってから、苛立ち紛れに撫で回してくる。
「おい、まさかもっと優しくとかじゃないだろうな」
「んんっ」
何度も打たれた尻たぶは撫でられるだけで十分過ぎるくらい痛む。ちょうど俺の好きなくらいの痛みで、それでやっと目尻に涙が浮かんだ。
「……なんでそんな弱っちくなってるかな」
昔はもっと痛い方が好きだっただろ、と寄ってきたアイの唇に涙を啜られて、目玉の端を舌に舐められて総毛立つ。
「ちがう、だから」
「もっと泣け」
「イッ」
耳を軽く噛まれ、けれど『丁度いい』痛みに腰が熱を持って震えた。
「ぅあ……あ、あ、や」
がじがじと耳朶を噛まれながら打たれてジンジン火照る尻を撫で回されると、頭がぼやけた。勝手に腰が跳ねて、アイの掌に撫でられるのを誘うみたいに尻が揺れてしまう。
「こっから躾直しか」
だるいな、と言いつつも、アイは痛みで俺を感じさせるのを止めない。ぼろぼろ溢れてきた涙で視界の歪む俺の額の傷を舐め、また涙を吸っては耳を甘噛みしてくる。
「あ、あ、あ」
「……やっぱ、お前が一番勃ちがいい」
程よい痛さの気持ちよさに反抗する気も失せてされるがままの俺から手を離したと思ったら、仰向けにひっくり返されて首の上に跨がられた。ベルトの無いデニムのボタンを外し、ファスナーを下げて下着を掻き分けて勃起した肉を取り出してアイが唇の端を上げる。
「そのまま泣いてろ」
綺麗な顔を苦しげに歪めて、アイは自分でその根太を扱き出した。鼻先に押し付けられた肉の臭いに顔を背けるのに、彼は俺の頬にその先端を擦り付けてきた。垂れてきた先走りが入りそうで目を閉じると、涙で滑らせるみたいに俺の頬を使って自慰されて奥歯を噛んだ。
「ば……ッ、テメ、洗ってねぇもん押し付けんなっ」
「俺は客とヤらねぇから病気の心配ねえよ」
「そういう問題じゃね……うわっ」
陰茎を擦り付けられている方と逆の目を薄く開こうとしたら、顔に熱い飛沫が掛かった。びたびたと掛けられたそれがアイの吐いた精液だと気付いて、臭いにえずく。
「うぇ、……っ、うわ、何す」
「……」
いつもゴムフェラが基本だから、顔射されるなんて滅多にない。生臭い消毒液のような不快な臭いに顔を顰めると、俺の反応が気に入らなかったのかアイが出したばかりのその精液を掌で顔全体にぐりぐりとなすりつけてきた。
「次また嫌そうなカオしやがったら、飲ませっからな」
そんな理不尽な。そもそも顔射も生フェラもオプションなんだが。ちゃんとオプション料は払ってもらえるんだろうか、と思いつつそのままじっとしていたら、ようやくアイは俺の上から降りた。
顔がぬるぬるして気持ち悪いし、その理由も最悪だ。そのまま目を開けるのも嫌で、仕方なく服の袖で目元を拭ってから目を開ける。
アイは部屋のボックスティッシュで股間を拭っただけで、そのままそこを整えた。
「……俺、シャワー浴びるけど」
「あっそ。俺帰るわ」
「え、あ、オプション料と、あと壁……」
「言われなくても払うっつの」
ベッドに放られていた鉄鎖を懐に仕舞ったアイは、「じゃーな」と言ってさっさと一人で部屋を出て行ってしまった。本当なら客の見送りまでが仕事なのだけど、この顔のまま追いかける訳にもいかない。
シャワーで顔を洗い流して事務所へ戻ると、アイは言葉通りオプション料金も申請して払っていて、壁の修繕費用については次回来店時に、ということになったと店長が教えてくれた。
「次回って……、また来るかどうかもわからないのに」
「ヒロくん、次また来週の金曜でしょ。予約取っていったよ。またラストまで」
「……」
「今日もラストまでの拘束時間分払ってもらってるから……、どうする? 払ってもらった手前、サイトの方には空きって書けないから指名フリーで男オッケーのお客さん待つ感じになるけど」
どうする? と聞かれ、素直に帰ることにした。元より、金が欲しくてバイトしているわけでもない。色々と疲れてしまったから、ここから更に新規客で変なのが来たらメンタルがやばい。
「あのー、一応聞くんですけど、アイをNGってできないですよね……?」
「へ? アイさんを? また大きな怪我させられたとか?」
驚いて心配そうな表情になった店長に、慌ててそうじゃないと首を振った。
「いえ、今日は全然……、その、実は、アイさん、昔の知り合いで」
「それで? 周りにバラすぞって脅されたとか?」
「いえ」
「じゃあなんで?」
「…………こ、怖いので……」
狭い業界の同業者であるアイに関して嘘を吐いたらバレた時が面倒そうだし、何より本人に伝わった時が恐ろしい。
理由を考えあぐねて正直に言ってみたが、当然店長の返事はその眉間に寄った皺だけで知れた。
「あ~……いえ、やっぱりいいです……」
「……どうしても無理ってなったらNGでも仕方ないけど、とりあえず頑張ってみて」
「はい、すみません」
固定客以外に新規のほとんど付かない俺が大した理由もなくNGなんて言い出せば、そりゃそうだろう。それでも絶対駄目だとは言わないでくれるだけ、ここの店長は優しい。
その日はアイの精液を拭いた上着を脱いで半袖で帰った。六月の深夜一時はその格好だとさすがに肌寒かった。
背中の傷はなかなか治らず、店長の指示で入ったショーだったからという理由でいつも入る金土も休んで俺が久々に出勤すると、店の待合室に奴が居た。
膝の上にうちの店の看板嬢であるリコを乗せて、アイは平然と俺へ声を掛けてきた。
「や、数日ぶり。傷の具合はどう?」
「……問題無いです」
「そう。ショーの後すぐ居なくなったから、心配だったんだ」
なんだその、まともな人間面は。怖気にそっちを見られず、視線を下に向けてそそくさと待合室を抜けて事務所へ入る。中には店長と数人の店子が居て、俺を見て店長が待合室を指差した。
「ヒロくん、アイさん居るの気付いた? こないだのショーで怪我させたこと、気にしてるみたいだったけど」
「はい。もう終わりました」
「終わった? 君の今日の予約、アイさんで埋まってるけど」
「……」
は? と俺が眉間に皺を寄せるのを見て、店長が椅子から立ち上がった。
「聞いてない? 話したんだよね?」
「え? あの、今そこで、傷の具合を聞かれただけで」
「まあいいや。居たんだったら、そのまま仕事入ってよ」
慌てる俺の横をすり抜けて、店長は今閉めたばかりのドアを開けて待合室へ呼び掛ける。
「アイさん、ヒロくんこのままお渡しでもいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
友好店のキャストであるアイに店長はやけに好意的で、おそらくはショーで俺を気に入ったのだろうと思い込んで、よくやった! と俺へアイコンタクトを送ってくる。
やってないやってない。必死に首を振るのに、店長は俺の背を押して待合室へ押しやった。
「え~、アイさん、あたしの事気に入ってくれたんじゃないの?」
「今日はヒロくんに会いに来たから、また今度ね」
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まだ開店時間前で一般客がいないからだろう、アイの膝に跨がるように座って彼に甘えるリコは、可愛らしく俺を睨みながらこちらを振り返った。半分本気、半分冗談だろうか。元の性格は穏やかだけれど、根がマゾの彼女はアイとプレイ出来る貴重なチャンスを逃したくないのだろう。
「良かったら、交換……」
「行くよ、ヒロ」
呼び捨てにされてムッとして口を噤むと、アイはリコを膝から降ろして席から立ち上がった。
リコは「絶対また来てね♡」としなを作ってアイに一瞬だけ抱き着き、すぐに離れて事務所の扉の前に突っ立っている俺の方へぴょこぴょこ可愛く歩いてきた。すれ違い様、「意外とドSっぽいね♡」と囁かれ、リコならあの鉄鎖も大喜びで受けるかもなと思った。
待合室からプレイルームまでは恋人のように引っ付いて歩く決まりで、仕方なくアイにしなだれかかって腕を組むと鬱陶しそうに腕を払われた。
「……カメラで見られてんだけど」
「お前の都合だろ。俺には関係ない」
さっきまでの他所行き笑顔は何処へやら。感情が無いみたいな真顔で、早く案内しろと膝で太腿の裏を軽く蹴ってくる。
狭い廊下を進み、エレベーターで上の階へ上がった。充てがわれているいつもの部屋へ入ると、アイは物珍しそうに中を見回した。
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俺が入った当初は他に男性キャストも数人居たのだけれど、今や男は俺だけだ。S女性客がヘルスを使うことは滅多になく、九割九分が男性客のこの店に居るくらいなら、ゲイ向けSMクラブで働く方がよっぽど割が良い。
男相手でも抵抗は無いけれど、ゲイ向けに行くと男のケツを掘ったり掘られたりしなきゃならないから俺は嫌だ。軽く叩いてもらえて、ついでに金を貰える、この店くらいがちょうどいい。
昼の仕事は別にあるから、ここで働いているのは趣味のようなものだし。
「狭いな。鞭が振れない」
アイが部屋の大きさを目測して舌打ちし、それに呆れて肩を竦めた。
「うちには鞭使うような客は来ない」
「なんだよ。持ってきてやったのに」
またこの前の鎖か? と背中のまだ癒えきっていない傷を思い出して渋面を作るのに、アイが懐から出したのはあの鉄鎖だった。
「ちょ……、冗談」
じゃら、と出されたそれは横幅だけでアイの掌ほどもあり、記憶にある恐ろしい痛みのアレに違いない。
無理無理無理、殺される! と慌てて逃げ出そうとするのに、部屋が狭いせいで扉の前に立たれると彼を避けて逃げるのは不可能だ。
「なんだお前、この間といい、すぐ逃げようとしやがって」
「当たり前だろ」
怯えてぷるぷる首を振る俺を見て、アイは理解出来ないみたいに首を傾げる。
「……この前のじゃ、足りないだろ?」
「何を基準に言ってんだ」
背中まだ治ってねぇんだけど!? と服を捲って見せると、ついと寄ってきたアイはまだ薄っすら盛り上がっている傷痕に爪を立てて抉ってきた。
「っテ……!」
「懐かしいな。昔の傷はちゃんと残ってんだな」
「おかげさまでな」
喧嘩で出来た傷に病院代は出さん、と親に言われ、切れた背中の皮は仲間にテーピングでくっつけて貰ったのだ。傷痕は残ったが、それで一応元通りに治るんだから、人間の自然治癒力はすごい。
真新しいミミズ腫れの跡を抉ったアイはそれじゃ物足りないみたいで、昔の傷痕の方にも爪を立ててきた。鋭い痛みに素早く距離をとって壁を背にアイを睨むと、彼は両手で短い鉄鎖の端と端を掴んで見せつけるようにピンと張った。
「欲しいだろ?」
「だからっ、俺はそんなの、欲しがってない!」
必死に叫ぶのに、アイは俺の言葉がいまいち信じられないみたいに目を細める。
「……その割に、この前は全く感じてなかっただろ」
「はぁ……?」
「気持ちいいとすぐ泣く、チョロすぎるマゾ。そう紹介された」
けどこの前は泣かなかった、と言われ、そりゃそうだろうと混乱する。過去のトラウマの元凶が急に現れ、恐怖で気持ち良くなるとかそんな余裕無かったし。そもそも、あの細い鎖だって、普段の俺にしてみれば気持ち良くなれる痛みを超えていた。耐えられたのは、それ以上の痛みがくると思って怯えていたからだ。
「痛すぎて、気持ち良くなんてなかった」
「……」
アイは俺が必死に言い募るのを、綺麗な眉間に皺を寄せてじっと見つめてくる。
どうしてそんな勘違いをしているのか分からないが、こいつは俺をドMだと思い込んでいるらしい。こいつに追いかけ回されていた高校時代も、ちゃんと泣いて逃げ回っていたのに……あ。
そこまで考えて、彼の勘違いの原因に思い当たった。そうか、泣いてたからか。
「違う、俺があの頃泣いてたのは」
「戻してやる」
濁った真っ黒の瞳が、澱んで揺らぐ。ぐわ、と伸びてきた腕が俺の腕を掴んでベッドへ引き倒された。
「イッ」
「たくさん泣かせてやるからな」
「違……っ、だからっ」
うつ伏せになった俺の首の根を押さえ込み、アイがあの鎖を振り上げた音がした。奥歯を噛んで痛みに備えるが、彼の鉄鎖の先は壁を打ち、薄いそこに穴を開けてめり込んだ。
「チッ」
舌打ちしたアイは俺の上に乗ったまま鉄鎖を壁から剥がし、そして忌々しげに「狭い」と呟く。
「アイ、俺は本当に……、っ!」
痛すぎるのは無理だ、と叫ぼうとした俺の尻が、バチッと叩かれた。
鉄鎖ではなく、掌に。
「う、ぁっ」
「脱がしにくいもん着てくんな。次からスカートでも履いとけ」
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それでも足りないみたいに尻を曝け出され、そこをひたひたと撫でてからまた打たれた。パン、と高い音がして、熱く痺れる。
「ふ……、っ」
ビリビリと身体の奥まで響いてくる痛みに、拳を握って耐えた。だから、痛いって。
気持ちいいなんて思ってる暇がないほど痛いのに、アイは俺の後頭部の髪を鷲掴んで上向かせて顔を覗いてきて、「まだ泣かねぇのか」なんて呟く。
バチ、と再度打たれ、身を震わせて痛みに耐える。鉄鎖を使われるよりマシだ。
飽きるまで待つつもりで我慢したのに、十数回叩かれてから尻たぶを爪を立てて揉まれて小さく悲鳴を上げた。
「ィ、……っあ、あぁっ」
「泣けよ」
アイが求めているのはどちらの涙なのか。昔みたいに痛みの限界を超えた涙も、気持ち良くて溢れる涙も、今与えられている刺激では流せない。
ただ痛みに呻くだけの俺に、次第にアイは焦れてきたようだった。一際強く打ってから、苛立ち紛れに撫で回してくる。
「おい、まさかもっと優しくとかじゃないだろうな」
「んんっ」
何度も打たれた尻たぶは撫でられるだけで十分過ぎるくらい痛む。ちょうど俺の好きなくらいの痛みで、それでやっと目尻に涙が浮かんだ。
「……なんでそんな弱っちくなってるかな」
昔はもっと痛い方が好きだっただろ、と寄ってきたアイの唇に涙を啜られて、目玉の端を舌に舐められて総毛立つ。
「ちがう、だから」
「もっと泣け」
「イッ」
耳を軽く噛まれ、けれど『丁度いい』痛みに腰が熱を持って震えた。
「ぅあ……あ、あ、や」
がじがじと耳朶を噛まれながら打たれてジンジン火照る尻を撫で回されると、頭がぼやけた。勝手に腰が跳ねて、アイの掌に撫でられるのを誘うみたいに尻が揺れてしまう。
「こっから躾直しか」
だるいな、と言いつつも、アイは痛みで俺を感じさせるのを止めない。ぼろぼろ溢れてきた涙で視界の歪む俺の額の傷を舐め、また涙を吸っては耳を甘噛みしてくる。
「あ、あ、あ」
「……やっぱ、お前が一番勃ちがいい」
程よい痛さの気持ちよさに反抗する気も失せてされるがままの俺から手を離したと思ったら、仰向けにひっくり返されて首の上に跨がられた。ベルトの無いデニムのボタンを外し、ファスナーを下げて下着を掻き分けて勃起した肉を取り出してアイが唇の端を上げる。
「そのまま泣いてろ」
綺麗な顔を苦しげに歪めて、アイは自分でその根太を扱き出した。鼻先に押し付けられた肉の臭いに顔を背けるのに、彼は俺の頬にその先端を擦り付けてきた。垂れてきた先走りが入りそうで目を閉じると、涙で滑らせるみたいに俺の頬を使って自慰されて奥歯を噛んだ。
「ば……ッ、テメ、洗ってねぇもん押し付けんなっ」
「俺は客とヤらねぇから病気の心配ねえよ」
「そういう問題じゃね……うわっ」
陰茎を擦り付けられている方と逆の目を薄く開こうとしたら、顔に熱い飛沫が掛かった。びたびたと掛けられたそれがアイの吐いた精液だと気付いて、臭いにえずく。
「うぇ、……っ、うわ、何す」
「……」
いつもゴムフェラが基本だから、顔射されるなんて滅多にない。生臭い消毒液のような不快な臭いに顔を顰めると、俺の反応が気に入らなかったのかアイが出したばかりのその精液を掌で顔全体にぐりぐりとなすりつけてきた。
「次また嫌そうなカオしやがったら、飲ませっからな」
そんな理不尽な。そもそも顔射も生フェラもオプションなんだが。ちゃんとオプション料は払ってもらえるんだろうか、と思いつつそのままじっとしていたら、ようやくアイは俺の上から降りた。
顔がぬるぬるして気持ち悪いし、その理由も最悪だ。そのまま目を開けるのも嫌で、仕方なく服の袖で目元を拭ってから目を開ける。
アイは部屋のボックスティッシュで股間を拭っただけで、そのままそこを整えた。
「……俺、シャワー浴びるけど」
「あっそ。俺帰るわ」
「え、あ、オプション料と、あと壁……」
「言われなくても払うっつの」
ベッドに放られていた鉄鎖を懐に仕舞ったアイは、「じゃーな」と言ってさっさと一人で部屋を出て行ってしまった。本当なら客の見送りまでが仕事なのだけど、この顔のまま追いかける訳にもいかない。
シャワーで顔を洗い流して事務所へ戻ると、アイは言葉通りオプション料金も申請して払っていて、壁の修繕費用については次回来店時に、ということになったと店長が教えてくれた。
「次回って……、また来るかどうかもわからないのに」
「ヒロくん、次また来週の金曜でしょ。予約取っていったよ。またラストまで」
「……」
「今日もラストまでの拘束時間分払ってもらってるから……、どうする? 払ってもらった手前、サイトの方には空きって書けないから指名フリーで男オッケーのお客さん待つ感じになるけど」
どうする? と聞かれ、素直に帰ることにした。元より、金が欲しくてバイトしているわけでもない。色々と疲れてしまったから、ここから更に新規客で変なのが来たらメンタルがやばい。
「あのー、一応聞くんですけど、アイをNGってできないですよね……?」
「へ? アイさんを? また大きな怪我させられたとか?」
驚いて心配そうな表情になった店長に、慌ててそうじゃないと首を振った。
「いえ、今日は全然……、その、実は、アイさん、昔の知り合いで」
「それで? 周りにバラすぞって脅されたとか?」
「いえ」
「じゃあなんで?」
「…………こ、怖いので……」
狭い業界の同業者であるアイに関して嘘を吐いたらバレた時が面倒そうだし、何より本人に伝わった時が恐ろしい。
理由を考えあぐねて正直に言ってみたが、当然店長の返事はその眉間に寄った皺だけで知れた。
「あ~……いえ、やっぱりいいです……」
「……どうしても無理ってなったらNGでも仕方ないけど、とりあえず頑張ってみて」
「はい、すみません」
固定客以外に新規のほとんど付かない俺が大した理由もなくNGなんて言い出せば、そりゃそうだろう。それでも絶対駄目だとは言わないでくれるだけ、ここの店長は優しい。
その日はアイの精液を拭いた上着を脱いで半袖で帰った。六月の深夜一時はその格好だとさすがに肌寒かった。
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