底なし沼を覗けば

wannai

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 次の週の金曜日、店長の言葉通りアイはまた来た。
 今度はきっちり営業時間が過ぎてから来店し、事務所で着替えて待機していた俺を侍らせてまたプレイルームへ向かった。

「ちゃんと直したんだ」

 部屋へ入ったアイが壁を見つめて感心したように呟いたので、俺もそこを見た。先週アイが鉄鎖で開けた穴は業者を呼んだのかきっちり補修されていて、よくよく見れば壁紙の色が違うけれど、パッと見では分からなくなっていた。

「直した~、って言って適当にダンボールとかで埋めたのかと思ってた」
「……うちの店長はそういうのしねぇから」

 というか、錘のキャストであるアイを騙すなんてするほど、頭の悪い人じゃない。玄人客の多い老舗の錘の店員に「あの店は客を騙す」なんて言われようものなら、即廃業の道しか残されていないだろう。
 ふぅん、と興味無さげに呟いたアイはベッドに腰掛け、今日は何をされるのかと警戒する俺を見つめて手招きしてきた。

「さっさと来い。今日はなんもしないでやるから」
「……?」

 何もしない、というのはどういう意味だろう。二十一時から翌五時までの八時間も買っておいて、ただ喋るだけ、なんて考え辛い。
 訝しみつつもアイの膝の前に立つと、床を指差して「座れ」と言われた。その場へ正座すると、だいぶ目線の低くなった俺の顎へアイの手が伸びてきて、掬い上げるように撫でられる。

「お前、昔よか弱ぇからな。どんくらいなら泣くのか、お前が自分で教えろ」

 自分で教える?
 何をしろと言われているのか指示が曖昧で首を傾げる俺の手の内側にアイの手を握らされて、操り人形みたいに彼の手で頬をひたひたと叩かれた。

「顔は叩いていいのか?」
「ひ……昼間の仕事あるから、顔はちょっと……」
「だったらどこをどう叩いて欲しい」

 俺の好みを探ろうというつもりのアイに、新鮮な驚きで目を丸くした。てっきりこいつは、そういう人間的な配慮とか気遣いみたいなものと無縁だとばかり思っていた。製造過程で社会生活する人間にとって大事なネジが何本も抜け落ちた、顔だけが最高傑作の欠陥品じゃなかったのか。
 俺の手を伴って下りたアイの指は、胸までくるとTシャツ越しに突起を探るみたいにその辺りを撫で始めた。骨に沿って動く強めの刺激にすぐに突起が硬くなって、布地越しに浮かんでくる。影を落としたそこをアイは見逃さず、指先でぐりぐりと潰されて俯いて身震いした。

「顔逸らすな。そろそろ自分でやれ」
「う……」

 下を向いた顎をすぐさま空いた片手に上向かされ、握らされた方の彼の手から力が抜ける。
 俺がどう触られれば気持ち良くなるのか、自分で教える。確かに確実な方法で、けれどそれ自体、まるで羞恥プレイだ。けれど、俺にとっても悪い話じゃない。鉄鎖で叩かれる恐怖に怯えるくらいなら、性癖ご開帳の方がずっとマシだ。
 指を重ねてアイの指の爪で突起の上を強めに引っ掻くと、ゾクゾクと背筋に甘いものが駆ける。硬く主張したそこを摘んで潰して、また爪で抉るように潰す。気持ち良くて目線を逸らすと、顔を逸らしたのを咎めるように顎を掴まれた。

「乳首弄られんのが好きか。本当にソッチになっちまったか?」

 嘲るような言葉を吐かれても、反論しない。だって、気持ちいいのは本当だ。ここばかり虐められて、焦らすように下を触ってもらえないのが一番好きだ。勃起した股間が先走りを溢して下着に染みを作るまでじっくり焦らして泣かせてほしい。
 けれど、胸ばかり弄る俺にアイは早々に飽きたのか、俺の指を無視して抓り上げて千切れそうなほど強く引っ張った。

「イ……ッ」
「次」

 一瞬で離され、しかしジンジンと痛む。痛すぎるのは嫌いだってのに、と小さくぶつぶつ言うと、爪で弾かれた。

「ちゃんと後で虐めてやっから、他も教えろってんだよ」

 急かすように低く叱られ、他は、と考えてから、アイの手を俺の腕の上に置いた。
 それから、少し振り上げて、叩く。振り抜かず、指じゃなく掌で肌を叩いてそのままにしてもらえるのが一番好きだ。音が派手だし、痛みが掌に反射してまた響いてくる。叩かれた衝撃で肉が震える感覚は素直に気持ち良く、もう一度、と思って振り上げたらまた勝手にアイの手が動いた。

「んっ」

 俺の手を振り解いたアイの手が、ばち、と二の腕を叩く。痛みに応えるように目尻から涙が溢れて、それを見た彼の視線が涙の跡を舐めるように動いた。
 すごくちょうど良い。一度で強さを覚えたことに驚き、そして下手に弱めにして誤魔化さずにして良かったとも思う。
 何もしないと言ったくせに、俺が泣いたのを見て興が乗ったのか、アイはまた腕を振って二の腕を叩いてきた。ばち、と打たれた皮膚が波打ち、肉を揺らして腹の奥にクる痛みを伝えてくる。

「……っ」
「こんなもんか?」
「……そう」
「だいぶ手加減要るな。……上乗れ」

 舌打ちしつつも、アイはそれほど機嫌を悪くした風もなく次の指示を出してきた。

「乗る、って」
「女が上に乗る時みてぇに跨がれってんだよ」

 言われた格好を想像して渋い顔になると、ゆらりとアイの目が淀む。やばい、と思った瞬間には立ち上がった腹を拳で撃ち抜かれていて、備えて腹に力を込めるのが遅れて数歩よろめいた。

「……相変わらずブレねぇな、お前の身体。ちゃんと鍛えてんじゃねぇか」

 殴り甲斐がある、と口元が微笑むように歪んだアイに、ぶんぶんと首を振って数歩距離をとる。

「そういう店じゃねぇんだって、ここは」
「だったら素直に言う事聞いてろ」

 乗れ、と指の動きで再度指示され、嫌々ながらも従った。アイに抱き着くような格好で、間近に綺麗過ぎる顔があって落ち着かない。ぐにぐにと尻を揉まれ、そしてアイが低く嗤う。

「ガチガチじゃねぇか。俺の腹で扱くなよ?」
「……うるせ」

 胸を弄られたった数度叩かれただけで血を集めて勃起した俺の股間を腹に感じて、アイはくっくと楽しげに笑いながら、今度は尻を叩いてきた。

「ぁ……っ」

 尻の肉は身体のどこより脂肪が厚くて、だから痛みの波が身体の奥に届いてくるまで時間がかかる。けれど届くと他のどこを叩かれるより気持ち良くて、さっきまで嫌がっていたくせに目の前の体に抱き着くようにしがみついて次をせがんだ。

「おい、ほんとにチョロいな」

 バチ、とまた叩かれ、ぎゅうと膝で挟むように尻を揺らす。応えるようにアイは数度叩いてくれ、痛みの気持ちよさでぼろぼろ涙を溢す俺の頬を舐めた。

「……あの頃自覚しときゃ良かった」

 呟くアイの言葉の意味が分からず目を合わせると、相変わらず間近の瞳は沼のようにどろりとした色をしていた。俺の涙を啜り、一滴すら惜しいみたいに頬を舐め回して、アイはまた尻を叩いてくれる。

「自分がサドだって自覚してれば、昔のお前を存分にいたぶってやれたのに」

 いや、だから俺は昔から痛すぎるのは好きじゃないんだって。
 どうしても俺をドMにしたいのか、アイは後悔するみたいに呟いて、少し強めに叩いてきた。

「い……っつ」
「戻してやるからな。こんなんじゃ満足出来ないくらい、痛いのが好きだって思い出させてやるから」
「だから……っ」

 そうじゃないんだって、と言おうとした唇を、塞がれる。がりがりと犬歯に甘噛みされ、けれど前回のように血が出る勢いでは噛まれない。がじ、がじ、と唇の厚いところを噛まれながら尻を叩かれて身悶えた。

「ん、ふ……んん」

 股間が熱を持って痛い。もうこれ以上狭いデニムの中に仕舞っているのは限界で、ファスナーを下げるとアイの手が俺の手を掴んで彼のソコを叩いた。彼のも、ということかと、唇を噛まれたままアイのズボンのファスナーを下げて勃起した陰茎を出してやった。張り詰めた肉は熱く、俺の唇を噛むたびビクビク震えている。
 こんな綺麗な顔で加虐趣味なんて、神様ってやつはどんな采配をしたのか。こいつの顔面レベルを考えると噂する人の口に戸を立てる方が難しいだろう。俺のように日中仕事するにしてもすぐ特定されそうだけれど、錘一本なのだろうか。
 なんとなく気が逸れていたら、悟られたのか唇を離したアイが頬を舐めてから耳を噛んできた。

「んん……っ」
「……耳も好きか?」

 噛まれて舐められるとぞくぞくきて、身体を震わせると耳元で囁かれた。吐息が耳の中に潜り込んできて、脳みそまで痺れさせてくる。悪くない。優しくしてくれるなら、こいつはむしろ上手いくらいだ。
 アイの陰茎を手で擦ってやろうとして、そのままだと服に付くと思い至って彼の二の腕を叩いた。バチ、と尻を叩いたアイが眦を吊り上げるのに、慌てて「やめろってんじゃなくて」と言い訳する。

「服、汚れるから。脱ぐかゴムした方が……」

 彼の肉は俺を叩いているだけとは思えないほど張り詰めていて、数擦りで達してしまいそうだ。
 どうする、と目で窺うと、舌打ちしたアイは俺に降りるよう言ってからズボンと下着を脱ぎ出した。

「ついでに風呂入ってくれたり……」

 熱に浮かされていたからそのまま素手で触っていたけれど、出来れば洗ってからにしたい。どうせまた却下されるだろうか、と諦め半分で言ってみると、アイは少し考える素振りを見せてから俺を見た。

「お前、フェラ出来んだっけ?」
「……ゴム有りなら」
「洗ったら生でやんの?」
「……口内発射は基本プレイ内。顔射とごっくんはオプション」

 店のオプションルールを答えると、アイは「ふぅん」と頷いてからさっさと上も脱ぐと立ち上がってシャワー室へ入っていった。すぐに水音がしてきて、マジか、と頭を抱える。
 異性愛者の客ばかりのこの店で生フェラを希望されるなんて初めてで、ゴム有りでもまだ抵抗感があるのに、と困ってしまう。
 あの返事では出来ると言ってしまったようなもので、戻ってきたアイにやっぱり無理だなんて言えばまた機嫌を損ねて殴られるかもしれない。

「おい、タオルは?」

 シャワー室のドアを開けたアイに呼ばれて、部屋に置いてあるタオルを掴んで持って行った。
 股間だけを洗ったのか上半身は濡れておらず、もうもうと上がる湯気の中の全裸の彼は俺でも生唾を飲むほど色気があった。
 顔に似合わずがっしりした体躯に、バランスよく筋肉がついている。素人は大概どこか鍛えすぎだったり逆に鍛えていない箇所があったりと変な肉の付き方をしているものなのだけれど。
 職業柄まじまじと観察していると、渡したタオルで頭を引っ叩かれた。

「じろじろ見んな」
「あ……わり」

 普通に失礼だったな、と目線を逸らそうと落として、しかし彼の腕に赤い筋を見つけて眉間に皺が寄った。

「……それ」

 なんだ、と訊くと、アイは腕を見下ろしてなんでもないことのように答えた。

「忘れっから」

 メモ書きのような気軽さで撫でた彼の傷痕は、おそらくカッターか何か、鋭利なもので彫られていた。──『ヒロ』と、片仮名で俺の名前が。

「忘れる、って……」
「仕方ねぇだろ、ペンだと洗ったら落ちちまう」
「……お前、そういう病気かなんかなの?」
「は? 興味無ぇこと覚えてらんねぇのってフツーだろ」

 一瞬同情しそうになったけれど、単なるアホだと分かってこめかみを押さえた。痛い、頭痛が痛い。

「興味無ぇなら忘れてくれよ……」
「名前に興味無ぇだけで、お前にはあんだよ」

 名前含めての俺だと思うのだけど。理解出来ない、と頭を振ると、身体を拭いてシャワー室から出てきたアイはまたベッドに腰掛けた。

「ごちゃごちゃ言ってねぇでさっさと咥えろ。萎えちまった」

 殴られたくはないので言う通りに彼の脚の間に膝をつくと、伸びてきた手が前髪を掴んで額を撫でた。わずかに凹凸の残る火傷跡を見つめてアイの目が細く弧を描く。
 自分の付けた跡がそんなに面白いのか、やはり全く分からない感覚だ。
 萎えて下を向く陰茎に顔を寄せると、前髪を掴んでいない方の手に頬をぺちぺちと叩かれた。

「……?」
「泣かしながらイきてぇんだがな」

 今からもう一度ケツ叩いて泣かすのは面倒だな、と言われて、仕方なく自分の喉を指差した。

「苦しいのも気持ちいいから、喉まで入れてくれれば泣ける」

 届けばだけど、と言うと、口元にあったアイの肉が血を集めて育ってきた。……俺が泣くのを想像しただけで勃起すんのか。筋金入りだな。
 さっき見た限界値の大きさなら十分俺の喉まで届くだろう。スン、と嗅ぐと微かに石鹸の匂いがした。まだ半分ほどの肉はそれほどグロテスクでもなく、腔内に引き入れて舌を這わせると少しずつ膨らんでくる。吸いながら舌と唇で愛で回すと、アイは苛立たしげに俺の額の傷に爪を立ててきた。

「痛……っ、なんだよ」
「上手ぇのがむかつく」
「……」

 理不尽だ。
 また陰茎を口の中に迎え直して、茂みに鼻を押し付けるように根本まで咥え込むと肉の先端がやっと喉の粘膜に届いた。じゅるる、と強く吸い付くとアイの身体が大きく跳ねる。舌で裏筋とカリの境目を舐めながら、もっと奥へと強請るように吸うと息苦しさに目が熱くなってくる。
 浮かんだ涙をアイの指が撫でて、それでまた興奮したみたいに口の中の肉が硬くなる。

「……ん」

 アイの手を掴んで、俺の頭に乗せる。撫でようとしてきた動きに頭を横に振って、髪を掴ませてもっと奥まで咥えた。

「使われてぇのか」

 今まで他の客にされた事は無いし、させようと思った事も無いけれど。きっとアイが満足する程度には泣けるだろう、と思って目だけで彼を見上げると、沼のように濁った目が爛々と熱を帯びていた。

「…………早く気付いてりゃあ……」

 またそれか。あの頃こいつにサドの自覚があったら、俺は勘違いされたまま殺されていたかもしれない。鉄鎖で打たれて喜ぶようなマゾではない。断じて違う。
 ぐ、と力の籠もったアイの手は、俺の予想より優しく俺の頭を揺らした。激しくというよりは、根本から先端まで長くストロークさせるようにされて喉から抜かれる時の吐き気がすごい。反射で絞まる喉に押し込まれて、生理的な涙がボロボロ溢れる。呼吸はそれほど苦しくないのに、何度もくる嘔吐感で頭がぼやけてくる。

「出すぞ」

 急に言われたと思ったら、舌の上に苦味が乗った。どろどろして生臭い精液を口の中に吐かれて、それから肉が口の中から抜かれていく。え、これ、どうすればいいんだろう。
 舌の上の精液を飲むべきか吐くべきか迷ってオロオロする俺を見下ろして、アイは少し意外そうな表情をしてから「手に吐け」と言った。受け皿にするように窪ませた掌に白濁を吐くと、俺の唾液と混じったそれは舌から長く糸を引いて垂れた。
 まずティッシュで拭くか、と視線を回した俺の掌の中をアイが指でかき混ぜてきて、掌を指先で撫ぜられるこそばゆさに肩を竦めた。

「……やっぱ飲め」
「は?」
「それ、口に戻して、噛んで、飲め」

 掌とアイの顔を往復する俺の視線を見返して、アイが愉しげに目を細める。

「ちゃんと金は払ってやる」

 そこの心配はしていない。
 掌の中の白濁を見つめて、思い切って口の中に戻した。生臭さに思わずえづいて吐きそうになるのに、アイは俺の頬を指で撫でて「口開けて噛んで見せろ」なんて言ってくる。

「う……」

 くちゃ、くちゃ、と言われた通り口を開けて口腔を見せるように上を向いて噛むと、アイの目が更に細くなる。笑っているみたいに弧を描くのに、その奥の黒目は真っ黒に淀んでいて怖ろしい。
 口の中が粘ついて生臭く、歯に纏わりつくような精液の感触がかなり不愉快だ。滲み出てくる唾液は粘りを緩めてくれるが、鼻に抜ける臭さは紛れない。

「飲め」

 数度咀嚼させられて、それからやっと許しを得て飲み下した。喉にヌルつきが残って気持ち悪い。何度か唾液を飲んでもまだ残っているみたいな不快感で、後でうがいしなきゃな、と眉を潜める俺の額をまたアイが撫でてきた。

「……」

 何も言わず、ただ撫でられる。
 そんなに傷痕が好きなんだろうか。訝しむ俺の視線に気付いていない訳もないのに、アイはただそうして、しばらく撫でていた。

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