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次にアイと会ったのは、また予約された翌週の金曜日──ではなく。
月曜日。それも、俺の職場で、だった。
「よ」
今日の受け持ち客のメニューを確認していた俺に向かって受付から手を振ってきたアイに凍りついた。
「なっ……な、な、なん」
「入会するからトレーナーなってね」
外面のアイは店の中に入ってきた時点で周囲の客や店員の視線を独り占めしていて、けれどそんなの全く気にならないみたいに俺に入会申し込みの紙をヒラヒラ揺らして見せてくる。
平日真っ昼間のスポーツジムには奥様と言っていい年齢のご婦人が多く、その中にアイのような眩い美形が現れれば、そりゃあ注目の的だろう。誰もがトレーニングの手を止めて、アイに見惚れている。こっわ。美形怖い。
「あ、あの、申し訳ありませんが私はもう新規では」
「いいじゃない宍谷くん。この前、担当さん一人引越しで減ってたでしょう?」
アイの受付をしていた副店長の平山が余計な口を突っ込んでくる。
昼職としてジムトレーナーをしている俺はそれなりに抱えている客が多く、やっと一人減ってホッとしていたのに。アイなんて冗談じゃない、と思うのに、平山はアイの見た目に目がハートになっていて聞いちゃくれない。
さっさと会員登録を済ませたアイは、俺があと三十分はフリーだと平山から聞き出すと「体験入店がてら施設の案内をしてもらいたい」などと言って俺に寄ってきた。
「ちょ……、アイ」
「阿見だよ、ヒロ。周(あまね)でもいいけど。ヒロは……宍谷(ししたに) 比呂斗(ひろと)、ね」
ごそごそとズボンの尻ポケットを漁ったアイが何を出してくるかと思えば細身のカッターで、素早くそれを取り上げて俺のポケットへ隠すと、受付から油性ペンを掴んでアイを更衣室へ引きずり込んだ。
開店してから一時間ほどで、この時間に更衣室の利用者はほとんどいない。着替えている数人の客から見えないようにシャワーブースへ連れ込むと、アイが「昼間からヤんのか?」なんて揶揄ってくる。
「アホ! んな訳あるかっ」
「だったらなんだよ」
「お前がカッターなんか出すからだろうが」
担当の名前を腕にカッターで刻む客なんて、見られたら異常者だと思われるに違いない。どう考えても俺は知り合いのような態度を取られていたし、あのまま止めなかったら俺も同じ目で見られただろう。
アイの半袖Tシャツの腹を捲ると、鏡に映しながら油性ペンで俺の名前を書いた。
「これならいいだろ。忘れたら鏡に映して見ろ」
「……」
腹筋がボコボコして書きにくかったが、鏡文字のそれはただ腹を見ただけでは読みにくい。
アイは自分の腹を見下ろしてから鏡を見て、それから俺の油性ペンに視線を移して「まあいいか」と呟いた。
カッターを持ち出されるよりマシだと思って咄嗟にやった事だけれど、腹に他人の名前を書かれた男というのは相当アホっぽい。やっておいてなんだけれど、納得するなよ。いいのかそれで。
腹を擦って消えないのを確かめたアイは服を戻して、それから俺から油性ペンを取り上げた。何をするのかと思えば俺のウェアを捲ろうとしてきて、慌ててそれを止めてペンを取り返した。
「あのな、俺は忘れねぇから」
「じゃあ言ってみろよ」
「阿見だろ。高校の頃から知ってんだから、今さらだっつの」
わざわざ自己紹介してくれなくても覚えてる、と言うと、アイは本気で驚いているみたいに目を丸くした。いや、皆お前レベルのアホだと思うんじゃねぇ。
なんだ? こいつは本気のアホなのか? 天然か? と痛むこめかみを押さえると、アイはさっさとシャワーブースから一人で出て行く。
「いや、ちょっと待て。なんでお前ここに来た。っていうか、なんで俺がここで働いてるって知ってる」
受付の時点で俺に話しかけてきたのだから、偶然ではないだろう。更衣室のロッカーの容量や備品を確認しているようなアイを追いかけると、彼はなんでもない事のように「尾行(つ)けた」と答えた。
「は?」
「こないだの金曜、お前が店から出てくるの追い掛けて、んで今日は家から出てくるお前を尾行けた」
あ、やばい。アホな上にすごいヤバい。
「……それ、ストーカーって言うんだけど」
怖すぎるぞ、と頭を振るのに、アイは俺の言葉を鼻で笑った。
「誰かに言って信じてもらえると思うか?」
「……」
アホのくせに、自分の容姿に関しては正確に把握してんのか。確かに、俺のような平々凡々がアイのような超絶美形にストーカーされているなんて言っても、誰も信じてくれないだろう。
手に負えない、と天を仰ぐ俺を見て、アイは目を細めて唇を弧に曲げた。
それから彼は、週六で俺の働くスポーツジムへ通ってくるようになった。残り一日はSMヘルスの方へ来るので、実質毎日顔を合わせることになる。けれど、鉄鎖を持ち出してはこないし俺が気持ち良くなって泣ける程度までしか虐めてこないので、NGにも出来ない。
ジムの方でも真面目にトレーニングに励むし、何かしてくるわけでもない。他の客より会話が多いわけでも、トレーニング後に食事へ誘われるわけでもない。
なのに、数ヶ月経って夏が終わる頃には、ジム内では『アイは俺を口説きに来ている』だなんて出鱈目がまことしやかに囁かれ始めていた。
何故、とアンケートに目を通しながら頭を抱える。担当客に毎月提出してもらうそれには、『阿見くんにもっと優しくしてあげて下さい』なんて書かれていた。他にも数枚、アイ──いや、阿見の気持ちに応えてやったらどうか、なんて言いたそうなことが書かれていた。
いやいや、あいつそんなんじゃないから。あいつが興味あるの、俺の泣き顔だけだから。
シフトを終えた後に事務所で机に突っ伏していたら、店長の山辺が俺の机の横を通りながらアンケートを盗み見て「ご愁傷様」なんて声を掛けてきた。
四十代半ばの山辺は百八十七センチの高身長に合わせてかなりのマッチョで、横を通られるだけで暑苦しい。ムチムチの筋肉質な身体に吸い寄せられるのかゲイの客ばかり抱えていて、だから男に言い寄られていると噂の立っている俺へもそれほど同情してくれない。
俺はどちらかといえばガリガリで、服を着ている姿でジムのトレーナーだなんて言うと失笑を買うことすらある。それほどムキムキになりたいという欲求も無いのでほどよく鍛えているだけなのだけど、そのおかげか、モテ意識で細マッチョを目指す大学生だとかダイエット目的で脂肪を落としたいだけの女性が担当を希望してくることが多い。
阿見はその年若い担当客たちにとってドストライクなのだろう。皆あいつを応援しやがる。彼自身は噂を知らないのか気にしていないのか、それについては何も言ってこない。
今日も夕方の十七時には上がっていった。錘で働いているからなのか、ジムの方へ夜来ることは無い。
「飲み行くか?」
珍しく山辺に誘われて、時計を見た。まだ九時で、明日は午後から出勤だから問題無いだろう。いいですよ、と応じて、帰り支度をして山辺とジムを出た。
月曜日。それも、俺の職場で、だった。
「よ」
今日の受け持ち客のメニューを確認していた俺に向かって受付から手を振ってきたアイに凍りついた。
「なっ……な、な、なん」
「入会するからトレーナーなってね」
外面のアイは店の中に入ってきた時点で周囲の客や店員の視線を独り占めしていて、けれどそんなの全く気にならないみたいに俺に入会申し込みの紙をヒラヒラ揺らして見せてくる。
平日真っ昼間のスポーツジムには奥様と言っていい年齢のご婦人が多く、その中にアイのような眩い美形が現れれば、そりゃあ注目の的だろう。誰もがトレーニングの手を止めて、アイに見惚れている。こっわ。美形怖い。
「あ、あの、申し訳ありませんが私はもう新規では」
「いいじゃない宍谷くん。この前、担当さん一人引越しで減ってたでしょう?」
アイの受付をしていた副店長の平山が余計な口を突っ込んでくる。
昼職としてジムトレーナーをしている俺はそれなりに抱えている客が多く、やっと一人減ってホッとしていたのに。アイなんて冗談じゃない、と思うのに、平山はアイの見た目に目がハートになっていて聞いちゃくれない。
さっさと会員登録を済ませたアイは、俺があと三十分はフリーだと平山から聞き出すと「体験入店がてら施設の案内をしてもらいたい」などと言って俺に寄ってきた。
「ちょ……、アイ」
「阿見だよ、ヒロ。周(あまね)でもいいけど。ヒロは……宍谷(ししたに) 比呂斗(ひろと)、ね」
ごそごそとズボンの尻ポケットを漁ったアイが何を出してくるかと思えば細身のカッターで、素早くそれを取り上げて俺のポケットへ隠すと、受付から油性ペンを掴んでアイを更衣室へ引きずり込んだ。
開店してから一時間ほどで、この時間に更衣室の利用者はほとんどいない。着替えている数人の客から見えないようにシャワーブースへ連れ込むと、アイが「昼間からヤんのか?」なんて揶揄ってくる。
「アホ! んな訳あるかっ」
「だったらなんだよ」
「お前がカッターなんか出すからだろうが」
担当の名前を腕にカッターで刻む客なんて、見られたら異常者だと思われるに違いない。どう考えても俺は知り合いのような態度を取られていたし、あのまま止めなかったら俺も同じ目で見られただろう。
アイの半袖Tシャツの腹を捲ると、鏡に映しながら油性ペンで俺の名前を書いた。
「これならいいだろ。忘れたら鏡に映して見ろ」
「……」
腹筋がボコボコして書きにくかったが、鏡文字のそれはただ腹を見ただけでは読みにくい。
アイは自分の腹を見下ろしてから鏡を見て、それから俺の油性ペンに視線を移して「まあいいか」と呟いた。
カッターを持ち出されるよりマシだと思って咄嗟にやった事だけれど、腹に他人の名前を書かれた男というのは相当アホっぽい。やっておいてなんだけれど、納得するなよ。いいのかそれで。
腹を擦って消えないのを確かめたアイは服を戻して、それから俺から油性ペンを取り上げた。何をするのかと思えば俺のウェアを捲ろうとしてきて、慌ててそれを止めてペンを取り返した。
「あのな、俺は忘れねぇから」
「じゃあ言ってみろよ」
「阿見だろ。高校の頃から知ってんだから、今さらだっつの」
わざわざ自己紹介してくれなくても覚えてる、と言うと、アイは本気で驚いているみたいに目を丸くした。いや、皆お前レベルのアホだと思うんじゃねぇ。
なんだ? こいつは本気のアホなのか? 天然か? と痛むこめかみを押さえると、アイはさっさとシャワーブースから一人で出て行く。
「いや、ちょっと待て。なんでお前ここに来た。っていうか、なんで俺がここで働いてるって知ってる」
受付の時点で俺に話しかけてきたのだから、偶然ではないだろう。更衣室のロッカーの容量や備品を確認しているようなアイを追いかけると、彼はなんでもない事のように「尾行(つ)けた」と答えた。
「は?」
「こないだの金曜、お前が店から出てくるの追い掛けて、んで今日は家から出てくるお前を尾行けた」
あ、やばい。アホな上にすごいヤバい。
「……それ、ストーカーって言うんだけど」
怖すぎるぞ、と頭を振るのに、アイは俺の言葉を鼻で笑った。
「誰かに言って信じてもらえると思うか?」
「……」
アホのくせに、自分の容姿に関しては正確に把握してんのか。確かに、俺のような平々凡々がアイのような超絶美形にストーカーされているなんて言っても、誰も信じてくれないだろう。
手に負えない、と天を仰ぐ俺を見て、アイは目を細めて唇を弧に曲げた。
それから彼は、週六で俺の働くスポーツジムへ通ってくるようになった。残り一日はSMヘルスの方へ来るので、実質毎日顔を合わせることになる。けれど、鉄鎖を持ち出してはこないし俺が気持ち良くなって泣ける程度までしか虐めてこないので、NGにも出来ない。
ジムの方でも真面目にトレーニングに励むし、何かしてくるわけでもない。他の客より会話が多いわけでも、トレーニング後に食事へ誘われるわけでもない。
なのに、数ヶ月経って夏が終わる頃には、ジム内では『アイは俺を口説きに来ている』だなんて出鱈目がまことしやかに囁かれ始めていた。
何故、とアンケートに目を通しながら頭を抱える。担当客に毎月提出してもらうそれには、『阿見くんにもっと優しくしてあげて下さい』なんて書かれていた。他にも数枚、アイ──いや、阿見の気持ちに応えてやったらどうか、なんて言いたそうなことが書かれていた。
いやいや、あいつそんなんじゃないから。あいつが興味あるの、俺の泣き顔だけだから。
シフトを終えた後に事務所で机に突っ伏していたら、店長の山辺が俺の机の横を通りながらアンケートを盗み見て「ご愁傷様」なんて声を掛けてきた。
四十代半ばの山辺は百八十七センチの高身長に合わせてかなりのマッチョで、横を通られるだけで暑苦しい。ムチムチの筋肉質な身体に吸い寄せられるのかゲイの客ばかり抱えていて、だから男に言い寄られていると噂の立っている俺へもそれほど同情してくれない。
俺はどちらかといえばガリガリで、服を着ている姿でジムのトレーナーだなんて言うと失笑を買うことすらある。それほどムキムキになりたいという欲求も無いのでほどよく鍛えているだけなのだけど、そのおかげか、モテ意識で細マッチョを目指す大学生だとかダイエット目的で脂肪を落としたいだけの女性が担当を希望してくることが多い。
阿見はその年若い担当客たちにとってドストライクなのだろう。皆あいつを応援しやがる。彼自身は噂を知らないのか気にしていないのか、それについては何も言ってこない。
今日も夕方の十七時には上がっていった。錘で働いているからなのか、ジムの方へ夜来ることは無い。
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