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しおりを挟むショーが始まってしまったらもう、終了まではこの舞台から降りられない。
比較的Mキャストへの待遇が優しいと言われている『錘』主宰のイベントで逃げ出したとなれば、うちの店はおろか、もう他の店でも雇っては貰えなくなるだろう。
今日の演目は、マイクアナウンスの通り『お仕置き』だ。
店長の事前説明では、相手もソフトなSMを好むタイプだから当日に少し設定を合わせるくらいで十分だろうと言われていたのに。俺の目の前に立つアイが『ソフト』だなんて、冗談も大概にしてほしい。
ステージCはフロアの中に三ヶ所あるステージの中で一番軽めの演目を扱うステージだからか、周囲に客は少ない。それでも数十人は既に俺とアイの動向を眺めている。どんな内容にするのか全く相談無しのショーなんて初めてで、どう動いたらいいか計りかねている俺の前でアイはゆっくりと懐から出した細い鎖を地面に垂らした。
しゃらり、と高い音と共に、三メートルほどはありそうな鎖が床にとぐろを巻いていく。間接照明のオレンジ色に照らされ、細いそれがキラキラと反射して光を撒き散らす。
無意識にさっき足に巻かれたところを摩るが、もうそこに鎖は無かった。たった一本のあの鎖で、さっきから俺を操り人形のようにあちらこちらへ動かしていたのか。
アイはその鎖を端まで出すと、その長さを観客に見せつけるようにまた手の中に巻いて戻していく。しゃら、しゃら、と鎖同士が擦れる音に、まるでこれから手品でも見せられるみたいに、視線がそこへ寄せられてしまう。
「……っ」
不意に、手元の鎖へ注がれていたアイの視線が俺へと向いた。
大きな黒目で優しげに微笑まれ、けれど瞬時に怖気が走って尻餅をついた格好で後ろへ後退った。
「落ちるよ」
俺が本気で逃げようとしているように見えたのか、アイは鎖を投げて俺の足首に絡ませ、そして自分の方へ引いた。シャン! と鎖の引かれる高い音に、客が息を呑む。片足を吊られて軽々とステージの真ん中へ引っ張り戻され、またみっともなく後頭部を打ち付けた俺に客から失笑が漏れた。
ほら、違うじゃん。全然ソフトじゃないじゃん。こんな曲芸じみた導入して、これからその鎖で打つだけなんて有り得ない。
「君のその目、生意気だね」
掠れた低めの声は、しかしよく通る。ピンマイクもしていないけれど、おそらくステージを最前列で見守る客たちにはハッキリ聞こえただろう。聞き取り辛かったのか、二列目三列目あたりで遠巻きにしていた客たちが最前列を埋めるようにその輪の中に身を進ませてきた。
ズラリとステージを囲まれ、視線が注がれる。どこを見回しても逃げ場が無いなんてショーでは当たり前なのに、今日ばかりは恐ろしくて唇を噛んだ。
「痛くして欲しくなかったら、素直に頭を下げなさい」
平坦な、熱の籠もらない声。サドの声音じゃない。俺を屈服させて楽しもうなんて、一ミリも思っていないに違いない。
どうする。痛くして欲しいわけがない。さっさと言う通りに頭を下げてしまいたい。けれど、俺のショー映えを考えたら、少しくらいは抵抗を見せておかないと面白くないだろう。
手加減してくれよ、と願いつつ、フラつく演技をしながら立ち上がってアイを睨み付けた。
「……誰が」
従うか、と。見た目通りガキ臭く叫んでやるつもりだったのに、襟首を掴まれたと思ったらそのまま腹に膝蹴りが入っていた。
「っ」
腹に力を入れて衝撃を受け止め、間近で笑うアイを睨み付ける。
ショーだろうが。仕事だろうが。このイベントの客は暴力を楽しみに来たんじゃない。あくまでSMを、従わせる者と従う者の営みを観て楽しみたいのだ。そんな事すら分からないのか、と睨むと、アイは小馬鹿にするように笑ってから掴んだままだった襟首を引いて俺の唇に噛み付いてきた。
「う……っ」
言葉通り唇を噛まれて血を流した俺からすぐに顔を離し、アイは俺の足を払って無理やり膝をつかせた。
引き絞るようにシャツの襟を掴み、彼はその極上の面構えを歪ませてへらりと不気味な笑顔を作る。
「頭を、下げろ」
ぞくぞく、と背筋に恐怖が走る。三度目は無い。次に逆らったら殺される。笑顔の筈なのに殺害予告をされた心地で、即座に彼の手から逃げ出すみたいに頭を垂れた。恐怖で息が荒くなる。アイの靴の爪先に両手を揃えて額をステージにつけ、どうか許してくれと命乞いをしている気分だ。
俺の恐怖は観客へも伝わるのか、動揺しているようなざわめきが聞こえてくる。「ここステージCだよな?」と困惑する声の一方で、「演技派ねぇ」とアイを誉める声も聞こえてくる。
演技? こいつが? だったらどんなに良いか。演技で今の顔が出来るなら、さっさと俳優にでもなってくれ。そして一生俺と関わらないでくれ。
頭を下げたまま待つと、しゃらり、とまた鎖の音がして、その先が俺の背中を撫でた。つつつつ、と背筋をなぞるように頸から尾てい骨まで鎖の先端に撫でられ、怖気に拳を握る。
尻の方からまた頸へと戻ってきた鎖の先端は、俺から離れると、一度強く床を打った。
シャン! と高い音が鳴り、ショーを観続けるか迷っていた客たちがその口を閉じて固唾を飲む。
誰も、この鎖の痛みを知らないからだ。細くて華奢なこの鎖で打たれると、人はどんな声で鳴くのか。誰も知らないから、注目する。じっと見つめて、想像する。サディストはあの鎖の重さ、打った時の肉の感触を。マゾヒストは打たれた背中の痛み、熱さ、それから身体に響く甘さを。
ああ、クソ、憎たらしいほどに、アイはちゃんとショーをしている。
フロアの床と違ってステージの上は硬いリノリウムのタイルで、だから鎖の先が撫でると音が響く。観客の期待はそのままステージ上を見つめる視線の熱になって届いてくる。
アイはゆっくりと頭を下げて四つん這いになる俺の横へ回ってきて、そして背中に鎖の先を置いた。
これからここを打つ、と予告され、身体を強張らせた。
「……ぁっ」
パシン、と服の上から打たれた音は地味で、しかし直後にそれが床を打つと派手な高い音がした。
──あれ?
俺が内心首を傾げるのに、ホウ、と客が沸いた。サドもマゾも、鎖での鞭打ちに魅せられて続く一打を期待していた。そして、アイはそれに応えたり焦らしたりしながら、俺を打った。俺も客の反応を見ながら、呻きつつ、たまに我慢出来ないみたいに甘ったるい声を漏らしてみる。
そうして十数分その責めは続き、客が飽き始める前に空気を察したアイが切り上げた。
最後に客席に背中を向けて立たされ、服を捲られて背中が露わにされると、客から拍手が起こった。
正面を向き、二人で頭を下げてステージから下りると、アイはすぐさま黒い仮面のマゾたちに囲まれて見えなくなる。口々に「私も打って」「私も」と細い鎖での鞭打ちを望む彼ら彼女らの目は皆熱っぽく滾っていた。
その隙に俺は早々に離脱することが出来て、キャスト用の更衣室へ入ると俺を追うようにスタッフの一人が駆け寄ってきた。
「ヒロさん、お疲れ様です。背中の傷、手当てをしますので」
「え? そんな酷いですか?」
俺が驚くと、女性スタッフは目を丸くして勢いよく頷いた。
「ミミズ腫れになってますよ。今のうちに冷やして軟膏塗っておかないと、傷が残るかも」
「そんなに……?」
アイの鎖は、驚くほど軽かった。肉どころか服すら切り裂かれず、記憶の痛みを反芻していた俺は痛みの無さに呆気に取られたほどだったのに。
お願いします、と手当てを頼むと、応急セットを腰に下げたスタッフは俺をベンチに座らせて服を脱ぐよう指示してきた。ジレとタンクトップを脱ぐと、背中を布地が擦った瞬間に刺すような痛みが走って呻いた。
「やっぱり痛いんじゃないですか。駄目ですよ、やせ我慢は」
「いや……さっきまではなんとも無かったんですけど」
「プレイ中は皆さんハイになりますからねー」
ハイどころか冷静なくらいだったのだけど。ううんと唸りつつ、手当てを受けながらそれとなくアイについて訊ねた。
「あの、今日相手した人って、錘のキャストさんでしたっけ」
「ええ、アイさんですね。うちの人気キャストですよ。今年の春頃に入ったばかりなんです。出勤率は高くないんですけど、それが更にレア度を高めてて彼目当てのお客様がたくさんいらっしゃいます」
「今日はステージCって聞いてたからもっと軽いのを想像してたんだけど……」
「……そうですね。正直、ちょっと驚いてます。アイさん、いつも言葉責めと素手のスパンキングが中心で、使うとしてもバラ鞭くらいなんですけど……」
「普段はもっとソフトなんだ?」
「そうですね。私の知る限りでは、ですけど」
言葉責めどころか、鞭打ちならぬ鎖打ちを始めてからはほぼ無言だった気がするが。ふうん、と頷くと、手当てを終わらせたスタッフは俺にドリンク券と今日の給与の入った茶封筒を渡してまたホールへ戻っていった。
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