殿下、毒殺はお断りいたします

石里 唯

文字の大きさ
12 / 45
第1章

舞踏会1.5

しおりを挟む
扇の陰で何度か息を吸い込んだものの、リズの鼓動は落ち着くことはなかった。
殿下が、周りに会釈をしながら、ゆったりとした美しい歩みでこちらに近づき始めたのだ。

隣の兄から、貴族の子息にはあるまじき、舌打ちと思われる音がした気がするものの、真偽は確かめないままリズは扇を閉じて、兄と共に礼に適ったお辞儀をする。

ほんの2歩ほど離れた位置で殿下は立ち止まった。
頭を下げたままのリズは、ふわりと微かな香りが漂ってくるのを感じた。
それは、リズには馴染みのある、リズが殿下に献上し続けている香の香りだった。

一般には不評なこの香を公式の場でも殿下が身に纏っていることに驚くと同時に、リズの頬はなぜだか熱を持った。

今日の私は、どうしてしまったの?

動揺するリズの頭に、心地よい深い声がゆったりと降ってきた。

「待っていたよ。私の女神」

「待たなくて全く構わないんだけどね」

隣で早々に姿勢を戻した兄が、リズしか聞こえないほどに声を潜めて呟く。

兄の言葉は殿下を止めることは一切なく、心地よい声は降り続ける。

「あなたが頭を垂れ、白金の髪が微かに揺れるのも愛らしいが、その麗しい顔を上げて、あなたの瞳に私を映して欲しい。私の女神」

殿下のいつも通りのこの言葉に少し鼓動が収まったことを感じたリズだったが、顔を上げることには躊躇いがあった。
自分が顔を上げたとき、いつも通りの殿下ならどのような顔をするかは容易に想像が出来たからだ。
今の自分はいつも通りではないことを承知しているリズは、その顔を目にしたときの自分の反応が恐かった。
不自然にならないぎりぎりのタイミングまで顔を上げることを引き延ばしたリズは、小さく息を吸い込んだ後、覚悟を決めて顔を上げた。

――!

果たして、予想通りに、何ら飾ることのない、心からの喜びを溢れさせた笑顔が待ち受けていた。

鼓動が再び飛び跳ね、頬は熱くなり、殿下に対して口にするべきお決まりの挨拶の言葉も、かき消され、リズは思わず助けを求めるように兄の方に視線を向けてしまった。
そして――、動揺すらも忘れて息を呑んだ。

――お兄様…?

いつもリズを包み込んでくれる兄は、にこやかな笑顔を浮かべながら、目元は怒りを漲らせるという高度な筋肉の技を披露していた。
そして、女性とも見紛う銀の美貌からは想像もできない、地を這うような声が響いた。

「どこを見ている」

――え?

リズを素通りした兄の視線の先を思わず振り返ると、殿下はふわりと顔を緩めてリズの視線を受け止める。
けれど、リズは振り返ったときに、ほんの刹那、緩む前のサファイアの瞳を視界にとらえていた。全く緩んでいないその眼差しにどこか既視感を覚えた。
どこで見たものかリズが記憶を辿っていると、決然とした声が放たれた。

「今日は私の女神から、離れることはしない。一歩たりともね」

あら?この声も言葉も確か――

リズが既視感をさらに深めたとき、隣の兄が心底嫌そうに溜息を吐いた。
「僕一人で十分、と言いたいけれど、まぁ、その無駄な威圧感があった方が安心かな」

すっと無駄のない動きで反対の隣を埋めた殿下から、リズには馴染みのない温度のない声が放たれる。
「私一人で十分に、不埒な視線から私の女神を守れると思うが、君がいても足手まといにはならないだろう」

「その不埒な視線を先ほど一瞬感じた気がしたけれど、気のせいだったのかな。僕は足手まといにはならないよ。君が口ほどにもないと分かれば、さっさと僕の天使を連れて屋敷に戻るだけだから」

兄の声は確かに爽やかなものだったのに、リズの背筋にはぞくりと悪寒が走った。
この二人の関係についてリズは謎を覚えたものの、謎は謎のままが素敵なのだと言い聞かせ、社交のための完璧な笑顔を浮かべたのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

決めるのはあなた方ではない

篠月珪霞
恋愛
王命で決まった婚約者に、暴言を吐かれ続けて10年。 逃れられずに結婚したカメリアに、実はずっと愛していたと言われ。

これが運命ではなかったとしても

gacchi(がっち)
恋愛
アントシュ王国に生まれたルーチェ王女は精霊付きのため、他人と関わらないように隔離されていたが、家族には愛され不自由でも幸せに育っていた。そんなある日、父と兄が叔父に毒を盛られ捕縛される事件が起こり、精霊に守られ無事だったルーチェは塔へと閉じ込められる。半年後、ルーチェを助けてくれたのは隣国の国王の命令で派遣されてきた王弟アルフレッド。保護されたルーチェは隣国へと連れて行かれるが、そこでは生き別れの双子の妹シンディが王女として育てられていた。

〖完結〗旦那様が愛していたのは、私ではありませんでした……

藍川みいな
恋愛
「アナベル、俺と結婚して欲しい。」 大好きだったエルビン様に結婚を申し込まれ、私達は結婚しました。優しくて大好きなエルビン様と、幸せな日々を過ごしていたのですが…… ある日、お姉様とエルビン様が密会しているのを見てしまいました。 「アナベルと結婚したら、こうして君に会うことが出来ると思ったんだ。俺達は家族だから、怪しまれる心配なくこの邸に出入り出来るだろ?」 エルビン様はお姉様にそう言った後、愛してると囁いた。私は1度も、エルビン様に愛してると言われたことがありませんでした。 エルビン様は私ではなくお姉様を愛していたと知っても、私はエルビン様のことを愛していたのですが、ある事件がきっかけで、私の心はエルビン様から離れていく。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 かなり気分が悪い展開のお話が2話あるのですが、読まなくても本編の内容に影響ありません。(36話37話) 全44話で完結になります。

木こりと騎士〜不条理に全てを奪われた元宰相家令嬢は、大切なものを守るために剣をとる〜

温故知新
恋愛
剣と魔法を王族や貴族が独占しているペトロート王国では、貴族出身の騎士たちが、国に蔓延る魔物ではなく、初級魔法1回分の魔力しか持たない平民に対して、剣を振ったり魔法を放ったりして、快楽を得ていた。 だが、そんな騎士たちから平民を守っていた木こりがいた。 騎士から疎まれ、平民からは尊敬されていた木こりは、平民でありながら貴族と同じ豊富な魔力を持ち、高価なために平民では持つことが出来ないレイピアを携えていた。 これは、不条理に全てを奪われて1人孤独に立ち向かっていた木こりが、親しかった人達と再会したことで全てを取り戻し、婚約者と再び恋に落ちるまでの物語である。 ※他サイトでも公開中!

公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる

夏菜しの
恋愛
 十七歳の時、生涯初めての恋をした。  燃え上がるような想いに胸を焦がされ、彼だけを見つめて、彼だけを追った。  しかし意中の相手は、別の女を選びわたしに振り向く事は無かった。  あれから六回目の夜会シーズンが始まろうとしている。  気になる男性も居ないまま、気づけば、崖っぷち。  コンコン。  今日もお父様がお見合い写真を手にやってくる。  さてと、どうしようかしら? ※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。

【完結】公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

捨てられた悪役はきっと幸せになる

ariya
恋愛
ヴィヴィア・ゴーヴァン公爵夫人は少女小説に登場する悪役だった。 強欲で傲慢で嫌われ者、夫に捨てられて惨めな最期を迎えた悪役。 その悪役に転生していたことに気づいたヴィヴィアは、夫がヒロインと結ばれたら潔く退場することを考えていた。 それまでお世話になった為、貴族夫人としての仕事の一部だけでもがんばろう。 「ヴィヴィア、あなたを愛してます」 ヒロインに惹かれつつあるはずの夫・クリスは愛をヴィヴィアに捧げると言ってきて。 そもそもクリスがヴィヴィアを娶ったのは、王位継承を狙っている疑惑から逃れる為の契約結婚だったはずでは? 愛などなかったと思っていた夫婦生活に変化が訪れる。 ※この作品は、人によっては元鞘話にみえて地雷の方がいるかもしれません。また、ヒーローがヤンデレ寄りですので苦手な方はご注意ください。

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

処理中です...