殿下、毒殺はお断りいたします

石里 唯

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第1章

舞踏会2

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リズが社交上の完璧な笑顔を浮かべて一刻も過ぎたころ――、
リズは自分の顔の筋肉の限界に挑んでいた。

私の筋肉はこの程度でしたの?

リズは少々自信を砕かれ、敗因を探っていた。

リズの周りには、リズの薬草をよく求めてくれる仲の良いご令嬢たちが集まり、華やいだ空気を作り出している。
そのことはリズに朗らかな気持ちをもたらしてくれるもので、顔の筋肉に何の負担もかけなかった。
もちろん、こっそりとご令嬢たちのドレスの胸のラインの位置を確認して、溜息を隠す必要はあったものの、鍛え抜かれたリズの顔の筋肉の負担にはならなかった。

ご令嬢たちから少なく見積もって4歩ほど離れた場所には、ご令嬢たちのパートナーである兄弟や婚約者たちがやはり集まっている。
彼らは、パートナーのご令嬢たちにお願いされたのだろう、ご令嬢たちと共にリズの所までやってきて、礼儀正しく社交的な笑顔をリズに向け、一瞬後には息を呑み、後退るように4歩ほど離れて行ってしまっているのだ。

一人目が後退りを見せたとき、リズは自分のドレスが彼を後退りさせたのかと、笑顔の下で血の気が引く思いだったが、三人目が最初から4歩離れた場所で息を呑んだ時、離れられてしまう原因はドレスではないと、安堵しつつも、――疲れを覚えるような、複雑な思いで事実を悟った。

彼らを後退りさせた原因の半分である兄は、4歩離れた場所に男性が五人集ってから程なくして、リズが見惚れてしまうような笑顔を向けてくれてから、――周りのご令嬢たちも一斉に溜息を洩らしていた――そちらの方へ場所を移してしまった。

お兄様、一歩も離れないようにとおっしゃったのに

リズが息を呑むと、隣から深い声で囁きが落とされた。

「視力のいい者がいてね。アンソニーは距離を取らせるだけでは足りないと思ったのだよ」

兄に目を遣れば、確かにリズを彼らの視界から遮るように兄は背を向けている。
あの距離からリズの胸元に視線を向ける男性がいたようだ。
羞恥に頬が赤らむのを感じたリズは、心の中で少々身勝手な願いを叫んでいた。

王室法にドレスの決まりを加えて頂きたいですわ

リズの気持ちには負担がかかったものの、このこともリズの顔の筋肉には負担にならなかった。
6年の間に作り上げた完璧な笑顔は、この程度で崩れるものではなかった。

それなのに――

リズはちらりと殿下に、――リズの顔の筋肉に悲鳴を上げさせている元凶である美麗な容姿に、視線を向けた。
精悍さを備えた端正な顔に彩りを添えるサファイアの瞳は、うっとりとリズの視線を受け止める。
もはやそれだけで、筋肉が悲鳴を上げてしまうまでにリズは殿下に完敗していた。
扇の陰で、こっそりと溜息を吐く。

もう、どうしてですの?

リズは、薄っすらとした後悔と共に、思い当たる節があった。

欲張ってしまったのが、いけなかったのかしら

婚約者も恋人も、特に思いを寄せる相手もいないご令嬢がリズに挨拶に来てくれるたびに、リズは我知らず目を輝かせて殿下に紹介をしていた。
自分に出会いはなくとも、殿下とご令嬢に出会いがあるかもしれない――、そんな下心は、もちろんあった。
辺りを照らすような笑顔と弾む声を殿下に向ける。

「ロザリー様は、刺繍がとてもお上手ですの。私、ロザリー様が誕生日に下さったお手製のハンカチを今日も選んでいます」

艶やかな亜麻色の髪が美しいロザリーは、リズの言葉に頬を染め、その素直な愛らしさに周りの令嬢たちは目を細める。

しかし、隣に立つ殿下は、リズの言葉に目元を緩ませ頷くと、ロザリーに整った笑顔をほんの僅かに見せ、またリズへと視線を戻し、そっと言葉を紡ぐ。

「貴女に選ばれるハンカチはなんという幸運に恵まれているのだろう。私もハンカチになれば貴女に選ばれるだろうか」

瞬間、ご令嬢たちから、きゃぁっ、と華やかな声が上がる。
リズは自分の筋肉を叱咤しながら、殿下に完璧な笑顔を向けた。

「ルシル様は、ピアノがお上手なのです。私、いつもルシル様のピアノの音に聞き惚れて、曲が終わってしまうのが寂しいぐらいですわ」

物静かな雰囲気を漂わせるルシルは、目を微かに見開き、ほんのりと目元を赤く染める。
滅多に見られない彼女の感情の表れに、リズはもちろん、ご令嬢たちは、瞬間、悶えそうな可愛らしさを覚えてしまう。

殿下は恍惚とした表情を浮かべ、ゆっくりと深く頷き、艶を帯びた声で囁いた。

「私は貴女の声にいつも聞き惚れている。あなたの声が途切れてしまうと、私は貴女の声の欠片がないかと空を見つめてしまう」

ご令嬢たちは、全員が頬を染めた。

そのようなご令嬢たちの様子を横目に、不覚にもリズは自分の笑顔が凍りついてしまったのを感じていた。
明け透けな、やや怪しさを伴った殿下の告白は、出会った時から耳にし続けている。
この告白を6年の間浴び続け、リズの完璧な笑顔は育てられていったはずだ。

けれども、公爵家の屋敷の中の、身内しかいない状況でもたらされる告白と、舞踏会という公の衆人環視の中で、滔々と語られ続ける告白は、受ける衝撃の強さが比較にならない違いがあった。
いつもは殿下をはねのけてくれる兄も傍にいない。
その強さのあまり、リズにはいつものように笑顔で受け流すことはとてもできない。

もう殿下とご令嬢の出会いどころではない。
これでは明日にも殿下が自分を熱愛しているという噂が駆け巡ってしまうと、考える余裕もリズにはなかった。
リズの頭の中には、殿下に口を開かせる時間を与えないようすることだけで占められていた。

リズは、それこそ止まることを知らないように、息継ぐ暇もなくひたすらにご令嬢たちの美点を紹介し続けることにした。

もうこの時点で、リズは負けを喫していた。

確かにリズが話し続けることで、殿下の発言に動揺させられることはなくなった。
けれど、殿下はリズの顔から視線を全く逸らすことなく、サファイアの瞳にうっとりと柔らかな輝きを浮かべ、時折、小さく頷いている。

その艶めいた甘さのある眼差しは、リズには見慣れたものなのに、多くのご令嬢たちがいる中で、一身に眼差しを受け続けることは、またもや初めての衝撃をリズにもたらしている。
その衝撃は、告白を受け続ける方が良かったのではないかとリズに思わせてしまうほどだった。
リズがご令嬢たちに目を向けても、熱を帯びた眼差しが自分に、自分だけに、注がれているのを全身で感じてしまう。

この方、私の話を聞いてらっしゃる?私を見ているだけでは…

あまり答えを知りたくない疑問をリズが浮かべたとき、殿下の深みのある声がリズの疑問に答えていた。

「私は、あなたが私にくれる言葉を一語たりとも疎かにはしない。全ての言葉を刻み込んでいる」

――!

声が、言葉が、身体に入り込むような感覚がリズに走った。
ご令嬢たちが一際華やいだ声を上げる。
リズは扇を握りしめ、完璧な笑顔が崩れそうになるのを公爵令嬢の誇りで防いでいた。
けれど、動揺を隠すために、扇の陰から潜めた声で憎まれ口をたたいてしまうことを防ぐことはできなかった。

「こんな素敵なご令嬢たちは、あっという間にどなたかに捕まえられてしまいますわよ。
のんびりしている場合ではありませんわ」

素敵な男性もあっという間に――、リズは自分に跳ね返ってきた事実を一先ず頭から締め出す。

金の髪に似合う華やかな美貌に、動じる気配は全く見られない。
ゆっくりと口元の笑みを深め、長い金の睫毛に縁どられたサファイアの瞳はリズの視線を絡めとった。

「確かにあなたの言う通りだ。私は努力も警戒も怠った気はなかったけれど」

殿下はサファイアの瞳に鋭い光を宿らせ、リズだけに届く囁きを落とした。

「私はもっと本気を出さなければいけないのだろうね」

その囁きに潜む真剣な決意に、リズは、一瞬、完璧な笑顔を捨て去り、殿下から逃げ出したいと願う自分に気が付いていた。

経験したことのない感情の動きに呑み込まれ、リズが殿下へ答えあぐねたそのとき、広間の空気に静かな緊張が広がりだしていた。
ご令嬢たちは居住まいを正し、殿下は柔らかな表情を消し去り「氷の王子」に戻る。

この舞踏会では珍しい、熟年に差し掛かった男性が、厳めしさと品格を纏ってこちらに歩いてきていた。
金の髪と青い瞳は、リズの隣に立つ氷の王子とよく似た色合いで、その血筋のつながりを示すものだった。
皇位継承第2位である王弟、ヴィクター殿下である。
傍らには、ご息女のローラ嬢が寄り添っている。父よりも幾分薄い金の髪と淡い青の瞳が彼女の清楚な印象を強め、人目を引く美しさを醸し出している。
惜しむらくは彼女の微かに物怖じした風情であり、それは彼女に注ぐ広間の人々の視線によるものなのか、傍らの父の厳めしい空気によるものなのか、リズには判断できなかった。

リズが作法に沿って礼を取ろうとしたとき、遮るように隣の殿下が挨拶を始めた。

「叔父上がこの会に足を運んでくださるとは、嬉しい驚きです。」

「ローラには決まった相手がいないのでね。」

殿下の声よりも低い、強い意志を滲ませた声だった。

瞬間、ローラ嬢の肩がピクリと揺れたのを見て、リズは眉を顰めそうになった。
ローラ嬢は社交界にデビューしてから、常にヴィクター殿下がパートナーを務めているわけではなかった。
王弟という立場は、制限なく自由に貴族の集まりに参加することが許されているわけではない。
派閥や主催者の格でヴィクター殿下が参加できない時には、ローラ嬢の母方の従兄弟に当たるローベック伯爵家のご令息、マークがパートナーを務めている。

この二人が、お互いにほのかな想いを寄せていることは、リズの目にも、他のご令嬢たちの眼にも明らかなことであり、リズたちはその遅々として進まない恋の行方をよく話題にするほどだった。

ヴィクター殿下のあの口ぶりでは、ローラ嬢のお気持ちはご存じない様ね

目を伏せてしまったローラ嬢をそっと見遣り、リズは扇の陰で溜息を洩らした。
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