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第1章
赤い石
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リズはそのまま扇の陰から、広間に視線を巡らせる。
窓近くの男性たちの集まりの中に、ローラ嬢の想いを受けるマークを認めることができた。
手にしたグラスに視線を落とし、やはり目を伏せてしまっている。
ご令嬢の一人が教えてくれた噂がリズの脳裏に蘇った。
ヴィクター殿下は、位の高い家、公爵家や侯爵家にしか娘を嫁がすことを認めないと宣言しているという。
二人の諦めたような気配に、扇を握るリズの手に力が籠ってしまった時、周りに響き渡る深い声が隣から放たれた。
「自慢の娘を持つ叔父上の眼鏡にかなう男性は難しいのでしょうね。我が従姉妹殿、
貴女に出会いがあれば、私が応援するしかなさそうだ」
その言葉に弾かれたように、ローラ嬢は顔を上げる。
抑えきれない期待が彼女を輝かせ、リズはその美しさを好ましく思うと同時に、やるせなくも感じていた。
ローラ嬢の想いを抑えつけてしまうヴィクター殿下の態度の強さを否が応でも窺い知ることができてしまったからだ。
二人の行く末に暗雲を見た思いで、リズの眉が再び顰められそうになった。
ローラ嬢の期待に全く気付くこともなく、ヴィクター殿下は朗らかに答えを返す。
「その応援がありがたいかどうか、それこそ難しいところですが、そもそも殿下に応援する余裕はあるのですかな。婚約者を決めるまで後1年しかないでしょう」
王太子は20歳になるまでに婚約者を決めることが、王室法に定められている。
殿下は今年19歳になる。定められた期限まで1年しかない。
「まぁ、これだけ美しい花々に囲まれれば、選ぶことも一苦労でしょうな」
朗らかな笑みをたたえたまま、殿下の周りのリズたちを見回したヴィクター殿下は、ふとリズの胸元に視線を止め、その表情を豹変させた。
リズは、ドレスの胸のラインが顰蹙をかってしまったのかと、笑顔が凍りついてしまったが、それはまたしても間違いだった。
いや、むしろドレスで顰蹙をかった方が良かったかもしれない。
ヴィクター殿下は、声にまで嫌悪を露わにした。
「このような公の場で自国の宝石を身に着けず、他国の石でその身を飾るとは、国に対する誇りはないのですかな?」
その瞬間、広間に静寂が訪れた。
リズの胸を飾る見事な首飾りの赤い宝石は、ラタ帝国から取れる『赤の光』と呼ばれる石だ。
ラタ帝国との交流、交易が再開され、公爵家も早速交易に身を乗り出した。
殿下が貴族を説得した通り、帝国には貴重な産物がいくつもあった。
この『赤の光』もその一つである。
少しくすんだ色合いのこの赤い宝石は、陽が射さない場所では発光するという稀有な特徴を持っている。
発光という他にはない特徴に惹かれ、クロシア国では今や女性に絶大な人気を博している。
実際、この広間にも、リズだけでなく多くの女性が『赤の光』を身に付け、広間はその幻想的な光があちこちで見られている。
しかし、この『赤の光』の人気の勢いが増すにつれ、批判が生まれ始めているのだ。
クロシア国には、その色合いと輝きの美しさから『紅の花』と呼ばれる、澄んだ濃い赤の宝石が産出されている。
その美しさは、広く国外にも認められ、クロシア国の輸出の一角を占めるほどである。
色合いが同じ赤であることから、『紅の花』が蹴落とされ廃れいくのではないかと危惧する声が上がっているのだ。
お父様も批判の動向に注視なさっていたけれど、ここまで強い反発を持つ方がいらしたとはご存知だったかしら
公爵令嬢として生まれ育った身で、ここまで強い侮蔑と非難を浴びることは生れて初めての経験だったが、リズは冷静だった。
侮蔑も非難も集中して受け止めなければ、痛みを覚えないということをリズは知った。
リズの意識は、ともすれば隣に視線を向けてしまうことを止めることに集中していたのだ。
リズの隣、殿下の立つ側の空気は、ヴィクター殿下の言葉がリズに浴びせられた瞬間から、一気に冷え込み、さらにはピリピリとした殿下の魔力の波動までもが伝わり、リズは総毛立つ思いだった。
リズの全身が隣の異様な空気に警告を発しているのに、怖いもの見たさか、殿下の表情が気になり、気を抜くと視線が殿下に向かいそうになる。
リズは必死に誘惑に抗い、ヴィクター殿下を見つめていたが、ふとヴィクター殿下の背後に立つ兄の姿が視界に入り、目を見開いてしまった。
兄は燃やし尽くさんばかりの眼差しで、ヴィクター殿下の背中を睨み据えている。
リズがこくりと唾を飲み込んだのを、どうとらえたのか、それを合図としたように、殿下がすっとリズの前に出ようとする気配を感じて、リズは意思の力を総動員して、殿下に完璧な笑顔を向けた。
このような状況でもリズの視線を感じ取り、サファイアの瞳はリズに視線を合わせてくれた。
守って下さるお気持ちはありがたいですが、これは私が受けた問題ですわ
リズの意図を読み取り、殿下は形の良い眉を苦しそうに微かに寄せながらも、その場に止まった。
殿下が自分の意思を尊重してくれたことに、リズは自然と笑みが深まり、軽やかに、ヴィクター殿下へと向き直った。
向かい合う青の瞳は、リズへの蔑みを隠していなかった。
広間は肌を刺すような緊張が走り、物音一つしない。
リズは息を吸い込んだ後、言葉を放った。
「私も、クロシア国の『紅の花』には誇りを抱いております。光を発することはなくとも、その紅の美しさは、他と比較しなくとも時を忘れさせてくれるほどのものをもっています」
リズの愛らしい澄んだ声が、凛とした響きを伴って、静まり返った広間に駆け巡る。
広間は固唾をのんで、続きを待つ。
そんな緊迫した空気を解すように、リズはふわりとした笑みを浮かべる。
「交易が再開してから、ラタ帝国の皇妃陛下は、その『紅の花』の美しさを認め、公の場では必ず『紅の花』を身に着けて下さります。
国中の女性の憧れである皇妃陛下が身に着けるものとして、帝国では『紅の花』を求める女性が後を絶たず、我が父、公爵はその求めに応じようと普段とは違う伝手まで頼り始めたほどです。」
女性には一切関心を示さず、周囲の声に圧され皇妃を迎えても一切手を触れないまま1年ごとに皇妃を取り換えていた皇帝が、今の皇妃を迎えてから、人が変わったように彼女を溺愛し、皇子の誕生まで迎えている。
この溺愛にあやかりたいと、帝国の女性は皇妃の身に付けるものを、競って身に付けようとするため、帝国での『紅の花』の需要は恐ろしい程だと、ロバートは食事の席で喜色と誇らしさを滲ませて教えてくれていた。
その話を聞いた時にリズが胸に頂いた気持ちが再び込み上がり、リズは辺りを照らすような笑顔を浮かべた。
「私は、ラタ帝国の皇妃陛下に敬意と感謝を表すために、『赤の光』を身に着けているのです」
広間は大きくどよめき、拍手まで沸き起こった。
リズを支持する、ひいては『赤の光』を身に付けることを支持する空気に、ヴィクター殿下の顔が、苦々しげに歪む。
それでも、宝石の好みの問題ではなく、両国の友好のために身に付けるという大義名分に、表立ってヴィクター殿下が異を唱えることはできなかった。
そして、リズの隣に立つ殿下は、この機を逃さなかった。
「では、私も皇妃に敬意を表するため、一役買おう。『赤の光』はダンスでこそ真価を発揮する」
殿下は滑らかな動きでリズの腰に手を回し、そのまま広間の中央へと誘う。
人々は道を開け、中央には空間が生まれた。
空いた空間に殿下とリズがたどり着くと、広間は再び静寂に覆われた。
広間の視線が二人に集まる中、長い手が優雅に差し出され、サファイアの瞳は柔らかくリズを捉えた。
「お相手をお願いします。エリザベス嬢」
気品と優しさに溢れたその仕草に、束の間、ダンスを始める経緯も忘れて、リズは鼓動が大きくなったのを感じた。
自分の瞳にどのような感情が顕れているか不安で、伏し目がちになりながらリズはそっと手を乗せた。
「光栄です。王太子殿下」
楽団が、誰もが知る有名なワルツを奏で始め、殿下はステップを踏み出すためリズの腰に手を添える。
ようやく覚悟を決め、視線を上げたリズは、たちまち後悔に襲われた。
艶やかな金の美貌が、子どものような無邪気な笑顔で彩られたのだ。
「貴女の瞳がやっと私を映してくれた」
再び鼓動が早鐘を打ち始め、リズは胸の内で弱音を吐いた。
私、この笑顔はやはり苦手ですわ。
もはや、リズの頭の中からは、先ほどまでの緊迫した出来事はすっかり消え去っていた。
窓近くの男性たちの集まりの中に、ローラ嬢の想いを受けるマークを認めることができた。
手にしたグラスに視線を落とし、やはり目を伏せてしまっている。
ご令嬢の一人が教えてくれた噂がリズの脳裏に蘇った。
ヴィクター殿下は、位の高い家、公爵家や侯爵家にしか娘を嫁がすことを認めないと宣言しているという。
二人の諦めたような気配に、扇を握るリズの手に力が籠ってしまった時、周りに響き渡る深い声が隣から放たれた。
「自慢の娘を持つ叔父上の眼鏡にかなう男性は難しいのでしょうね。我が従姉妹殿、
貴女に出会いがあれば、私が応援するしかなさそうだ」
その言葉に弾かれたように、ローラ嬢は顔を上げる。
抑えきれない期待が彼女を輝かせ、リズはその美しさを好ましく思うと同時に、やるせなくも感じていた。
ローラ嬢の想いを抑えつけてしまうヴィクター殿下の態度の強さを否が応でも窺い知ることができてしまったからだ。
二人の行く末に暗雲を見た思いで、リズの眉が再び顰められそうになった。
ローラ嬢の期待に全く気付くこともなく、ヴィクター殿下は朗らかに答えを返す。
「その応援がありがたいかどうか、それこそ難しいところですが、そもそも殿下に応援する余裕はあるのですかな。婚約者を決めるまで後1年しかないでしょう」
王太子は20歳になるまでに婚約者を決めることが、王室法に定められている。
殿下は今年19歳になる。定められた期限まで1年しかない。
「まぁ、これだけ美しい花々に囲まれれば、選ぶことも一苦労でしょうな」
朗らかな笑みをたたえたまま、殿下の周りのリズたちを見回したヴィクター殿下は、ふとリズの胸元に視線を止め、その表情を豹変させた。
リズは、ドレスの胸のラインが顰蹙をかってしまったのかと、笑顔が凍りついてしまったが、それはまたしても間違いだった。
いや、むしろドレスで顰蹙をかった方が良かったかもしれない。
ヴィクター殿下は、声にまで嫌悪を露わにした。
「このような公の場で自国の宝石を身に着けず、他国の石でその身を飾るとは、国に対する誇りはないのですかな?」
その瞬間、広間に静寂が訪れた。
リズの胸を飾る見事な首飾りの赤い宝石は、ラタ帝国から取れる『赤の光』と呼ばれる石だ。
ラタ帝国との交流、交易が再開され、公爵家も早速交易に身を乗り出した。
殿下が貴族を説得した通り、帝国には貴重な産物がいくつもあった。
この『赤の光』もその一つである。
少しくすんだ色合いのこの赤い宝石は、陽が射さない場所では発光するという稀有な特徴を持っている。
発光という他にはない特徴に惹かれ、クロシア国では今や女性に絶大な人気を博している。
実際、この広間にも、リズだけでなく多くの女性が『赤の光』を身に付け、広間はその幻想的な光があちこちで見られている。
しかし、この『赤の光』の人気の勢いが増すにつれ、批判が生まれ始めているのだ。
クロシア国には、その色合いと輝きの美しさから『紅の花』と呼ばれる、澄んだ濃い赤の宝石が産出されている。
その美しさは、広く国外にも認められ、クロシア国の輸出の一角を占めるほどである。
色合いが同じ赤であることから、『紅の花』が蹴落とされ廃れいくのではないかと危惧する声が上がっているのだ。
お父様も批判の動向に注視なさっていたけれど、ここまで強い反発を持つ方がいらしたとはご存知だったかしら
公爵令嬢として生まれ育った身で、ここまで強い侮蔑と非難を浴びることは生れて初めての経験だったが、リズは冷静だった。
侮蔑も非難も集中して受け止めなければ、痛みを覚えないということをリズは知った。
リズの意識は、ともすれば隣に視線を向けてしまうことを止めることに集中していたのだ。
リズの隣、殿下の立つ側の空気は、ヴィクター殿下の言葉がリズに浴びせられた瞬間から、一気に冷え込み、さらにはピリピリとした殿下の魔力の波動までもが伝わり、リズは総毛立つ思いだった。
リズの全身が隣の異様な空気に警告を発しているのに、怖いもの見たさか、殿下の表情が気になり、気を抜くと視線が殿下に向かいそうになる。
リズは必死に誘惑に抗い、ヴィクター殿下を見つめていたが、ふとヴィクター殿下の背後に立つ兄の姿が視界に入り、目を見開いてしまった。
兄は燃やし尽くさんばかりの眼差しで、ヴィクター殿下の背中を睨み据えている。
リズがこくりと唾を飲み込んだのを、どうとらえたのか、それを合図としたように、殿下がすっとリズの前に出ようとする気配を感じて、リズは意思の力を総動員して、殿下に完璧な笑顔を向けた。
このような状況でもリズの視線を感じ取り、サファイアの瞳はリズに視線を合わせてくれた。
守って下さるお気持ちはありがたいですが、これは私が受けた問題ですわ
リズの意図を読み取り、殿下は形の良い眉を苦しそうに微かに寄せながらも、その場に止まった。
殿下が自分の意思を尊重してくれたことに、リズは自然と笑みが深まり、軽やかに、ヴィクター殿下へと向き直った。
向かい合う青の瞳は、リズへの蔑みを隠していなかった。
広間は肌を刺すような緊張が走り、物音一つしない。
リズは息を吸い込んだ後、言葉を放った。
「私も、クロシア国の『紅の花』には誇りを抱いております。光を発することはなくとも、その紅の美しさは、他と比較しなくとも時を忘れさせてくれるほどのものをもっています」
リズの愛らしい澄んだ声が、凛とした響きを伴って、静まり返った広間に駆け巡る。
広間は固唾をのんで、続きを待つ。
そんな緊迫した空気を解すように、リズはふわりとした笑みを浮かべる。
「交易が再開してから、ラタ帝国の皇妃陛下は、その『紅の花』の美しさを認め、公の場では必ず『紅の花』を身に着けて下さります。
国中の女性の憧れである皇妃陛下が身に着けるものとして、帝国では『紅の花』を求める女性が後を絶たず、我が父、公爵はその求めに応じようと普段とは違う伝手まで頼り始めたほどです。」
女性には一切関心を示さず、周囲の声に圧され皇妃を迎えても一切手を触れないまま1年ごとに皇妃を取り換えていた皇帝が、今の皇妃を迎えてから、人が変わったように彼女を溺愛し、皇子の誕生まで迎えている。
この溺愛にあやかりたいと、帝国の女性は皇妃の身に付けるものを、競って身に付けようとするため、帝国での『紅の花』の需要は恐ろしい程だと、ロバートは食事の席で喜色と誇らしさを滲ませて教えてくれていた。
その話を聞いた時にリズが胸に頂いた気持ちが再び込み上がり、リズは辺りを照らすような笑顔を浮かべた。
「私は、ラタ帝国の皇妃陛下に敬意と感謝を表すために、『赤の光』を身に着けているのです」
広間は大きくどよめき、拍手まで沸き起こった。
リズを支持する、ひいては『赤の光』を身に付けることを支持する空気に、ヴィクター殿下の顔が、苦々しげに歪む。
それでも、宝石の好みの問題ではなく、両国の友好のために身に付けるという大義名分に、表立ってヴィクター殿下が異を唱えることはできなかった。
そして、リズの隣に立つ殿下は、この機を逃さなかった。
「では、私も皇妃に敬意を表するため、一役買おう。『赤の光』はダンスでこそ真価を発揮する」
殿下は滑らかな動きでリズの腰に手を回し、そのまま広間の中央へと誘う。
人々は道を開け、中央には空間が生まれた。
空いた空間に殿下とリズがたどり着くと、広間は再び静寂に覆われた。
広間の視線が二人に集まる中、長い手が優雅に差し出され、サファイアの瞳は柔らかくリズを捉えた。
「お相手をお願いします。エリザベス嬢」
気品と優しさに溢れたその仕草に、束の間、ダンスを始める経緯も忘れて、リズは鼓動が大きくなったのを感じた。
自分の瞳にどのような感情が顕れているか不安で、伏し目がちになりながらリズはそっと手を乗せた。
「光栄です。王太子殿下」
楽団が、誰もが知る有名なワルツを奏で始め、殿下はステップを踏み出すためリズの腰に手を添える。
ようやく覚悟を決め、視線を上げたリズは、たちまち後悔に襲われた。
艶やかな金の美貌が、子どものような無邪気な笑顔で彩られたのだ。
「貴女の瞳がやっと私を映してくれた」
再び鼓動が早鐘を打ち始め、リズは胸の内で弱音を吐いた。
私、この笑顔はやはり苦手ですわ。
もはや、リズの頭の中からは、先ほどまでの緊迫した出来事はすっかり消え去っていた。
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