殿下、毒殺はお断りいたします

石里 唯

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第1章

気づいた想い

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 殿下の笑顔から意識を逸らそうと、リズは問いかけた。
「ダンスで真価を発揮するとは、どういうことなのですか」

 サファイアの瞳が楽しそうに揺らぐ。そして、ステップを大きく取り、リズの身体を大きく動かした。
「貴女からは見えないだろうが、『赤の光』は揺れると発光の強さも揺らぎ、瞬くのだよ。今、貴女の首飾りも瞬いて、貴女に神秘を添えている」

 知らなかった事実の驚きから、最後に付け加えられた言葉に動揺することはなかった。
 けれど、殿下の表情が急に陰ってしまったことに、リズの完璧な笑顔は崩れそうになる。
深く低い囁きが漏らされた。

「叔父上の事、申し訳なかった」
「そのように殿下に謝っていただく必要は――」

 殿下の手首がそっとターンを促し、リズはそれに沿った。『赤の光』が一際瞬いたのだろう、広間に歓声が上がる。
 歓声は殿下の目論見通りだったのだろう。再び殿下の正面に戻ったとき、殿下は微笑んでいた。
 再び落とされた囁きは、幾分柔らかな響きとなっていた。

「叔父上の妃、エマ叔母上の実家が、『紅の花』の有数な産地であることは知っているかい?」
「父が、ご実家のプロス侯爵領ではクロシア国最高の品質のものが採れると」

 ほんのわずかに殿下は頷く。
「その品質に誇りを持っているのはいいのだが、『紅の花』以外を買うということに拒否を示していてね」
「帝国と交易ができていないということですか」

 帝国との商いは、帝国の品を買う相手との間で行われている。
 つまり、プロス領は、帝国に『紅の花』を売る機会を得られず、国内では『赤の光』に圧され売る機会が減り、交易再開で何ら利益を得ていないことになる。
 むしろ――、

 リズの考えを読んだように、殿下は締めくくった。
「最近、経営が厳しくなっていると報告を受けていた。プロス領は『紅の花』だけで成り立っているといっていいからね。私は油断していた」

ヴィクター殿下の言葉は、愛国心だけで出た言葉ではなかったのね

 根深いものを感じて、胸の内で溜息を吐いたとき、向かい合う殿下の顔も表情が消えつつあることに気が付いた。
 ステップから、軽快な旋律に合わせて二人でターンをして、歓声を浴びる。
 旋律が穏やかなものに移り、ステップに戻っても、殿下の表情は消えたままだ。

 リズは完璧な笑顔を向けて、尋ねた。
「どうなさったのです?」

 目の前の金の美貌に見落としてしまいそうなほどの微かな陰りが過った。
「貴女は私に護らせてはくれないのだと思ってしまった」
 リズは目を見開いた。
「殿下とヴィクター様が反目することはよろしくないかと」

 端麗な容姿に、『氷の王子』に相応しい次代の為政者としての冷静な面差しが浮かび上がる。
「貴女の言う通りだ。私は短慮だった。あの時の私は、ただ、貴女から矛先を変えることしか考えがなかった」

 跳ねるような小刻みな旋律に乗り、片手だけを合わせ、お互いの身体が斜め向かいに何度も交差する。
 耳元に囁きが流れ込んでくる。
「叔父上との関係も、周りの目も忘れていた。ただ、貴女を護ることしか浮かばなかった」

 感情のない声が、却って殿下の苦しさを物語るようで、リズは胸が塞がるような気がして、足さばきが重いものになってしまう。
 息を吸い込み、敢えて悪戯めいた眼差しを殿下に向けて、問いかけた。
「どう護って下さるおつもりだったのですか」

 通常の向き合う位置に体が戻り、正面にサファイアの瞳が待ち構えていた。
 口の端に苦笑が浮かんでいる。
「その首飾りは私が贈ったものだと教えようとしていた」

 リズは息を呑んだ。
 母、クリスティは何も教えてくれなかったものの、なぜこの胸の開いたドレスが選ばれたのかは、腑に落ちるものがあった。
 このドレスは確かに首飾りを強調する。
 それでもあと1センチはラインが上がっても良かったと、密かに嘆いているリズを、殿下の自嘲めいた、けれど確固たる思いを感じる声が、ドレスから意識を引き戻す。

「交流の再開の祝いとして皇帝から贈られたものの中に、その首飾りがあった。一目見た瞬間に、貴女に着けてもらいたいと、これが似合うのは貴女しかいないと思ってしまった」

サファイアの瞳は穏やかな輝きを見せた。
「やはり貴女に似合っている。あなたの美しさを引き立てている」

リズの耳にワルツは入って来なくなった。

だめだわ。今日の私には、あの笑顔とあの言葉は、何か心臓に堪えてしまう。

 殿下の巧みなリードに全てを任せてダンスを続けながらも、リズは一刻も早くダンスを終えて、兄の傍に戻り穏やかな気持ちを取り戻したかった。

 ようやく楽団がワルツの最後のフレーズを奏で終えた。
 殿下とダンスの終わりの挨拶を交わすと、広間から拍手が沸き起こる。
 拍手を完璧な笑顔で受けながらも、自分を温かく包み込んでくれる兄の隣に戻りたいと、兄を探し始めた時、傍らの殿下が広間に響き渡る声を上げた。

「さぁ、皆で踊ろう!今宵の思い出を彩るように!」

 若者で占められる広間は、歓声を上げて、即座に思い思いの場所でダンスの構えに入る。
 兄が、積極的なご令嬢たちを笑顔で躱しながら、こちらに向かってくるのが目に入った。
 リズを迎えに来てくれたのだろう。
 けれど、兄に向けて心からの笑顔を浮かべたリズに穏やかな時間がもどることはなかった。

 傍らの殿下もリズと同じものが見えていたはずだが、殿下は楽団に合図を送った。
 殿下の合図を楽団が無視するはずもなく、即座に2曲目が奏でられ始める。
 集まった人間の年齢を考えての事だろう。
 今度のワルツは、最近流行り始めたワルツで、全体の曲調が明るいものだった。
 手を取られたままのリズは、必然的に殿下と再び踊り始める。
 目の端に、笑顔を浮かべながら目は笑っていない銀の美貌を捉え、リズは小さく溜息を吐く。
「兄に謝って下さいね」

サファイアの瞳は楽しそうに揺れた。
「私の女神。貴女が王宮で踊る初めての相手になれたのに、1曲で終わるなんて、私は嫌だ。
そもそも先ほどのダンスは、『赤の光』のためのダンスで、あれは数には入らない」

 それは一般的な数え方ではないという感想がリズに浮かんだが、口には出さなかった。
 替わりに少し前の感想を口にする。
「確かに王宮で踊るのは初めてですが、よくご存じですね」

 3か月前、王宮の舞踏会でデビューしたときは、両親と兄に連れられ、挨拶回りで終わってしまい、ダンスはできなかった。
 けれど、そのことを殿下に話したことはなかったはずだ。

 殿下はふわりと笑って、種明かしをする。
「貴女と踊れないかと、目で追っていたから」

 まるで子どもが悪戯を白状するような様子に、リズは気が付けば小さく声を上げて笑い出していた。
 笑ったことで、霧が晴れたような心地がして、身体も軽くなる。
 リズはこの時間を楽しむ余裕が生まれた。

 そうだわ、今日はそもそもダンスはお兄様以外とはできないと思っていたのだもの。
 踊れることを楽しまなくては。

殿下にもリズの変化が伝わったのだろう。
金の美貌に晴れやかな輝きが生まれ、足捌きも一段と切れのあるものになる。
リズはその笑顔に対する自分の奥底にある感情を素直に受け止めることが出来た。

素敵な笑顔だわ。私、苦手ではなく、この笑顔に弱いのね

リズはダンスを楽しんだ。
 殿下がリズを離すことなく、3曲目も強引に始めても、小さく笑いながらそれを受け止め、3曲目――殿下にとっては2曲目――のダンスを楽しんだ。
 王太子殿下と3曲も続けて踊れば、翌日からどのような噂が立つかは分かっていたものの、目の前の殿下の輝きを曇らせたくはなかった。

いえ、違うわ。私もこの時間を終わらせたくないのね。

 すんなりと自分の感情を認めながら、リズがステップを刻んでいると、殿下が笑顔を収めて深い声で囁いた。

「一つ、心のままに応えて欲しいことがある」

笑顔が消えてしまったことを寂しく思いながら、リズは頷いた。

「もし私が王太子でなければ、貴女は私を選んでくれたのだろうか」

リズは自分から全ての音が消え去ったのを感じた。
今、リズにあるのは、殿下の恐いほどに真剣なサファイアの瞳だけだった。

リズは唾を飲み込み、何とか声を絞り出した。
「殿下。その美貌がなければと、付け加えて下さい」

微かに口元を緩めたものの、殿下の眼差しの強さは変わらない。
「王太子でもなく、美貌もない私を選んでくれる?」

この方が、王太子でもなく、平凡な容姿の方だったら――、

悩むこともなく答えは口から零れていた。

「殿下。お断りすることはなかったと思います」

 初めて気が付いた自分の想いに、リズは胸が引き裂かれる気がした。
 自分に前世の記憶がなければ、殿下が王太子であっても、自分に向けられる好意を素直に受け止め、目の前のサファイアの瞳を喜びで煌めかせることができただろう。
 今、苦しみを隠すような儚さを感じさせる笑顔を浮かべさせることはなかったはずだ。

 咄嗟に目を伏せて痛みを堪えたリズの顔に、どのような表情が浮かんでいたのだろう。
 殿下の微かな苦笑が聞こえた。

「そのような顔をしないでおくれ。貴女が生きてその瞳に私を映してくれるだけで、私は幸せなのだから」

 柔らかな声とともに微かに感じた殿下の魔力の波動は、その言葉が真実であることをリズに伝えていた。リズの胸に再び痛みが走る。
 目を伏せたままのリズに、殿下から小さな溜息が漏れた。
 
「けれど、私もあなたと同じだ」

驚いて目を開くと、金の美貌は自嘲に彩られていた。
リズの胸に痛みが蘇る。
深みを増した囁きが、その胸に沁み込んだ。

「私も、貴女が公爵令嬢でなく、その女神の美を持っていなければと、何度も、数えきれないほど考えた。今もね」

殿下の考えを理解できず、リズは目を瞬かせた。
その仕草に、サファイアの瞳は僅かに柔らかな光を浮かべる。

「貴女の身分が低ければ、私は権力にものを言わせて、出会ったその日に私の下に嫁がせていただろう。
 貴女が誰の目にも止まらない容姿ならば、私は心穏やかにあなたを見守り、私を見てくれる日を待ち続けることができただろう」

紡がれた言葉は殿下の真摯な思いを刺し貫くような強さでリズに突き付けていた。

 自分は、殿下の生まれや容姿で、想いをはねつけている。
 けれど、殿下は、リズの生まれや容姿が違っていても、想いは変わらないと告げているのだ。

私は、ここまでの想いを向けて下さる方を、その想いを、軽んじすぎている。

6年間、自分が見てこなかった事実の重みに、リズは自分の指先が冷えていくのを感じていた。

 その後、どうダンスを乗り切ったのか、リズには記憶がなかった。
 再び、はっきりと意識が戻ったのは、ワルツの終わりに合わせて、吐息のように囁かれた時だった。
「だが、私は貴女を幸せにするために、この王太子という立場を神に心から感謝している」

 その言葉に何か底知れぬものを感じ、リズがサファイアの瞳に視線を向けたものの、その瞳はいつもの柔らかな輝きしか見せてはくれなかった。
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