殿下、毒殺はお断りいたします

石里 唯

文字の大きさ
18 / 45
第1章

殿下が隠したもの

しおりを挟む
 波乱の舞踏会から一夜が明け、マーレイ公爵邸では朝食が始まろうとしていた。

 今朝の朝食は、昨晩、舞踏会に参加していたアンソニーとリズのことを考えて、遅い時間からの始まりとなり、ほぼ昼食も兼ねていると言っても差し支えないぐらいである。
 食堂には明るい日差しが心地よく入り込み、テーブルを照らしている。

 娘にお気に入りのデザインのドレスを着せることができてご満悦のクリスティが、明るい日の光に相応しい笑顔を浮かべている。

 当主のロバートの姿はない。
 昨晩まで領地に帰り仕事をこなしていたロバートであったが、娘の一大事を白の守護師から魔法で伝えられ、取るものもとりあえず、朝一番で領地の魔法使いの力を借りて転移で王都に戻り、その足で王宮に向かったそうだ。

 目覚めてすぐに侍女から父の動向を教えられたリズは、昨晩の騒動を否が応でも思い出してしまった。

 王弟殿下の処分について話し合いをなさるのかしら

 重い気持ちを表に出さないことが、リズの今日の課題となっている。

 リズ以外に愛するものがないと言って過言でない兄なら、リズの隠した気持ちを立ちどころに見抜くはずだったが、今朝の兄は、いつもの兄ではなかった。

「お兄様。気持ちの良い日差しですわ。そろそろ復活してください」

 食堂に入るときも、入ってからも、うなだれたままの兄は、リズの表情どころか兄の見事な銀髪を輝かせている日差しにも気づいていない様子だった。
 煌めく銀髪が兄の肩から流れ落ち、兄の顔を隠している。
 その銀髪の奥から、消え入りそうな声が漏れ出た。

「昨晩、僕の天使が婚約したというのに、どうして復活できるんだい?」

 全く生気を感じられない兄に、リズは明るく声をかけ続ける。

「お兄様。婚約ではなく、婚約者「候補」になっただけです。これから11か月もの間、審査があるではないですか」

 11か月は長い期間だ。その間に、どんなことが起こるかは神のみが知ることだ。
 リズが殿下に恋をするかもしれない。はたまた、殿下にもリズにも運命の相手が見つかるかもしれない。
 見つからなくとも、審査で婚約者として不適格となる切り札がリズにはある。
 兄が落ち込む必要も、リズが焦る必要も全くないはずだ。

 リズがこれからの11か月のことに思いを馳せて微笑んでいると、ゆっくりと力なく兄は顔を上げて、リズを眺めた。
 美しいエメラルドの瞳も、今朝は輝きが失われてしまっている。

「リズ。あの腹が真っ黒な王子が、審議の手順を踏むはずがないだろう?」

「まぁ、お兄様。王室法の第3章第6節第4条第2項に書かれている審議なのですから、手順を踏まないわけにはいきませんわ」

 兄を安心させるために、条文まで出したリズであったが、兄の表情は全く明るくはならない。
 眉を寄せて、哀しみと諦めを体現する。

「一皮むけばどこまでも黒く染まり切ったあの王子が、第3項を使って審議を省くことをしないはずがないよ」

――え?
「第3項?」

 口から疑問がこぼれ出た。
 第4条は第2項までしかなく、その次は第5条の婚約発表の定めに移るはずである。
――はずであると思いつつ、それでもリズは自分の鼓動が大きくなったことを感じ始めていた。

お兄様の記憶違い――、でも、なぜわざわざ「第3項」と具体的な条項が出てくるのかしら――

 リズはこくりと唾を飲み込み、知りたくない気もする、けれど絶対に知らなくてはならない問いを兄に投げかけるかどうかを躊躇っていると、鈴を振るような声がのんびりとリズに投げかけられた。

「王室法について、私は詳しくないのだけれど、第3項については知っているわ。」

 リズは驚きから強張る身体を軋ませながら、母に顔を向けた。
 母は悪戯めいた笑みを浮かべていた。
 リズは自分の鼓動で体が揺れているのではないかと思いながら、手を握りしめる。
 その手が冷え切っていることにリズは気が付いた。恐らく冷えているのは手だけではないだろう。

 こっそりと内緒話を楽しむように、母は小さな声でリズに話しかける。
「今の国王陛下と王妃陛下は、お若いころ、社交界で知らない者はいないほどの大恋愛で結ばれたのよ」

 リズは小さく頷いた。
 大恋愛を成就した経験を持つ国王陛下のお陰で、殿下とリズの婚約はリズの心が殿下に向くまでなされないことになったのだ。
 そのため、リズは心の内で生涯の忠誠を陛下に捧げている。
 母は人差し指を口に当て、更に小さく囁いた。

「第3項は、今の王妃陛下が王太子殿下の婚約者に決まるときに、審議を待つ余裕がなくなって大慌てで作ったのよ」

大慌てで作った――、その言葉にリズの頭は真っ白になる。
 王室法は状況に応じて臨時に作られた条文が幾つもあることは、リズも知っている。
 真っ白な頭に、楽しそうな声が容赦なく入り込む。

「第3項は、確か、王太子から求婚を受けた者がその求婚に応じた場合、王太子からの申し出があれば第2項を省略することができる、だったわ。社交界では急遽作られたその条項の話題で持ちきりだったのよ」

 頭を殴られるような衝撃、そう表現していい衝撃をリズは生れて初めて受けた。
 呼吸の仕方も忘れてしまったリズに、母はのんびりと知識を披露してくれる。

「そもそも11か月かけて行う審議は単なる名目で、王太子殿下の妃から生まれる子どもが疑いもなく正しく王太子の子どもであることを示すために設けられたものだったそうよ」

 図らずも、11か月という半端な期間の趣旨がようやくリズにも分かった。
 確かに、婚約が決まる前に王太子以外のお相手との子どもを懐妊していても、10か月ほどで出産を迎えるはずである。
 審議が終わるときには、婚約者候補は出産を終え、その後の懐妊は周囲から疑いをもたれることは無くなる手はずだ。

一体、どのような事情で第2項が作られたのかしら。
夫を亡くされた女性を熱愛した国王陛下がいらしたのかもしれない。

 リズは現実を避けるために、今生まれたばかりの疑問に意識を向けたのだが、母クリスティが娘の複雑な胸中を察することは今日もなかった。
 隠しきれない可笑しさを声に込めながら、リズを現実に引き戻す。

「ふふふ。今の王太子殿下のお誕生は、第3項を急いで設けて審議を省き、ご成婚の準備を最大限に急いだのだけど、ご成婚が間に合わず、婚約から半年ほど経った――」

「そんなことは絶対に許さない――!」

 突如、怒りの叫びを上げると同時に、生気を取り戻した兄は、ゆっくりと立ち上がり、地を這うような声で続けた。

「僕の天使を嫁がすことも許さないが、式を待たずに僕の天使に不埒な真似をしでかすなど、神に誓って許さない!」

「あら、アンソニー。兄の許しを得なくとも、恋に落ちた若い男女を止められるものではないわ。あなたが生まれた時期も、ロバートとの婚約から――」

「昔の話はいいのですよ、母上!」

 母と兄の言い争いも、リズの知らなかった殿下と兄の誕生の時期も、今のリズの意識に留まることはなかった。
 審議を省き即座に婚約を認めることのできる第3項が存在するということを、認めるしかなかった。
 ゆっくりと、とてもゆっくりと、リズは結論を導き出した。

もしかすると審議は開かれず、今日にでも私は婚約者になってしまうということなの?

 瞬間、昨晩に殿下が見せた、今まで見たこともないあの奇妙な笑顔が浮かび上がった。
 あの時、殿下は「求婚に応じた」リズに第3項が使えるとほくそ笑むのを隠していたのだろう。

 確信が生まれたとき、リズに天啓にも似た閃きが起こる。

――殿下が私に隠したものはそれだけではないわ

 リズの手元にある見事な刺繍の施された王室法の本は、殿下から贈られたものだ。
 それは、殿下の祖母である王太后陛下が若かりし頃に使われたもので、当然、当時作られていなかった第3項は記されていない。

 殿下はリズに本を贈って以降、王室法が変わる度に、変更の内容を書いた紙も贈ってくれていた。
 けれど、本を贈る以前の変更に関するものは――、全く、一枚もなかった。

 貴族の反対を説得で懐柔し、他国との交易を再開させる有能な人間が、――百歩譲って、有能でなくとも、法が変わる度に情報をくれた人間が、本が作られてから現在までの期間の変更に気が付かないはずがない。

 冷え切ったリズの身体は、一気に熱くなった。

こういうことを、何というのだったかしら

 ふつふつと湧き上がる怒りと共に、探していた言葉が口から零れ出た。

「詐欺ですわ――!!」


 マーレイ公爵家にリズの悲鳴が響き渡ったころ、時を同じくして、王宮にてロバートはリズが王太子殿下の婚約者となったことを、第5条に則り陛下から正式に伝えられていた。

――このとき、陛下の傍らに立つ殿下が浮かべていた、眩しいまでに輝く笑みは、しばらく王宮の語り草となったそうだ。

 

 第1章 完


**********************************************************
 番外編3話を挟み、その後、第2章に続きます。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

政略結婚の作法

夜宮
恋愛
悪女になる。 そして、全てをこの手に。 政略結婚のために身分違いの恋人のいる王太子の婚約者となった公爵令嬢は、妹の囁きを胸に悪女となることを決意した。 悪女と身分違いの恋人、悪女になるはずだった妹の物語。

追放された薬師は、辺境の地で騎士団長に愛でられる

湊一桜
恋愛
 王宮薬師のアンは、国王に毒を盛った罪を着せられて王宮を追放された。幼少期に両親を亡くして王宮に引き取られたアンは、頼れる兄弟や親戚もいなかった。  森を彷徨って数日、倒れている男性を見つける。男性は高熱と怪我で、意識が朦朧としていた。  オオカミの襲撃にも遭いながら、必死で男性を看病すること二日後、とうとう男性が目を覚ました。ジョーという名のこの男性はとても強く、軽々とオオカミを撃退した。そんなジョーの姿に、不覚にもときめいてしまうアン。  行くあてもないアンは、ジョーと彼の故郷オストワル辺境伯領を目指すことになった。  そして辿り着いたオストワル辺境伯領で待っていたのは、ジョーとの甘い甘い時間だった。 ※『小説家になろう』様、『ベリーズカフェ』様でも公開中です。

有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
お気に入り1000ありがとうございます!! お礼SS追加決定のため終了取下げいたします。 皆様、お気に入り登録ありがとうございました。 現在、お礼SSの準備中です。少々お待ちください。 辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

モラハラ王子の真実を知った時

こことっと
恋愛
私……レーネが事故で両親を亡くしたのは8歳の頃。 父母と仲良しだった国王夫婦は、私を娘として迎えると約束し、そして息子マルクル王太子殿下の妻としてくださいました。 王宮に出入りする多くの方々が愛情を与えて下さいます。 王宮に出入りする多くの幸せを与えて下さいます。 いえ……幸せでした。 王太子マルクル様はこうおっしゃったのです。 「実は、何時までも幼稚で愚かな子供のままの貴方は正室に相応しくないと、側室にするべきではないかと言う話があがっているのです。 理解……できますよね?」

木こりと騎士〜不条理に全てを奪われた元宰相家令嬢は、大切なものを守るために剣をとる〜

温故知新
恋愛
剣と魔法を王族や貴族が独占しているペトロート王国では、貴族出身の騎士たちが、国に蔓延る魔物ではなく、初級魔法1回分の魔力しか持たない平民に対して、剣を振ったり魔法を放ったりして、快楽を得ていた。 だが、そんな騎士たちから平民を守っていた木こりがいた。 騎士から疎まれ、平民からは尊敬されていた木こりは、平民でありながら貴族と同じ豊富な魔力を持ち、高価なために平民では持つことが出来ないレイピアを携えていた。 これは、不条理に全てを奪われて1人孤独に立ち向かっていた木こりが、親しかった人達と再会したことで全てを取り戻し、婚約者と再び恋に落ちるまでの物語である。 ※他サイトでも公開中!

望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで

越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。 国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。 孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。 ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――? (……私の体が、勝手に動いている!?) 「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」 死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?  ――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!

【コミカライズ決定】魔力ゼロの子爵令嬢は王太子殿下のキス係

ayame@コミカライズ決定
恋愛
【ネトコン12受賞&コミカライズ決定です!】私、ユーファミア・リブレは、魔力が溢れるこの世界で、子爵家という貴族の一員でありながら魔力を持たずに生まれた。平民でも貴族でも、程度の差はあれど、誰もが有しているはずの魔力がゼロ。けれど優しい両親と歳の離れた後継ぎの弟に囲まれ、贅沢ではないものの、それなりに幸せな暮らしを送っていた。そんなささやかな生活も、12歳のとき父が災害に巻き込まれて亡くなったことで一変する。領地を復興させるにも先立つものがなく、没落を覚悟したそのとき、王家から思わぬ打診を受けた。高すぎる魔力のせいで身体に異常をきたしているカーティス王太子殿下の治療に協力してほしいというものだ。魔力ゼロの自分は役立たずでこのまま穀潰し生活を送るか修道院にでも入るしかない立場。家族と領民を守れるならと申し出を受け、王宮に伺候した私。そして告げられた仕事内容は、カーティス王太子殿下の体内で暴走する魔力をキスを通して吸収する役目だったーーー。_______________

処理中です...