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第2章
最強の毒
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リズは目を伏せ、柔らかく漂う苺の香りをそっと楽しんでから、殿下の淹れてくれたお茶を一口味わった。苺の甘酸っぱさがすっきりとした味わいを醸し出し、とても飲みやすいお茶だった。
美味しさにほっと息を付くと、間を置かず向かいの席から野太い声が称賛の声を上げた。
「素晴らしい味と香りですな。殿下はお茶を淹れることも嗜んでおられたとは知りませんでした」
ここは、先ほどまでお妃教育を受けていた宰相の執務室である。
毒草は魔法の結界の中に封じて、宰相が管理していたため、リズは殿下と共にこの部屋に戻ることになったのだ。
けれど、毒草を見る前に、殿下がポツリと「今日も貴女にお茶を飲んでもらえないのだろうか」と呟くのを耳にし、――期待を込めてこちらをひたと見つめるサファイアの瞳に完敗したこともあり――、お茶を楽しむことになった次第だ。
ともあれ、少しばかり泣き疲れていたリズに、今日の爽やかなお茶はとても合っていた。
リズの幸せそうな顔を蕩けんばかりの顔で見つめた殿下は、カーティスのカップの傾きが目に入ると、温度のない声を放った。
「そなたたちは、一杯だけだ」
「お茶は素晴らしくとも、もてなしの心がないと台無しですよ」
ロナルドの発言を聞き、リズはとっさに自分が完璧な笑顔を張り付けていることを感じ、内心で溜息を付いた。ロナルドは当然のことを口にしただけだ。それはリズも分かっていたのだが。
――王妃殿下はやはりすごい方だわ。私、本当に悔しいけれど、どうしても蟠りを隠せていないのに。
様々な情報を飲み込んだ上で、等しく笑顔を向ける妃殿下の態度は、今のリズには至高のものに思える。
ふと、殿下が教えてくれた、笑顔の裏で情報を思い出し笑っているという妃殿下自身の趣味を思い出した。リズは自分の至らなさに対する、容易で、かつ深い満足を得られる活路を見出した。
――妃殿下は宰相閣下の裏の趣味をご存じないかしら。さすがに、男性までは網羅なさっていないかしら。
ちなみに、確かに女性ほど男性の趣味は網羅していない妃殿下であったが、こと宰相の趣味に関してだけは、もてる情報網を全力で駆使して突き止めている。――妃殿下がそこまでの執念を見せた経緯を知れば、リズも幾分か自信を取り戻せたことだろう。
「いや、これだけのお茶を淹れられるとあれば、愛するエリザベス嬢に存分に味わってもらいたいというのも頷けますぞ」
磊落さを感じるカーティスの口調に、リズの蟠りと自己嫌悪は和らぎ、気が付けばカーティスに笑顔を向けていた。
部屋に冷たく硬い声が響いた。
「カーティス。退出してよいぞ」
小さく「余裕のない」とロナルドが呟き、豪快に笑って殿下をいなすカーティスの傍らで、侍従長に急用ができたということでこちらに顔を出していた兄が、優雅な仕草でカップからテーブルに置き、美というものを知らしめる笑顔をリズに向けた。
「リズ。屋敷に戻ったら、僕の淹れたお茶を楽しもう。僕もリズのためにお茶を淹れたい」
いつものように、少しずれたものを感じる兄の発言に、リズは微妙な笑みを浮かべた。
兄と入れ替わるように、ヒューが白の守護師の補佐をするために退出してしまっている。
正直なところ、宰相の執務室に戻り、そのことを知ったリズは密かに安堵していた。
ヒューに彼女の殿下に対する気持ちを読まれるとしても、せめて人のいない場所で、できれば自分の口から伝えたかった。
ヒューと同じくリズの思考を読み取ることのできる兄は、自分の気持ちをどう受け止めているのかと視線を向けると、兄は鋭い視線をロナルドに向けていた。
「さて、もったいぶらずに早く見せてもらえないかな」
兄が例のように不遜な態度で、ロナルドに要求を述べる。兄の声が殿下のそれよりも冷え切っていたところをみると、リズのロナルドへのわだかまりを読んでしまったのかもしれない。
リズは自分の至らなさを痛感し、そっと息を吐いて心を落ち着かせた。
しかし、ロナルドが取り出した小さな球形の結界の中身を目にした途端、落ち着きという言葉自体が吹き飛んでいた。
そこには青い色の小さなリンゴのような実が収められていた。
くっ!やはり専門家は実を生らせるのね。
その実は、主に砂浜で生息する毒を持つ木に生るもので、リンゴのような実の部分だけでなく、木の全ての部分が肌への強い刺激をもたらす。雨の日にこの木の下で雨宿りすると、全身が激痛に苛まれるという。
そのような強い毒を持つ木であるが、リズは図鑑で見たリンゴのような小さな実を可愛らしく思い、――少なくともリズの目には可愛らしく映った――、自分の庭でその実を見たいと育て始め、木の高さは十分になったものの、今のところ実がなる気配は全くないのだ。
リズの瞳をくぎ付けにした結界の中の小さな実は、瑞々しさがあった。備蓄した実ではなく、栽培したものを収穫した可能性が高い。
敗北感がリズを襲った。
「私の女神。今年こそは実るかもしれないではないか」
「この実が無くとも、リズの庭は十分に可愛いよ」
根拠も客観性も欠片も感じられない言葉は、リズの敗北感をさらに大きくしたが、ロナルドの淡々とした声がリズをそれ以上沈みこませることを許さなかった。
「こちらは、一月ほど前に、殿下の執務室に送り付けられたものです」
リズは慄然とした。
王城に手引する者がいるということなのだろうか。
リズの顔色を見て、カーティスと、意外なことにロナルドも加わり、事の次第を説明してくれた。
二人の説明によれば、殿下の執務室に、魔法で転移させて毒草を送り付けられたという。殿下の執務室には防御の結界があり、殿下は護られた状態にある。
けれども、敵をおびき出すために、敢えて結界のない部分が作られていた。今回の敵はその穴を探知し、送り付けてきているという。
どれだけ強い力を持つ魔法使いなの――。
リズは血の気の引いた自分の手をそっと握り締めた。
そのリズの仕草を見て、カーティスが咳払いをした。
「白の守護師の力は素晴らしいのですよ。すべての侵入を弾くのではなく、殿下の許可を得て入室する者は、結界に侵入できる仕組みになっています」
確かに精巧な結界だとリズは頷き、そして首を傾げた。
私、何度か殿下の許可を得ずに部屋に入ってしまった記憶があるけれど――
カーティスは茶目っ気たっぷりにリズの疑問に答えた。
「殿下は、エリザベス嬢はいかなる時でも入室できるようにしてほしいと、守護師に頼み込んでいたのですよ。守護師は体裁を整えるために王族とエリザベス嬢に結界が解除されるように魔法を組みなおしたとか」
「私の女神を遮るものなど、必要ないからね」
「いや、僕の天使をそのような部屋に行かせる必要がそもそもない」
殿下の蕩けるような甘い声も、カーティスの豪快な笑いも、すぐ隣の兄の底冷えのする声も、羞恥に震えるリズの耳にはぼんやりとしか入ってこなかった。
ロナルドは全てを素通りして、新たな球形結界を取り出した。
「さて、次に送り付けられたものはこちらです」
結界の中には、ところどころちぎれているものの、白く可憐な小さな鈴のような形をした花をいくつもつけた草が収められていた。
見た目が愛らしいこの花は毒を持っている。食せば嘔吐や頭痛を引き起こす。そしてその花粉にも毒があり、どれだけ愛らしくとも、テーブルにこの花を飾ることは絶対にできない。
愛らしい見た目とその毒の強さから、リズも庭に植えていたのだが――、
リズはもう隠すこともなく嘆息を零した。
暑さに弱く寒さに強いこの多年草を、リズは一年しか育てることができなかったのだ。
そしてこれほどたわわに花は咲かなかった。
この花は甘さを感じる香りを持ち、殿下も育てている。彼は魔法で温度管理をしていると、リズには真似のできない栽培のコツを教えられ、完璧な笑顔を張り付けたものだ。恐らく、送り付けた専門家も魔法を使っているのかもしれない。
ロナルドはその後も淡々と次々に、リズにとっては貴重で憧れのある毒草を見せていく。
残念なことに、数々の毒草は、送り込んだ先を探るために、探索の魔法の依り代とされたため、損傷を受け、そして徐々にその損傷は大きくなっていく。
それでも突き付けられる専門家の技術の高さにリズが打ちのめされ、もはや溜息も出なくなったころ、ロナルドは一つの結界を取り出した。
「これが最新のもので、二日前に送られたものです」
結界に残された部分はごく僅かで、それが葉であるのか茎であるのかも分からなかった。
リズは食い入るように結界の中を見て、ふと、残されたものに根の一部が含まれていることに気が付いた。
今までのものは根など付いていなかったのに、どうしてこれだけ根があるのかしら。
意味もなくわざわざ根の部分を送り付けたとは思えない。
ならば、根も毒を持つ草で――
リズはその毒草の名前が分かった途端、テーブルに伏してしまった。この衝撃を前にして、公爵令嬢としての矜持は、塵よりも意味をなさなかった。
ああぁぁぁっ…。どうしてこの草が最後だったの――!
「どうされたのです?」
リズの奇行にカーティスは僅かに狼狽えてその理由を問う。
リズは受けた哀しみの大きさのあまり、潤んだ瞳も、震える声も、自分の本心も隠すことなく、答えを紡いだ。
「この草は、私の憧れの草なのです。この近隣諸国の中で最強の毒を持つといわれるものなのです。その強さからレクタム王室が厳重に管理している幻の草です。一目、本物をしっかりと見たかった…」
刹那、部屋の空気が変わった。
カーティスの顔から磊落さが消え、敵を視線だけで殺せる険しさが現れた。
リズはその変貌に驚愕し、恐さを覚えることすらできなかった。
「なんと。この残骸はレクタムの秘宝でしたか」
片眉を上げて、僅かな感情の揺らぎを抑えたロナルドは、別人と化したカーティスに向き直った。
「殿下に供する食物も飲み物も、白の守護師が魔力で携わった人間を覗き見ている」
「加えて2時間前に毒見をさせているので、まぁ、打てる手は打っていますな」
「先ほどから、白の守護師に加えて、ヒュー殿も魔力の探索に加わっているから――」
「何とか、食材の入手時点から、監視をできたらいいのですが――」
なされる会話を耳にして、リズは違和感を覚えた。
通常の警護の確認とは思えない、緊迫したものを感じた。確かに最強の毒で、食せば1分も経たないうちに呼吸困難が始まる激烈なものだ。しかし、今までも毒草は送り付けられていたのだから、警護を特に見直す必要があるとはリズには思えなかった。
そして、警護の方針が毒草に注力しているように思えることも、リズの疑問と不安をあおっていた。
この場で検討されないだけで、もちろん、対策は取られているのでしょうね…。
リズはくすぶる不安を紅茶と共に飲み干した。
殿下はリズのカップが空になったことを見逃さず、ふわりと笑んで、2杯目を注いでくれる。澄んだ鮮やかな赤で満たされたカップをテーブルに音もなく彼が置いたとき、そっと耳元で囁かれた。
「私に隠し事はしないでほしい」
――!
甘い艶を含んだ声と、打ち返された自分の言葉にリズは殿下を振り仰いだ。
そして、自分の過ちを知る。
吐息がかかるほど近い距離にあったサファイアの瞳は、リズの頬に熱を持たせるほどの艶があった。
「僕の天使の瞳に、何を映させるつもりだ」
兄の地を這うような声で、息を取り戻したリズは、羞恥と色香から逃れるため、言葉を紡いだ。
「蛙の毒を使った攻撃に対しての備えはどのようになされているのかと――」
リズの言葉に即座に反応を返したのは、カーティスだった。
「蛙?」
リズは小さく頷いた。毒は毒草に限られたものではない。世界には様々な毒がある。
「この草は、本来は湿地に生えているものです。近くには、この草に寄生する虫を食べる、生物の中で最強と言われる毒の体液を持つ蛙が生息していると聞いています。レクタム王室が管理するまでは、その蛙の背に矢じりを押し付け、毒矢として――」
リズの言葉を聞いているカーティスとロナルドの顔色が変わったことで、リズの言葉は途切れてしまった。
「毒を仕込んだ剣と、飛び道具への警戒ですか」
カーティスは立ち上がった。
「殿下。防御の魔法石が今も機能するか試しましょう。できれば、強めてもらう必要もあるでしょうな」
「後三日で、警備の体制の見直しができますかな」
どうやら蛙の毒に対しての対策は今からなされることを知ったリズは、「三日」という締め切りに首を傾げた。
カーティスと警備の体制を話し合っていたロナルドは、リズの動きを見逃さず、好々爺たる顔を向けた。
久しぶりに見た気がするロナルドのその顔は、リズの背中に悪寒を走らせた。
その笑顔の下に隠しているものの大きさを予感する。
「三日後に、レクタム国からお忍びで、とある要人がこの王宮に到着する予定なのです」
重責を担う宰相に相応しい、低く重々しい声が告げた事実は、リズの身体の芯を冷たくした。
包囲網を築いた相手先のレクタム国から、派閥争いの激しい状態で、要人が来る。
レクタム王室が管理しているはずの最強の毒草が送り付けられている。
このことは、どういった意味を持つのかと、リズを気遣う殿下の視線を感じながらも、小さくつばを飲み込み思案を巡らすリズの隣で、兄は一瞬、眉を顰めた後、目を伏せ感情を隠していた。
美味しさにほっと息を付くと、間を置かず向かいの席から野太い声が称賛の声を上げた。
「素晴らしい味と香りですな。殿下はお茶を淹れることも嗜んでおられたとは知りませんでした」
ここは、先ほどまでお妃教育を受けていた宰相の執務室である。
毒草は魔法の結界の中に封じて、宰相が管理していたため、リズは殿下と共にこの部屋に戻ることになったのだ。
けれど、毒草を見る前に、殿下がポツリと「今日も貴女にお茶を飲んでもらえないのだろうか」と呟くのを耳にし、――期待を込めてこちらをひたと見つめるサファイアの瞳に完敗したこともあり――、お茶を楽しむことになった次第だ。
ともあれ、少しばかり泣き疲れていたリズに、今日の爽やかなお茶はとても合っていた。
リズの幸せそうな顔を蕩けんばかりの顔で見つめた殿下は、カーティスのカップの傾きが目に入ると、温度のない声を放った。
「そなたたちは、一杯だけだ」
「お茶は素晴らしくとも、もてなしの心がないと台無しですよ」
ロナルドの発言を聞き、リズはとっさに自分が完璧な笑顔を張り付けていることを感じ、内心で溜息を付いた。ロナルドは当然のことを口にしただけだ。それはリズも分かっていたのだが。
――王妃殿下はやはりすごい方だわ。私、本当に悔しいけれど、どうしても蟠りを隠せていないのに。
様々な情報を飲み込んだ上で、等しく笑顔を向ける妃殿下の態度は、今のリズには至高のものに思える。
ふと、殿下が教えてくれた、笑顔の裏で情報を思い出し笑っているという妃殿下自身の趣味を思い出した。リズは自分の至らなさに対する、容易で、かつ深い満足を得られる活路を見出した。
――妃殿下は宰相閣下の裏の趣味をご存じないかしら。さすがに、男性までは網羅なさっていないかしら。
ちなみに、確かに女性ほど男性の趣味は網羅していない妃殿下であったが、こと宰相の趣味に関してだけは、もてる情報網を全力で駆使して突き止めている。――妃殿下がそこまでの執念を見せた経緯を知れば、リズも幾分か自信を取り戻せたことだろう。
「いや、これだけのお茶を淹れられるとあれば、愛するエリザベス嬢に存分に味わってもらいたいというのも頷けますぞ」
磊落さを感じるカーティスの口調に、リズの蟠りと自己嫌悪は和らぎ、気が付けばカーティスに笑顔を向けていた。
部屋に冷たく硬い声が響いた。
「カーティス。退出してよいぞ」
小さく「余裕のない」とロナルドが呟き、豪快に笑って殿下をいなすカーティスの傍らで、侍従長に急用ができたということでこちらに顔を出していた兄が、優雅な仕草でカップからテーブルに置き、美というものを知らしめる笑顔をリズに向けた。
「リズ。屋敷に戻ったら、僕の淹れたお茶を楽しもう。僕もリズのためにお茶を淹れたい」
いつものように、少しずれたものを感じる兄の発言に、リズは微妙な笑みを浮かべた。
兄と入れ替わるように、ヒューが白の守護師の補佐をするために退出してしまっている。
正直なところ、宰相の執務室に戻り、そのことを知ったリズは密かに安堵していた。
ヒューに彼女の殿下に対する気持ちを読まれるとしても、せめて人のいない場所で、できれば自分の口から伝えたかった。
ヒューと同じくリズの思考を読み取ることのできる兄は、自分の気持ちをどう受け止めているのかと視線を向けると、兄は鋭い視線をロナルドに向けていた。
「さて、もったいぶらずに早く見せてもらえないかな」
兄が例のように不遜な態度で、ロナルドに要求を述べる。兄の声が殿下のそれよりも冷え切っていたところをみると、リズのロナルドへのわだかまりを読んでしまったのかもしれない。
リズは自分の至らなさを痛感し、そっと息を吐いて心を落ち着かせた。
しかし、ロナルドが取り出した小さな球形の結界の中身を目にした途端、落ち着きという言葉自体が吹き飛んでいた。
そこには青い色の小さなリンゴのような実が収められていた。
くっ!やはり専門家は実を生らせるのね。
その実は、主に砂浜で生息する毒を持つ木に生るもので、リンゴのような実の部分だけでなく、木の全ての部分が肌への強い刺激をもたらす。雨の日にこの木の下で雨宿りすると、全身が激痛に苛まれるという。
そのような強い毒を持つ木であるが、リズは図鑑で見たリンゴのような小さな実を可愛らしく思い、――少なくともリズの目には可愛らしく映った――、自分の庭でその実を見たいと育て始め、木の高さは十分になったものの、今のところ実がなる気配は全くないのだ。
リズの瞳をくぎ付けにした結界の中の小さな実は、瑞々しさがあった。備蓄した実ではなく、栽培したものを収穫した可能性が高い。
敗北感がリズを襲った。
「私の女神。今年こそは実るかもしれないではないか」
「この実が無くとも、リズの庭は十分に可愛いよ」
根拠も客観性も欠片も感じられない言葉は、リズの敗北感をさらに大きくしたが、ロナルドの淡々とした声がリズをそれ以上沈みこませることを許さなかった。
「こちらは、一月ほど前に、殿下の執務室に送り付けられたものです」
リズは慄然とした。
王城に手引する者がいるということなのだろうか。
リズの顔色を見て、カーティスと、意外なことにロナルドも加わり、事の次第を説明してくれた。
二人の説明によれば、殿下の執務室に、魔法で転移させて毒草を送り付けられたという。殿下の執務室には防御の結界があり、殿下は護られた状態にある。
けれども、敵をおびき出すために、敢えて結界のない部分が作られていた。今回の敵はその穴を探知し、送り付けてきているという。
どれだけ強い力を持つ魔法使いなの――。
リズは血の気の引いた自分の手をそっと握り締めた。
そのリズの仕草を見て、カーティスが咳払いをした。
「白の守護師の力は素晴らしいのですよ。すべての侵入を弾くのではなく、殿下の許可を得て入室する者は、結界に侵入できる仕組みになっています」
確かに精巧な結界だとリズは頷き、そして首を傾げた。
私、何度か殿下の許可を得ずに部屋に入ってしまった記憶があるけれど――
カーティスは茶目っ気たっぷりにリズの疑問に答えた。
「殿下は、エリザベス嬢はいかなる時でも入室できるようにしてほしいと、守護師に頼み込んでいたのですよ。守護師は体裁を整えるために王族とエリザベス嬢に結界が解除されるように魔法を組みなおしたとか」
「私の女神を遮るものなど、必要ないからね」
「いや、僕の天使をそのような部屋に行かせる必要がそもそもない」
殿下の蕩けるような甘い声も、カーティスの豪快な笑いも、すぐ隣の兄の底冷えのする声も、羞恥に震えるリズの耳にはぼんやりとしか入ってこなかった。
ロナルドは全てを素通りして、新たな球形結界を取り出した。
「さて、次に送り付けられたものはこちらです」
結界の中には、ところどころちぎれているものの、白く可憐な小さな鈴のような形をした花をいくつもつけた草が収められていた。
見た目が愛らしいこの花は毒を持っている。食せば嘔吐や頭痛を引き起こす。そしてその花粉にも毒があり、どれだけ愛らしくとも、テーブルにこの花を飾ることは絶対にできない。
愛らしい見た目とその毒の強さから、リズも庭に植えていたのだが――、
リズはもう隠すこともなく嘆息を零した。
暑さに弱く寒さに強いこの多年草を、リズは一年しか育てることができなかったのだ。
そしてこれほどたわわに花は咲かなかった。
この花は甘さを感じる香りを持ち、殿下も育てている。彼は魔法で温度管理をしていると、リズには真似のできない栽培のコツを教えられ、完璧な笑顔を張り付けたものだ。恐らく、送り付けた専門家も魔法を使っているのかもしれない。
ロナルドはその後も淡々と次々に、リズにとっては貴重で憧れのある毒草を見せていく。
残念なことに、数々の毒草は、送り込んだ先を探るために、探索の魔法の依り代とされたため、損傷を受け、そして徐々にその損傷は大きくなっていく。
それでも突き付けられる専門家の技術の高さにリズが打ちのめされ、もはや溜息も出なくなったころ、ロナルドは一つの結界を取り出した。
「これが最新のもので、二日前に送られたものです」
結界に残された部分はごく僅かで、それが葉であるのか茎であるのかも分からなかった。
リズは食い入るように結界の中を見て、ふと、残されたものに根の一部が含まれていることに気が付いた。
今までのものは根など付いていなかったのに、どうしてこれだけ根があるのかしら。
意味もなくわざわざ根の部分を送り付けたとは思えない。
ならば、根も毒を持つ草で――
リズはその毒草の名前が分かった途端、テーブルに伏してしまった。この衝撃を前にして、公爵令嬢としての矜持は、塵よりも意味をなさなかった。
ああぁぁぁっ…。どうしてこの草が最後だったの――!
「どうされたのです?」
リズの奇行にカーティスは僅かに狼狽えてその理由を問う。
リズは受けた哀しみの大きさのあまり、潤んだ瞳も、震える声も、自分の本心も隠すことなく、答えを紡いだ。
「この草は、私の憧れの草なのです。この近隣諸国の中で最強の毒を持つといわれるものなのです。その強さからレクタム王室が厳重に管理している幻の草です。一目、本物をしっかりと見たかった…」
刹那、部屋の空気が変わった。
カーティスの顔から磊落さが消え、敵を視線だけで殺せる険しさが現れた。
リズはその変貌に驚愕し、恐さを覚えることすらできなかった。
「なんと。この残骸はレクタムの秘宝でしたか」
片眉を上げて、僅かな感情の揺らぎを抑えたロナルドは、別人と化したカーティスに向き直った。
「殿下に供する食物も飲み物も、白の守護師が魔力で携わった人間を覗き見ている」
「加えて2時間前に毒見をさせているので、まぁ、打てる手は打っていますな」
「先ほどから、白の守護師に加えて、ヒュー殿も魔力の探索に加わっているから――」
「何とか、食材の入手時点から、監視をできたらいいのですが――」
なされる会話を耳にして、リズは違和感を覚えた。
通常の警護の確認とは思えない、緊迫したものを感じた。確かに最強の毒で、食せば1分も経たないうちに呼吸困難が始まる激烈なものだ。しかし、今までも毒草は送り付けられていたのだから、警護を特に見直す必要があるとはリズには思えなかった。
そして、警護の方針が毒草に注力しているように思えることも、リズの疑問と不安をあおっていた。
この場で検討されないだけで、もちろん、対策は取られているのでしょうね…。
リズはくすぶる不安を紅茶と共に飲み干した。
殿下はリズのカップが空になったことを見逃さず、ふわりと笑んで、2杯目を注いでくれる。澄んだ鮮やかな赤で満たされたカップをテーブルに音もなく彼が置いたとき、そっと耳元で囁かれた。
「私に隠し事はしないでほしい」
――!
甘い艶を含んだ声と、打ち返された自分の言葉にリズは殿下を振り仰いだ。
そして、自分の過ちを知る。
吐息がかかるほど近い距離にあったサファイアの瞳は、リズの頬に熱を持たせるほどの艶があった。
「僕の天使の瞳に、何を映させるつもりだ」
兄の地を這うような声で、息を取り戻したリズは、羞恥と色香から逃れるため、言葉を紡いだ。
「蛙の毒を使った攻撃に対しての備えはどのようになされているのかと――」
リズの言葉に即座に反応を返したのは、カーティスだった。
「蛙?」
リズは小さく頷いた。毒は毒草に限られたものではない。世界には様々な毒がある。
「この草は、本来は湿地に生えているものです。近くには、この草に寄生する虫を食べる、生物の中で最強と言われる毒の体液を持つ蛙が生息していると聞いています。レクタム王室が管理するまでは、その蛙の背に矢じりを押し付け、毒矢として――」
リズの言葉を聞いているカーティスとロナルドの顔色が変わったことで、リズの言葉は途切れてしまった。
「毒を仕込んだ剣と、飛び道具への警戒ですか」
カーティスは立ち上がった。
「殿下。防御の魔法石が今も機能するか試しましょう。できれば、強めてもらう必要もあるでしょうな」
「後三日で、警備の体制の見直しができますかな」
どうやら蛙の毒に対しての対策は今からなされることを知ったリズは、「三日」という締め切りに首を傾げた。
カーティスと警備の体制を話し合っていたロナルドは、リズの動きを見逃さず、好々爺たる顔を向けた。
久しぶりに見た気がするロナルドのその顔は、リズの背中に悪寒を走らせた。
その笑顔の下に隠しているものの大きさを予感する。
「三日後に、レクタム国からお忍びで、とある要人がこの王宮に到着する予定なのです」
重責を担う宰相に相応しい、低く重々しい声が告げた事実は、リズの身体の芯を冷たくした。
包囲網を築いた相手先のレクタム国から、派閥争いの激しい状態で、要人が来る。
レクタム王室が管理しているはずの最強の毒草が送り付けられている。
このことは、どういった意味を持つのかと、リズを気遣う殿下の視線を感じながらも、小さくつばを飲み込み思案を巡らすリズの隣で、兄は一瞬、眉を顰めた後、目を伏せ感情を隠していた。
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※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
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