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【16】覚悟/ラファエル視点
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自分の生い立ちなど、思い出すだけで吐き気がする。
エルダは幼い私を「優しくて綺麗な子」だと惜しみなく褒めていたが、エルダに出会うまで、そんなふうに言ってくれる者など一人もいなかった。
『汚らしい子』
『お前なんて生まれてこければよかったのに』
そんな言葉を浴びせられ、家畜同然の扱いを受けて私は10歳までの日々をアルシュバーン侯爵邸で過ごしてきた。
私は、先代のアルシュバーン侯爵の庶子だ。先代侯爵がメイドに手を付けて、生まれてしまった要らない子ども。紫の瞳とシャンパンゴールドの髪はアルシュバーン家に特有のものであり、私の顔は幼少期の先代侯爵と疑う余地もないほど酷似していたらしい。
私を産んだメイドは手切れ金を渡されて屋敷を出ていき、私は『庶子の存在が外部に知れたら当家の恥だ』というだけの理由で屋敷に残された。家族からの愛情など、望むべくもない。
先代侯爵は私を視界に入れようともせず、その妻と子は私のことをひどく虐めた。不潔な小部屋に押し込められて、食事もろくに与えられない。『家族』が会いに来るのは、私を虐めに来るときだけ……。
だから、私は逃げ出した。
この屋敷以外ならどこでもいい。こんな悪魔どもに飼い殺されずに済むのなら、どんな地獄でもかまわない。そう考えて出入りの商人の荷馬車の中に潜り込み、脱走を果たした。
どこをどう彷徨って辿り着いたか覚えていないが、いつしか私はとある都市の貧民窟に身を落ち着けていた。……そしてもちろん、貧民窟での生活が危険に満ちたものであったのは言うに及ばず。
そんな地獄から私を救い出してくれたのが、シスター・エルダだったのだ。
『兵士さま、レイを助けてくださってありがとうございます! ――レイはうちの修道院で保護している子で、今日は私と一緒におつかいに来ていたのですが、迷子になってしまって……』
憲兵に連れて行かれそうになっていた私を抱き寄せて、シスター・エルダは『帰って傷の手当てをしましょう』『だいじょうぶ、私はあなたの味方よ』……そう言ってくれた。
こんなに醜く汚い私に、誰からも望まれなかった私に、あなたは手を差し伸べてくれたのだ。私の人生のきれいな部分はすべて、あなたと関わった日々の中にある。
*
孤児院に匿われるようになってからも『もしアルシュバーン家の連中に見つかったら、連れ戻されるのでは』と思うと、平静ではいられなかった。ひどいパニックに見舞われることも度々あり、そのたびにシスター・エルダが抱きしめてくれた。
『だいじょうぶよ、レイ。ここは安全な場所よ。あなたはもう、だいじょうぶ』
彼女の温もりに救われ、修道院長や他の子どもたちとも関わっていく中で、私の心は少しずつ安定していった。
そして「連れ戻される」というのは、どうやら杞憂だったらしい。『当家の恥』という理由で閉じ込められていたはずだが、失踪した庶子なんてどうでもよくなったのだろうか? どうか、この時間が永遠に続きますように――そう願いながら、私は日々を送っていた。
とても幸せな子ども時代だった。……シスター・エルダが倒れるまでは。
19歳の誕生日に、シスター・エルダは赤バラの花弁のようなものを吐き、昏睡状態に陥った。幸せな夢から一転、絶望につき落とされた気分だった。
彼女がいばら病という奇病に犯されていたのだと、マザー・グレンナから聞かされた。私は、死にたい気分になった。
彼女が倒れる数年前に、私は『いばら病の証』をこの目で見ていたのに。浴室で彼女の肌を見たあの日。シスター・エルダの白い背中に張り巡らされた、イバラの蔦のような模様。入れ墨だと信じ込んでいたあれは、病気の痣だったのだ。……無知で非力な私は、何の役にも立たなかった。
ひとりぼっちで病気を抱えて、あなたはどれほど苦しんでいたのだろう?
怖かっただろう。
悲しかっただろう。
なのに、あなたはいつも明るく笑っていた。
誰かを愛する幸せを、あなたは私に教えてくれた。
――だから私は、絶対にあなたを救い出してみせる。
シスターを延命するには資金が必要だ。当時の私は13歳……一介の孤児に金などあるはずもなく、当然の帰結としてアルシュバーン侯爵家から奪おうと考えた。
どんな手段を使ってでも、あの家から金を盗まなければならない……だが、果たしてどうしたものか。そんなことばかり考えながら、何かの用事で院長室を訪ねたある日……。
『マザー・グレンナ。……その手紙は、いったい何ですか?』
院長室の机の上に、アルシュバーン侯爵夫人からの手紙が置いてあった。一通ではない、大量の手紙が山のように積み重なっている。開封された手紙の文面が、私の目に飛び込んできた。
その手紙には『当家の子であるラファエルを返せ』、『これ以上隠すつもりなら、誘拐とみなして法的な手段に出る』などとヒステリックに書き連ねてあった。
『この手紙は!? ……一体、どういうことなんですか!?』
『あン? 手紙が何だってのさ。鬱陶しいから全部無視していただけさ』
と、いつも通りの高圧的な態度でマザー・グレンナは答えた。
マザー・グレンナと言い合う中で、私は真相を知った。――アルシュバーン侯爵夫人が、数か月前から私の行方を探していたらしいのだ。
私の居場所を嗅ぎつけた侯爵夫人は、何度もマザー・グレンナに『ラファエルを返せ』と要求していたらしい。しかし、マザー・グレンナは無視し続けていた。従えば多額の報酬をくれてやるとも書いてあったが、なぜかマザー・グレンナは私を突き出すことを選ばなかったのだ。
『……なぜ僕を売らなかったんですか』
『バカ言ってんじゃないよ! 売ったらあたしの手駒が減っちまうだろうが。侯爵家のはした金と引き換えに、労働力を減らすなんざ御免だね』
口ではそんなことを言いつつ、マザーは私を守っていたのかもしれない。
『でも、なんでアルシュバーン侯爵夫人は、僕を連れ戻そうとしているんでしょう。……僕はいらない子だって、死ねばいいのにって、いつも言っていたのに』
『侯爵家の当主と息子が事故死したらしい。直系の血筋で生き残ってんのは、お前だけだとさ。侯爵夫人は自分の利権を守るために、血を継ぐお前を連れ戻すより他にないようだね』
マザー・グレンナの話を聞き、一枚一枚の手紙に目を通しながら、私は覚悟を決めていた。
『マザー・グレンナ。僕は、侯爵家に戻ります』
エルダは幼い私を「優しくて綺麗な子」だと惜しみなく褒めていたが、エルダに出会うまで、そんなふうに言ってくれる者など一人もいなかった。
『汚らしい子』
『お前なんて生まれてこければよかったのに』
そんな言葉を浴びせられ、家畜同然の扱いを受けて私は10歳までの日々をアルシュバーン侯爵邸で過ごしてきた。
私は、先代のアルシュバーン侯爵の庶子だ。先代侯爵がメイドに手を付けて、生まれてしまった要らない子ども。紫の瞳とシャンパンゴールドの髪はアルシュバーン家に特有のものであり、私の顔は幼少期の先代侯爵と疑う余地もないほど酷似していたらしい。
私を産んだメイドは手切れ金を渡されて屋敷を出ていき、私は『庶子の存在が外部に知れたら当家の恥だ』というだけの理由で屋敷に残された。家族からの愛情など、望むべくもない。
先代侯爵は私を視界に入れようともせず、その妻と子は私のことをひどく虐めた。不潔な小部屋に押し込められて、食事もろくに与えられない。『家族』が会いに来るのは、私を虐めに来るときだけ……。
だから、私は逃げ出した。
この屋敷以外ならどこでもいい。こんな悪魔どもに飼い殺されずに済むのなら、どんな地獄でもかまわない。そう考えて出入りの商人の荷馬車の中に潜り込み、脱走を果たした。
どこをどう彷徨って辿り着いたか覚えていないが、いつしか私はとある都市の貧民窟に身を落ち着けていた。……そしてもちろん、貧民窟での生活が危険に満ちたものであったのは言うに及ばず。
そんな地獄から私を救い出してくれたのが、シスター・エルダだったのだ。
『兵士さま、レイを助けてくださってありがとうございます! ――レイはうちの修道院で保護している子で、今日は私と一緒におつかいに来ていたのですが、迷子になってしまって……』
憲兵に連れて行かれそうになっていた私を抱き寄せて、シスター・エルダは『帰って傷の手当てをしましょう』『だいじょうぶ、私はあなたの味方よ』……そう言ってくれた。
こんなに醜く汚い私に、誰からも望まれなかった私に、あなたは手を差し伸べてくれたのだ。私の人生のきれいな部分はすべて、あなたと関わった日々の中にある。
*
孤児院に匿われるようになってからも『もしアルシュバーン家の連中に見つかったら、連れ戻されるのでは』と思うと、平静ではいられなかった。ひどいパニックに見舞われることも度々あり、そのたびにシスター・エルダが抱きしめてくれた。
『だいじょうぶよ、レイ。ここは安全な場所よ。あなたはもう、だいじょうぶ』
彼女の温もりに救われ、修道院長や他の子どもたちとも関わっていく中で、私の心は少しずつ安定していった。
そして「連れ戻される」というのは、どうやら杞憂だったらしい。『当家の恥』という理由で閉じ込められていたはずだが、失踪した庶子なんてどうでもよくなったのだろうか? どうか、この時間が永遠に続きますように――そう願いながら、私は日々を送っていた。
とても幸せな子ども時代だった。……シスター・エルダが倒れるまでは。
19歳の誕生日に、シスター・エルダは赤バラの花弁のようなものを吐き、昏睡状態に陥った。幸せな夢から一転、絶望につき落とされた気分だった。
彼女がいばら病という奇病に犯されていたのだと、マザー・グレンナから聞かされた。私は、死にたい気分になった。
彼女が倒れる数年前に、私は『いばら病の証』をこの目で見ていたのに。浴室で彼女の肌を見たあの日。シスター・エルダの白い背中に張り巡らされた、イバラの蔦のような模様。入れ墨だと信じ込んでいたあれは、病気の痣だったのだ。……無知で非力な私は、何の役にも立たなかった。
ひとりぼっちで病気を抱えて、あなたはどれほど苦しんでいたのだろう?
怖かっただろう。
悲しかっただろう。
なのに、あなたはいつも明るく笑っていた。
誰かを愛する幸せを、あなたは私に教えてくれた。
――だから私は、絶対にあなたを救い出してみせる。
シスターを延命するには資金が必要だ。当時の私は13歳……一介の孤児に金などあるはずもなく、当然の帰結としてアルシュバーン侯爵家から奪おうと考えた。
どんな手段を使ってでも、あの家から金を盗まなければならない……だが、果たしてどうしたものか。そんなことばかり考えながら、何かの用事で院長室を訪ねたある日……。
『マザー・グレンナ。……その手紙は、いったい何ですか?』
院長室の机の上に、アルシュバーン侯爵夫人からの手紙が置いてあった。一通ではない、大量の手紙が山のように積み重なっている。開封された手紙の文面が、私の目に飛び込んできた。
その手紙には『当家の子であるラファエルを返せ』、『これ以上隠すつもりなら、誘拐とみなして法的な手段に出る』などとヒステリックに書き連ねてあった。
『この手紙は!? ……一体、どういうことなんですか!?』
『あン? 手紙が何だってのさ。鬱陶しいから全部無視していただけさ』
と、いつも通りの高圧的な態度でマザー・グレンナは答えた。
マザー・グレンナと言い合う中で、私は真相を知った。――アルシュバーン侯爵夫人が、数か月前から私の行方を探していたらしいのだ。
私の居場所を嗅ぎつけた侯爵夫人は、何度もマザー・グレンナに『ラファエルを返せ』と要求していたらしい。しかし、マザー・グレンナは無視し続けていた。従えば多額の報酬をくれてやるとも書いてあったが、なぜかマザー・グレンナは私を突き出すことを選ばなかったのだ。
『……なぜ僕を売らなかったんですか』
『バカ言ってんじゃないよ! 売ったらあたしの手駒が減っちまうだろうが。侯爵家のはした金と引き換えに、労働力を減らすなんざ御免だね』
口ではそんなことを言いつつ、マザーは私を守っていたのかもしれない。
『でも、なんでアルシュバーン侯爵夫人は、僕を連れ戻そうとしているんでしょう。……僕はいらない子だって、死ねばいいのにって、いつも言っていたのに』
『侯爵家の当主と息子が事故死したらしい。直系の血筋で生き残ってんのは、お前だけだとさ。侯爵夫人は自分の利権を守るために、血を継ぐお前を連れ戻すより他にないようだね』
マザー・グレンナの話を聞き、一枚一枚の手紙に目を通しながら、私は覚悟を決めていた。
『マザー・グレンナ。僕は、侯爵家に戻ります』
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