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【15】あなたを守る毒/ラファエル視点
自領の農村地帯へと視察に訪れていた私は、大きな穀倉の中に足を踏み入れた。ここには、付近一帯の村から昨秋に納税された麦俵が、ぎっしりと備蓄されている。
帳簿を手に取り、麦俵の山を背にして私は役人に問いかけていた。
「昨年の収穫高は3000俵。そして税として2割にあたる600俵がこの穀倉に納められている。――この帳簿の内容に、誤りはないか」
「はい。もちろんでございます、領主様」
役人は人当たりの良い笑みを浮かべて頷くと、私に書類とペンを差し出してサインを求めてきた。
ここは納税の最終清算の場。
私が書類にサインをすれば、税の納税完了を認めたという意味になる。――だが、私は書類にサインをする気はなかった。
「税は2割。ならば農民の手元には残り8割が残っているはずだな」
「……もちろんでございます」
「ならば聞こう。このあたりの農民が、ひどく飢えているのはなぜだ?」
私が問うと、役人はぴくりと顔を強張らせた。
「去年の気候も収穫高も、例年とほぼ変わらない。なのに農民たちは皆、『急に税金が増えたから、食うに困っている』と嘆いていた」
「それは……何かの間違いでは……?」
「ほう。今の話は、私自身が農民たちから聴取してきた内容だが。お前は私を疑うのか」
「……!?」
侯爵が直々に農民に話を聞いて回っていたというのが、この男には意外だったらしい。作り笑いを顔面に貼りつけて、必死に取り繕うとしていた。
「り、領主さまを疑ったりしません。きっと農民どもが嘘をついていたのでしょう!」
往生際の悪い男だ。証拠はすでに揃っているというのに。
私は腕を組み、冷たい目で役人を見据えた。
「貴様がデヴォン侯爵家と裏で繋がっていたという証拠は、すでに掴んでいる。税として徴収すべき以上の麦を勝手に取り立て、横流しする見返りに不正な資金援助を受けていたこともな」
「っ……!」
死刑を宣告された罪人のように、役人は蒼白な顔になった。
「貴様の罪は明白だ。然るべき裁きを下すまで、獄中で存分に悔いるがいい」
私がサッと手を挙げると、控えていた騎士たちがその役人を捕縛した。荒々しい手つきで、役人を引っ立てていく。
「お、お許しください、領主さま! ご慈悲を……どうか、ご慈悲をぉおおお……!!」
惨めたらしい叫び声を上げて、役人は穀倉から引きずり出されていった。
――これで一応の決着だ。
小さく息を吐いてから、私は護衛とともに穀倉を出た。穀倉の外で、やせ細った農民たちが不安そうな顔で私を見つめていた。
彼らに向けて、穏やかな声音でこう告げた。
「この度の不祥事、領主として深く謝罪する。新たな役人は慎重に選任し、そなたたちには麦をはじめ、然るべき補償を施すことを約束しよう」
「りょ、領主さま……」
「ありがとうごぜえます、領主さま!」
「「「「領主さま万歳……万歳!!」」」」
農民たちは、涙を浮かべて歓声を上げていた。
*
他にも似たような件をいくつか片づけて、今日の視察を終わりにした。領主邸へ戻る馬車の中、私はうんざりして溜息をついていた。
「――まったく、デヴォン侯爵家め。相変わらず、くだらない嫌がらせばかりしてくる」
デヴォン侯爵家と我がアルシュバーン侯爵家は、長きに渡って対立関係にある。歴史に根差した因縁は私の代にまで及んでいて、表向きには目立った争いはないが、水面下ではねちねちとした対立が続いている。今回の領地視察は、デヴォン家の息のかかった連中を排除するのが主目的だ。
――まあ、数年前まではデヴォン侯爵家への対策に加えて、自領の立て直しも大変だったのだが。
私がアルシュバーン侯爵家の当主となったのは5年前だが、あの頃はさらなる苦労の連続だった。表向きには順調に見えたアルシュバーン侯爵領だが、その実、内情は惨憺たる有様だったのだ。数代に渡る当主による悪政のツケは重く、役人の不正、農民の困窮、治安の悪化……問題だらけの領地を健全化させるのは、並大抵のことではなかった。
(……ああ。本当に、何もかもが煩わしい)
煩わしくてたまらないが、自分が侯爵家当主という地位に居続けることが、エルダを守ることに直結する。だから私は、今の地位から転がり落ちる訳にはいかない。
私は自分の懐から、1本のリボンを取り出した。エルダの鮮やかな赤毛を束ねていた、あの空色のリボンだ。
「……エルダ。あなたに早く会いたい」
早くエルダのもとに戻りたい。彼女は自立心が強いから、モタモタしていると私のいない生活に馴れてしまうかもしれない。
私はリボンにキスをした。絹の布地に、微かにエルダの香りが染みついている――鼻腔をくすぐる甘やかな香りに、思わず顔がほころんだ。
早く会いたい。笑顔が見たい。……本当は、見るだけでは足りない。私の腕できつく抱きしめ、とろけるほどに愛したい。私だけのエルダにしたい。
そう。私だけのエルダだ。
私はエルダのリボンを、文字通り肌身離さず持ち歩いている。疲れや苛立ちに塗れたときも、エルダを思い描いてリボンを頬に寄せるだけで、癒されるのを感じていた。
リボンだけではない。
エルダが私にくれたものは、どんな物でも宝物だ。私の部屋には孤児院時代に彼女が贈ってくれた刺繍入りのハンカチや靴下や肌着、手紙や押し花、買い物のメモ書きに至るまで、ひとつ残らず大切に保管されている。
「エルダ……」
あなたを守るためならば、どんな苦痛も厭わない。
あなたは、私の全てなのだから。
「あなたには、美しくて幸せな世界で生きてほしい。醜いものも汚れたものも、私がすべて引き受けます」
あなたは綺麗で、私は穢い。
そんなことは、出会った日から分かっていた。それでも私は、あなたを守る。
「エルダ。この穢れた血があなたを守る毒になるなら、私は何にでもなってみせます」
私は馬車に背を預け、遠い日々を思い返していた――。
帳簿を手に取り、麦俵の山を背にして私は役人に問いかけていた。
「昨年の収穫高は3000俵。そして税として2割にあたる600俵がこの穀倉に納められている。――この帳簿の内容に、誤りはないか」
「はい。もちろんでございます、領主様」
役人は人当たりの良い笑みを浮かべて頷くと、私に書類とペンを差し出してサインを求めてきた。
ここは納税の最終清算の場。
私が書類にサインをすれば、税の納税完了を認めたという意味になる。――だが、私は書類にサインをする気はなかった。
「税は2割。ならば農民の手元には残り8割が残っているはずだな」
「……もちろんでございます」
「ならば聞こう。このあたりの農民が、ひどく飢えているのはなぜだ?」
私が問うと、役人はぴくりと顔を強張らせた。
「去年の気候も収穫高も、例年とほぼ変わらない。なのに農民たちは皆、『急に税金が増えたから、食うに困っている』と嘆いていた」
「それは……何かの間違いでは……?」
「ほう。今の話は、私自身が農民たちから聴取してきた内容だが。お前は私を疑うのか」
「……!?」
侯爵が直々に農民に話を聞いて回っていたというのが、この男には意外だったらしい。作り笑いを顔面に貼りつけて、必死に取り繕うとしていた。
「り、領主さまを疑ったりしません。きっと農民どもが嘘をついていたのでしょう!」
往生際の悪い男だ。証拠はすでに揃っているというのに。
私は腕を組み、冷たい目で役人を見据えた。
「貴様がデヴォン侯爵家と裏で繋がっていたという証拠は、すでに掴んでいる。税として徴収すべき以上の麦を勝手に取り立て、横流しする見返りに不正な資金援助を受けていたこともな」
「っ……!」
死刑を宣告された罪人のように、役人は蒼白な顔になった。
「貴様の罪は明白だ。然るべき裁きを下すまで、獄中で存分に悔いるがいい」
私がサッと手を挙げると、控えていた騎士たちがその役人を捕縛した。荒々しい手つきで、役人を引っ立てていく。
「お、お許しください、領主さま! ご慈悲を……どうか、ご慈悲をぉおおお……!!」
惨めたらしい叫び声を上げて、役人は穀倉から引きずり出されていった。
――これで一応の決着だ。
小さく息を吐いてから、私は護衛とともに穀倉を出た。穀倉の外で、やせ細った農民たちが不安そうな顔で私を見つめていた。
彼らに向けて、穏やかな声音でこう告げた。
「この度の不祥事、領主として深く謝罪する。新たな役人は慎重に選任し、そなたたちには麦をはじめ、然るべき補償を施すことを約束しよう」
「りょ、領主さま……」
「ありがとうごぜえます、領主さま!」
「「「「領主さま万歳……万歳!!」」」」
農民たちは、涙を浮かべて歓声を上げていた。
*
他にも似たような件をいくつか片づけて、今日の視察を終わりにした。領主邸へ戻る馬車の中、私はうんざりして溜息をついていた。
「――まったく、デヴォン侯爵家め。相変わらず、くだらない嫌がらせばかりしてくる」
デヴォン侯爵家と我がアルシュバーン侯爵家は、長きに渡って対立関係にある。歴史に根差した因縁は私の代にまで及んでいて、表向きには目立った争いはないが、水面下ではねちねちとした対立が続いている。今回の領地視察は、デヴォン家の息のかかった連中を排除するのが主目的だ。
――まあ、数年前まではデヴォン侯爵家への対策に加えて、自領の立て直しも大変だったのだが。
私がアルシュバーン侯爵家の当主となったのは5年前だが、あの頃はさらなる苦労の連続だった。表向きには順調に見えたアルシュバーン侯爵領だが、その実、内情は惨憺たる有様だったのだ。数代に渡る当主による悪政のツケは重く、役人の不正、農民の困窮、治安の悪化……問題だらけの領地を健全化させるのは、並大抵のことではなかった。
(……ああ。本当に、何もかもが煩わしい)
煩わしくてたまらないが、自分が侯爵家当主という地位に居続けることが、エルダを守ることに直結する。だから私は、今の地位から転がり落ちる訳にはいかない。
私は自分の懐から、1本のリボンを取り出した。エルダの鮮やかな赤毛を束ねていた、あの空色のリボンだ。
「……エルダ。あなたに早く会いたい」
早くエルダのもとに戻りたい。彼女は自立心が強いから、モタモタしていると私のいない生活に馴れてしまうかもしれない。
私はリボンにキスをした。絹の布地に、微かにエルダの香りが染みついている――鼻腔をくすぐる甘やかな香りに、思わず顔がほころんだ。
早く会いたい。笑顔が見たい。……本当は、見るだけでは足りない。私の腕できつく抱きしめ、とろけるほどに愛したい。私だけのエルダにしたい。
そう。私だけのエルダだ。
私はエルダのリボンを、文字通り肌身離さず持ち歩いている。疲れや苛立ちに塗れたときも、エルダを思い描いてリボンを頬に寄せるだけで、癒されるのを感じていた。
リボンだけではない。
エルダが私にくれたものは、どんな物でも宝物だ。私の部屋には孤児院時代に彼女が贈ってくれた刺繍入りのハンカチや靴下や肌着、手紙や押し花、買い物のメモ書きに至るまで、ひとつ残らず大切に保管されている。
「エルダ……」
あなたを守るためならば、どんな苦痛も厭わない。
あなたは、私の全てなのだから。
「あなたには、美しくて幸せな世界で生きてほしい。醜いものも汚れたものも、私がすべて引き受けます」
あなたは綺麗で、私は穢い。
そんなことは、出会った日から分かっていた。それでも私は、あなたを守る。
「エルダ。この穢れた血があなたを守る毒になるなら、私は何にでもなってみせます」
私は馬車に背を預け、遠い日々を思い返していた――。
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