六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか

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嬉しいんは俺だけ

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 翌朝、俺は公約どおり、渉を迎えにやってきた。
 いつも通り、「上がって待ちー」って言うてくれるおばちゃんに遠慮して、門の前に立つ。透くんが丹精してる朝顔のプランターを眺めながら、「今日はどうやろな」とソワソワする。
 
 ――最近は、朝練もサボりがちやったけど……今日は出てくるよな?
 
 しばらくして、玄関からめっちゃ眠そうな顔の渉が出てきた。俺は、胸にぱっと花が咲いた心地で、門から身を乗り出す。
 
「おはよう、渉っ」
「……ぉー」
 
 覇気のない声で頷き、渉は大あくびをした。相変わらず、朝よわいなあ。寝ぐせだらけの頭に呆れつつ、俺は笑顔になるのが止められへんかった。
 だって、一緒に登校するん久しぶりなんやもん。並んで歩きながら、俺はいそいそと渉の世話を焼く。
 
「なあ渉、朝メシ食うた?」
「……んー」
「俺な、おにぎりやったら持ってるで」
 
 返事のかわりに差し出された大きな手に、うちで握ってきたおにぎりを乗っけたる。渉の好きな、塩こぶと鮭。毎朝、自分の朝メシのついでに握ってるねんけど、今日は日の目を見て良かった。
 もそもそとおにぎりを頬張る渉を、くすぐったい気持ちで見上げる。
 
「あ、そうそう。タオルようけ持って来た? もう、タオル無いときついから……」
 
 言いかけて、笑顔が固まる。
 渉が、にぎりめし持ってるんと別の手でポッケを探り、スマホを取り出したから。またスマホ? と胸が一気にモヤついた。
 
「……渉っ、タオルは? 持って来たか?」
 
 渉は無言でスマホを操作しとる。
 
 ――……もしかして、また沙也さんなん?
 
 返ってこん言葉と違って、すいすいと動く指先にイライラが募る。「おう」でも「無い」でも、言えんのかいな。いっつも忘れて、俺の借りるくせにっ。
 日焼けした腕を、ぺちんと叩く。
 
「なあ、渉……」
「……ぁあ、もー……朝からうっさいなぁ……」
 
 鬱陶しそうに腕をよけて、渉は低い声で呟いた。
 俺は、ぴしっと固まって、ちょっと身を引いてまう。
 
「ご、めん……予備持ってるから、なかったら言うてや」
「ん」
 
 お前、低血圧過ぎるやろって思ったけど。
 渉のやつが朝弱いのは知ってるし。はしゃいでうるさかった気がせんでもないし……と、なんとか自分を納得させる。渉は無言で頷くと、スマホに視線を戻した。
 
 ――ぜんぜん、こっち見いひん。嬉しいのって俺だけ?
 
 浮かれていたぶん、余計に寂しくなった。
 いつから、こんなんやっけ。そりゃ、前も眠そうではあったけど、もうちょい笑顔あったって。俺が世話焼いたら、寝ぼけ顔でうんうん頷いてくれたり。ふらふら歩いとるの注意したら、「眠いから、手を引っ張ってや」って甘えてきてくれたりして。
 
『つむちゃん。いつもおおきにな』
 
 ……糸みたいな目ぇして笑うの、可愛かったのに。
 俺はため息を押し殺し、渉が危なくないようにあいつのエナメルバッグの紐を掴んだ。ほんまは手が良かったけど、スマホとにぎりめしで満席状態やったから。
 
 
 
 
 ぼっかーん。
 
 重い打球音が、早朝のコートに響き渡る。
 渉の打った鋭いバックハンドショットが、ストレートのラインぎりぎりに突き刺さる。
 
「……くっ!」
 
 副キャプテンは、なんとかラケットに当てた。――けど、ふわっと上がったボールは、絶好のチャンスボールや。すでにネットに詰めている渉が、スマッシュを放つ。
 
 ドカッ!
 
 がらあきの逆サイドに、叩きつけるような一撃がきまった。
 審判台に座っていた部長が、「ゲームセット!」と声を張りあげる。
 
「おおーっ!!」
「すげえ、渉! 副キャプ相手にダンゴやん!」
 
 コートを囲む部員たちが、どっと歓声をあげる。副キャプテンも、笑ってラケットを叩いていた。
 
「さすがやな、渉。休んどっても、ばりばりやんけ」
「いや、大したことないすよ」
「なんや、生意気なやっちゃなぁ!」
 
 しれッと返す渉に、副キャプテンが大笑いする。俺はボールを拾いながら、めっちゃ興奮していた。
 
 ――やっぱり、渉はすごい……!
 
 意外にも、渉は部活が始まるころになると、しゃんとし始めてな。トレーニングも基礎練の球出しも、ばりばりにこなしとったんや。 
 久しぶりに見る、軽やかなフットワークに、強靭なフィジカルを活かした強打。練習サボってたんが嘘みたいに、真剣にコートで躍動する渉は、めっちゃかっこよかった。
 
「つむぎー。やっぱお前の幼なじみ、半端ねえなあ!」
「せやなっ」
 
 ジャグの水をがぶ飲みしながら田中が感心したように言うのに、笑顔で頷く。
 皆が渉のプレイに沸くなかで、部長が審判台から下りてきた。
 
「渉、モチベは下がっとらんみたいやな」
「うっす」
「やからって、部活出んでもええわけやないぞ! ちゃんと来いよ、わかったな」
 
 部長の厳しい声に、空気がピリッとする。みんな気をつけしてんのに、とうの渉はTシャツの肩で汗を拭いながら、「うす」と頷いた。マイペースな言動に、俺の方がはらはらしてまう。幸いにも、部長はそれ以上は何も言わんかった。
 みんなできびきび片づけして、解散になる。着替え終わって更衣室を出たら、ずしんと肩が重くなった。
 
「うわっ」
 
 ぎょっとして振り仰げば、副キャプテンやった。
 
「つむぎ、良かったな。お前らやったら絶対勝てるし、頑張りや」
「……はい! ありがとうございます」
 
 心配してくれてたんが伝わって、俺もにっこり笑い返す。ぽんぽんて頭撫でて、副キャプテンは去っていかはった。爽やかな先輩や。
 嬉しい気分でおったら、更衣室から出てきた渉が「なんやったん?」て言う。
 
「副キャプが、俺らに期待してるって! 嬉しいなあ」
「ほーん」
 
 喜びを分かち合おうと腕を取ると、渉はちょっと素っ気ない返事をした。あれ? と俺は首を傾げる。
 
「どしたん?」
「別にィ。つむぎ、これもうええわ」
 
 渉は、首にかけてたタオルを、俺に押し付けてくる。案の定、タオルを忘れてたこいつに予備を貸したってん。
 
「うわー、びしょびしょやん! 洗濯してかえしてや」
「ええやん。つむぎん家の洗濯機は、俺のもんやろ」
「何でやねん!」
 
 とーとつな俺様発言に突っ込むと、渉は肩を揺らして笑う。機嫌の良さそうな顔に、俺は胸がムズムズした。
 
――渉、楽しそうや! やっぱりテニス、好きなんや。良かった……
 
 並んで歩くと、渉のフェロモンがふわりと香った。汗とテニスコートの焼けた砂の匂いに混じった、熱くて爽やかな香り。俺のいちばん好きな香りや。
 うきうきと歩いていた俺やけど……校門に差し掛かったとき、喜びは崩れることになった。
 
「――あ」
 
 渉が、何かに気づいたように声を上げ、一目散に駆け出していく。突然置き去りにされて、俺はびっくりする。どうしたん――聞く前に、渉が大声で叫んだ。
 
「沙也!」
 
 心から嬉しそうな声に、登校していた生徒が振り返る。その中に、ようやく俺も沙也さんの姿を見つけた。風にそよぐサラサラの黒髪の下、切れ長の目がみはられたんがわかった。
 
「……渉」
 
 渉を振り返った沙也さんが、硝子細工みたいな顔をほころばせた。
 
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