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第58話 聖女と剣聖の舞
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戦場は混沌の極みにあった。
ソフィアの古代魔法によって分断され、混乱に陥ったバルカスの軍勢。その心臓部である本隊に、銀色の死神が舞い降りた。
「邪魔よ」
ルナリエルの声は戦場の喧騒の中にあって、氷のように冷たく響き渡った。
彼女の剣はもはやただの鉄の塊ではなかった。それは彼女の意志そのものを体現した絶対的な理。彼女が剣を振るうたび、空間が歪むかのような錯覚さえ覚えた。
兵士たちが振り下ろす剣は彼女の身体にかすりもしない。彼女はまるで流れる水のように、あるいは舞い散る木の葉のように死の刃の間をすり抜けていく。そして、すれ違いざまに放たれる一閃が兵士たちの戦う術を、的確に、そして無慈悲に奪っていった。
峰打ちで兜を砕き、脳震盪を起こさせる。
剣の腹で手足を打ち、骨を砕く。
鎧の隙間を縫って腱を切り、行動不能にする。
彼女は俺との約束――『無用な殺生は避ける』――を忠実に守っていた。だが、その手加減された攻撃は逆に兵士たちの心をより深い恐怖で満たしていった。
殺されるよりも惨めなのだ。赤子扱いされ、なぶりものにされている。その屈辱が彼らの闘志を根こそぎ奪い去っていく。
「ひ、ひいいいっ! 来るな! 化け物め!」
一人の兵士が恐怖に駆られて逃げ出した。その行動は伝染病のように、瞬く間に本隊全体へと広がっていった。
「だめだ、こいつには勝てねえ!」
「逃げろ! 生きて帰るんだ!」
兵士たちは武器を捨て、我先にと逃げ惑う。もはや軍隊としての体裁はどこにもなかった。ただの烏合の衆の敗走だ。
「ま、待て! 戻ってこい、臆病者どもが!」
馬上でその光景を見ていたバルカスは、顔を真っ青にして絶叫した。だが彼の声は誰の耳にも届かない。
その時だった。
「――リアム様。わたくしも参ります」
防壁の上でずっと戦況を見守っていたセレスティアが静かに立ち上がった。その手にはいつの間にか、銀色に輝く簡素な杖が握られている。
「だが、セレスティア。君の役目は負傷者の治療のはずじゃ……」
俺が戸惑って言うと、彼女は穏やかに、しかし強い意志を宿した瞳で微笑んだ。
「はい。ですが戦いを早く終わらせ、負傷者を一人でも減らすこともわたくしの務めです」
彼女はそう言うと俺の隣で杖を高く掲げた。
「リアム様。わたくしにお力を」
彼女は俺の手を固く握った。俺は彼女の決意を悟り、力強く頷いた。
セレスティアは目を閉じ、澄み切った声で祈りを捧げ始めた。
「おお、天にまします父よ。その御名において願います。この地に集いし我らが勇ましき仲間たちに、聖なる力の祝福を。その刃に神速を、その盾に堅固を、その心に不屈の勇気を与えたまえ――『ホーリーブレス』!」
彼女の祈りに応え、天から金色の光の粒子が雨のように降り注いだ。
その光は戦場にいるエデンの仲間たち――谷で戦う村の若者たち、崖の上で弓を構える者たち、そして敵陣の只中で舞うルナリエル――その全てに分け隔てなく降り注いでいった。
光を浴びた瞬間、彼らの身体に劇的な変化が起きた。
「な、なんだ……!? 身体が羽のように軽い!」
崖の上のタロウが驚きの声を上げる。
「矢を射る腕が疲れないぞ!」
「さっき斬られた傷が完全に塞がっている!」
セレスティアの『ホーリーブレス』。それはただの支援魔法ではなかった。俺が代償を全て引き受けることでその効果は限界を超え、対象者の身体能力、治癒能力、そして精神力そのものを一時的に超人の域へと引き上げる、奇跡の御業と化していた。
そして、その恩恵を最も受けたのはルナリエルだった。
「……これは」
彼女は自分の身体に満ち溢れてくる神々しいまでの力に、一瞬だけ目を見開いた。疲労は完全に消え去り、五感は極限まで研ぎ澄まされ、剣を握る腕には星をも砕けそうなほどの力が漲っている。
彼女の口元に獰猛な、しかしどこまでも美しい笑みが浮かんだ。
「……面白いじゃない。セレスティア、あなたもなかなかやるわね」
彼女はそう呟くと、再び戦場を駆け始めた。だが、その動きは先ほどまでとは別次元のものだった。
もはや彼女の姿は肉眼では捉えられない。ただ銀色の閃光が縦横無尽に戦場を駆け巡り、その軌跡の上に次々と兵士たちが倒れ伏していくだけだった。
それはもはや剣技ではなかった。
聖女の祝福を受けし剣聖が舞う、死と再生の舞踏。
そのあまりにも幻想的で、そして圧倒的に暴力的な光景に、残っていた兵士たちは完全に戦意を喪失した。彼らは武器を捨て、その場にひざまずき、ただ震えることしかできなかった。
「こ、降参だ! 降参します!」
「命だけはお助けください!」
本隊は完全に壊滅した。
その一部始終を馬上で見ていたバルカスは、もはや声も出なかった。その顔は恐怖で歪み、たるんだ身体はがくがくと震えている。
(ば、化け物だ……。奴らは人間ではない……! 聖女にエルフの剣聖……。なぜだ、なぜこんな辺境の村に伝説の存在が……!)
彼はようやく自分が手を出してしまった相手の、本当の恐ろしさを理解した。
だが、時すでに遅し。
気づけば、彼の周りには忠実なはずの護衛兵さえも一人も残ってはいなかった。
そして彼の目の前に、銀色の閃光が音もなく舞い降りた。
ルナリエルだった。
彼女の剣の切っ先が、バルカスの震える喉元に寸分の狂いもなく突きつけられていた。
「……さて」
ルナリエルは氷の微笑を浮かべて言った。
「あなたで最後よ。悪徳領主様?」
その言葉は、エデン防衛戦の事実上の終結を告げる静かな宣告だった。
ソフィアの古代魔法によって分断され、混乱に陥ったバルカスの軍勢。その心臓部である本隊に、銀色の死神が舞い降りた。
「邪魔よ」
ルナリエルの声は戦場の喧騒の中にあって、氷のように冷たく響き渡った。
彼女の剣はもはやただの鉄の塊ではなかった。それは彼女の意志そのものを体現した絶対的な理。彼女が剣を振るうたび、空間が歪むかのような錯覚さえ覚えた。
兵士たちが振り下ろす剣は彼女の身体にかすりもしない。彼女はまるで流れる水のように、あるいは舞い散る木の葉のように死の刃の間をすり抜けていく。そして、すれ違いざまに放たれる一閃が兵士たちの戦う術を、的確に、そして無慈悲に奪っていった。
峰打ちで兜を砕き、脳震盪を起こさせる。
剣の腹で手足を打ち、骨を砕く。
鎧の隙間を縫って腱を切り、行動不能にする。
彼女は俺との約束――『無用な殺生は避ける』――を忠実に守っていた。だが、その手加減された攻撃は逆に兵士たちの心をより深い恐怖で満たしていった。
殺されるよりも惨めなのだ。赤子扱いされ、なぶりものにされている。その屈辱が彼らの闘志を根こそぎ奪い去っていく。
「ひ、ひいいいっ! 来るな! 化け物め!」
一人の兵士が恐怖に駆られて逃げ出した。その行動は伝染病のように、瞬く間に本隊全体へと広がっていった。
「だめだ、こいつには勝てねえ!」
「逃げろ! 生きて帰るんだ!」
兵士たちは武器を捨て、我先にと逃げ惑う。もはや軍隊としての体裁はどこにもなかった。ただの烏合の衆の敗走だ。
「ま、待て! 戻ってこい、臆病者どもが!」
馬上でその光景を見ていたバルカスは、顔を真っ青にして絶叫した。だが彼の声は誰の耳にも届かない。
その時だった。
「――リアム様。わたくしも参ります」
防壁の上でずっと戦況を見守っていたセレスティアが静かに立ち上がった。その手にはいつの間にか、銀色に輝く簡素な杖が握られている。
「だが、セレスティア。君の役目は負傷者の治療のはずじゃ……」
俺が戸惑って言うと、彼女は穏やかに、しかし強い意志を宿した瞳で微笑んだ。
「はい。ですが戦いを早く終わらせ、負傷者を一人でも減らすこともわたくしの務めです」
彼女はそう言うと俺の隣で杖を高く掲げた。
「リアム様。わたくしにお力を」
彼女は俺の手を固く握った。俺は彼女の決意を悟り、力強く頷いた。
セレスティアは目を閉じ、澄み切った声で祈りを捧げ始めた。
「おお、天にまします父よ。その御名において願います。この地に集いし我らが勇ましき仲間たちに、聖なる力の祝福を。その刃に神速を、その盾に堅固を、その心に不屈の勇気を与えたまえ――『ホーリーブレス』!」
彼女の祈りに応え、天から金色の光の粒子が雨のように降り注いだ。
その光は戦場にいるエデンの仲間たち――谷で戦う村の若者たち、崖の上で弓を構える者たち、そして敵陣の只中で舞うルナリエル――その全てに分け隔てなく降り注いでいった。
光を浴びた瞬間、彼らの身体に劇的な変化が起きた。
「な、なんだ……!? 身体が羽のように軽い!」
崖の上のタロウが驚きの声を上げる。
「矢を射る腕が疲れないぞ!」
「さっき斬られた傷が完全に塞がっている!」
セレスティアの『ホーリーブレス』。それはただの支援魔法ではなかった。俺が代償を全て引き受けることでその効果は限界を超え、対象者の身体能力、治癒能力、そして精神力そのものを一時的に超人の域へと引き上げる、奇跡の御業と化していた。
そして、その恩恵を最も受けたのはルナリエルだった。
「……これは」
彼女は自分の身体に満ち溢れてくる神々しいまでの力に、一瞬だけ目を見開いた。疲労は完全に消え去り、五感は極限まで研ぎ澄まされ、剣を握る腕には星をも砕けそうなほどの力が漲っている。
彼女の口元に獰猛な、しかしどこまでも美しい笑みが浮かんだ。
「……面白いじゃない。セレスティア、あなたもなかなかやるわね」
彼女はそう呟くと、再び戦場を駆け始めた。だが、その動きは先ほどまでとは別次元のものだった。
もはや彼女の姿は肉眼では捉えられない。ただ銀色の閃光が縦横無尽に戦場を駆け巡り、その軌跡の上に次々と兵士たちが倒れ伏していくだけだった。
それはもはや剣技ではなかった。
聖女の祝福を受けし剣聖が舞う、死と再生の舞踏。
そのあまりにも幻想的で、そして圧倒的に暴力的な光景に、残っていた兵士たちは完全に戦意を喪失した。彼らは武器を捨て、その場にひざまずき、ただ震えることしかできなかった。
「こ、降参だ! 降参します!」
「命だけはお助けください!」
本隊は完全に壊滅した。
その一部始終を馬上で見ていたバルカスは、もはや声も出なかった。その顔は恐怖で歪み、たるんだ身体はがくがくと震えている。
(ば、化け物だ……。奴らは人間ではない……! 聖女にエルフの剣聖……。なぜだ、なぜこんな辺境の村に伝説の存在が……!)
彼はようやく自分が手を出してしまった相手の、本当の恐ろしさを理解した。
だが、時すでに遅し。
気づけば、彼の周りには忠実なはずの護衛兵さえも一人も残ってはいなかった。
そして彼の目の前に、銀色の閃光が音もなく舞い降りた。
ルナリエルだった。
彼女の剣の切っ先が、バルカスの震える喉元に寸分の狂いもなく突きつけられていた。
「……さて」
ルナリエルは氷の微笑を浮かべて言った。
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