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第60話 悪徳領主の末路
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戦場は静寂を取り戻していた。
ソフィアの古代禁呪『インサイト・フィアー』によって心を砕かれた兵士たちは、もはや戦うどころか立つことさえできずにいた。彼らは地面にうずくまり、存在しない恐怖に怯えて、ただぶつぶつと意味不明な言葉を繰り返しているだけだった。三百を誇ったバルカスの軍勢は、その戦意と理性を完全に喪失し、無力な狂人たちの集団へと成り果てていた。
その地獄絵図の中心で、ただ一人、馬上でがくがくと震えている男がいた。
悪徳領主、バルカス・フォン・シュナイダー。
彼もまた幻影に心を蝕まれていた。だが長年の悪行で肥大した彼の自己顕示欲と強欲さが、かろうじて完全な狂気から彼を繋ぎ止めていた。しかしその瞳に宿るのはもはや傲慢さではない。自分の理解を遥かに超えた神話級の力に対する、根源的な恐怖だけだった。
「ひ……ひぃ……。な、なんだ、こいつらは……。ただの村人ではない……。化け物だ……。悪魔の集いだ……」
彼が震える声で呟いた、その時。
彼の目の前に音もなく、銀色の影が舞い降りた。
ルナリエルだった。
彼女はバルカスの喉元に突きつけていた剣をゆっくりと下ろした。もはや武器を向ける価値もないと判断したのだろう。
「終わりよ、領主様」
その声は死刑宣告のように冷たく響いた。
バルカスはびくりと肩を震わせると、最後の虚勢を張るかのように叫んだ。
「だ、黙れ! 俺は辺境伯だぞ! 王家よりこの地を任された貴族なのだ! 俺に手を出すことは王国そのものに弓を引くことと同じだぞ! 分かっているのか!」
「そう。あなたが貴族であることは事実ね」
ルナリエルは静かに頷いた。そして次の瞬間、彼女の姿が掻き消えた。
バルカスが反応するよりも速く、彼の背後に回り込んだルナリエルは、その剣の柄で彼の首筋を強かに打ち据えた。
「ぐふっ……」
短い呻き声と共にバルカスは白目を剥き、そのたるみきった巨体を馬の上から地面へと無様に転がり落とした。彼は気絶したのだ。
その光景を合図に、俺は防壁の上から指示を出した。
「戦いは終わった! タロウ、若者たちを集めて捕虜の武装解除を! 抵抗する者はいないはずだ。丁重に扱え!」
「は、はい!」
「セレスティア! 負傷者の手当てを頼む! 敵味方の区別なく、救える命は救ってくれ!」
「はい、リアム様! すぐに参ります!」
俺の指示にエデンの民は迅速に動き始めた。彼らはついさっきまで自分たちの命を脅かしていた敵兵に対し、憎しみを向けることはなかった。ただ哀れな被害者として、その傷ついた身体と心を癒やそうと努めていた。
セレスティアの治癒の光と村の女たちが用意した温かいスープが、狂気に陥った兵士たちの心を少しずつ解きほぐしていく。彼らの多くは戦いが終わった後、涙を流しながら自分たちが犯そうとした罪を悔いていた。
その日の午後。
教会の地下にある、かつての食料貯蔵庫。そこは即席の牢獄と化していた。
意識を取り戻したバルカスとその側近である代官は、魔法で固められた椅子に縛り付けられていた。
「……離せ! 俺を誰だと思っている!」
バルカスはなおもわめき散らしていた。だが、その声にもはや何の力もなかった。
俺は彼の前に静かに立った。
「バルカス殿。あなたには聞きたいことがある」
「貴様のような下賤の民に話すことなど何もないわ!」
「そうですか。……ソフィア、お願いできるか」
俺がそう言うと、隣に控えていたソフィアが一歩前に出た。彼女はバルカスの前に立つと、その美しい紫色の瞳をじっと覗き込んだ。
「あなたのその濁った瞳の奥……随分と汚れた秘密を隠しているようですね」
「な、何をする気だ……! やめろ……!」
ソフィアはバルカスの抵抗を無視し、その額にそっと指を触れた。
「――リーディング」
彼女の唇から短い呪文が紡がれる。それは相手の表層意識を読み取る高度な精神魔法だった。
ソフィアの瞳が一瞬だけ淡い光を放つ。そして彼女はゆっくりと口を開いた。
「……なるほど。法外な重税、不正な富の蓄財、領民の強制労働、そして対立する貴族への暗殺依頼……。あなたの悪行、枚挙にいとまがありませんね。その証拠となる裏帳簿は、あなたの執務室の肖像画の裏に隠してある、と」
その言葉に、バルカスの顔が絶望で真っ青になった。自分の最も深い秘密が、いともたやすく暴かれたのだ。
「ば、馬鹿な……! なぜそれを……!」
「全て分かりました」
ソフィアは静かに俺に向き直り、頷いた。
俺は縛られたバルカスに向かって最終的な判断を告げた。
「バルカス殿。我々はあなたを私刑に処すつもりはありません。あなたを裁くのは我々ではなく、王国の法です」
俺はちょうど村に滞在していたギデオンに協力を依頼した。
「ギデオンさん。この男と、ソフィアが暴いた悪行の証拠を王都の騎士団へと届けてはいただけませんか。エデンの代表として」
ギデオンは事の次第を聞き、義憤に燃えた顔でその役目を快く引き受けてくれた。
数日後。
バルカスと彼の悪事の全てが記された裏帳簿は、ギデオンの手によって王都の騎士団へと無事に引き渡された。
王国は辺境で起きたこの前代未聞の事件に騒然となった。辺境伯の反乱、そしてそれを鎮圧した謎の村『エデン』。この一件は王家がエデンという存在を公式に認知する、最初のきっかけとなった。
バルカス・フォン・シュナイダーは、その後の裁判で全ての罪を暴かれ、爵位を剥奪された上で北方の鉱山での終身強制労働の刑に処されたという。彼の築き上げた富も地位も、全てが一夜にして塵と消えた。
悪徳領主の末路は、あまりにも呆気なく惨めなものだった。
その夜、エデンではささやかな祝宴が開かれていた。派手なものではない。ただ村人たちが広場に集い、自分たちの手で守り抜いた平和を静かに分かち合う温かい宴だった。
俺は仲間たちと共に焚き火の炎を見つめていた。
セレスティア、ルナリエル、アイリス、ソフィア。彼女たちの横顔が炎に照らされて美しく輝いている。
俺たちは勝ったのだ。
自分たちの楽園を、自分たちの力で守り抜いた。
その確かな実感が俺の胸を熱い誇りで満たしていた。
ソフィアの古代禁呪『インサイト・フィアー』によって心を砕かれた兵士たちは、もはや戦うどころか立つことさえできずにいた。彼らは地面にうずくまり、存在しない恐怖に怯えて、ただぶつぶつと意味不明な言葉を繰り返しているだけだった。三百を誇ったバルカスの軍勢は、その戦意と理性を完全に喪失し、無力な狂人たちの集団へと成り果てていた。
その地獄絵図の中心で、ただ一人、馬上でがくがくと震えている男がいた。
悪徳領主、バルカス・フォン・シュナイダー。
彼もまた幻影に心を蝕まれていた。だが長年の悪行で肥大した彼の自己顕示欲と強欲さが、かろうじて完全な狂気から彼を繋ぎ止めていた。しかしその瞳に宿るのはもはや傲慢さではない。自分の理解を遥かに超えた神話級の力に対する、根源的な恐怖だけだった。
「ひ……ひぃ……。な、なんだ、こいつらは……。ただの村人ではない……。化け物だ……。悪魔の集いだ……」
彼が震える声で呟いた、その時。
彼の目の前に音もなく、銀色の影が舞い降りた。
ルナリエルだった。
彼女はバルカスの喉元に突きつけていた剣をゆっくりと下ろした。もはや武器を向ける価値もないと判断したのだろう。
「終わりよ、領主様」
その声は死刑宣告のように冷たく響いた。
バルカスはびくりと肩を震わせると、最後の虚勢を張るかのように叫んだ。
「だ、黙れ! 俺は辺境伯だぞ! 王家よりこの地を任された貴族なのだ! 俺に手を出すことは王国そのものに弓を引くことと同じだぞ! 分かっているのか!」
「そう。あなたが貴族であることは事実ね」
ルナリエルは静かに頷いた。そして次の瞬間、彼女の姿が掻き消えた。
バルカスが反応するよりも速く、彼の背後に回り込んだルナリエルは、その剣の柄で彼の首筋を強かに打ち据えた。
「ぐふっ……」
短い呻き声と共にバルカスは白目を剥き、そのたるみきった巨体を馬の上から地面へと無様に転がり落とした。彼は気絶したのだ。
その光景を合図に、俺は防壁の上から指示を出した。
「戦いは終わった! タロウ、若者たちを集めて捕虜の武装解除を! 抵抗する者はいないはずだ。丁重に扱え!」
「は、はい!」
「セレスティア! 負傷者の手当てを頼む! 敵味方の区別なく、救える命は救ってくれ!」
「はい、リアム様! すぐに参ります!」
俺の指示にエデンの民は迅速に動き始めた。彼らはついさっきまで自分たちの命を脅かしていた敵兵に対し、憎しみを向けることはなかった。ただ哀れな被害者として、その傷ついた身体と心を癒やそうと努めていた。
セレスティアの治癒の光と村の女たちが用意した温かいスープが、狂気に陥った兵士たちの心を少しずつ解きほぐしていく。彼らの多くは戦いが終わった後、涙を流しながら自分たちが犯そうとした罪を悔いていた。
その日の午後。
教会の地下にある、かつての食料貯蔵庫。そこは即席の牢獄と化していた。
意識を取り戻したバルカスとその側近である代官は、魔法で固められた椅子に縛り付けられていた。
「……離せ! 俺を誰だと思っている!」
バルカスはなおもわめき散らしていた。だが、その声にもはや何の力もなかった。
俺は彼の前に静かに立った。
「バルカス殿。あなたには聞きたいことがある」
「貴様のような下賤の民に話すことなど何もないわ!」
「そうですか。……ソフィア、お願いできるか」
俺がそう言うと、隣に控えていたソフィアが一歩前に出た。彼女はバルカスの前に立つと、その美しい紫色の瞳をじっと覗き込んだ。
「あなたのその濁った瞳の奥……随分と汚れた秘密を隠しているようですね」
「な、何をする気だ……! やめろ……!」
ソフィアはバルカスの抵抗を無視し、その額にそっと指を触れた。
「――リーディング」
彼女の唇から短い呪文が紡がれる。それは相手の表層意識を読み取る高度な精神魔法だった。
ソフィアの瞳が一瞬だけ淡い光を放つ。そして彼女はゆっくりと口を開いた。
「……なるほど。法外な重税、不正な富の蓄財、領民の強制労働、そして対立する貴族への暗殺依頼……。あなたの悪行、枚挙にいとまがありませんね。その証拠となる裏帳簿は、あなたの執務室の肖像画の裏に隠してある、と」
その言葉に、バルカスの顔が絶望で真っ青になった。自分の最も深い秘密が、いともたやすく暴かれたのだ。
「ば、馬鹿な……! なぜそれを……!」
「全て分かりました」
ソフィアは静かに俺に向き直り、頷いた。
俺は縛られたバルカスに向かって最終的な判断を告げた。
「バルカス殿。我々はあなたを私刑に処すつもりはありません。あなたを裁くのは我々ではなく、王国の法です」
俺はちょうど村に滞在していたギデオンに協力を依頼した。
「ギデオンさん。この男と、ソフィアが暴いた悪行の証拠を王都の騎士団へと届けてはいただけませんか。エデンの代表として」
ギデオンは事の次第を聞き、義憤に燃えた顔でその役目を快く引き受けてくれた。
数日後。
バルカスと彼の悪事の全てが記された裏帳簿は、ギデオンの手によって王都の騎士団へと無事に引き渡された。
王国は辺境で起きたこの前代未聞の事件に騒然となった。辺境伯の反乱、そしてそれを鎮圧した謎の村『エデン』。この一件は王家がエデンという存在を公式に認知する、最初のきっかけとなった。
バルカス・フォン・シュナイダーは、その後の裁判で全ての罪を暴かれ、爵位を剥奪された上で北方の鉱山での終身強制労働の刑に処されたという。彼の築き上げた富も地位も、全てが一夜にして塵と消えた。
悪徳領主の末路は、あまりにも呆気なく惨めなものだった。
その夜、エデンではささやかな祝宴が開かれていた。派手なものではない。ただ村人たちが広場に集い、自分たちの手で守り抜いた平和を静かに分かち合う温かい宴だった。
俺は仲間たちと共に焚き火の炎を見つめていた。
セレスティア、ルナリエル、アイリス、ソフィア。彼女たちの横顔が炎に照らされて美しく輝いている。
俺たちは勝ったのだ。
自分たちの楽園を、自分たちの力で守り抜いた。
その確かな実感が俺の胸を熱い誇りで満たしていた。
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