ドラゴンに攫われた聖女ですが、このドラゴン、めちゃくちゃ過保護でイケメンです

夏見ナイ

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第十六話 地上の様子

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カイザーと一緒に庭の手入れをするようになってから、私の心はさらに穏やかになっていった。
彼と並んで土に触れていると、余計なことを考えずに済んだ。ただ、目の前の小さな命と向き合う。その純粋な時間が、私の心を癒やしてくれた。
聖力の訓練も順調に進み、今では一度に複数の種を芽吹かせたり、小さな果実を実らせたりすることもできるようになった。カイザーは、私の成長を静かに見守り、時折的確な助言をくれる。彼は、最高の師だった。
そんな穏やかな日々が、永遠に続けばいい。
心のどこかで、そう願っていた。
だが、世界は、私たちが思うほど優しくはない。

その日の午後、カイザーは私を書斎へと呼んだ。
彼の書斎は、図書館ほどではないが、それでも壁一面が本で埋め尽くされている。中央には、黒檀で作られた重厚な机が置かれ、その上には天球儀や古びた羊皮紙が広げられていた。
「アリア。少し、見てもらいたいものがある」
カイザーは、机の上に置かれた大きな銀の水盤を指さした。水盤には、なみなみと清らかな水が張られている。
「これは?」
「『水鏡』だ。遠くの場所を映し出すことができる」
彼が水盤の水面にそっと指を触れると、水面が波紋を描き、やがてスクリーンように鮮明な映像を映し出した。
そこに映し出されたのは、見慣れた光景だった。
リンドバーグ王国の、王城。その謁見の間だ。
豪華な玉座には国王が座り、その隣にはアルフォンス王子が立っている。そして、その前には、鎧姿の騎士たちがずらりと並んでいた。
その中の一人に、私は見覚えがあった。
「……レオン」
共に魔王と戦った仲間、勇者レオン。彼は今、近衛騎士団の団長として、国王の前に跪いていた。
水鏡は、彼らの会話までをも鮮明に拾っている。
『――以上が、黒竜の巣の偵察報告でございます』
騎士の一人が、そう報告していた。どうやら、彼らは何度か天空城の様子を探りに来ていたらしい。カイザーの結界に阻まれ、近づくことさえできなかったようだが。
国王が、重々しく口を開く。
『忌々しい竜め。我が国の至宝たる聖女様を攫っておきながら……』
その声には、怒りよりも焦りの色が濃く滲んでいた。
すると、隣にいたアルフォンス王子が、一歩前に出て声を張り上げた。
「父上! もはや、これ以上の猶予はございません! 直ちに聖女奪還のための騎士団を組織し、あの邪竜を討伐すべきです!」
彼の言葉に、周囲の大臣たちも次々と同調する。
『王子のおっしゃる通りです!』
『聖女様が穢される前に、一刻も早くお救せねば!』
穢される。その言葉に、私の胸がちくりと痛んだ。私は、ここでカイザーに大切にされ、守られているというのに。彼らは、一体何を想像しているのだろう。
『民衆の間でも、聖女様を案ずる声が高まっております。このままでは、王家の威信に関わりますぞ!』
結局、彼らが心配しているのは、私の身の上ではなく、自分たちの体面だけなのだ。その事実に、冷たい諦めが胸に広がった。
私は、ただ黙って映像を見つめていた。隣に立つカイザーも、無言のまま、冷ややかな目で地上の茶番劇を眺めている。
やがて、国王が決断を下した。
『……よかろう。アルフォンス、そなたに全権を委ねる。王国の騎士団の総力を結集し、聖女アリアを奪還せよ! これは、王国始まって以来の、聖なる戦いである!』
その号令に、騎士たちが一斉に剣を抜き、鬨の声を上げた。
『聖女様のために!』
『王国に、栄光あれ!』
謁見の間は、熱狂的な空気に包まれていた。誰もが、自分たちが正義だと信じて疑っていない。
水鏡の映像は、そこで静かに消えた。
水面は、元の静けさを取り戻している。けれど、私の心は、さざ波のように揺れていた。
「……彼らは、本気なのですね」
「ああ。近いうちに、大規模な軍勢を率いて、ここへ攻めてくるだろう」
カイザーの声は、どこまでも冷静だった。まるで、他人事のように。
「大丈夫なのですか。王国の騎士団は、大陸でも屈指の精鋭だと聞いています。それに、レオンも……勇者である彼も、敵に回すことに……」
不安が、胸を締め付ける。
私がここにいるせいで、カイザーは、私の故郷と戦わなければならない。かつての仲間と、刃を交えなければならない。
それは、あまりにも酷なことではないか。
すると、カイザーは私の不安を見透かしたように、静かに私の頭に手を置いた。
「心配する必要はない」
彼の声には、絶対的な自信が満ちていた。
「彼らがどれほどの軍勢を率いてこようと、この城の結界を破ることはできん。ましてや、俺に傷一つつけることなど、天地がひっくり返ってもありえん」
それは、決して驕りや慢心から来る言葉ではなかった。絶対的な強者だけが持つことを許された、揺るぎない事実。
「俺が恐れるのは、ただ一つだけだ」
「……え?」
「お前の心が、揺らぐことだ」
カイザーは、私の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「故郷の者たちが、お前を『救いに来た』と叫ぶのを聞いて、お前の心がどちらにつくべきか迷うこと。それだけが、俺にとっての唯一の脅威だ」
彼の言葉に、私は息を呑んだ。
彼は、騎士団の武力など、全く意に介していない。彼が気にしているのは、ただ一つ。私の、心だけ。
私の心が、彼を裏切る可能性。それだけを、彼は恐れているのだ。
胸の奥が、熱くなる。
こんなにも、私のことを信じ、そして案じてくれている。
迷うはずなど、ない。
「……私は、あなたのそばにいます」
私は、はっきりと、自分の意思を告げた。
「私を物のように扱い、利用しようとした人々の元へ、戻る気はありません。私の居場所は、もうあそこにはない。……私の居場所は、ここです」
この、あなたが守ってくれる、天空の城です。
そう続けると、カイザーは、わずかに目を見開いた。そして、次の瞬間、その口元に、深い安堵と、慈しみに満ちた笑みが浮かんだ。
「……そうか」
彼は、短く、それだけを言った。
けれど、その一言には、万の言葉よりも重い感情が込められているように感じられた。
彼は私の頭を、もう一度、優しく撫でた。
「ならば、案ずるな。お前は、ただ俺の後ろで見ていればいい。人間の愚かさと、竜の力が、どれほど隔絶したものかをな」
その声には、絶対的な王者の風格が漂っていた。
嵐は、もうすぐそこまで来ている。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
彼の隣にいれば、大丈夫。
私は、心の底から、そう信じることができた。
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