クラスで3番目に可愛い無口なあの子が実は手話で話しているのを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第93話 「聞こえたよ、雫」

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雫が俺の腕の中で泣きじゃくっている間、救急隊員たちは何も言わず、ただ静かに待っていてくれた。
やがて彼女の嗚咽が穏やかな寝息に変わったのを見計らい、ベテランらしき隊員が優しく俺に声をかけてきた。
「……落ち着きましたか?」
「あ、はい……すみません、取り乱して」
俺が頭を下げると、隊員は「いえいえ」と穏やかに笑った。
「彼女さんも一緒に病院へ。ショックが大きいようですし、念のため」

俺はこくりと頷いた。
雫の体から力を抜き、その顔を覗き込む。涙で濡れた顔は少し青白かったが、その寝顔は驚くほど穏やかだった。
俺は彼女の体を、お姫様を抱き上げるようにそっと横抱きにした。思ったよりもずっと軽かった。
こんなにも小さな体で。
彼女はずっと一人で戦ってきたのだ。

救急車の後部座席に二人並んで腰掛ける。
俺の肩に雫の頭がこてんと寄りかかった。その温もりと重みが俺の心を安心させてくれる。
ピーポーピーポーというサイレンの音が遠くに聞こえる。
夕暮れの街並みが窓の外をゆっくりと流れていった。
それは、まるで俺たちの新しい未来へと続く道のようだった。

病院に到着し、俺はまず左腕の処置を受けた。
幸い骨に異常はなく、擦り傷と打撲だけだった。消毒液が傷口にしみて顔をしかめる。でも、そんな痛みよりも雫のことの方がずっと気がかりだった。
処置を終えた俺が待合室で待っていると、診察室から彼女が出てきた。
その後ろには連絡を受けて駆けつけてくれたのだろう、潮さんの姿もあった。

「航くん!」
潮さんは俺の姿を見つけると駆け寄ってきた。その顔には心配と安堵の色が浮かんでいる。
「あんた、怪我は!? 大丈夫なの!?」
「はい、大したことないです。すみません、ご心配おかけして」
俺が頭を下げると、潮さんは「ばか! あんたが謝ることじゃないでしょ!」と俺の無事な方の肩をバンと力強く叩いた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「……雫は?」
俺が尋ねると、潮さんは妹の方を振り返った。
雫はまだ少しぼうっとした様子で診察室の前に立ち尽くしていた。
でも、その顔色はさっきよりずっと良くなっている。
俺の視線に気づいたのか、彼女がゆっくりとこちらを向いた。
そして、その瞳が俺の姿をはっきりと捉えた。

その瞬間、彼女の瞳が大きく揺らいだ。
事故の瞬間のこと、そして自分が声を出したこと。
その全てを彼女は今、はっきりと、思い出したのだろう。
彼女の瞳からまた涙がぽろりとこぼれ落ちた。

でも、それはもうパニックの涙ではなかった。
彼女は震える足で一歩、また一歩と俺の方へ歩み寄ってくる。
そして、俺の目の前でぴたりと立ち止まった。
その潤んだ瞳で俺の顔を真っ直ぐに見上げてくる。
その瞳は何かを必死で訴えかけていた。

聞こえた?
私の声、本当に聞こえた?
あれは夢じゃなかったの?

声にならない彼女の問いかけ。
俺には痛いほど分かった。

俺は彼女の不安を全て吹き飛ばしてあげたかった。
俺は彼女の前にそっと屈み込んだ。
そして、彼女の涙で濡れた瞳と視線の高さを合わせる。
怪我をしていない方の右手で。
彼女の白い頬をそっと優しく包み込んだ。

そして、俺は最高の笑顔で。
世界で一番優しい声で。
彼女に告げた。

「聞こえたよ、雫」

俺の迷いのない、確かな言葉。

「ちゃんと、聞こえた」
「俺の名前、呼んでくれただろ?」
「すげえ、嬉しかった」

俺の言葉が一つ一つ、彼女の心にじんわりと染み渡っていく。
彼女の瞳が信じられないというように大きく、大きく見開かれた。
そして、次の瞬間。
その瞳から決壊したダムのように涙がぼろぼろと溢れ出した。

でも、それはもう嗚咽じゃなかった。
彼女の口元は確かに笑っていたのだ。
泣きながら、今までで一番幸せそうに彼女はふわりと微笑んだ。
夢じゃなかった。
私の声はちゃんと彼に届いたんだ。
そのどうしようもないほどの喜びと幸福感。
それが彼女の全身を満たしていた。

俺はそんな彼女の姿がどうしようもなく愛おしくて。
思わず、その小さな体をもう一度ぎゅっと抱きしめていた。
「よかったな、雫……!」
俺の声も少しだけ震えていた。

病院の殺風景な待合室。
でも、そこは俺たち二人にとって世界で一番温かくて、輝かしい場所になっていた。
奇跡は本当に起こったのだ。
そして、その奇跡の始まりを俺たちは今、確かに二人で分ち合っていた。
この感動を、この温もりを、俺はきっと一生忘れることはないだろう。
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