外れスキル【修復】で追放された私、氷の公爵様に「君こそが運命だ」と溺愛されてます~その力、壊れた聖剣も呪われた心も癒せるチートでした~

夏見ナイ

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第61話:アイゼンベルク公爵領

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王都を出発してから数日が過ぎた。
私たちの旅は驚くほど穏やかで、そして心満たされる時間だった。馬車は主要な街道を北へ北へと進んでいく。
車窓から見える景色は、刻一刻と表情を変えていった。豊かな穀倉地帯を抜け、緩やかな丘陵を越え、やがて鬱蒼とした深い森が広がる地域へと入っていく。
私は生まれて初めて見る世界の広さに、毎日心を躍らせていた。アシュレイ様はそんな私の反応を楽しみながら、道中で見える様々なものについて丁寧に教えてくれた。
「あれがドワーフたちが住むと言われる黒鉄の山脈だ」
「あの川を下っていくと、商業都市として名高い港町へと続いている」
彼の博識ぶりにはいつも驚かされた。彼はただ書物で知っているだけでなく、その多くを自らの足で歩き、その目で見てきたのだ。その言葉には確かな実感がこもっていた。
夜は彼が手配してくれた、清潔で居心地の良い宿で休んだ。護衛の騎士たちが常に周囲を固めてくれているおかげで、危険を感じることは一度もなかった。
二人きりで取る夕食の時間も、私にとってはかけがえのない宝物だった。その土地の名物料理に舌鼓を打ちながら、今日見た景色のことや彼が若い頃に経験した冒険の話を聞く。
旅は私たちの距離をさらに縮めてくれた。
公爵邸で見せる完璧な公爵様としての彼や、甘やかで過保護な恋人としての彼だけではない。未知の土地で生き生きとした表情で世界を語る、一人の冒険家としてのアシュレイ・フォン・アイゼンベルク。その新しい一面を知るたびに、私の彼への想いは尊敬と愛情をない交ぜにしながら、さらに深く強くなっていくのだった。

旅立ちから五日目の昼下がり。
馬車が、一つの大きな石碑の前でゆっくりと速度を落とした。石碑には古びてはいるが、力強い書体で一つの紋章が刻まれている。アイゼンベルク公爵家の狼の紋章だ。
「リナリア」
隣に座るアシュレイ様が、どこか誇らしげな、そして懐かしむような声で言った。
「ここからが私の領地、アイゼンベルクだ。……ようこそ、私の故郷へ」
その言葉に、私ははっと息をのみ、窓の外へと視線を向けた。
馬車が石碑を通り過ぎた瞬間、周囲の空気がまるで変わったかのように感じられた。
これまで旅してきたどの土地とも違う、清冽で生命力に満ち溢れた空気が、私たちの馬車を優しく包み込む。
目の前に広がるのは、アシュレイ様が語ってくれた通りの豊かで美しい世界だった。
どこまでも続く雄大な針葉樹の森。その木々の緑は王都周辺のものよりもずっと深く、濃い。森の間を縫うようにして流れる小川の水は水晶のように透き通り、川底の小石の一つ一つまではっきりと見ることができた。
時折、森の奥から見たこともないような美しい鳥が飛び立ち、青い空を横切っていく。
「きれい……」
私は思わず感嘆の声を漏らした。
それはただ美しいだけではない。この土地全体が、まるで一つの巨大な生命体のように力強く呼吸しているのが感じられるのだ。
「気に入ってくれたか」
「はい。とても……。空気が澄んでいて、美味しいです」
私が素直な感想を述べると、彼は心から嬉しそうに微笑んだ。
その時、私は彼の纏う雰囲気にも微かな変化が起きていることに気づいた。
王都で見せる他者を寄せ付けない『氷の公爵』の貌ではない。私と二人きりの時に見せる、甘やかで優しい恋人の顔とも少し違う。
彼の表情は穏やかだったが、その背筋は先ほどよりもさらにまっすぐに伸び、その紫の瞳には領民全ての生活を背負う、領主としての深い責任感と自らの土地への誇りが静かな炎のように宿っていた。
その姿はこれまで私が見てきたどの彼よりも、威厳に満ち、そして大きく見えた。

やがて馬車は森を抜け、開けた平野部へと差し掛かった。
そこには黄金色の麦畑が地平線の彼方まで広がっている。その穂の一つ一つがずしりと重く、豊かな実りを約束していた。畑のあちこちでは農夫たちが鍬を振るい、額に汗して働いている。
私たちの馬車が街道を進んでいくと、畑仕事の手を止めた農夫の一人がその紋章に気づいたのだろう。彼は持っていた鍬を放り出すと、信じられないという表情でこちらへ向かって駆け寄ってきた。
「こ、公爵様! 公爵様ではございませんか!」
その大きな声に、周りで働いていた他の農夫たちも次々とこちらへ視線を向ける。そして馬車の紋章を認めると、彼らの顔は一瞬にして驚きと、そして満面の喜びに輝いた。
「おお、本当だ! 公爵様がお戻りになられたぞ!」
「閣下! お帰りなさいませ!」
一人、また一人と人々は仕事の手を止め、私たちの馬車の周りへと集まってくる。その数はあっという間に数十人にも膨れ上がった。彼らは馬車の周りを取り囲むと、まるで英雄の凱旋を迎えるかのように歓声を上げた。
アシュレイ様は御者に馬車を止めさせると、静かに扉を開けてその姿を現した。
その瞬間、領民たちの歓声はひときわ大きなものとなる。
「公爵様! お久しゅうございます!」
「おかげさまで今年の麦は、ここ十年で一番の出来でございます!」
「新しい水路を引いてくださったおかげで、日照りが続いても水に困ることはございませんでした!」
彼らの言葉の一つ一つは、領主であるアシュレイ様への偽りのない感謝と心からの敬愛に満ちていた。
王都で囁かれていた『氷の公爵』という、冷徹で人を寄せ付けないという評判。それがいかに事実からかけ離れたものであるかを、私はこの時、はっきりと理解した。
アシュレイ様は馬車から降り立つと、集まった領民たち一人一人に穏やかな、しかし威厳のある声で言葉をかけていく。
「息災であったか、ゲルド。息子の病はもう良いのか」
「おお、リタ。お腹がずいぶん大きくなったな。もうすぐか。身体を大事にするのだぞ」
彼はそこにいる多くの領民の顔と名前を、そして彼らの家族構成や個人的な事情まで驚くほど正確に記憶していた。その事実は彼が日頃からどれほど領民たちのことを気にかけているかの、何よりの証だった。
領民たちは彼の言葉に目に涙を浮かべて感激し、深く、深く頭を下げた。
私はその光景を馬車の中から、ただ圧倒されて見つめていた。
これこそが、アシュレイ・フォン・アイゼンベルクという男の真の姿なのだ。
ただ強いだけの、冷たいだけの支配者ではない。民を愛し、民に愛される真の領主。
その姿は私の目に、どんな王侯貴族よりも気高く、そして尊く映った。
彼が守り、愛するこの美しい土地と温かい人々。
その全てを私もまた、愛おしいと思った。
そして、この人々の未来を脅かしている北の村の奇病。それを私のこの手で必ず救ってみせる。
私の心の中に、聖女としての新たな、そして力強い決意が静かに、しかし確かに芽生えていた。
アシュレイ様の新たな一面を知り、彼への想いはもはや単なる恋心を通り越し、深い、深い尊敬の念へと昇華されつつあった。
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