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第78話:第二王子の最後の足掻き
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イザベラの自滅的な退場によって、広間の空気は一変した。
私に向けられる視線にはもはや侮蔑や好奇の色はなく、ただ純粋な畏敬と、そして神聖なものを見るかのような熱狂的なまでの崇拝の色だけが宿っていた。
目の前で繰り広げられた、あまりにも鮮やかな奇跡とそれに伴う完璧な勝利。その光景は、集まった貴族たちの脳裏に『聖女リナリア』という存在を絶対的なものとして深く、深く刻み付けた。
「リナリア様、お見事でございました」
「あのイザベラ様を、言葉一つで一蹴なさるとは」
「そして、あの奇跡……! まさに聖女の名にふさわしいお力ですわ!」
貴族たちは、我先にと私に近づき、賞賛の言葉を惜しみなく浴びせてくる。
私はその一つ一つに練習した通りの、穏やかでしかしどこか近寄りがたい、聖女としての完璧な微笑みで応えた。心の中ではまだ少しだけ、その状況に戸惑いながらも。
アシュレイ様はそんな私の隣で、満足げに、そして誇らしげにその光景を眺めていた。彼の計画は私の予想以上の形で、完璧に成功を収めたのだ。
しかし、この夜会でまだ自らの愚かさに気づいていない者がもう一人いた。
第二王子エドワード。
彼は婚約者であったイザベラが醜態を晒し、退場していく様をただ呆然と見ていることしかできなかった。彼の頭の中では信じられないという混乱と、計画が失敗したことへの焦り、そして自分が再び笑いものになるであろうことへの屈辱が渦を巻いていた。
このままでは終われない。
このまま引き下がるわけにはいかない。
彼は王族としての最後のプライドと、そしてアシュレイへの見苦しい対抗心に突き動かされ、無謀ともいえる最後の足掻きを試みた。
彼は人々の輪をかき分けるようにして私たちの前へと進み出た。そして私に向かって、見せかけだけの優雅さで一礼をした。
「……リナリア嬢。先ほどの貴女の振る舞い、まことに見事であった。我が婚約者であったイザベラが大変な無礼を働いたこと、この私が改めて深くお詫びする」
その声は反省しているというよりも、まだ自分が優位な立場にあると必死に思い込もうとしているかのような、虚勢に満ちていた。
私は何も言わずに、ただ静かに彼を見つめた。
エドワード王子はそんな私の沈黙を肯定と受け取ったのだろうか。彼はさらに一歩私に近づくと、その手を私に向かって差し伸べた。
「償いと言ってはなんだが、この私と一曲踊ってはいただけないだろうか。貴女のような美しく、そして奇跡の力を持つ女性と踊れることは、私にとってこの上ない名誉だ」
その申し出に、広間の空気が再びぴんと張り詰めた。
第二王子が聖女にダンスを申し込む。
それは一見すると、非礼を詫びるための紳士的な行為に見えるかもしれない。
しかし、その場にいた政治の機微に聡い者たちは、その行為の裏に隠された彼の真の意図を即座に理解した。
これは示威行為だ。
アシュレイ公爵の庇護下にある聖女を、公衆の面前で自らの腕の中に収める。それによって『聖女は必ずしも公爵だけの所有物ではない』ということを人々に印象付け、失墜した自らの権威を少しでも回復させようという、浅はかで見苦しい足掻き。
もし私がこの申し出を受ければ、アシュレイ公爵の面目は潰れる。
もし断れば、私は王族の申し出を無下に断った傲慢な女だと陰でそしられることになるかもしれない。
それは巧妙に仕組まれた二者択一の罠だった。
エドワード王子は、その瞳の奥にかすかな勝利の色を浮かべて私の返事を待っていた。
私はどうすべきか一瞬だけ迷った。
しかし、その迷いはすぐに消え去った。
私より先に、私の隣に立つ絶対的な守護者が動いたからだ。
アシュレイ様は私とエドワード王子の間に、まるで割り込むかのように静かに、しかし威圧的に一歩を踏み出した。
そしてエドワード王子が私に差し伸べていた手を、まるで邪魔な小枝でも払いのけるかのように無造作に、しかし力強く払い除けた。
「……っ!」
エドワード王子が、驚きと屈辱に顔を歪める。
アシュレイ様はそんな彼を、まるで道端の石ころでも見るかのような冷え切った目で見下ろした。
そして、広間全体に響き渡る低く、そして絶対的な所有権を主張する声で言い放った。
「――お断りする、王子殿下」
そのあまりにも直接的で、そして無礼とも取れる拒絶の言葉に、広間はどよめいた。
アシュレイ様は構わずに続けた。
「彼女の今宵の最初のダンスの相手は、この私だ。……それはこの夜会が始まるずっと前から決まっていたことだ」
その言葉は嘘ではなかった。
私たちの、あの秘密のダンスレッスン。それはこの夜のための約束でもあったのだ。
「そして二曲目も三曲目も、今宵彼女が踊る全てのダンスの相手は、この私が務める。……あなた様がその輪に加わる余地は、残念ながら一ミリたりとも存在しない」
それは、完璧なまでの鉄壁ガードだった。
エドワード王子の仕掛けた卑劣な罠を、彼は真正面から、そして圧倒的な力で粉砕してみせたのだ。
エドワード王子は、もはや何も言うことができなかった。顔を屈辱で真っ赤に染め、ただわなわなと震えることしかできない。
アシュレイ様はそんな彼にもう一瞥もくれることなく、私に向き直った。そして先ほどの冷徹な貌が嘘のようにとろけるように甘い笑みを浮かべると、私の前に跪き、優雅にその手を差し伸べた。
「――さあ、参りましょうか。私の唯一の女神(マイ・レディ)」
そのあまりにも劇的な、完璧なエスコート。
私は胸を高鳴らせながら、その手を迷いなく取った。
「はい、アシュレイ様(マイ・ロード)」
私たちは完全に敗北しその場に立ち尽くす第二王子を、まるで存在しないかのように無視して、広間の中央、ダンスフロアへと優雅な足取りで向かっていった。
後に残されたのは、惨めに打ちのめされた王子の哀れな姿と、そしてこれから始まるであろう美しい二人のダンスへの期待に満ちた、貴族たちの熱い視線だけだった。
第二王子の最後の足掻きは結果的に、私とアシュレイ様の絆の強さを、そして彼の私への深い独占欲を、満天下に示すだけの最高の引き立て役となったのだった。
私に向けられる視線にはもはや侮蔑や好奇の色はなく、ただ純粋な畏敬と、そして神聖なものを見るかのような熱狂的なまでの崇拝の色だけが宿っていた。
目の前で繰り広げられた、あまりにも鮮やかな奇跡とそれに伴う完璧な勝利。その光景は、集まった貴族たちの脳裏に『聖女リナリア』という存在を絶対的なものとして深く、深く刻み付けた。
「リナリア様、お見事でございました」
「あのイザベラ様を、言葉一つで一蹴なさるとは」
「そして、あの奇跡……! まさに聖女の名にふさわしいお力ですわ!」
貴族たちは、我先にと私に近づき、賞賛の言葉を惜しみなく浴びせてくる。
私はその一つ一つに練習した通りの、穏やかでしかしどこか近寄りがたい、聖女としての完璧な微笑みで応えた。心の中ではまだ少しだけ、その状況に戸惑いながらも。
アシュレイ様はそんな私の隣で、満足げに、そして誇らしげにその光景を眺めていた。彼の計画は私の予想以上の形で、完璧に成功を収めたのだ。
しかし、この夜会でまだ自らの愚かさに気づいていない者がもう一人いた。
第二王子エドワード。
彼は婚約者であったイザベラが醜態を晒し、退場していく様をただ呆然と見ていることしかできなかった。彼の頭の中では信じられないという混乱と、計画が失敗したことへの焦り、そして自分が再び笑いものになるであろうことへの屈辱が渦を巻いていた。
このままでは終われない。
このまま引き下がるわけにはいかない。
彼は王族としての最後のプライドと、そしてアシュレイへの見苦しい対抗心に突き動かされ、無謀ともいえる最後の足掻きを試みた。
彼は人々の輪をかき分けるようにして私たちの前へと進み出た。そして私に向かって、見せかけだけの優雅さで一礼をした。
「……リナリア嬢。先ほどの貴女の振る舞い、まことに見事であった。我が婚約者であったイザベラが大変な無礼を働いたこと、この私が改めて深くお詫びする」
その声は反省しているというよりも、まだ自分が優位な立場にあると必死に思い込もうとしているかのような、虚勢に満ちていた。
私は何も言わずに、ただ静かに彼を見つめた。
エドワード王子はそんな私の沈黙を肯定と受け取ったのだろうか。彼はさらに一歩私に近づくと、その手を私に向かって差し伸べた。
「償いと言ってはなんだが、この私と一曲踊ってはいただけないだろうか。貴女のような美しく、そして奇跡の力を持つ女性と踊れることは、私にとってこの上ない名誉だ」
その申し出に、広間の空気が再びぴんと張り詰めた。
第二王子が聖女にダンスを申し込む。
それは一見すると、非礼を詫びるための紳士的な行為に見えるかもしれない。
しかし、その場にいた政治の機微に聡い者たちは、その行為の裏に隠された彼の真の意図を即座に理解した。
これは示威行為だ。
アシュレイ公爵の庇護下にある聖女を、公衆の面前で自らの腕の中に収める。それによって『聖女は必ずしも公爵だけの所有物ではない』ということを人々に印象付け、失墜した自らの権威を少しでも回復させようという、浅はかで見苦しい足掻き。
もし私がこの申し出を受ければ、アシュレイ公爵の面目は潰れる。
もし断れば、私は王族の申し出を無下に断った傲慢な女だと陰でそしられることになるかもしれない。
それは巧妙に仕組まれた二者択一の罠だった。
エドワード王子は、その瞳の奥にかすかな勝利の色を浮かべて私の返事を待っていた。
私はどうすべきか一瞬だけ迷った。
しかし、その迷いはすぐに消え去った。
私より先に、私の隣に立つ絶対的な守護者が動いたからだ。
アシュレイ様は私とエドワード王子の間に、まるで割り込むかのように静かに、しかし威圧的に一歩を踏み出した。
そしてエドワード王子が私に差し伸べていた手を、まるで邪魔な小枝でも払いのけるかのように無造作に、しかし力強く払い除けた。
「……っ!」
エドワード王子が、驚きと屈辱に顔を歪める。
アシュレイ様はそんな彼を、まるで道端の石ころでも見るかのような冷え切った目で見下ろした。
そして、広間全体に響き渡る低く、そして絶対的な所有権を主張する声で言い放った。
「――お断りする、王子殿下」
そのあまりにも直接的で、そして無礼とも取れる拒絶の言葉に、広間はどよめいた。
アシュレイ様は構わずに続けた。
「彼女の今宵の最初のダンスの相手は、この私だ。……それはこの夜会が始まるずっと前から決まっていたことだ」
その言葉は嘘ではなかった。
私たちの、あの秘密のダンスレッスン。それはこの夜のための約束でもあったのだ。
「そして二曲目も三曲目も、今宵彼女が踊る全てのダンスの相手は、この私が務める。……あなた様がその輪に加わる余地は、残念ながら一ミリたりとも存在しない」
それは、完璧なまでの鉄壁ガードだった。
エドワード王子の仕掛けた卑劣な罠を、彼は真正面から、そして圧倒的な力で粉砕してみせたのだ。
エドワード王子は、もはや何も言うことができなかった。顔を屈辱で真っ赤に染め、ただわなわなと震えることしかできない。
アシュレイ様はそんな彼にもう一瞥もくれることなく、私に向き直った。そして先ほどの冷徹な貌が嘘のようにとろけるように甘い笑みを浮かべると、私の前に跪き、優雅にその手を差し伸べた。
「――さあ、参りましょうか。私の唯一の女神(マイ・レディ)」
そのあまりにも劇的な、完璧なエスコート。
私は胸を高鳴らせながら、その手を迷いなく取った。
「はい、アシュレイ様(マイ・ロード)」
私たちは完全に敗北しその場に立ち尽くす第二王子を、まるで存在しないかのように無視して、広間の中央、ダンスフロアへと優雅な足取りで向かっていった。
後に残されたのは、惨めに打ちのめされた王子の哀れな姿と、そしてこれから始まるであろう美しい二人のダンスへの期待に満ちた、貴族たちの熱い視線だけだった。
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