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第57話:『プロメテウス』の咆哮
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『プロメテウス』と名付けられた蒸気機関車は、領民たちの熱狂的な歓声の中、実験線路の上を何度も往復した。
初めはぎこちなかった動きも、俺が操作に慣れるにつれて次第に滑らかになっていく。速度を上げれば、馬が全力で疾走するよりも速く、それでいて揺れは少ない。その圧倒的な性能は、そこにいた全ての者に新しい時代の到来を確信させるのに十分すぎた。
試運転の後、俺は運転席から降りると、興奮冷めやらぬ仲間たちに迎えられた。
「リオ様! やりやがったな、おい!」
鍛冶屋の親方が、油にまみれた顔をくしゃくしゃにしながら俺の背中を力強く叩いた。
「俺たちの作った鉄の塊が、本当に自分の足で走りやがった! こんなに胸が躍る仕事は、生まれて初めてだ!」
大工の棟梁も深く頷いている。彼らの職人としての誇りは、最高潮に達していた。
エリアーナは、まだ夢見心地のような表情でゆっくりと俺の元へ歩み寄ってきた。
「……信じられないわ、リオ」
その声はわずかに震えていた。「あれが、本当に鉄と蒸気の力だけで動いているなんて。まるで巨大な魔法を見ているようだった」
「魔法じゃない。科学だ」
俺は誇らしげに答えた。「そして、あれはまだ始まりに過ぎない。これから、もっと速く、もっと力強く、もっと遠くまで走れるようになる」
エリアーナは俺のその言葉に、はっと我に返ったようだった。彼女の目が、再び冷徹な経営者のそれに戻る。
彼女は黒煙を上げて静かに佇むプロメテウスを見つめながら、呟いた。
「……投資する価値、ですって? とんでもないわ。これはアシュフォード商会の、いえ、この国の未来そのものを賭ける価値がある」
彼女の最大限の賛辞だった。
「すぐに計画を立てるわ。黒鉄鉱山から領都までの本格的な路線敷設工事。必要な資金、資材、そして労働力。全て私が算出して見せる」
俺たちの最も野心的なプロジェクトが、ついに本格的に始動する瞬間だった。
その夜、祝賀の宴が開かれた。
領民たちは昼間の興奮をそのままに、歌い、踊り、新しい時代の到来を祝っていた。
俺はそんな喧騒から少し離れた場所で、シルフィと共に夜空を見上げていた。
「シルフィ、プロメテウスの魔導炉は君がいなければ決して完成しなかった。本当にありがとう」
「ううん。私、見ててすごく楽しかったよ。リオが、みんなが、一つのものを作るために一生懸命になっている姿。なんだか、すごくキラキラして見えた」
彼女は純粋な瞳でそう言った。
俺は空に浮かぶ月を見ながら、ふと、ある疑問を口にした。
「なあ、シルフィ。君たちエルフは人間よりもずっと長く生きるんだろ? 昔の、それこそ古代文明の頃の話とか、何か知らないか? 例えば、空を飛ぶ方法とか」
それは何気ない好奇心から出た言葉だった。
だが、シルフィの反応は俺の予想を超えていた。
彼女は少しだけ悲しそうな顔をして、首を横に振った。
「……ごめんね、リオ。私たちは、昔のことをあまり語らないようにしているの。昔の私たちの先祖はとても大きな力を持っていて、たくさんの凄いものを作ったって聞いてる。でも、その力のせいでとても悲しいことが起きたんだって。だから、その力のことはもう思い出さないように、使わないようにしようって、森の長老たちが決めたの」
大きな力と、悲しいこと。
その言葉は、俺の胸に小さく、しかし確かな棘となって突き刺さった。俺が今やっていることも、同じ道を辿る可能性はないのだろうか。
「……そうか。すまない、嫌なことを聞いたな」
「ううん、大丈夫」
シルフィは俺の心配を察したのか、優しく微笑んだ。「でもね、リオ。私はあなたの作るもの、好きだよ。だって、あなたの作るものはいつも誰かを幸せにするためにあるから。だから、きっと大丈夫」
彼女のその言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。
宴が終わり、人々が寝静まった深夜。
俺はエリアーナと共に、王都の屋敷から届いたばかりの最新の報告書に目を通していた。
それはクラウス・フォン・ゲルラッハから、国王派のルートを通じて極秘裏に送られてきたものだった。
「……これは」
報告書を読んだ俺の顔から、血の気が引いた。
エリアーナも同じ箇所を読み、息をのむ。
そこに書かれていたのは、大陸の北東に位置する強大な軍事国家『ガルニア帝国』に関する不穏な情報だった。
『ガルニア帝国、近年、周辺諸国への軍事侵攻を活発化。その軍事力は、我が王国を遥かに凌駕するものと推測される。特に、皇帝直属の竜騎士団は大陸最強との呼び声も高い』
そして、報告書の最後にはクラウスの冷徹な分析が、短い一文で記されていた。
『帝国の情報部が、我が国の黒鉄鉱山の生産量急増と、アシュフォード領における『未知の新技術』の噂に強い関心を示している痕跡あり。要注意』
ガルニア帝国。
その名は俺も聞き及んでいた。力こそが正義であると信じ、覇権拡大のためにはいかなる手段も厭わない、尚武の国。
その帝国が、俺たちの技術に気づき始めた。
俺は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
マリウス公爵や、ヴァイス伯爵。彼らはあくまで国内の政治的な敵だ。交渉や駆け引きの余地がある。
だが、帝国は違う。
彼らが俺たちの技術を脅威と見なし、あるいはその強奪を目論んだとしたら。
彼らが選ぶ手段は、ただ一つ。
戦争だ。
グライフ子爵との小競り合いとは訳が違う。国家の総力を挙げた、本当の戦争。
俺はシルフィの言葉を思い出していた。
『大きな力は、悲しいことを引き起こす』
俺が生み出した技術という「大きな力」は、ついにこの国で最も危険な獣の注意を引いてしまったのだ。
鉄道計画の成功に浮かれていた俺の頭を、冷たい現実が殴りつけた。
時間がない。
帝国が本格的に行動を起こす前に。
俺たちはこの国を、そして俺たちの故郷を、圧倒的な軍事力から守り抜くためのさらなる力を手に入れなければならない。
それはもはや領地経営や産業発展というレベルの話ではなかった。
国家の存亡を賭けた、技術開発競争。
そのゴングは、今、俺の知らないところで静かに鳴らされたのだ。
俺はプロメテウスの設計図を固く握りしめた。
この鉄の馬は、ただ物資を運ぶためだけのものではない。
来るべき決戦の日に、兵士と兵器を誰よりも早く戦場へ送り届けるための、救国の切り札とならなければならない。
俺の顔から成功の余韻は完全に消え失せていた。
そこにあったのは、見えざる巨大な敵を前に、静かに、しかし激しく闘志を燃やす一人の戦略家の顔だった。
初めはぎこちなかった動きも、俺が操作に慣れるにつれて次第に滑らかになっていく。速度を上げれば、馬が全力で疾走するよりも速く、それでいて揺れは少ない。その圧倒的な性能は、そこにいた全ての者に新しい時代の到来を確信させるのに十分すぎた。
試運転の後、俺は運転席から降りると、興奮冷めやらぬ仲間たちに迎えられた。
「リオ様! やりやがったな、おい!」
鍛冶屋の親方が、油にまみれた顔をくしゃくしゃにしながら俺の背中を力強く叩いた。
「俺たちの作った鉄の塊が、本当に自分の足で走りやがった! こんなに胸が躍る仕事は、生まれて初めてだ!」
大工の棟梁も深く頷いている。彼らの職人としての誇りは、最高潮に達していた。
エリアーナは、まだ夢見心地のような表情でゆっくりと俺の元へ歩み寄ってきた。
「……信じられないわ、リオ」
その声はわずかに震えていた。「あれが、本当に鉄と蒸気の力だけで動いているなんて。まるで巨大な魔法を見ているようだった」
「魔法じゃない。科学だ」
俺は誇らしげに答えた。「そして、あれはまだ始まりに過ぎない。これから、もっと速く、もっと力強く、もっと遠くまで走れるようになる」
エリアーナは俺のその言葉に、はっと我に返ったようだった。彼女の目が、再び冷徹な経営者のそれに戻る。
彼女は黒煙を上げて静かに佇むプロメテウスを見つめながら、呟いた。
「……投資する価値、ですって? とんでもないわ。これはアシュフォード商会の、いえ、この国の未来そのものを賭ける価値がある」
彼女の最大限の賛辞だった。
「すぐに計画を立てるわ。黒鉄鉱山から領都までの本格的な路線敷設工事。必要な資金、資材、そして労働力。全て私が算出して見せる」
俺たちの最も野心的なプロジェクトが、ついに本格的に始動する瞬間だった。
その夜、祝賀の宴が開かれた。
領民たちは昼間の興奮をそのままに、歌い、踊り、新しい時代の到来を祝っていた。
俺はそんな喧騒から少し離れた場所で、シルフィと共に夜空を見上げていた。
「シルフィ、プロメテウスの魔導炉は君がいなければ決して完成しなかった。本当にありがとう」
「ううん。私、見ててすごく楽しかったよ。リオが、みんなが、一つのものを作るために一生懸命になっている姿。なんだか、すごくキラキラして見えた」
彼女は純粋な瞳でそう言った。
俺は空に浮かぶ月を見ながら、ふと、ある疑問を口にした。
「なあ、シルフィ。君たちエルフは人間よりもずっと長く生きるんだろ? 昔の、それこそ古代文明の頃の話とか、何か知らないか? 例えば、空を飛ぶ方法とか」
それは何気ない好奇心から出た言葉だった。
だが、シルフィの反応は俺の予想を超えていた。
彼女は少しだけ悲しそうな顔をして、首を横に振った。
「……ごめんね、リオ。私たちは、昔のことをあまり語らないようにしているの。昔の私たちの先祖はとても大きな力を持っていて、たくさんの凄いものを作ったって聞いてる。でも、その力のせいでとても悲しいことが起きたんだって。だから、その力のことはもう思い出さないように、使わないようにしようって、森の長老たちが決めたの」
大きな力と、悲しいこと。
その言葉は、俺の胸に小さく、しかし確かな棘となって突き刺さった。俺が今やっていることも、同じ道を辿る可能性はないのだろうか。
「……そうか。すまない、嫌なことを聞いたな」
「ううん、大丈夫」
シルフィは俺の心配を察したのか、優しく微笑んだ。「でもね、リオ。私はあなたの作るもの、好きだよ。だって、あなたの作るものはいつも誰かを幸せにするためにあるから。だから、きっと大丈夫」
彼女のその言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。
宴が終わり、人々が寝静まった深夜。
俺はエリアーナと共に、王都の屋敷から届いたばかりの最新の報告書に目を通していた。
それはクラウス・フォン・ゲルラッハから、国王派のルートを通じて極秘裏に送られてきたものだった。
「……これは」
報告書を読んだ俺の顔から、血の気が引いた。
エリアーナも同じ箇所を読み、息をのむ。
そこに書かれていたのは、大陸の北東に位置する強大な軍事国家『ガルニア帝国』に関する不穏な情報だった。
『ガルニア帝国、近年、周辺諸国への軍事侵攻を活発化。その軍事力は、我が王国を遥かに凌駕するものと推測される。特に、皇帝直属の竜騎士団は大陸最強との呼び声も高い』
そして、報告書の最後にはクラウスの冷徹な分析が、短い一文で記されていた。
『帝国の情報部が、我が国の黒鉄鉱山の生産量急増と、アシュフォード領における『未知の新技術』の噂に強い関心を示している痕跡あり。要注意』
ガルニア帝国。
その名は俺も聞き及んでいた。力こそが正義であると信じ、覇権拡大のためにはいかなる手段も厭わない、尚武の国。
その帝国が、俺たちの技術に気づき始めた。
俺は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
マリウス公爵や、ヴァイス伯爵。彼らはあくまで国内の政治的な敵だ。交渉や駆け引きの余地がある。
だが、帝国は違う。
彼らが俺たちの技術を脅威と見なし、あるいはその強奪を目論んだとしたら。
彼らが選ぶ手段は、ただ一つ。
戦争だ。
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俺はシルフィの言葉を思い出していた。
『大きな力は、悲しいことを引き起こす』
俺が生み出した技術という「大きな力」は、ついにこの国で最も危険な獣の注意を引いてしまったのだ。
鉄道計画の成功に浮かれていた俺の頭を、冷たい現実が殴りつけた。
時間がない。
帝国が本格的に行動を起こす前に。
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