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2 決められた婚約者
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待ち合わせ場所はホテルのロビーだったのは失敗だったかもしれない。
大きな声は、人の視線を集めた。
継母の一言で、さっきまでの誇らしい気持ちが台無しになってしまった。
「おかしかったですか?」
「どうせ安物のワンピースでしょ。あなたのことだから、ちゃんとした服を選べないと思って持ってきてあげたわよ」
継母は私にそう言って、高級ブランドの紙袋を乱暴に押し付けた。
紙袋のブランド名を見るとお嬢様に人気のブランド『Lorelei』のロゴが入っている。
「琉永。着替えなさい」
継母の後ろを歩いていた父が、私のワンピースを見て、険しい顔をした。
父から、私がデザインした服を褒められたことはない。
父が私を褒めるのは、私が父の役に立った時だけである。
それを悲しいと思う気持ちは、父が継母と結婚した時に捨てた。
「なにをモタモタしているんだ。早く着替えてきなさい!」
二度目の催促の声は鋭く、容赦のないものだった。
ここで、私が逆らえば、継母が怒り狂って、入院中の妹になにをするかわからない。
ストライキのような抵抗は無駄だとわかっている。
反抗せず、紙袋を受け取り、私は小さくうなずいた。
「着替えてきます……」
「余計な出費だったわ。洋服関係の仕事をしているのなら、こういう時はフォーマルな服装をしてくるのが常識でしょ」
「まったくだ。安いワンピースを着て恥ずかしい娘だ」
「死んだ奥様に似たのでしょ。手作りの服を娘に着せていたそうじゃないの。手作りが一番だなんて、言い聞かせて育てたのかしら」
継母は私が着替えるまで、ずっと嫌味を言い続けていた。
着ていたワンピースは紙袋の底に入れ、ブーケの形が崩れないよう上にのせた。
着替え終わった私の全身を継母は舐めるようにして見る。
そして、くすりと笑った。
「似合わないわね。やっぱり、琉永さんには貧乏臭いワンピースがちょうどよかったみたい。せっかくの『Lorelei』なのに、安物のスーツみたいでもったいないわ」
継母は言いたいことを言って、化粧室の外へ先に出ていった。
女の子なら一度は着てみたいブランド、『Lorelei』。
私だって着てみたかった。
こんな形じゃなく、自分で選んだ服を着ていいたら、もっとわくわくして、ドキドキできたと思う。
――継母はわざとサイズの合わない服を選んだってわかってる。
似合わないように、スカートの丈は長く、ジャケットはだぶっとしている。
「服が可哀想……」
裁縫セットをバッグから取り出し、スカート丈をすばやく直す。
そして、ブーケの白いリボンを外し、
飾り気のないのワンピースの胸元にリボンをつけ、アクセントにする。
少しだけ可愛い系にすることで、大人っぽさが薄れ、私に似合うものに変わる。
だぶっとしたジャケットは、ピンで留めて、袖を少しだけ短くした。
急いで裾をあげたから、縫い方も雑だけど、さっきより服に着られているという雰囲気はなくなったような気がする。
紙袋のブーケを指でそっと撫で、大丈夫と自分に言い聞かせて、化粧室を出た。
「あら……? 買った時と印象が違うけど、気のせいかしら?」
細かいところまで見ていなかったらしく、首を傾げた。
「まあ、いいわ」
継母の興味は、すでに興味は別のところにあって、今日のお見合い会場であるティールームのメニューを眺めていた。
追求を免れ、ホッと息をはいた。
なに食わぬ顔をして、父と継母の後ろを歩いて、お見合い場所のティールームへ入る。
ここのティールームを選んだのは継母で、高級感漂う和風のティールームだ。
私が来るのは初めてだけど、継母は違うらしく、慣れた様子でメニューブックを手にした。
「ここのお抹茶が美味しいのよ」
「俺はなんでもいいぞ」
二人がメニューを決めている間、ぐるりと店内を眺める。
趣味のいい落ち着いた店内。
竹のオブジェがあり、壁にはガクアジサイが描かれた日本画が飾られている。
窓ガラスには木の格子がされ、外から中を覗けないよう目隠しがされていた。
なめらかな木の椅子とテーブル、障子戸をパーティションに使われ、木のウッドオブジェの枝がほんの少しだけ、障子から覗く――さすが高級ホテルのティールーム。
お見合いでなく、友達と来ていたら、この店の一つ一つのセンスの良さを語り尽くしていたはずだ。
――わかってる。デザインの勉強をしても意味がないって。どんな相手であっても、私は結婚する選択肢しかないんだから。
妹の顔を思い浮かべ、涙をこらえた。
病弱な妹を守れるのは私だけ。
「あなた、乾井さんが来たわよ」
継母はお見合い相手の姿を見つけると、入り口を指差し、父の体を揺さぶった。
「乾井専務。今日はどうも。お忙しいところ時間をいただき、すみません」
父は席から立ち上がり、何度も頭を下げた。
「ああ、どうも。清中さん、目立つので座ってください」
乾井さんは取引先の専務で、清中の家より大きい会社だと、父の態度でわかった。
「ふぅん。これが娘さんですか」
――これって。まるで物みたいな扱いをされてる?
私を値踏みする目と呼び方で、すでに馬鹿にされている気がして不快感を感じた。
「琉永さん。こちら乾井啓雅さん。ごぞんじだと思うけど、大手アパレル企業INUIグループ社長のご子息でいらっしゃるのよ」
「父のもとで専務をしております」
乾井さんは自分の肩書きに自信を持っているようで、席について足を組み、ふんぞり返っていた。
カジュアルな印象を与えるボタンダウンシャツとストライプタイのアメリカ式スーツ。
ジャケットは両サイドにつまみ縫いのない緩めのもの。
外見は一般的に男らしいスポーツマンという印象がある人だけど、どこか冷たい印象がある。
「どう? 琉永さんにはもったいないくらいの素敵な人でしょう?」
いつもより濃いめの化粧をした継母が高い声で笑った。
「……そうですね」
第一印象では、素敵な人とは思えず、暗い気持ちで返事をした。
――どうして、私と結婚しようと思ったのかな。
外見も悪くなくて、大きい会社の専務なら、モテモテのはず。
潰れかけの工場の娘とお見合いするメリットが、どこにあるのか、私にはわからなかった。
「ごめんなさいね。愛想のない子で」
「いいえ。おとなしい女性は嫌いではありません。余計なことを話す女性のほうが苦手ですね」
そんなことを言って、啓雅さんは運ばれてきたアイスティーを口にした。
「琉永さん。よかったわねぇ~。啓雅さんに気に入っていただけたみたいよ」
今のが継母への皮肉だということに気づいていない。
啓雅さんはさっきから、一人で話し続ける継母を不快そうな顔で見ていた。
継母のことは好きではないけれど、あからさまに顔に出す啓雅さんにもあまりいい印象を持てない。
「清中家の後妻に入って、子供二人の面倒を見るのは大変でしたのよ。琉永さんの結婚が決まってくれたら、一安心ですわ」
「そうですか」
啓雅さんは継母の昔語りに付き合う気はないらしく、愛想笑いさえ浮かべず、素っ気ない返事をする。
継母と話すためにここへきたわけではないのはわかる。
「下の子も病弱で手がかかるんですのよ」
啓雅さんの冷めた態度と重い空気をなんとかしようと、父は思ったらしく、口を挟もうとするけれど、継母の独壇場。
「お金もかかるし、本当に子育てって大変。啓雅さんは賢くて、手がかからない子だったと、乾井社長から聞いておりますわ」
「まあ、お手伝いがいたので不便はなかったですね」
「お手伝い! さすが乾井グループの御曹司。それに比べて、清中は貧乏で……」
ここからずっと、継母の苦労話が続いた――嘘だらけの。
継母は私の母が亡くなると同時に、父と結婚した。
結婚したスピードを考えたら、母が亡くなる前から関係があったとわかる。
父に聞かなくても、親戚たちが集まった場では、否応なしに話し声が耳に入ってくる。
継母は結婚した当初から、父と前妻との間にできた私と妹を他人だからと言って、冷たい態度だった。
『私はあなた達の母親じゃないの。お母さんなんて呼ばないでよ』
私と妹は初対面でそんなことを言われ、気分が悪かったけれど、母と呼ぶ気持ちにはなれず、継母とは距離を置いて過ごした。
それに、父は私たちを邪魔にして遠ざけ、祖父母の家で、私と妹は暮らしていた。
けれど、高齢だった祖父母は、私が高校生だった頃、他界してしまい、父は仕方なく私たち姉妹を引き取り、継母と暮らすようになったのだ。
――それでも、父が娘を道具のように扱うなんて思わなかったわ。父に少しくらい情があるかもって、期待してた私が馬鹿なんだろうけど。
父は乾井さんと結婚させて、私が幸せになれるとは思ってない。
――わかってる。ただ会社を失いたくないだけ。娘より会社が大事なのよ。
父のほうをちらりと見たけれど、後ろぐらい気持ちがあるのか、目を逸らされてしまった。
『清中繊維の大切な取引先の息子だ。粗相のないようにな』
このお見合いが決まった時、父から言われたのはそれだけだった。
でも、私がお見合いを引き受ければ、妹の大学費用を出してくれると父は私と約束をしてくれた。
祖父母を亡くした私にとって、家族と呼べるのは妹だけだった。
それは妹も同じ。
――妹の夢は医師になること。医学部はお金がかかるし、私のお給料じゃ、夢を叶えてあげられない。
それだけではない。
父が会社を失えば、妹の病院代も払えなくなる。
私も清中繊維が経営が、うまくいってないのだろうと、お見合い話を持ってきた時点で、薄々察していた。
父は乾井さんの申し出を断り、機嫌を損ね、大口取引先を失うわけにはいかない。
だから、娘の私を差し出した。
これで済むなら安いものだ――それが父の本心だろう。
「琉永さんはデザインの仕事をされているとか」
黙って継母の話を聞いていた乾井さんが、突然、私に質問してきた。
「はい。専門学校の先輩が立ち上げたデザイン事務所で働いております」
「なるほど。そうですか」
たったそれだけで、私のなにがわかったというのか、うなずいた後は、なんの会話もなかった。
――お見合いの話を持ってきたのは、乾井さんのほうなのに、ここまで興味がない相手と結婚するなんて、なんだかおかしい。
せめて、どんな服を作ってるのかとか、この先も仕事を続けるつもりなのか――なんて質問があってもいいような気がする。
疑問だらけのお見合いに、落ち着かない気持ちで服に触れた。
窓ガラスを見ると、アレンジした服が、私に似合っていて、それを眺めるだけで少しだけ気分が上向く。
――さすが、『Lorelei』。ハイブランド品だし、お嬢様に人気なデザインは、上品で飽きのこないもの。さりげないトレンドを取り入れつつ、長く着れる服になってる。
これを選んだのが継母ではなく、お見合いのためでもなければ、もっと素直に喜べただろう。
私が作ったワンピースともらったブーケは紙袋の中にしまわれ、ティールームのクロークに預けてある。
『Lorelei』のワンピースと違って、継母は私の作ったブルーのワンピースをにらむように見ていたのを思い出し、落ち込んだ。
――私が『Lorelei』で働いているとか、有名なデザイナーだったら、自分がデザインした服を着ていられたはず。
卒業したての駆け出しデザイナーとはいえ、卒業生の中には、すでに名前を知られ、『Lorelei』で働いている人もいる。
――私、才能ないのかな。このまま、結婚してデザインの仕事を諦める?
「乾井さん。仕事のことなら、お気になさらず。この子は仕事を遊びでやっているんですよ」
「ち、違います! 私は本気で……!」
「今日も安っぽい生地のワンピースを着てきて、自己満足もいいところでしょう? 『Lorelei』のスーツに着替えさせたら、機嫌が悪くて、本当に困った子」
「ああ、それであまり話さないんですね」
継母は私の傷ついた顔を見て、くすりと笑う。
「それに比べて、啓雅さんは琉永さんにもったいないくらいの方よ。お仕事ができて経営手腕も確かだし、女性にもすごくモテるの」
「そんなことはないですよ」
継母の言葉に、啓雅さんは澄ました顔をしながら、にやりと笑ったのを私は見逃さなかった。
「女性と付き合ったことが何度かあるのですが、どの女性も面倒な相手で、こちらへの要求が多くて、結婚までは考えられなかった」
「それって、自分のいいなりになる奥さんが欲しいってこと……」
私がムッとして、啓雅さんに言うと、テーブルの下で、継母から足を蹴られた。
継母が『余計なことを言うんじゃないわよ』と、私を怖い目でにらみつける。
痛む足と父の冷たい目に、私は黙るしかなかった。
――お金で買った妻を自分のいいように使いたいだけ。逆らえない妻なら、楽だって考えてるんだわ。
結婚生活を考えたら、ゾッとして体が震えた。
温かい抹茶ラテを頼んだはずが、温くなり、口の中で苦味が広がる。
目の前に生クリームが添えられたシフォンケーキがあるのに誰も手をつけていない。
きな粉と黒豆のシフォンケーキ。
甘く煮た大きな黒豆が黄色の生地にしっかり形を残して焼き上げられている。
美味しいと評判のティールームのケーキなのに、表面が乾燥してしまっていた。
それだけ、父と継母は真剣だった。
お見合いを失敗させるわけにはいかないという必死さを感じる。
啓雅さんは気づいているのか、そんな二人を見下し、ふんぞり返っている。
「それでは、この間、言っていた契約ですが、清中繊維さんにお願いしましょう」
お見合いの席だというのに啓雅さんは契約書をとりだし、すっと父の前に置いた。
「ありがとうございます!」
「よかったわね、あなた」
二人はホッとした顔をして、手を取り合って喜んでいた。
顔を上げると、テーブルの上に置かれた契約書が目に入り、泣きたくなった。
私はこの紙切れ一枚のために両親に売られたのだ。
目の前の乾井啓雅という男に――契約が無事済むと、素早く啓雅さんは立ち上がった。
「それでは失礼します。琉永さん、今度は二人で会いましょう」
啓雅さんは早口で言い、私の返事を聞く前に店から出ていった。
あの人の中で、私の答えはイエス以外ないのだろう。
「いい人だったでしょ? 私に感謝しなさいよ。ちょうど卒業式の写真があったから、それを見せたら、気に入ってくださったの。琉永さん、よかったわね。そこそこの顔で」
継母が自分の手柄とばかりに微笑んでいた。
「お前が乾井さんの元に嫁げば、家族みんなが助かるんだ。わかるな?」
家族と言われて思い浮かぶのは妹の顔だけだった。
病弱な妹を見捨てるわけにはいかない。
「……わかりました。その代わり、千歳の大学と病院のお金だけはお願いします」
「わかっている。自分の娘だ。大学の費用はなんとかしてやろう」
――私の未来は決まってしまった。
涙がこぼれそうになった。
でも、継母の前ではなきたくない。
この場から一秒でも早く立ち去りたかった。
逃げることなんてできないのに私は逃げたいと思っていた。
ほんの少しの時間でもいいから、今はなにも考えたくない。
――自分の閉ざされた将来のことなんて、誰が考えたいと思うの?
ティールームから出て、一人になった瞬間、私は泣いていた。
大きな声は、人の視線を集めた。
継母の一言で、さっきまでの誇らしい気持ちが台無しになってしまった。
「おかしかったですか?」
「どうせ安物のワンピースでしょ。あなたのことだから、ちゃんとした服を選べないと思って持ってきてあげたわよ」
継母は私にそう言って、高級ブランドの紙袋を乱暴に押し付けた。
紙袋のブランド名を見るとお嬢様に人気のブランド『Lorelei』のロゴが入っている。
「琉永。着替えなさい」
継母の後ろを歩いていた父が、私のワンピースを見て、険しい顔をした。
父から、私がデザインした服を褒められたことはない。
父が私を褒めるのは、私が父の役に立った時だけである。
それを悲しいと思う気持ちは、父が継母と結婚した時に捨てた。
「なにをモタモタしているんだ。早く着替えてきなさい!」
二度目の催促の声は鋭く、容赦のないものだった。
ここで、私が逆らえば、継母が怒り狂って、入院中の妹になにをするかわからない。
ストライキのような抵抗は無駄だとわかっている。
反抗せず、紙袋を受け取り、私は小さくうなずいた。
「着替えてきます……」
「余計な出費だったわ。洋服関係の仕事をしているのなら、こういう時はフォーマルな服装をしてくるのが常識でしょ」
「まったくだ。安いワンピースを着て恥ずかしい娘だ」
「死んだ奥様に似たのでしょ。手作りの服を娘に着せていたそうじゃないの。手作りが一番だなんて、言い聞かせて育てたのかしら」
継母は私が着替えるまで、ずっと嫌味を言い続けていた。
着ていたワンピースは紙袋の底に入れ、ブーケの形が崩れないよう上にのせた。
着替え終わった私の全身を継母は舐めるようにして見る。
そして、くすりと笑った。
「似合わないわね。やっぱり、琉永さんには貧乏臭いワンピースがちょうどよかったみたい。せっかくの『Lorelei』なのに、安物のスーツみたいでもったいないわ」
継母は言いたいことを言って、化粧室の外へ先に出ていった。
女の子なら一度は着てみたいブランド、『Lorelei』。
私だって着てみたかった。
こんな形じゃなく、自分で選んだ服を着ていいたら、もっとわくわくして、ドキドキできたと思う。
――継母はわざとサイズの合わない服を選んだってわかってる。
似合わないように、スカートの丈は長く、ジャケットはだぶっとしている。
「服が可哀想……」
裁縫セットをバッグから取り出し、スカート丈をすばやく直す。
そして、ブーケの白いリボンを外し、
飾り気のないのワンピースの胸元にリボンをつけ、アクセントにする。
少しだけ可愛い系にすることで、大人っぽさが薄れ、私に似合うものに変わる。
だぶっとしたジャケットは、ピンで留めて、袖を少しだけ短くした。
急いで裾をあげたから、縫い方も雑だけど、さっきより服に着られているという雰囲気はなくなったような気がする。
紙袋のブーケを指でそっと撫で、大丈夫と自分に言い聞かせて、化粧室を出た。
「あら……? 買った時と印象が違うけど、気のせいかしら?」
細かいところまで見ていなかったらしく、首を傾げた。
「まあ、いいわ」
継母の興味は、すでに興味は別のところにあって、今日のお見合い会場であるティールームのメニューを眺めていた。
追求を免れ、ホッと息をはいた。
なに食わぬ顔をして、父と継母の後ろを歩いて、お見合い場所のティールームへ入る。
ここのティールームを選んだのは継母で、高級感漂う和風のティールームだ。
私が来るのは初めてだけど、継母は違うらしく、慣れた様子でメニューブックを手にした。
「ここのお抹茶が美味しいのよ」
「俺はなんでもいいぞ」
二人がメニューを決めている間、ぐるりと店内を眺める。
趣味のいい落ち着いた店内。
竹のオブジェがあり、壁にはガクアジサイが描かれた日本画が飾られている。
窓ガラスには木の格子がされ、外から中を覗けないよう目隠しがされていた。
なめらかな木の椅子とテーブル、障子戸をパーティションに使われ、木のウッドオブジェの枝がほんの少しだけ、障子から覗く――さすが高級ホテルのティールーム。
お見合いでなく、友達と来ていたら、この店の一つ一つのセンスの良さを語り尽くしていたはずだ。
――わかってる。デザインの勉強をしても意味がないって。どんな相手であっても、私は結婚する選択肢しかないんだから。
妹の顔を思い浮かべ、涙をこらえた。
病弱な妹を守れるのは私だけ。
「あなた、乾井さんが来たわよ」
継母はお見合い相手の姿を見つけると、入り口を指差し、父の体を揺さぶった。
「乾井専務。今日はどうも。お忙しいところ時間をいただき、すみません」
父は席から立ち上がり、何度も頭を下げた。
「ああ、どうも。清中さん、目立つので座ってください」
乾井さんは取引先の専務で、清中の家より大きい会社だと、父の態度でわかった。
「ふぅん。これが娘さんですか」
――これって。まるで物みたいな扱いをされてる?
私を値踏みする目と呼び方で、すでに馬鹿にされている気がして不快感を感じた。
「琉永さん。こちら乾井啓雅さん。ごぞんじだと思うけど、大手アパレル企業INUIグループ社長のご子息でいらっしゃるのよ」
「父のもとで専務をしております」
乾井さんは自分の肩書きに自信を持っているようで、席について足を組み、ふんぞり返っていた。
カジュアルな印象を与えるボタンダウンシャツとストライプタイのアメリカ式スーツ。
ジャケットは両サイドにつまみ縫いのない緩めのもの。
外見は一般的に男らしいスポーツマンという印象がある人だけど、どこか冷たい印象がある。
「どう? 琉永さんにはもったいないくらいの素敵な人でしょう?」
いつもより濃いめの化粧をした継母が高い声で笑った。
「……そうですね」
第一印象では、素敵な人とは思えず、暗い気持ちで返事をした。
――どうして、私と結婚しようと思ったのかな。
外見も悪くなくて、大きい会社の専務なら、モテモテのはず。
潰れかけの工場の娘とお見合いするメリットが、どこにあるのか、私にはわからなかった。
「ごめんなさいね。愛想のない子で」
「いいえ。おとなしい女性は嫌いではありません。余計なことを話す女性のほうが苦手ですね」
そんなことを言って、啓雅さんは運ばれてきたアイスティーを口にした。
「琉永さん。よかったわねぇ~。啓雅さんに気に入っていただけたみたいよ」
今のが継母への皮肉だということに気づいていない。
啓雅さんはさっきから、一人で話し続ける継母を不快そうな顔で見ていた。
継母のことは好きではないけれど、あからさまに顔に出す啓雅さんにもあまりいい印象を持てない。
「清中家の後妻に入って、子供二人の面倒を見るのは大変でしたのよ。琉永さんの結婚が決まってくれたら、一安心ですわ」
「そうですか」
啓雅さんは継母の昔語りに付き合う気はないらしく、愛想笑いさえ浮かべず、素っ気ない返事をする。
継母と話すためにここへきたわけではないのはわかる。
「下の子も病弱で手がかかるんですのよ」
啓雅さんの冷めた態度と重い空気をなんとかしようと、父は思ったらしく、口を挟もうとするけれど、継母の独壇場。
「お金もかかるし、本当に子育てって大変。啓雅さんは賢くて、手がかからない子だったと、乾井社長から聞いておりますわ」
「まあ、お手伝いがいたので不便はなかったですね」
「お手伝い! さすが乾井グループの御曹司。それに比べて、清中は貧乏で……」
ここからずっと、継母の苦労話が続いた――嘘だらけの。
継母は私の母が亡くなると同時に、父と結婚した。
結婚したスピードを考えたら、母が亡くなる前から関係があったとわかる。
父に聞かなくても、親戚たちが集まった場では、否応なしに話し声が耳に入ってくる。
継母は結婚した当初から、父と前妻との間にできた私と妹を他人だからと言って、冷たい態度だった。
『私はあなた達の母親じゃないの。お母さんなんて呼ばないでよ』
私と妹は初対面でそんなことを言われ、気分が悪かったけれど、母と呼ぶ気持ちにはなれず、継母とは距離を置いて過ごした。
それに、父は私たちを邪魔にして遠ざけ、祖父母の家で、私と妹は暮らしていた。
けれど、高齢だった祖父母は、私が高校生だった頃、他界してしまい、父は仕方なく私たち姉妹を引き取り、継母と暮らすようになったのだ。
――それでも、父が娘を道具のように扱うなんて思わなかったわ。父に少しくらい情があるかもって、期待してた私が馬鹿なんだろうけど。
父は乾井さんと結婚させて、私が幸せになれるとは思ってない。
――わかってる。ただ会社を失いたくないだけ。娘より会社が大事なのよ。
父のほうをちらりと見たけれど、後ろぐらい気持ちがあるのか、目を逸らされてしまった。
『清中繊維の大切な取引先の息子だ。粗相のないようにな』
このお見合いが決まった時、父から言われたのはそれだけだった。
でも、私がお見合いを引き受ければ、妹の大学費用を出してくれると父は私と約束をしてくれた。
祖父母を亡くした私にとって、家族と呼べるのは妹だけだった。
それは妹も同じ。
――妹の夢は医師になること。医学部はお金がかかるし、私のお給料じゃ、夢を叶えてあげられない。
それだけではない。
父が会社を失えば、妹の病院代も払えなくなる。
私も清中繊維が経営が、うまくいってないのだろうと、お見合い話を持ってきた時点で、薄々察していた。
父は乾井さんの申し出を断り、機嫌を損ね、大口取引先を失うわけにはいかない。
だから、娘の私を差し出した。
これで済むなら安いものだ――それが父の本心だろう。
「琉永さんはデザインの仕事をされているとか」
黙って継母の話を聞いていた乾井さんが、突然、私に質問してきた。
「はい。専門学校の先輩が立ち上げたデザイン事務所で働いております」
「なるほど。そうですか」
たったそれだけで、私のなにがわかったというのか、うなずいた後は、なんの会話もなかった。
――お見合いの話を持ってきたのは、乾井さんのほうなのに、ここまで興味がない相手と結婚するなんて、なんだかおかしい。
せめて、どんな服を作ってるのかとか、この先も仕事を続けるつもりなのか――なんて質問があってもいいような気がする。
疑問だらけのお見合いに、落ち着かない気持ちで服に触れた。
窓ガラスを見ると、アレンジした服が、私に似合っていて、それを眺めるだけで少しだけ気分が上向く。
――さすが、『Lorelei』。ハイブランド品だし、お嬢様に人気なデザインは、上品で飽きのこないもの。さりげないトレンドを取り入れつつ、長く着れる服になってる。
これを選んだのが継母ではなく、お見合いのためでもなければ、もっと素直に喜べただろう。
私が作ったワンピースともらったブーケは紙袋の中にしまわれ、ティールームのクロークに預けてある。
『Lorelei』のワンピースと違って、継母は私の作ったブルーのワンピースをにらむように見ていたのを思い出し、落ち込んだ。
――私が『Lorelei』で働いているとか、有名なデザイナーだったら、自分がデザインした服を着ていられたはず。
卒業したての駆け出しデザイナーとはいえ、卒業生の中には、すでに名前を知られ、『Lorelei』で働いている人もいる。
――私、才能ないのかな。このまま、結婚してデザインの仕事を諦める?
「乾井さん。仕事のことなら、お気になさらず。この子は仕事を遊びでやっているんですよ」
「ち、違います! 私は本気で……!」
「今日も安っぽい生地のワンピースを着てきて、自己満足もいいところでしょう? 『Lorelei』のスーツに着替えさせたら、機嫌が悪くて、本当に困った子」
「ああ、それであまり話さないんですね」
継母は私の傷ついた顔を見て、くすりと笑う。
「それに比べて、啓雅さんは琉永さんにもったいないくらいの方よ。お仕事ができて経営手腕も確かだし、女性にもすごくモテるの」
「そんなことはないですよ」
継母の言葉に、啓雅さんは澄ました顔をしながら、にやりと笑ったのを私は見逃さなかった。
「女性と付き合ったことが何度かあるのですが、どの女性も面倒な相手で、こちらへの要求が多くて、結婚までは考えられなかった」
「それって、自分のいいなりになる奥さんが欲しいってこと……」
私がムッとして、啓雅さんに言うと、テーブルの下で、継母から足を蹴られた。
継母が『余計なことを言うんじゃないわよ』と、私を怖い目でにらみつける。
痛む足と父の冷たい目に、私は黙るしかなかった。
――お金で買った妻を自分のいいように使いたいだけ。逆らえない妻なら、楽だって考えてるんだわ。
結婚生活を考えたら、ゾッとして体が震えた。
温かい抹茶ラテを頼んだはずが、温くなり、口の中で苦味が広がる。
目の前に生クリームが添えられたシフォンケーキがあるのに誰も手をつけていない。
きな粉と黒豆のシフォンケーキ。
甘く煮た大きな黒豆が黄色の生地にしっかり形を残して焼き上げられている。
美味しいと評判のティールームのケーキなのに、表面が乾燥してしまっていた。
それだけ、父と継母は真剣だった。
お見合いを失敗させるわけにはいかないという必死さを感じる。
啓雅さんは気づいているのか、そんな二人を見下し、ふんぞり返っている。
「それでは、この間、言っていた契約ですが、清中繊維さんにお願いしましょう」
お見合いの席だというのに啓雅さんは契約書をとりだし、すっと父の前に置いた。
「ありがとうございます!」
「よかったわね、あなた」
二人はホッとした顔をして、手を取り合って喜んでいた。
顔を上げると、テーブルの上に置かれた契約書が目に入り、泣きたくなった。
私はこの紙切れ一枚のために両親に売られたのだ。
目の前の乾井啓雅という男に――契約が無事済むと、素早く啓雅さんは立ち上がった。
「それでは失礼します。琉永さん、今度は二人で会いましょう」
啓雅さんは早口で言い、私の返事を聞く前に店から出ていった。
あの人の中で、私の答えはイエス以外ないのだろう。
「いい人だったでしょ? 私に感謝しなさいよ。ちょうど卒業式の写真があったから、それを見せたら、気に入ってくださったの。琉永さん、よかったわね。そこそこの顔で」
継母が自分の手柄とばかりに微笑んでいた。
「お前が乾井さんの元に嫁げば、家族みんなが助かるんだ。わかるな?」
家族と言われて思い浮かぶのは妹の顔だけだった。
病弱な妹を見捨てるわけにはいかない。
「……わかりました。その代わり、千歳の大学と病院のお金だけはお願いします」
「わかっている。自分の娘だ。大学の費用はなんとかしてやろう」
――私の未来は決まってしまった。
涙がこぼれそうになった。
でも、継母の前ではなきたくない。
この場から一秒でも早く立ち去りたかった。
逃げることなんてできないのに私は逃げたいと思っていた。
ほんの少しの時間でもいいから、今はなにも考えたくない。
――自分の閉ざされた将来のことなんて、誰が考えたいと思うの?
ティールームから出て、一人になった瞬間、私は泣いていた。
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