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第4章
37 取引①
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『鷹沢と母のことで会いたい』と言うと、加々見の祖母はすぐに時間を作り、いつでも来なさいと返事がきた。
料亭に着くと、『休業中』の札がかかり、今日は誰もいないようだった。
人の気配もなく、とても静かだ。
祖母は相変わらず、背筋がしゃんと伸びた姿勢のいい人で、着物姿で私と玲我さんを出迎えた。
「そう……。海宏さんが亡くなったの……」
挨拶を終え、玲我さんから海宏さんの訃報を聞いた祖母は、頬に手をあてて、しばらく考え込んでいた。
なにを考えているかわからなかったけれど、玲我さんを見ると、私にうなずいた。
――私の好きに話していいということよね?
そう解釈して、私は祖母に言った。
「海宏さんに会いました」
私の口から海宏さんの名前が出たとたん、祖母は顔をしかめた。
「なんて勝手な人なのかしら。夕愛と会わない約束をしたのに、それを破って!」
「海寿が会ってほしいと頼んだからですよ。そうじゃなければ、会わせなかった」
玲我さんがそう言うと、祖母は怒りをあらわにした。
「玲我さん! あなたに過去を話したのも、夕愛には内緒にすると言ったからですよ!」
祖母は玲我さんが悪いとばかりに責めたてた。
「玲我さんは悪くありません。やめてください。私が知りたいと言ったんです」
祖母は気の強い人だ。
料亭『加々見』は明治の頃から始まった。
政府の要人などを迎えた歴史ある料亭で、この料亭を守り続けるのが、祖母のすべてと言っても過言ではない。
料理人の祖父を婿養子に迎え、店は順風満帆で、一人娘の母を自分と同じように料理人と結婚させるつもりでいた。
けれど、母は小椋の父と結婚したため、分家筋の息子が継ぐことになった。
今にしてで思えば、この気の強い祖母が反対せず、一人娘の結婚を許し、すんなり家から出したのもおかしな話だったのだ。
「夕愛には早恵のようになってほしくないから、秘密にしてほしかったんですよ。それが、どうして……」
「似たような境遇の俺が夕愛の相手で、昔を思い出して嫌になりましたか? 自分自身がやったことを忘れられませんからね」
「なんのことかさっぱり……」
「海寿を鷹沢に売ったのは、あなただ」
――海寿さんを売った?
祖母は顔色を変え、私は驚いて玲我さんを見た。
「俺がなぜ知っているか、知りたいですか?」
はっとした顔で、祖母は私を見る。
私の前で語られたくないなにかを祖母は隠している。
「ま、待ちなさい! あなた、嘘をついたわね? 海寿さんから過去の話を聞いたと、私に言ったのは嘘だったのね!?」
玲我さんは悪い顔をしてくすりと笑った。
大抵、こん顔をする時の玲我さんは、よからぬことをたくらんでいる時だ。
「海寿が鷹沢の弱みを有近にペラペラ話すわけがない。それに、俺は『海寿から聞いた』とは言わなかったはずですよ」
優しげな口調なのに、玲我さんがまったく優しそうには見えなかった。
「『聞いた話によると、海寿の本当の母親は……』と言ったのを勘違いした。違いますか?」
祖母はその後に続く『本当の母親』の言葉に動揺し、そちらに気をとられていたのだろう。
冷静でいつも能面のような顔をした祖母が、額に汗を浮かべて焦っている。
それに対して、玲我さんは余裕の笑みを浮かべ、祖母を挑発した。
「悪いのは早恵よ。加々見を捨てて出ていったあの子が悪いんですよ! 結局、男に捨てられて!」
「……つまり、海宏さんとお母さんは恋人同士で、結婚を鷹沢と加々見から反対されて別れたということですか?」
感情的になった祖母は自ら過去を口にし、『しまった』という顔をした。
「結果的に別れたが、二人はお互いの家を捨てて駆落ちしたんだ」
「駆落ち……」
「夕愛も行ったことがある。あの海辺の家で暮らしていた。あの家は海宏さんの早くに亡くなった母親のもので、相続して海宏さんの持ち物になっていたらしい。海宏さんはそのまま、そこで暮らすつもりだったみたいだけど、鷹沢が一人息子を手放すわけがなかった」
玲我さんは深いため息をついた。
「鷹沢は少しずつ追い詰めていった。一番弱い所から順番にね。まずは、早恵さんの実家である料亭『加々見』の料理人を引き抜き、支店を次々と潰していった」
「あの子が分不相応な相手を好きになるからですよ! 都久山の鷹沢家に嫁げるような身でもない癖に……!」
祖母は怒りで握った手を震わせて、声をあらげた。
その姿は母への恨みを感じる。
「その頃、海宏さんが小さな事故を起こしていることがわかった。それで、修理会社を訪ねたら、ブレーキの故障が原因だった。だが、鷹沢の家が海宏さんを脅したかどうかまでは、突き止められなかった」
玲我さんは過去を遡り、徹底的に調べたようだった。
祖母は玲我さんが思った以上に過去を知っていたからか、額に汗を浮かべ、落ち着きなく手の指を動かす。
――鷹沢と加々見の間で、なにか取引があった?
「その後、二人は別れ、早恵さんは実家へ戻らずに海寿を一人で育てた。これは不動産会社の書類のコピーだ」
「あなた……いったい、どこまで調べているの……」
「俺は有近だ。鷹沢にできることは、こちらもできる」
玲我さんから鋭い目でにらまれ、祖母はびくっと体を震わせた。
「ここからが本題だ。早恵さんが過労で倒れ、入院している間に加々見はなにをした?」
「早恵のせいで、加々見が潰れかけていたんですよ! その尻拭いをさせただけです!」
祖母は自分の正しさを訴えるので必死だった。
あの気の強い祖母が、過去に怯え、暴かれるのを恐れている。
「俺が言っているのは、その後のことだ」
玲我さんは祖母の前に誓約書のコピーを置いた。
「多額の資金援助を約束する代わりに、海寿を鷹沢の正妻の子として育てることを了承する――ここにあるサインはあなたのものだ」
それは祖母が海寿さんを売った取引の証拠だった。
料亭に着くと、『休業中』の札がかかり、今日は誰もいないようだった。
人の気配もなく、とても静かだ。
祖母は相変わらず、背筋がしゃんと伸びた姿勢のいい人で、着物姿で私と玲我さんを出迎えた。
「そう……。海宏さんが亡くなったの……」
挨拶を終え、玲我さんから海宏さんの訃報を聞いた祖母は、頬に手をあてて、しばらく考え込んでいた。
なにを考えているかわからなかったけれど、玲我さんを見ると、私にうなずいた。
――私の好きに話していいということよね?
そう解釈して、私は祖母に言った。
「海宏さんに会いました」
私の口から海宏さんの名前が出たとたん、祖母は顔をしかめた。
「なんて勝手な人なのかしら。夕愛と会わない約束をしたのに、それを破って!」
「海寿が会ってほしいと頼んだからですよ。そうじゃなければ、会わせなかった」
玲我さんがそう言うと、祖母は怒りをあらわにした。
「玲我さん! あなたに過去を話したのも、夕愛には内緒にすると言ったからですよ!」
祖母は玲我さんが悪いとばかりに責めたてた。
「玲我さんは悪くありません。やめてください。私が知りたいと言ったんです」
祖母は気の強い人だ。
料亭『加々見』は明治の頃から始まった。
政府の要人などを迎えた歴史ある料亭で、この料亭を守り続けるのが、祖母のすべてと言っても過言ではない。
料理人の祖父を婿養子に迎え、店は順風満帆で、一人娘の母を自分と同じように料理人と結婚させるつもりでいた。
けれど、母は小椋の父と結婚したため、分家筋の息子が継ぐことになった。
今にしてで思えば、この気の強い祖母が反対せず、一人娘の結婚を許し、すんなり家から出したのもおかしな話だったのだ。
「夕愛には早恵のようになってほしくないから、秘密にしてほしかったんですよ。それが、どうして……」
「似たような境遇の俺が夕愛の相手で、昔を思い出して嫌になりましたか? 自分自身がやったことを忘れられませんからね」
「なんのことかさっぱり……」
「海寿を鷹沢に売ったのは、あなただ」
――海寿さんを売った?
祖母は顔色を変え、私は驚いて玲我さんを見た。
「俺がなぜ知っているか、知りたいですか?」
はっとした顔で、祖母は私を見る。
私の前で語られたくないなにかを祖母は隠している。
「ま、待ちなさい! あなた、嘘をついたわね? 海寿さんから過去の話を聞いたと、私に言ったのは嘘だったのね!?」
玲我さんは悪い顔をしてくすりと笑った。
大抵、こん顔をする時の玲我さんは、よからぬことをたくらんでいる時だ。
「海寿が鷹沢の弱みを有近にペラペラ話すわけがない。それに、俺は『海寿から聞いた』とは言わなかったはずですよ」
優しげな口調なのに、玲我さんがまったく優しそうには見えなかった。
「『聞いた話によると、海寿の本当の母親は……』と言ったのを勘違いした。違いますか?」
祖母はその後に続く『本当の母親』の言葉に動揺し、そちらに気をとられていたのだろう。
冷静でいつも能面のような顔をした祖母が、額に汗を浮かべて焦っている。
それに対して、玲我さんは余裕の笑みを浮かべ、祖母を挑発した。
「悪いのは早恵よ。加々見を捨てて出ていったあの子が悪いんですよ! 結局、男に捨てられて!」
「……つまり、海宏さんとお母さんは恋人同士で、結婚を鷹沢と加々見から反対されて別れたということですか?」
感情的になった祖母は自ら過去を口にし、『しまった』という顔をした。
「結果的に別れたが、二人はお互いの家を捨てて駆落ちしたんだ」
「駆落ち……」
「夕愛も行ったことがある。あの海辺の家で暮らしていた。あの家は海宏さんの早くに亡くなった母親のもので、相続して海宏さんの持ち物になっていたらしい。海宏さんはそのまま、そこで暮らすつもりだったみたいだけど、鷹沢が一人息子を手放すわけがなかった」
玲我さんは深いため息をついた。
「鷹沢は少しずつ追い詰めていった。一番弱い所から順番にね。まずは、早恵さんの実家である料亭『加々見』の料理人を引き抜き、支店を次々と潰していった」
「あの子が分不相応な相手を好きになるからですよ! 都久山の鷹沢家に嫁げるような身でもない癖に……!」
祖母は怒りで握った手を震わせて、声をあらげた。
その姿は母への恨みを感じる。
「その頃、海宏さんが小さな事故を起こしていることがわかった。それで、修理会社を訪ねたら、ブレーキの故障が原因だった。だが、鷹沢の家が海宏さんを脅したかどうかまでは、突き止められなかった」
玲我さんは過去を遡り、徹底的に調べたようだった。
祖母は玲我さんが思った以上に過去を知っていたからか、額に汗を浮かべ、落ち着きなく手の指を動かす。
――鷹沢と加々見の間で、なにか取引があった?
「その後、二人は別れ、早恵さんは実家へ戻らずに海寿を一人で育てた。これは不動産会社の書類のコピーだ」
「あなた……いったい、どこまで調べているの……」
「俺は有近だ。鷹沢にできることは、こちらもできる」
玲我さんから鋭い目でにらまれ、祖母はびくっと体を震わせた。
「ここからが本題だ。早恵さんが過労で倒れ、入院している間に加々見はなにをした?」
「早恵のせいで、加々見が潰れかけていたんですよ! その尻拭いをさせただけです!」
祖母は自分の正しさを訴えるので必死だった。
あの気の強い祖母が、過去に怯え、暴かれるのを恐れている。
「俺が言っているのは、その後のことだ」
玲我さんは祖母の前に誓約書のコピーを置いた。
「多額の資金援助を約束する代わりに、海寿を鷹沢の正妻の子として育てることを了承する――ここにあるサインはあなたのものだ」
それは祖母が海寿さんを売った取引の証拠だった。
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