【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ

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4章

35話「裏切りの夜」

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 冷たい夜風が、鎖の音をさらっていく。
 私は黒鉄の傭兵団の本陣、仮設のテントへと連行されていた。
 両手は粗末な縄で縛られ、足かせもされている。
 魔力を緩やかに吸い取る封印具――簡素ながら、魔導士には十分すぎる拘束だ。

 砦の明かりは、もう見えない。
 背中に貼りつくような視線と、遠くで聞こえるすすり泣き。
 砦の仲間たちは今も私の無事を祈っているだろうか。それとも、私の犠牲を呪い、絶望の淵に沈んでいるだろうか。

 テント内は薄暗い。
 敵兵たちが無言で私を見張る中、私は敷き藁の上に座らされた。
 逃げ出す手段は――ない。今は、ただ時を待つしかない。

 ふと、外の物音に耳を澄ませた。
 敵兵たちの笑い声、酒瓶を交わす音、時折響く怒鳴り声。
 傭兵団の空気は、残忍で、緩慢だ。
 けれど、その中に、どこか異様な緊張感が漂っているのを、私は感じ取っていた。

 (……何かがおかしい)

 敵兵たちの間にも、焦りや苛立ちが混じっている。
 彼らは私を“脅しの材料”として使うつもりだろう。
 けれど、砦に残ったカイラスやレオナートが、ただ手をこまねいているはずがない。
 私自身も、このまま“犠牲”になどなってやるものか。

 私は膝を抱え、ゆっくりと深呼吸した。
 心を落ち着かせることで、体内にわずかに残った魔力の流れを確かめる。
 魔力の封印具は厄介だが、完全に無力というわけではない。
 小さな術式や、気配を読む魔眼なら、まだ使える。

 (……夜が明けるまでが勝負)

 外では、敵将らしき男が部下に命令していた。

 「ノクティア・エルヴァーンを監視しろ。奴が何か細工をしたら、すぐに報せろ」

 (思ったより警戒している)

 私が“ただの女”で終わることを、彼らは信じていない――そのことが、かすかな希望にも思えた。

 だが、その時だった。
 テントの入り口から、ぼろぼろのマントを羽織った一人の男が滑り込んできた。
 顔に見覚えがある。
 昼間、難民に紛れて砦内で暴れ、そして最後には敵に合図を送った――裏切り者の男だ。

 「……お前」

 私は低く問う。
 男は私を見るなり、顔を引きつらせ、やや震えた声で言った。

 「すまない……すまなかった……!」

 「……なぜ、あんなことを」

 「俺は……あいつらに脅されてた。家族を人質に取られて……」

 その言葉に、私は胸の奥に冷たいものが走る。

 「だが、もう何もかも手遅れだ。俺がいくら裏切ったところで、あいつらは……」

 彼は膝をついて、私の前にうずくまった。

 「砦の皆を、助けてくれ……俺のせいで、みんな……」

 私はその男の震える手を見つめる。

 (こんな形で、命の選択を迫られるのは……私だけじゃない)

 「あなたの家族は、今どこにいるの?」

 「わからない。もう……もう、きっと……」

 男は泣きじゃくった。
 私は目を閉じ、静かに呼吸した。

 「……あなたが罪を背負い、ここに来た意味を無駄にはしない。
 私は生きて帰る。そして、あなたの家族も必ず探す。約束する」

 その時、テントの外で怒鳴り声が響いた。

 「そこの裏切り者、何をしている!」

 敵兵が男の腕をつかみ、荒々しく引きずり出す。
 男は私の方を一度だけ振り返り――その目に、わずかな希望の光が宿った。

 私はその場で膝を抱きしめ、歯を食いしばる。

 (私は、必ず生きて帰る。誰かが望む未来を、絶対に繋いでみせる)

 その夜、眠ることはできなかった。

    * * *

 一方そのころ、グランツ砦の中――。

 砦はひとときの静寂に包まれていた。
 だが、その静けさは、決して平和から生まれたものではなかった。

 カイラスは城壁の上に立ち、夜空を睨みつけていた。
 彼の隣には、腕を吊ったままのレオナートがいる。

 「……ノクティアさんを、差し出してしまった」

 レオナートの声は、かすれていた。

 「違う。ノクティアは自分の意志で――皆を守るために行った。俺たちは……生き残った以上、ここで止まるわけにはいかない」

 カイラスは壁の外をじっと見ていた。
 黒鉄の傭兵団は、夜通し砦を監視し、包囲を続けている。
 だが、明らかに敵の動きにわずかな緩みが生まれていた。

 「隙がある。レオナート、偵察を頼む。ノクティア救出の策は、必ず見つける」

 「はい……!」

 その背後、エイミーがそっと二人に近寄る。

 「……ノクティアさんは、必ず戻りますよね?」

 カイラスは静かにエイミーの頭を撫でた。

 「ノクティアは、そんなに弱くない。あいつは……必ず帰ってくる」

 それは、願いであり、祈りであり――自分自身への誓いでもあった。

    * * *

 夜も更けたころ、敵陣では一つの小さな騒ぎが起きていた。
 裏切り者の男が敵兵に連れられ、テントの裏手に連行される。
 敵兵たちは彼を殴り、地面に倒れた男を容赦なく蹴り続けた。

 「裏切り者め。お前は“見せしめ”として吊るされるんだよ」

 「……やめろ……!」

 男のかすれた声が、闇夜に吸い込まれていく。
 そのとき――一人の黒鉄兵が、周囲をそっと見回し、男にこっそり囁いた。

 「……あの女(ノクティア)は、諦めるなと伝えていた。
 生き残れ。お前が“手引き”をすれば、明日の夜明け、砦から救出部隊が来る」

 男は驚き、微かに頷いた。

 敵の中にも、まだ“人間”が残っている――
 そう信じさせるには十分な、夜のささやきだった。

    * * *

 夜明け前。
 私はテントの隅で目を閉じ、最後の気力で体を温めていた。

 (砦の皆は、きっと私を助けようとしている。
 だけど、私は自分だけが犠牲になるつもりはない)

 敵陣のどこかで、また怒鳴り声と呻き声が上がる。
 私は気配を集中し、内外の動きを探った。

 敵の中には、明らかに私に同情的な者もいる。
 また一方で、“裏切り者狩り”を楽しむ者もいる。

 人の心の弱さと、強さと、残酷さと――
 私はそれらをひとつひとつ、胸に刻んでいた。

 (この夜を越えれば、私は必ず――)

 その時、テントの外から、低い声が聞こえてきた。

 「ノクティア・エルヴァーン。明朝、敵将が“儀式”を執り行う。
 お前の命をもって、この戦争を終わらせると言っている」

 私は静かに目を開いた。

 「それが、あの人たちの本当の目的……?」

 「そうだ。だが、お前には生きてほしいと願う者もいる。……“選択”を誤るな」

 その声は、敵兵にしては妙に優しかった。
 私は微かに頷いた。

 「私も、まだ終わらせるつもりはない。誰も死なせない――
 そのために、必ず戻る」

 敵兵の足音が遠ざかり、テントに静寂が戻った。

 私は夜の終わりを感じながら、もう一度だけ心に誓う。

 ――この闇を、必ず越えてみせる。
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