12 / 56
二章
一、呉の都 "建業"
しおりを挟む鬼は完全に消えたわけではなかったが、それでも朱桓は少しずつ正気を取り戻していった。
戦が近づいてきたからか、諸葛恪の対処が功を奏したためか、それはよくわからない。
酒も完全に辞められたわけではなかったみたいだが、孫権からの書状を居間に飾り、量を少しずつ減らす努力はしているらしい。
朱桓にしか見えない鬼であった。そうなると諸葛恪としても手の施しようがない。
であれば朱桓がどうにかするしかない。幸い、悪鬼とは言えど直接的に害を及ぼしていたわけでもなかったのだ。
まずは鬼が何たるかを知り、知識と儀式で不安を除き、地味で地道な対策を講じる。
"鬼退治"と言ってしまうと聞こえは派手だが、その実は子供騙しであり、得てして怪異対策の多くはこういうものであった。
「町の人々の間ではご主人様の話題で持ちきりですよ。悪鬼を祓って将軍を救った、仙人の如き天才だって!」
「暢気なもんだ。別に今回、俺は何もしてない。馬鹿にそこらへんで買った変な衣装を着させて、下手な踊りを踊らせただけなのに」
「ひ、ひどい!僕なりに一生懸命だったのに!」
今、諸葛恪らは宿舎にある私物をまとめていた。もう濡須口に用はなく、都である"建業"に帰るからである。
とはいえ人員も少ない中せっせと荷物をまとめているのは楊甜くらいであり、諸葛恪はのんびりと茶を啜りつつ書を読んでいた。
良い天気である。
絶好の読書日和であると、中庭に置いた座椅子に腰を掛け大きく伸びをした。
「ここに既にあったものは持ち帰らずとも良いが、書簡は全て俺のものだ。綺麗にまとめろよ」
「ひぃ、ひぃ、箱にまとめると重いぃ」
「そういえば楊甜、お前これからどうするんだ」
「どうするって、え、かかか解雇ですか!?」
「あー、うるさいうるさい。そんなこと言ってないだろ。お前は姉を探しに濡須口へ来た。そしてその姉を見つけた今、どうするのかって聞いてんだ」
以前まで朱桓の屋敷で働いていた楊燕だったが、落頭民であることがバレてしまい解雇されることになってしまった。
なんでも夜中に首だけで屋敷から外に飛び、楊甜の様子を見に行こうとしたところを朱桓に目撃されてしまったのだとか。
それでも取り立てて騒ぐことなく穏便に解雇するに留めたのは、朱桓のせめてもの恩情だったのだろう。
「えーっと、姉さん共々ここで働かせてもらうのは…」
「うちにはもう素性明らかな信頼に足る料理番は居るし女手も足りている。いらん」
「あわわ、どっ、どうしよう」
「別に行く当ても頼れる先もないんだな。だったらお前が養えばいいだろ」
「え、僕が?ですか?」
「お前はうちの従者(家臣・郎党)なんだから俸禄も出る。姉一人を養うくらいは出来るはずだ」
「僕に、俸禄が。本当に…?」
堰が決壊するように涙を溢れさせ、何度目になるかも分からないがまたびえびえと楊甜は泣きだした。
ただその時に抱えていた箱をゴトッと床に落としてしまい、諸葛恪にけたぐられてしまうことになるのだが、それはまた別の話である。
こうして諸葛恪の一行は濡須口から引き上げた。目指すは呉の都、建業である。
荷物を載せた船で長江を渡る。呉はこの長江に沿って築かれた国であり、多くの舟が行き交っていた。
そしてこの長江を渡って北に広がる平野が"魏"の勢力域であり、長江を遡った先に"蜀漢"がある。
この穏やかな長江も間もなく、多くの人の死骸の浮くことになるのだろう。諸葛恪は出来るだけこの穏やかな風景を覚えておこうと思った。
「さぁ、ついたぞ。ここが"建業"だ」
「うわぁ…!」
楊甜は目を丸く見開き、太陽を反射する湖面の様に輝く表情を浮かべていた。
長江から支流に入るとたちまち民家が増え、人の往来も多くなる。土地の全てに活気が満ちているかのようであった。
また建業には街を囲む城郭が無く、あっても竹や丸太の柵くらいで、壁というよりは区画の仕切りに近い。
唯一、建業の西門に聳える"石頭城"だけが、この地の主要な防衛施設と言えた。
「建業は長江の下流に位置する都だ。故に上流からあらゆる物産がここに集中し、豊かさを築き上げているわけだ」
「ここが、呉の都かぁ…」
「楊甜、お前は他の従者らと共に俺の宿舎に入れ。お前のことは既に伝えてある。しばらくは楊燕もお前の部屋に置いて構わん」
「後は僕が働いて、家を買って、そこに姉さんと移ればいいんですよね!よし、よぉーし!!」
「勿論、失態を侵せば解雇だ。死に物狂いで学び、働くことだな」
「はい!!」
「それじゃあ俺は用事があるから、ここで別れるぞ」
諸葛恪は馬と共に船を降り、楊甜らを見送る。
行く先は石頭城。諸葛恪は主君である皇太子"孫登"に、帰還の旨を告げないといけなかった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる