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二章
十一、逃避行
しおりを挟む暗く狭い坑道だが、僅かに風を感じる。そして雨の臭いも。
諸葛恪は無事だろうか。どうしても顧承は楊甜のように信じ切ることは出来なかった。
そして何より、ずっと胸の奥にある"つっかえ"が取れそうにない。
「なぁ、甜ちゃん」
「その呼び方何とかしてほしいなぁ、なんて…」
「どうして教えてくれなかったんだ」
「えっ」
中腰で歩きながら、後方から投げかけられる問い。思わず楊甜は自分の首を撫でた。
自分は怪異である。落頭民であったから、今まで隠れて生きて来た。
おいそれと自分のことを明かすことは出来ない。しかし顧承は良くも悪くもそれを知らない、分からないのだ。
「子直(顧承のあざな)さん、急に首と胴が離れる人間を見たら、びっくりしますよね?」
「うん?まぁ、そうだな。確かに驚いた」
「気味が悪いと思いませんでしたか?」
「いや、変わらず君は綺麗なままだった」
「え、あの、いや、そういう話ではなくてですね」
「そういう話じゃないのか?」
名家の生まれが故なのか、純粋であった。怪異が怖く恐ろしいものとすら思っていない様な。
諸葛恪は「怪異を知っているから怖くない」という人だが、顧承は逆だ。知らないから怖くない、という。
だがむしろ話していて何も気遣わなくていい分、どこか楊甜も気が楽であった。
皆が皆このように自分を見てくれていれば、きっと逃げて隠れる生活をしなくても良かったのだろうな、と。
「普通の人は気味が悪いと思うんです。だから僕はこの首のことを黙っていたんです。決して、騙すつもりはありませんでした」
「あぁ、それは分かっている」
「あれ?」
そういえば何の話をしていたっけ?
「いや、俺が聞きたかったのは、その、どうして元遜(諸葛恪のあざな)殿の"妾"であることを黙っていたのかという話だ」
「えぇ…」
「このような思いをするなんて思わなかった。俺も立場ある身、人のものに手を出すつもりはないが、だが、苦しいものだな」
急ぎ訂正しなければならない、そう考えたがやめた。楊甜は何だか急に面倒くさくなったのだ。
勘違いしてるのなら、もういっそこのまま勘違いさせておこうと思った。
「えーっと、この先なんですけど、坑道を抜けた後は何があるか全くわかりません」
「相手は大きな組織だった。この先にも見張りが居ると考えるのが自然だろうね。分かった、俺が先に行こう」
「駄目です!ご主人様から僕は子直さんを守るように仰せつかっています!」
「でも俺は君を守りたい。甜ちゃん、立場は関係ない。友を守りたいと考えるのは当然のことだろ?」
「…友?」
「それにこの顧子直を侮ってもらっては困るなぁ。呉の国で偉くなるには武功がいる。つまり呉では名家の生まれほど腕っぷしが強いんだぜ?」
顧承は楊甜の肩をグイと引き、自ら前に進み出る。
緩やかな坂になっていた坑道は徐々に広く高くなり、そしてようやく光の漏れる木の扉が見えた。
外に人の気配はない。恐る恐るそこを開くと、そこは使い古されたまた別の坑道のようであった。
「もう使われていないみたいだな、急ごう」
「気をつけましょう!」
坂を駆けた先、木材で厳重に支えられた枠があり、その先に森が見えた。
そして人の話し声も聞こえる。顧承は口の前に人差し指を立てて楊甜に微笑みかけると、そのまま外に飛び出す。
門の前に立つ警護兵が二人。突然現れた部外者にギョッと目を剥くが、その瞬間に顧承は一人の膝を蹴り砕き、そして一人の男の喉に拳を叩きこんだ。
「甜ちゃん!」
地を掻いてもがく二人から剣を奪い、一つを楊甜に手渡す。
あまりにも鮮やかな武術であった。確かにこれは自分の出る幕ではなかったと、楊甜は震える足を強く殴る。
するとそこにパタパタと飛んでくる一羽のホトトギスが見えた。
杜宇だ。楊甜が指をさすと同時に杜宇は森の中に飛び立ち、見失わないようすぐさま追いかける。
もう日も落ち、雨空がうっすら夕日に染まっている。少しでも目を離せば見失うだろうと、胸の鼓動が早くなる。
「あのホトトギスについていきましょう!」
「信じて良いんだな!」
「はい!ご主人様を信じてください!」
「本当に、ホトトギスが道案内を。元遜殿は恐ろしい御仁だな」
だが、逃げるにつれ周囲の喧噪がけたたましく聞こえ始めた。
脱走が気付かれたのだ。こんなに早く。これではすぐに包囲される。
「甜ちゃん、人を、殺したことはあるかい?」
「な、無いですっ」
「そっか。じゃあ、ここは任せて。隠れていて」
「駄目です!僕も戦います!僕だって、偉くなるんだ!」
「分かった。コツは、奴らを人と思わないことだ。あれは獣と同じ、狼だと思って殺せ」
もう逃げられない。木々の鬱蒼とした場所に立ち止まり、二人は背中を合わせて立ち止まる。
この場所なら矢も打ち込みづらいだろう。しかし、絶望的な状況であることには変わりない。
剣を握る手が震える。それでも楊甜は逃げたくなかった。
ここで逃げれば何のために山を下りたか分からなくなる。とっくに、戦う覚悟は決めたはずだった。
響く馬蹄。次々と馬から追撃部隊の兵士が降り、怒声と共に駆け寄ってくる。
剥き出しの殺気。楊甜は動けない。
顧承は機先を制して飛び出すと、一人を蹴り飛ばし、一人を斬りつける。
そしてそのまま振り向くと、楊甜は敵の剣と剣をかち合わせたまま、木に押し付けられていた。
再び駆け出し、蹴り飛ばす。あおむけに倒れる男。
顧承は剣を両手で握り、その首に振り下ろした。
「ひっ」
「甜ちゃん、これは獣だ。殺さなきゃ、殺されるよ」
「わ、わかってますっ、だけど」
恐怖によるものか何なのかは分からない。しかし呼吸は浅く乱れ、涙が止まらない。
その時ふとホトトギスが肩に留まり、楊甜の動揺を覚ますかようにその頬にくちばしを突き刺した。
「イッッ!?」
「おい馬鹿首、お前は何もなっとらん。自分が何者であるかを忘れたか」
「えっ、な、なんですか?」
「お前は落頭民であり、怪異じゃ。そして人は怪異を恐れる。その腰に巻いた髪を解け。はよう!」
言われるがままに腰に巻いていた髪を解くと、杜宇は髪を咥えて飛び上がった。
小さな体で軽々と頭を持ち上げる。視界が急に高くなった楊甜はわーわーと慌てふためく自分の体が視界に映った。
「どうだ、視界が広がっただろう。本来、落頭民はこうして視界を確保し戦う怪異じゃ」
「すっすごい、敵がどこにいるのかが分かるっ」
「そして人は異形の怪異に恐れおののく。今のお前は首無き体が動いているような姿だ。ほれ、あの小僧が落とした首を持て」
「えっ、えっ!?」
「はようせい!!」
ひぃひぃ泣きそうな声を上げながら、楊甜の体は傍らに転がる首の髪を掴み、持ち上げる。
まだ血の滴る首である。だが片手に剣を持ち、片手に首を掴んだ首のない異形の姿は、まさに恐ろしい怪異そのもの。
今にも襲い掛からんと周囲を取り巻いていた男達はその姿に明らかに怯え、ついに壊走を始めた。
それを見届け、杜宇は楊甜の首を落とす。
スポッと上手く頭と胴がくっつくと、握っていた首がもっと近くなり、恐ろしくて思わず放り投げた。
「凄いな、甜ちゃん。本当に助かったよ」
「えっと、あの、僕が怖くないんですか…?」
「だって甜ちゃんだろ?そう思えば怖くはないさ。それより今のうちに早く逃げよう、もう夜だ」
敵の姿はなくとも、夜の山林は危険である。
とにかく諸葛恪が予め配していたという伏兵らと合流する必要があった。
こうして二人は足を不意に踏み外さないよう、慎重にホトトギスの飛ぶ方へ歩みを進めたのである。
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